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「キャーッ!」
屋敷に響き渡る悲鳴。しかも近かったせいで、その声の持ち主が誰なのか、すぐに分かってしまった。
「は、早く行かないと」
怒られてしまうわ、お姉様に。
***
その悲鳴が聞こえてから数分後。私の走る足音とは別に、屋敷の中がざわめき始めた。
どれだけ近くから聞こえても、ここブベーニン伯爵邸は広い。使用人の数も、それに比例して多かった。
「あら、またダリヤお嬢様が走っているわ」
「貴女だって聞こえたでしょ、さっきの悲鳴。ベリンダお嬢様の声だったじゃない。多分、またアレに遭遇したのよ」
「それじゃ、仕方がないわね」
「私たちは私たちで、とばっちりを受けないように、早く仕事に戻りましょう」
「そうね。どうせ、後片付けはダリヤお嬢様がするんだから」
廊下を走る姿を私の見ても、声をかけるどころか、クスクスと笑う使用人たち。遠巻きに嫌味と、侮蔑の視線を私に向けてくる。それは私にとって、当たり前の日常だった。
分かっている。誰も私を助けてくれないことくらい。
「ダリヤ! 何をしていたのよ!」
いくつかの扉を開け、ようやく辿り着いた途端、今度は真正面から怒声を浴びた。先ほど悲鳴を上げたとは思えないほど、威勢のいい声だった。
私は反射的に閉じた目を、ゆっくりと開ける。すると、乱れた金色の髪を手で|掬《すく》いながら、ベリンダお姉様が私を睨んでいた。怒りに満ちる紫色の瞳。
「申し訳ありません」
「私がこの屋敷で悲鳴を上げるのは、アレのせいだって知っているでしょ!」
「はい」
「分かったら、さっさと連れて行って!」
ベリンダお姉様の指差す方に視線を向ける。途端、駆け寄ってくる『アレ』の姿に、私は安堵した。
「リヴェ」
名前を呼んで、私は黒い毛並みをした|体躯《たいく》を迎え入れた。青い瞳が嬉しそうに私を見上げ、垂れた耳と毛の長い尻尾を揺らす。頭を撫でてあげると、気持ち良さそうに目を閉じた。
それが良くなかったのだろう。気持ちが高揚したリヴェが吠えた。
「ワン!」
「キャッ!」
犬が苦手なベリンダお姉様が再び悲鳴をあげる。そう、彼女は大の犬嫌い。
「私の近くで吠えさせるなんて、ダリヤ! どれだけアンタは……」
私に迷惑をかければ気が済むの! この役立たず!
という、決まり文句がやって来ない。
後ろを振り向くと、案の定、お父様が立っていた。
「また、ダリヤか」
リヴェを抱いている私を、蔑むように見下ろすお父様。ベリンダお姉様は私の横をすり抜け、涙声でお父様の胸に飛び込んでいった。
「聞いてください、お父様。私が通ろうとしたら、その犬が邪魔をしたんです。犬が苦手な私に、ダリヤが嫌がらせを」
「母親を亡くし、行く宛がないからという理由で、仕方がなく置いてやっているのを忘れたのか?」
「いいえ。今でも、とても感謝しています」
そう、私はこの家の子どもではない。正確にいうと、お父様の恩師の子ども。
だからやって来た当初は、お父様もそれなりに可愛がってくれた。
『やはり先生に似て利発な子どもだ。将来が楽しみだな』と。
けれど、それを快く思わなかったのがベリンダお姉様だ。私と一つしか変わらないことも災いし、何かとお父様はベリンダお姉様と私を比べるようになった。
『ダリヤはもう、ここまでできるというのに、ベリンダは……』
そうなれば自然とお母様の気持ちも淀み、終いにはベリンダお姉様と結託して、私の評判を落としていったのだ。
それを知らないお父様は、ベリンダお姉様とお母様の言葉を鵜呑みにして、今では私を厄介者扱いする人物に成り下がっていた。
「お父様。どうしていつまでも、ダリヤを置いておくんですか? 貴族の生まれでもないのに」
「女だからだ。我が家に有益となる家に嫁がせられるだろう」
「それは、私には務まらない、と言いたいのですか?」
不機嫌になるベリンダお姉様。途端、お父様は慌てて宥め始めた。
「違うぞ。仮にそれが、お前の意に沿わない相手だったらどうだ? そんなところに可愛い娘を嫁に出したくはない」
「確かに。いくら家のためでも、好きでもない方のところには……」
「そうだろう。もしもの時のために、ダリヤを置いているのだ」
「まぁ、お父様。さすがですわ」
ベリンダお姉様は口角を上げ、私を見下ろしながら微笑んだ。