* * *
「この度はご婚約の手紙をありがとうございます」
大広間で頭を下げ跪いたまま、続けて、フェリシア・フローレンスにございます、と名乗ろうとした。
けれど、名乗らせてはもらえず。
「こちらを見ろ」
命じられ、フェリシアは頭を上げる。
しかし、ショートベールのせいで、椅子に座っているのが分かる程度で、薄らとしか、婚約の相手の顔が見れない。
「顔を出せ」
言われた通り、ショートベールを恐る恐る上げて後ろにめくる。
婚約の相手は、
魔除けの耳飾りにネックレスに、
軍服を着た月のように美しい銀の長髪の、絶世の冷酷な美青年だった。
「晩飯を作れ」
「そして」
「これからは私の事をご主人さまと呼べ」
「かしこまりました」
フェリシアは、ただただ一礼をする。
一通の婚約の手紙が届いた先に待っていたのは、
愛のない主従関係の婚約。
けれど、尽そう。
例え、一生、幸せは訪れないのだとしても。
* * *
パリーンッ!
ブローチが嫌な音を立てて割れる。
手狭な居間に座るフェリシアは編み紐により両手を後ろで縛られ抵抗できず、
伯母にブローチを床に勢いよくぶつけて割られるのをただ目の前で見つめることしか出来なかった。
フェリシアは床の割れて欠けた鮮やかなブルーのブローチを見て涙を流す。
(両親の形見であるブローチ、守れなかった)
「あなたみたいな出来損ないを外に出すだけで恥ずかしいっていうのに」
「こんな収入しか稼げないだなんて!」
「申し訳ありません」
激怒する伯母にフェリシアは頭を下げ、謝ることしか出来なかった。
此処(ここ)、異世界に存在するアルカディア皇国では魔を祓う力を持つ者が権力と地位を得て、国を魔から守っている。
そして、最高地位の皇帝の座は前皇帝が魔に殺されて亡くなったため、現皇帝が若い年齢で継いでおり、
アルカディア皇国に勤めが決まった者は命の危険に晒される時があるものの将来安泰。人々の憧れの皇国である。
そんな皇国とは無縁の、小さな古びたボロ家に住むフェリシアは、今年で18歳。
両親を3歳の時に魔に殺されて亡くし、父には身寄りがなかった為、母の姉にあたる伯母、ローゼ・フローレンスに引き取られ、2人で暮らしている。
だが、伯母はロクでもない男と遊び歩き、働かない為、下級料理番としてお屋敷に雇われたフェリシアの収入だけが頼りで、貧乏な暮らしとなっている。
それゆえ、フェリシアにとって働く時間だけが唯一許された外に出られる時間であった。
しかしその収入は伯母に全て奪われ、奴隷として扱われ、傷が絶えない暮らしをしていた。
結局、ここ一ヵ月の収入も取られてしまった。
ブローチを割られたのは、収入が少ない自分のせい。
(わたしはこんな調子でずっとローゼ伯母さまの奴隷なんだわ)
* * *
ある日の夜のこと。
フェリシアはあるお屋敷の台所で下級料理番として仕事をこなしていた。
ピンクがかった長い黒髪は邪魔になるのでくくり、頭巾を付け、汚れたドレスを隠すよう、エプロンを腰に巻いている。
料理を作る台所は天井が高く、煙を逃がす窓があり、
壁に調理器具がかけられ、茶色の長机にはお皿に盛り付けられた色んな種類の豪華な料理が並べられている。
そしてこの場にはシェフ、上級料理番が3人おり、
下級料理番はフェリシアを含めて6人いて、忙しそうに働いている。
その中でもフェリシアは長年務めていることにより、下級でも特別に一品だけ料理を任されていた。
けれど、どの料理も綺麗な盛り付けで、下級の自分にはとても同じようには出来ない。
それでも出来る限り、完成したビーフシチューをお皿に綺麗に盛り付け、そのお皿に白く美しい花を添える。
(よし、今日もなんとか綺麗に出来たわ)
そう、安堵すると、料理運びである着飾った女主人のイラついた罵声が飛んでくる。
「何やってんだい、早くこっちの机に置きな」
「お出しする前にビーフシチューが冷めちまうだろう」
「はい、申し訳ありません」
フェリシアは料理台から茶色の長机に完成したビーフシチューのお皿を置く。
すると、女主人はブツブツ嫌味を言いながらもお盆にそのお皿を乗せ、他の豪華な料理と一緒に運び、台所から出ていく。
そんな中、開いた扉から貴婦人達の声が聞こえてくる。
「ねぇ、お聞きになりまして?」
「エルバート様が花嫁を探していて、選ばれた家にはエルバート様の直筆の婚約の手紙が届くそうよ」
「エルバート様って、今年で21歳になられるルークス・アルカディア皇帝に仕え、公爵家のお家柄で魔討伐の軍の中でも絶対的権力を持つ軍師長である、あの、エルバート・ブラン様!?」
「えぇ、でもエルバート様は冷酷で愛のない人らしく、よほど気に入られない限り、すぐに婚約を破棄されるだろうとのご噂よ」
「そんなご噂が。呪いの手紙なんて来て欲しくないわ」
貴婦人達がそう零(こぼ)すのを聞いたフェリシアは、ふぅ、と息を吐く。
(わたしには全く関係のない噂ね)
* * *
「ローゼ伯母さま、只今、戻りました」
仕事を終えたフェリシアは、ボロ家の居間に座る伯母の後ろで跪き、いつも通り報告する。
(今日も帰ってくるのが深夜になってしまった……。きっと罵声を飛ばされる)
そう思い、萎縮すると、
伯母はこちらを向く。
