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瀬名 紫陽花
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やってしまったかなぁ……
先ほどの自宅での出来事を思い出す。あんなにもはっきりとマルクに反論したのは初めてだった。今まではどんなに腹が立っていても、本人に直接怒りをぶつけた事なんてなかったのだ。
時間が経って頭が冷えてくると、不安な気持ちも湧いてきてしまう。レシュー家から抗議を受けたらどうしようとか、お父様に迷惑をかけてしまうかもしれないとか……想像をかきたてる。
あれだけ感情的にならないようにと注意してきたというのに、今までの苦労が水の泡だ。それでも……今回ばかりはどうしても我慢ができなかった。私だけならいつものことだと割り切れたのかもしれないが、バージル様まで巻き込んで言いがかりをつけられたのだから。
私に言い返された時のマルクの顔ときたら……
思い出すと口元が弛む。まさに鳩が豆鉄砲を食ったかのような驚きざまだったな。マヌケ過ぎて笑える。
これから大変なことになるかもしれないという不安はあれど……マルクに一泡吹かせることができたという高揚感を抑えることができない。相反する感情がせめぎ合っていた。
「どうかしたか? リナ」
「えっ?」
「なんだか落ち着かない様子だったから。私が捜査の詳細について話すなんて言ったせいで緊張してるのかな」
突然現実に引き戻され、驚いた私は声を上げてしまう。しまった……バージル様の前だというのに考え事をしてうわの空になっていた。大切な話を聞きに来たというのに集中力が散漫になっている。しっかりしろ。
マルクとの一悶着の後、ギリギリではあったけど無事に公爵邸へ到着した。
バージル様は相変わらず精悍としていて格好良かった。話の最中にぼーっとしている私を咎めもせず、心配までしてくれている。怖い時もあるけど、やはり基本的に優しい人だ。
「いいえ、違います。あっ、でも……決していい加減な気持ちで来たわけじゃなくて……すみません、ぼーっとして」
「気になる事があるなら今のうちに遠慮なく言って。捜査に乗り出す前に不安要素は無くしておかないとね」
考えごとの内容は捜査には直接関係ないことなんだけど……バージル様にとっては無関係とも言えない。本人に伝えた方がいいのだろうか。決して気分のいい内容ではないと思うし、せっかく機嫌が良さそうなのに波風を立てたくない。でも――――
「あの、バージル様」
「うん?」
悩んだ末、バージル様にもマルクとのいざこざの内容を話すことにした。もしかしたら今後も似たようなことがあるかもしれない。本人を交えて対策なりを取った方が良い気がしたのだ。
「実は……こちらにお邪魔する直前、マルク・レシューが私の家を訪ねてきたのです」
「……へぇー、そうなんだ。何をしに?」
マルクの名前が出た途端、バージル様が一気に不機嫌になった。声と表情で分かる。穏やかだった雰囲気に陰りが生じた。
バージル様とマルクは直接的な交流はほとんど無かったと思うが、名前を聞いただけでここまで嫌悪感を露わにされるとは驚きだ。もしかして……ステラから何か聞いたのか。それともあのバカ野郎……私が知らなかっただけで、今日の出来事よりも以前にバージル様に根拠のない言いがかりをつけて無礼を働いていたんじゃ……
そうだとしたら最悪過ぎる。ステラの『バカ』呼びがとうとう私にまで伝染してしまった。どうか杞憂であって欲しい。
「端的に言うと抗議を受けました。私のせいでアニータ嬢が体調を崩したらしいのです」
「はぁ?」
バージル様の口から呆気に取られたような声が出た。私と同じ反応してる。良かった……みんなそうなるよね。バージル様という心強い同士を得たことで心が弾んでしまう。
「バージル様、覚えていらっしゃいますか? リシャール殿下とご一緒に学園に来訪された日のことです。貴方は私を含めた複数の令嬢たちが廊下で騒いでいたのを注意して下さいましたよね」
「君を注意したわけじゃなかったけど……ひとりに対して大勢で陰険だと思っただけだ」
決まりが悪そうにバージル様は視線を逸らしてしまう。学園内で私の味方をしてくれる者はほとんどいない。皆、見て見ぬふりをするばかり。そんな環境に慣れてしまっていた。こんな風にさり気なく救いの手を差し伸べられたことなんてなかった……
ステラのように私に同調して一緒に怒ってくれるのも有り難いけど、バージル様は令嬢たちの前に立ちはだかり、行動を窘めて下さったのだ。どうしよう……こうやって改めて思い返すと、嬉しさが込み上げてきてしまう。マルクと揉めた直後だからだろうか。余計にそう感じているのかも。
「バージル様のおかげで、私はあの場から逃れることができました。その節は本当にありがとうございました。ですが……その結果、貴方にご迷惑をかけてしまったかもしれないのです」
「迷惑って……どういうこと?」
私はマルクとの一件をバージル様に説明した。マルクの名前を出しただけで不機嫌になっていた彼は……こんな話を聞かされてどう思うのか。
覚悟はしていたつもりだが、実際にその通りになると怖気づいてしまう。バージル様は話の最中ずっと額に青筋を浮かべていた。
「……呆れてなにも言えないな」
ひと通り説明を聞き終えて、彼が放った第一声。バージル様が本当に怒っているのだと嫌でも分からせられてしまう。冷たくて重い……まるで腹の奥から絞り出したような声色だった。