テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
狐
16
エコ

169
第2話:過剰な金貨と黒銀の影
ずっしりとした革袋の重みが、歩くたびにリナの腕を重く引っ張る。
じゃらり、と重厚な金貨が擦れ合う音が耳に届くたび、リナはどこか落ち着かない心地で首を傾げた。
(……変な都市)
彼女にとって「黒樹」とは、火をくべても煙ばかり吐いて燃えず、ただ硬くて邪魔なだけの木だ。ガウルとの過酷な毎日のなかでは、襲い来る魔獣の爪を弾く盾にするか、強引になぎ倒して足場にする程度にしか使い道がなかった。
それが、この街では小さな家が一軒建つほどの価値に化けるという。
(ガウルなら、これで『肉が何頭買える』って笑うのかな……)
自身の記憶にある森の常識と、目の前の現実との間にある大きなズレ。胸の奥に漂う漠然とした浮遊感を抱えたまま、夕闇が迫る街角を進む。
群青色へと落ちていく「アルテ・ヴァル」の空。街頭に火が点り始めると、かつて孤児院の薄暗い部屋で一人、膝を抱えて耐えた凍えるような夜の記憶が不意に蘇る。胸の奥が小さく軋む。だが、いまのリナの背には、自分の背丈を超えるほど巨大な『竜骨弓』の硬質な感触がある。
(私はもう、ただ泣くだけの子供じゃない)
冷えた思考を張り巡らせ、今夜の宿を探そうと人通りの途絶えた旧市街の広場へ足を踏み入れた、その時だった。
ガチャン——。
静寂を突いて響いたのは、硬質で統制された金属音。瞬く間に、前後を複数の気配と足音が塞ぐ。
「そこまでだ、娘」
陰から現れたのは、豪奢な装飾を胸甲に躍らせた隊長率いる、都市の兵士たちだった。隊長はリナが抱える革袋に意地汚い視線を注ぎ、次いで彼女の華奢な肩や細い腕を品定めするように見下ろすと、唇を歪めて鼻で笑う。
「ギルドで大金をせしめたガキがいると聞きつけて来れば……まさかこんな雛鳥とはな。『黒樹の森』から持ち帰った材木だと? 嘘を吐くのもいい加減にしろ。あそこは人間が踏み入れば二度と戻れぬ死の領域だ。どこぞの貴族の保管庫から盗み出したか、密輸組織の使い走りといったところだろう」
「……拾っただけ」
ぽつりと呟くリナ。だが隊長はそれをあざ笑うかのように踏み込んできた。
「言い訳は地下牢で聞こう! 不法占有および密輸の容疑で拘束する。その金貨も裏のルートも、すべて我が部隊が『調査』として没収させてもらう!」
シャキリ、と鋭い金属音が重なり、兵士たちが一斉に槍の穂先を向け間合いを詰めてくる。理不尽な言いがかり。だが恐怖よりも先に、狩人としての冷徹な計算が脳裏を駆け巡る。
(三人……間合いは歩幅五歩。自力で突破する)
すうっと短く息を吸い込み、重心を低く落とす。リナは左足の靴底で竜骨弓の基部をドシリと石畳に固定し、背骨の柔軟なたわみと全身のバネを総動員して、およそ人間の力では引き絞れぬ大弓を構える——独特の射法の予備動作に入った、その瞬間。
ズン……。
空気が爆ぜるような重厚な足音が、地面の石畳を直接揺らした。
背後から溢れ出したのは、肌を刺すような圧倒的な殺気と、冷ややかなプレッシャー。広場全体の空気が一瞬で氷結し、重たく澱む。
「……なっ!?」
リナの手首へ伸ばされかけた隊長の手が、恐怖で凍りついたように止まった。槍を構えていた兵士たちの膝がガタガタと震え、金属の防具が惨めに触れ合う音を立てる。
その瞳に浮かんでいるのは、激しい敵意とそれを遥かに上回る圧倒的な戦慄だ。
リナがそっと気配の主へ視線を走らせると、そこには夕闇を切り取ったかのような漆黒と、鋭い鈍銀の光沢を纏う全身甲冑の騎士の姿。
「こ……『黒龍騎士』……! なぜ貴様が、こんな場所に……!」
隊長の引きつった喉から漏れたのは、苦々しい毒を含んだ声だった。都市の権力すら一圧で押し潰す、歩く災厄そのもの。
兜の深く暗い奥から放たれる射るような視線は、怯えと殺気を撒き散らす兵士たちを一瞥もせず、ただまっすぐにリナの背にある巨大な『竜骨弓』——そして、彼女の強固な芯を感じさせる佇まいそのものに注がれていた。
コメント
1件
うわ、これはまたすごい導入……! リナの「森の常識」と街の価値観のギャップがすごく鮮やかに描かれてて、もうそこだけで世界の広がりを感じたよ。あの黒樹が小さな家一軒分の価値って、彼女の日常がどれだけ過酷だったか逆説的に伝わってくる。 で、理不尽な兵士たちからの圧→黒龍騎士の登場、この流れの緊迫感。隊長が「なっ!?」って固まるシーン、一瞬で空気が変わったのが目に見えるようだった。兜の奥からリナだけを見据える黒銀の騎士……これはもう続きが気になって仕方ないね。「密輸組織」とか「竜骨弓」って単語も伏線っぽくて、そのへんどう繋がるのかすごく楽しみ。