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:ふたりだけの世界(純粋なる狂気版)
蝋燭の灯り
外界は遠い。障子の向こうの喧騒も、この部屋には届かない。
ここには、兄と弟――二人だけしか存在していなかった。
1. 序章 ― 狂信
「兄上……」
その呼び声は祈りのように澄んでいた。
王洋は顔を背けるが、弟・桐の眼差しは真っ直ぐで、まるで神を見上げる信者のものだった。
「兄上を、私は尊敬しております。誰よりも……愛しています」
言葉は甘美で、同時に重い鎖だった。
洋の胸に絡みつき、逃がさない。
——気持ち悪い。
——だが、どうしようもなく嬉しい。
矛盾した感情が、昼も夜も洋を苛んでいた。
2. 揺らぎと介入
桐はいつも隣にいた。
食事の時も、庭に出る時も、眠る時すら。
まるで呼吸のように自然に、兄の手を繋ぎ続ける。
「……桐。我はただ、外の空気を吸いに行くだけある」
「ええ。ですから、私もご一緒します」
即答。
その純粋さは疑念すら許さない。
洋の心が揺らぐその時――
「まぁまぁ♡ 相変わらず仲良しさんだねぇ」
廊下に現れたオリバーが、二人の絡み合う手を見て微笑む。
「四六時中ベッタリなんざ、鎖と変わんねぇだろ」
アレンの嗤いが飛ぶ。
「……重くても、それが愛の形だ」
フランソワは煙を吐き、虚ろに呟いた。
「兄弟は絶対だ。逃げられねぇ」
ルチアーノはロヴィーノの名を甘く呼びながら笑った。
声が渦巻く中でも、桐は揺らがない。
むしろ兄の手をさらに強く握り、微笑んだ。
「私は、兄上と繋がっていられるなら幸せです」
——その瞳には、狂気じみた純粋さが宿っていた。
3. 裏切りと叫び
夜気を吸いに庭へ出た時だった。
洋は袖に忍ばせた小瓶を取り出す。
それはオリバーから渡された「逃げ道」――アヘン。
震える指で蓋を開けようとした瞬間、背後から声が降る。
「兄上」
反射的に、洋は手を振り払ってしまった。
今まで一度として離れたことのない、その手を。
(兄上……)
桐の胸に蘇るのは、幼い日の記憶。
泣きじゃくる自分の手を、必ず取ってくれた兄。
恐怖に震える自分の背を、必ず守ってくれた兄。
——その温もりこそが、私の世界でした。
成長するにつれて気づいてしまった。
兄は強いけれど、完璧ではない。
ときに疲れ、ときに脆さを見せる。
そのたびに胸を締めつけられた。
だから誓ったのです。
「兄上を支えるのは、私の役目だ」
他者の視線も、他者の言葉も、何も関係なかった。
オリバーが優しく笑っても、アレンが「束縛」と嘲っても、
フランソワやルチアーノの歪んだ兄弟愛を見ても、
私の答えはただ一つ。
「兄上は私のもの」
「兄上は、誰にも渡しません」
——その決意のすべてが、この手に込められているのです。
だから。
だからこそ。
その手を振り払われた瞬間、胸の奥で何かが砕け散った。
「……ッ」
桐の目が大きく見開かれる。
「兄上……今、何を……?」
視線が小瓶を捉えた瞬間、声が掠れる。
「また……それに……?」
唇が震え、笑顔は貼りつかず。
そして――叫びが迸った。
「兄上が薬に逃げるくらいなら……!
私を見てください! 私を選んでください!!」
涙が頬を伝い、理性的な仮面が砕ける。
その声は祈りであり、呪いだった。
「兄上……私を捨てないでください。どうか、私を選んでください……!」
——純粋で、残酷な願い。
洋は震え、小瓶を落とした。
乾いた音が夜に響き渡る。
「……桐」
掠れた声で名を呼び、手を握り返す。
「……我は……お前を選ぶある」
4. 心中 ― 狂気の完成
桐は震える指で小瓶を踏み潰した。
ぱきん、と硝子が砕ける音。
「兄上が薬に逃げるくらいなら……私は、代わりに死にます」
その言葉は、自分を削るように清らかで、しかし恐ろしく狂っていた。
洋は弟の顔を見つめ、笑みとも泣き顔ともつかぬ表情を浮かべる。
「なら……我も共に逝くある」
肯定。
それは救いであり、終わりだった。
「……兄上……やっと……」
桐は嗚咽混じりに笑い、胸に顔を埋める。
「……桐……もう外の世界はいらないある」
粉が舞い、甘い匂いが満ちる。
唇を寄せ、呼吸を混ぜ合わせ、影を重ねる。
——二人の世界は、完全に閉じた。
5. 終幕 ― 狂気の祝福
夜が明けかけた頃。
絡み合ったまま倒れる二人。
手を強く握り、離さぬまま。
障子が開き、影が差し込む。
「……あらあら♡ やっぱりこうなっちゃったのね」
オリバーがうっとりと囁く。
「ヒヒッ……マジでやりやがったな」
アレンは笑うが、その奥には憧れが揺れていた。
「くだらねぇけど……美しいじゃないか」
フランソワは煙を吐き、虚ろな目を細める。
「……兄弟で最後まで一緒かよ」
ルチアーノは桐の顔を覗き込み、呟いた。
四人の影が二人を取り囲む。
だが、誰も手を伸ばさない。
オリバーがくすくす笑い、甘く囁く。
「見て……♡ 最後までちゃんと手を繋いでる」
——兄と弟。
——純粋さが狂気に変わり、世界を切り捨てて選び合った二人。
その姿は、静かで、残酷で、そして確かに美しかった。