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俺とルーイ先生の間にあったわずかな距離が更に縮められていく。目と鼻の先に先生の顔が迫っている。彼がやろうとしていることを察知し、言葉を発するよりも早く体が動いた。
「……セディ、手どけて」
「数日前にした私との約束をもう忘れてしまったのですか?」
抵抗されたことが不服のようだ。先生は眉間に深く皺を寄せている。声がくぐもって聞こえるのは、俺の右手が彼の口元を覆い隠しているせいだ。
「覚えてるよ。だからずっと我慢してた。人前ではいい子にしてたでしょ? 褒めて」
ぬるりとした感触が右手を襲う。手のひらを這うようにゆっくりと動き回るそれは、先生の舌だった。口元に置かれた俺の手を舐めている。ぴちゃぴちゃという水音がやけに響く。俺の羞恥を煽るためにわざとやっているのだろう。その思惑通り、あっけなく耐えられなくなった俺は先生の口から手を離した。
「やめて下さい!! 何が褒めろだ。ふざけるのも大概に……」
俺と先生が交わした約束をよくよく思い出してみた。ひとつ、『人目のある場所でベタベタするな』ふたつ、『関係を誤解されるような発言をするな』だ。
部屋には俺と先生しかいない……ふたりきりだ。あの日以降、他者に向けた先生の思わせぶりな言動も無くなった。確かに、このふたつの約束に関しては守られている。心中で舌打ちをした。だが、そもそもこれらは禁止するまでもなく当然のことなのだ。俺は先生の恋人でもなんでもないのだから。得意げに褒められ待ちをしている先生の顔に腹が立つ。
「だって俺、お前が好きだもん。近くにいたら触りたくなる。でもセディがダメだって言ったからずっと待てをしてたんだ。今は誰もいない、俺とセディだけ……ちょっとくらいイイじゃん。ご褒美が欲しいよ」
『好きだから』を免罪符に、あの約束を守りさえすれば何をしても良いとでも思っているのだろうか。やはり俺の気持ちは無視なのか。
「先生はあの時、私が本気で嫌がることはしないとも言って下さったじゃないですか……」
「もちろん、そこもかなり配慮してるつもりだけど」
「どこがっ……先生は今のこの状況を俺が容認しているとでも?」
俺の問いに先生は答えない。しかし、向けられた表情が『そうだ』と語っている。自信に満ち溢れた態度に苛立ちがますます募っていく。
馬鹿なことを……。先生を強く拒絶できないのは事実だけれど、それはきっとこの方が神だからだ。根底にある無礼な態度は取れないという思いが、俺の動きを鈍らせる。そうだ、そうに決まっている。
「とにかく!! もう、どいて下さい。我々はここに仕事をしに来たのですよ。時間もあまり残されていない。遊んでいる暇はないのです」
俺が無意識下では先生のことを受け入れているだなんて……そんなこと、あるはずがない。絶対に違うと主張するように先生を睨み上げた。
「おっ、これはこれで興奮するな……あっ、いや……ごめん。分かったよ。今日のセディはちょっとご機嫌ななめみたいだね」
先生は上体を起こすと俺から距離を取った。良かった……もっとごねてくるかと思っていた。拘束を解かれた安堵からか自然と息が漏れる。しかし、胸中はとても晴れやかとは程遠く、どんよりと落ち込んでいた。
ベッドから降りた先生は天井に向かって腕を上げ、伸びをしていた。高い身長に長い手足、更に整った容貌……。レナードの服がぴったりだという彼の体躯は均整が取れており、意外にもしっかりとしている。綺麗な方だとは思うが紛れもなく男である。
先生を普通の男性と同じ括りにしていいかどうかはこの際置いておく。見かけだけは人間と変わらないからな。今まで同性に対して特別な感情など持ったことはない。しかし、だんだん自分の気持ちが分からなくなってくる。俺の視線に気付いた先生が、いつもの調子でからかってきた。
「なあに、セディ。そんなに見つめられると穴が空いちゃいそう」
「先生って男性ですよね……」
「へ?」
ぽろりと口にしてしまった言葉。いくら軽い錯乱状態だったとはいえ、何を言っているんだ……俺は。突拍子も無い質問に先生も唖然としているじゃないか。
「セディには俺が美少女にでも見えてるのかな? だとしたら、そのメガネは買い替えるのをお勧めするよ」
「そんなわけあるか。メガネは正常です!!」
メガネの心配までされてしまう。メガネには何も問題無い。問題があるのだとしたら……それはきっと俺自身の方だ。
「で、なんでそんなこと聞いたの?」
「いいんです。すみません、忘れて下さい」
なんでなんて……俺が聞きたい。どうしてこんな妙なことを口走ってしまったんだ。
「前にも言ったと思うけど、俺の体の構造は人間と大差ないよ。そうだな……レオンに1番近いんじゃないかな。性別は男ですよ。そんなに気になるなら確認してみる? 隅から隅までじっくりと……セディならいくらでも見て良いし、触っても良いよ」
「要りません。結構です!!」
再びベッドに上がろうとする先生を制止した。その『確認』が意味することを理解出来ないほど自分は鈍くない。このひと隙あらばヤろうとするな……ほんと怖いわ。とはいえ、今回もあっさりと引いてくれたので良かったけれど……
先生を起こすだけだったのに、まるで重労働でもしたような気分だ。何だか頭も痛くなってきた。朝から無駄に疲れさせないでくれ。