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傘をさすのが、面倒だった。
どうせすぐ着く距離だし、と、冷たい雨に打たれながら歩く。濡れてきた髪が頬にピタ、とくっついても、少し深めの水溜まりに入っても気にしない。だが、目的地に近づくに連れて、徐々に歩くスピードは上がっていく。カツカツ、と鳴る靴音と、少しずつ増えていく雨音。それは、僕の耳には一切届かない。そのくらい、頭では思考がぐるぐると巡っていた。
早く着け、早く着け、と。そればかり___
「あ、奏斗!おかえり!」
カフェの扉を開ければ、明るい声が迎えてくれる。それは今、僕が一番聞きたかった声だ。キッチンで作業をしていた雲雀が、エプロンを外しながらゆっくりとこちらへ寄って来る。
「あれ、…..なんか濡れてる?」
「ちょっと、雨に降られてさ」
「え、まじか!タオルとってくるわ!」
背を向けられる前に雲雀の手を捕まえ、グイッと自分の方へ引く。「わっ」と驚く声が聞こえたが、お構い無しにそのまま肩に頭を預けた。軽く体重も乗せると、冷えた身体に雲雀の体温が広がって、じわじわ上書きされていく。その感覚を、瞼を閉じながら感じる。
「…..お疲れ?」
「…..ん、…..疲れた」
「よしよし」
僕の濡れた髪を、優しい手つきで撫で始めた。が、このままくっついていたら、雲雀まで濡れてしまう。そう、分かってはいるものの、それでも尚、離れ難くて。何も言われないのをいい事に、そのまま撫でられ続ける。
心地よくて安心する、一定のリズム。それが突然、頭をポンポンとするリズムに変わったと思えば、「うっし」と雲雀が声を出した。
「風邪引くし、とりあえず風呂入んな?」
その問いかけに、俺は首を横に振る。面倒臭い。何もしたくない。このままもう、寝てしまいたい。と、いうのが本音。でもきっと、そんなことを言えば、雲雀を困らせてしまうから。口は噤んだまま、顔だけ上げて。ちら、と視線を雲雀の方へ向ければ、それはすぐに交わった。が、先に逸らされるのが嫌で、すぐ自分から視線を外す。すると、不意にピタ、と頬に何かが触れて、視線が再び雲雀へ向いた。
「ほっぺ冷たっ」
雲雀が、手の甲で俺の頬に触れている。それは、想像以上に冷たかったらしく、あっという間に頬が手のひらで包まれた。伝わる熱が、冷えた頬を溶かしていく。このまま、頬だけで無く、全てを溶かして欲しい。そんな事を思って、雲雀の手首をギュッと掴み、手も一緒に暖を取る。
「ほら、やっぱ寒いんやん?風呂入り?」
それでも、その問いかけには何故か首を横に振ってしまう。多分、面倒臭いだけじゃない、なにかがある。けれど、自分でもハッキリしない。
「しょーがねぇなあ」
そう言いながら、俺の頬をむにむにと押した。しかし、それは案外すぐに治まって、同時に頬から手が離れていく。そのせいで、顔に当たる空気がやけに冷たく感じた。もう少し、暖を取っていたかったな。と、名残惜しく思っていると、「奏斗、こっち」と、手を引かれ、椅子に強制着席。
「風呂はいいから、せめて髪乾かそうな」
「…..いいのに」
「良くなーい!」
「………..雲雀が、暖めてくれればいいじゃん」
ドライヤーを取りに、遠くなっていく背中に向けて小さく呟いた。今日の俺は少し、…いやかなり、我儘だ。駄々をこねる子供のよう。でも、仕方がないんだ。今の自分に、正直に生きているだけなんだから。
コツコツと、雲雀が戻ってくる足音。それは、俺の背後でピタリと止まる。コンセントに繋いで、スイッチを入れて…….。風が強く出る音、それが聞こえると思っていた。しかし、俺の耳に最初に聞こえてきたのは、雲雀の声だった。とても、とても近くから、話す時の息遣いまで聞こえる距離で。同時に、ふわっ、と、雲雀の匂いに後ろから包まれた。
