シャンッ……シャンッ……!
鈴の音が聞こえてきた。
眼前の闇がより一層濃くなったような気がした。
素戔嗚が身構える。牙のような歯を剥き出しにし、手は強ばり爪がナイフのように伸びている。つられるように典晶も身構えた。あまり握ったことのない拳を握り締める。ファイティングポーズを取るが、やはりしっくりこない。
シャンッ!
鈴の音に反応し闇が蠢く。
何かが闇の中から出てきた。
「チッ、感づかれたか。来やがるぜ、気をつけろよ」
「来るって……?」
「亡者だ。アイツ等は、俺達の大切な物を根こそぎ奪っていく!」
「……ッ!」
典晶は息を飲んだ。この闇から這い出てくるのは凶霊、いや、素戔嗚が身構えている時点で、凶霊よりさらに凶悪な何かが出てくるのだろう。
闇の中から白い足が出てきた。
光に触れた足は、ラメを振ったかのようにキラキラと輝く。細い足、そして、僅かばかりの布で隠された下半身。くびれた腰の上には、ほどよい大きさの胸を隠す煌びやかな水着……。
「……え?」
舌打ちをする素戔嗚とは正反対の対応を、典晶は見せた。
闇の中から現れたのは、美しい少女だった。それも、目のやり場に困るほど際どい水着を身につけた少女。黒い髪はポニーテールにしてあり、顔はナチュラルメイク。こちらを見て、ニコリと少女は微笑んだ。
地獄の亡者とはかけ離れたその姿に、典晶の取った微妙なファイティングポーズは自然と崩れた。
女性の腰周りにつけられた鈴がシャンッと鳴る。
「久しぶり~♪ 最近はご無沙汰じゃない」
少女は手を振りながらこちらに歩み寄ってくる。
ジリッと砂利を踏みしめた素戔嗚が後ずさる。
「寄るんじゃねー、ウズメ!」
ドスの効いた素戔嗚の言葉に、ウズメと呼ばれた女性の足は止まる。
「あら~? 何よ、その子の前だからって強がっちゃって。初めましてボウヤ。私は天鈿女命(あまのうずめのみこと)、ウズメって呼ばれてるわ」
「ウズメって、あの、日本の芸能のルーツと言われる、あの……」
典晶は見惚れたようにポカンと口を開けた。
天鈿女命。岩戸隠の際、逆さまにした桶の上に登り踊り狂ったと言われている。次第にボルテージを上げたウズメは、胸をはだけ乳房を露出させ、更に腰紐を解いて陰部をさらけ出して観客を熱狂させたと言われている。
典晶の視線は、ウズメの胸と下半身に釘付けになる。
「そうよ、そのウズメ。この先にあるお店で踊り子をしているの。最近、素戔嗚が来ないから、どうしたのかと思ってね」
ウズメが赤い舌で唇を舐める。
「悪いが、すでに俺はお前達には興味ない」
鼻で笑った素戔嗚。彼は背を向けると、ビシッと肩越しに親指でバックプリントされた萌子の顔写真を示す。
「今の俺は、お前達の誘惑に勝る信仰を手に入れた! 生まれ変わった俺はな! 此処にいる典晶と同じ、幼女にしか興味がねーんだよ!」
素戔嗚の叫び声が通りに響き渡った。
愕然と典晶は素戔嗚を仰ぎ見る。
「いや、あの……、それって完全にヤバイ人じゃ……?」
「素戔嗚、自分が何を言っているのか分かっているの?」
「分かっている。俺は、美神萌子が好きだ! 何が悪い!」
「完全にアウトね。人間界なら、前科が付いてもおかしくないわよ」
「なに!」
素戔嗚は驚く。
「でも、そっちの子は幼女だけじゃなく、熟れた女の体にも興味があるみたい」
「いや、俺は……」
典晶は両手を前にして否定をする。興味が無いわけじゃない。だが、ここでは素戔嗚に従うのが一番だと、典晶の第六感が言っている。
「そう? でも、体の一部は元気よくいきり立ってるみたいだけどね」
ウズメは典晶の下半身の一部を見つめ、また舌を出した。
「気をつけろ……! これが亡者共のやり口だ。俺達を誘惑し、金を根こそぎ奪っていく。時には身ぐるみを剥がされる!」
(亡者って、そっち? 金の亡者の事かよ!)
典晶は心の中で叫んだ。先ほどから突っ込みたいことは沢山あるが、突っ込めないもどかしさ。
「人を金の亡者みたいに。三途の川も金次第って言うでしょう? お金は大事よ?」
「取り方って物があるだろうが!」
「何よその言い方! まるで私達がボッタクリしてるみたいじゃない! 私達は真っ当な料金体系でお酒も踊りも提供しています! 手持ちもないのに飲むわ触るわすれば、ガシガシ追加料金が付くのは当然でしょーが!」
「うっ……!」
「そんな事だから! 伊邪那美の支配人に愛想を尽かされるのよ!」
「か…母ちゃんの事は言うな……」
シュンッと素戔嗚が肩を落とす。
フンッと素戔嗚を見下したウズメは、こちらを見るとニコリと微笑む。
「典晶君って言ったっけ? いい事、コイツみたいになっちゃダメよ? それに、ここから先は、まだ早いわ。お酒は二十歳になってからね♪」
「え? 此処ら先は根之堅州國じゃ……? 行っても平気なんですか?」
「ええ、もちろん」とウズメは頷く。
「根之堅州國は、未成年お断りの歓楽街。伊邪那美が仕切っているのよ。後少ししたら、私がイロイロと相手をしてあげる。ただし、お金と理性は忘れないでね」
チュッと典晶に投げキスをしたウズメは、再びシャンッと鈴を鳴らすと闇の中へ入っていった。彼女が闇に消えたとき、パッと闇の中にピンク色のネオンが浮かび上がった。
「……想像と全然違う……」
すでに驚くことはなかったが、やっぱりと思う事も無かった。此処を仕切っているのが伊邪那美だと言うのなら、きっと、典晶が想像している悪鬼のような伊邪那美とはほど遠い存在なのだろう。
「……行くぞ。此処は、危険な場所だ」
素戔嗚は此処で酷い目に遭ったのだろう。詳細は聞かない方が良さそうだ。悄然と肩を落とし、トボトボと歩き出した。彼が向かったのは、何の変哲も無い河原。ただ、その河は広大で、向こう岸を見る事は叶わなかった。
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