「あら、フェリシア、おかえりなさい」
フェリシアは意表を突かれた。
(あのいつも不機嫌なローゼ伯母さまが、朗らかに笑い、上機嫌、だなんて)
一体、何が起きたのだろう。
「きょ、今日も帰りが遅くなり、申し訳ありません」
「もういいわ」
「それより、フェリシア、お聞きなさい」
「エルバート様からあなた宛てにご婚約の手紙が届いたのよ」
「え」
固まるほかなかった。
なんと噂の絶対的権力を持つ軍師長、エルバートから婚約の手紙が届いたと伯母はいうのだ。
伯母はフェリシアに手紙を渡す。
自分も伯母も魔を祓う力はない。
それに伯母から自分の両親も力を持っていなかったと聞いている。
だからにわかに信じがたいけれど、
高級感のある薔薇の絵柄の手紙に、見たこともないような綺麗な直筆の文字とこの刻印の月の紋章は本物だと思うほかなかった。
「今まであなたを育ててきた甲斐があったわ」
「当然、このお話、受けてくれるわね?」
下級料理番として働く時間だけが自分に唯一許された外に出られる時間で、
心が癒される時間でもあったのに。
それすら今日でなくなってしまった。
「はい」
「ローゼ伯母さま、今までお育てくださり、誠にありがとうございました」
跪いたまま、手紙をぎゅっと抱きしめ、頭を下げる。
伯母の命令とエルバートの絶対的権力で断ることは出来ず、
フェリシアは伯母に売られるかのごとくエルバートの家に嫁ぐこととなった。
* * *
翌日、フェリシアが乗った高級な馬車が揺れ動く。
行き先はエルバートのところ。
「可哀想に」
周りから 憐(あわ)れみの言葉を投げかけられた。
すぐに婚約を破棄され、捨てられると思っているのだろう。
フェリシアはショートベールで顔を隠し、ドレスを着た姿が馬車の内窓に薄らと映り、それをただじっと見つめる。
ショートベールはミサの為に持っていたもの。
そしてこの透き通った美しいドレスは母が生前に自分の為に用意してくれていたものだと昨日、頭を下げた後に伯母から手渡された。
母の想いにボロ部屋で一人、ドレスを眺め、号泣しそうになったけれど、
嫁ぐというのに泣き顔を作ってはならないと、ぐっと堪え、そのまま一睡もできず、
今もなお、涙を堪える。
そして、両親が生きている時のことは朧(おぼろ)げだけれど、
両親は愛のある結婚をし、自分は愛されていたのだという実感は今も残っている。
だから、救いのない日々を送ってきた自分も、
日々、働き、家事に本を読んで勉強をこなし、懸命に生きてさえいれば、
いつかは死んだ両親のように、シンデレラのように愛のある王子様と結ばれ、幸せに暮らせるようになるのだと自分に言い聞かせてきた。
けれど、そんな夢物語なような期待は簡単に崩れた。
待ち受けていたのは、
“好きでもない人のところへ売られるかのごとく嫁ぐ”という絶望の現実だった。
手紙によると、エルバートは今年で22歳。
自分より4歳年上だという。
絶対的権力を持つ軍師長、エルバートが何故、
力を持たず、貧乏な生活を送る自分に縁談話を持ちかけてきたのか分からないが、勤めを全うするしかない。
どんなに嫌な顔をされようとも。
* * *
しばらくして馬車は森を抜け、アルカディア皇国近くのエルバートの家、ブラン公爵邸に横づけして止まった。
肩上くらいの長さの髪をした御者の青年に手を引かれ、
フェリシアは馬車から降りる。
自分を迎えに来た際、エルバートの側近のディアム・アーラだと名乗っていたことを思い出しつつ、前を見ると、
ブラン公爵邸は大きな洋風の館だった。
下級料理番として雇われていたお屋敷よりもはるかに大きく、
小さな古びた家で暮らしてきたこともあり圧倒され、
場違いすぎて恥ずかしくもなった。
間もなくして、屋敷の扉が開き、一つ結びをした壮年の案内役が出てくる。
「フェリシア様、お待ちしておりました」
「ブラン公爵邸の家令と執事長を任されているラズール・スカイと申します」
「さあ、どうぞこちらへ」
屋敷の中に入り、案内役と大広間まで歩いていく。
その際にこの屋敷には自分以外に、当主のエルバートと側近ディアム、そして警備を兼ねた庭師のクォーツにシェフを兼ねたメイドのリリーシャが暮らしていることを聞いた。
「中で少々お待ち下さい」
案内役が出ていくと、フェリシアは大広間に入り、跪いて待つ。
するとやがて扉が開いた。
フェリシアは頭を下げる。
椅子が軋む音、そして冷ややかな気配を感じて、
エルバートが椅子に座ったのが分かると、フェリシアは口を開く。
「この度はご婚約の手紙をありがとうございます」
「こちらを見ろ」
名乗らせてはもらえず、
命じられ、フェリシアは頭を上げる。
しかし、ショートベールのせいで、薄らとしか、エルバートの顔が見れない。
「顔を出せ」
言われた通り、ショートベールを恐る恐る上げて後ろにめくる。
一通の婚約の手紙が届いた先に待っていたのは、
魔除けの耳飾りにネックレスに、
軍服を着た月のように美しい銀の長髪の、絶世の冷酷な美青年、エルバートだった。
(こんなにも美しく、雲の上のような人が、わたしのご婚約相手、だなんて)
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