「仰せのままに。俺が暖めてやるよ」
肩がピクっと小さく跳ねる。流石に予想外で、驚いた。聞こえないように呟いた筈の声は、簡単に彼の耳が拾ってしまうから憎い。たまに、聞こえていると分かっていて呟くこともあるけれど、今回は違ったから。こうやって、俺の我儘をいつも叶えてくれる、こいつはどこまでも俺に甘い。
ギュッ、と、後ろから回された腕が温かい。耳にかかる息も、背中に触れる雲雀の身体も、全部温かい。
「っふふ、」
「ん、…なに笑ってんだよぉ〜」
「別に、なんでも」
「ふぅん?」
雲雀が顔をこちらに寄せ、頬がピタと密着する。そのまま、すりすりと猫みたいなことをしてくるから、その度に、雲雀の髪が俺を擽った。
「くすぐったい」
「んは、…..どぉ?あったかくなってきただろ」
「…..うん、…..あったかい」
回された腕を掴み、雲雀の方へコテンと頭を傾ける。髪は、まだ濡れたまま。けれど、その冷たさなんて気にならないくらい、温かい感触が身体を巡り続ける。雲雀の頭には、冷たさが巡っているかもしれないけれど…..。
そのまま、視界を閉ざして数分。それでも、1、2分くらいか。温もりを感じていると、優しくて生暖かい風が首筋に当たる。そのせいで、少し眠くなりかけていた瞼が勢いよく開き、「ひぅっ」と変な声が出てしまった。その風の正体は、紛れもなく雲雀で。
「っ、…ひばり?」
「はは、…..かわい」
「え…っちょ、んっ」
ちゅっ、と首筋に柔らかいものが触れ、謎の快感に襲われる。ゾクゾクッとしたものが身体を走り、それに抗うように、全身に力が入った。掴んでいた雲雀の腕に、爪が少しだけ食い込む。が、それだけでは終わらず、同じ場所を温かい、ヌメっとした感触が撫でたので、さらに爪が食い込むこととなった。きっと、痕が残る程には。
「は、っ…..ぅ…..」
首筋の次は、耳に。そして、顔の向きをくいっと変えられ、最後は唇に触れられた。
「っ………、」
「ふ、…..顔真っ赤。もう寒くない?」
「………..熱いくらいだっつの…。」
「よし!んじゃー、服着替えてきな」
俺の肩を軽く叩き、雲雀の温度がゆっくりと離れていく。が、もう少し。…..もう少しだけ、という思いが、無意識に雲雀の裾を引いた。熱い、と言っておきながら、矛盾が生じているのは分かっている。けれど…..。
「奏斗?」
「………。」
引き止めたはいいものの、ここからどうするかなんて考えてもいない。こういうのは、時間が経てば経つほど気まずくなるばかり。だが、なんて言おうか。掴んだ裾を見つめながら、それをキュッと握り直す。
「…….どしたぁ?」
その言葉と共に、頭に雲雀の手が触れた。ポン、と置かれたそれは、左右にゆっくりと動き、俺の髪を乱していく。
素直に、言葉を伝えられたらどれだけ楽なんだろう。『離れたくない』と、それを口にするだけなのに。上手く出来ない。ちょっとだけ、…苦しい。
「………離れたくなかった?」
「…え」
「正解?」
雲雀の、キラキラとした瞳が俺を移す。そこから、柔らかく目尻が下がったと思えば、一瞬でお互いの距離が縮んだ。背中に回された手が、ギュッと強く身体を寄せてくる。
「服、濡れてると冷えるやろ?だから、着替えだけはしてな。そしたらまた、ぎゅーすんべ」
「…….ん」
「よし、いい子!」
と、明るい声が響いた時。「後で、えっちしよな」と、耳元で囁かれる。バッ、と耳を押さえ、雲雀の方へ視線を向けると、嬉しそうな笑みを浮かべながら、鼻歌交じりにキッチンへ戻って行った。
「…….ばか」
そうは言うが、内心は満更でもない。少しの恥じらいと、少しの期待。そんな、単純なものを胸の内に秘めて、俺はその場を足早に離れる。
早く、早く雲雀に触れたくて、仕方がないから。
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