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ふたりだけの世界
蝋燭の灯り
外界は遠い。障子の向こうの喧騒も、この部屋には届かない。
ここには、兄と弟――二人だけしか存在していなかった。
「兄上……」
その呼び声は祈りのように澄んでいた。
王洋は顔を背けるが、弟・桐の眼差しは真っ直ぐで、まるで神を見上げる信者のものだった。
「兄上を、私は尊敬しております。誰よりも……愛しています」
言葉は甘美で、同時に重い鎖だった。
洋の胸に絡みつき、逃がさない。
——気持ち悪い。
——だが、どうしようもなく嬉しい。
矛盾した感情が、昼も夜も洋を苛んでいた。
桐はいつも隣にいた。
食事の時も、庭に出る時も、眠る時すら。
まるで呼吸のように自然に、兄の手を繋ぎ続ける。
「……桐。我はただ、外の空気を吸いに行くだけある」
「ええ。ですから、私もご一緒します」
即答。
その純粋さは疑念すら許さない。
洋の心が揺らぐその時――
「まぁまぁ♡ 相変わらず仲良しさんだねぇ」
廊下に現れたオリバーが、二人の絡み合う手を見て微笑む。
「四六時中ベッタリなんざ、鎖と変わんねぇだろ」
アレンの嗤いが飛ぶ。
「……重くても、それが愛の形だ」
フランソワは煙を吐き、虚ろに呟いた。
「兄弟は絶対だ。逃げられねぇ」
ルチアーノはロヴィーノの名を甘く呼びながら笑った。
声が渦巻く中でも、桐は揺らがない。
むしろ兄の手をさらに強く握り、微笑んだ。
「私は、兄上と繋がっていられるなら幸せです」
——その瞳には、狂気じみた純粋さが宿っていた。
夜気を吸いに庭へ出た時だった。
洋は袖に忍ばせた小瓶を取り出す。
それはオリバーから渡された「逃げ道」――アヘン。
震える指で蓋を開けようとした瞬間、背後から声が降る。
「兄上」
反射的に、洋は手を振り払ってしまった。
今まで一度として離れたことのない、その手を。
(兄上……)
桐の胸に蘇るのは、幼い日の記憶。
泣きじゃくる自分の手を、必ず取ってくれた兄。
恐怖に震える自分の背を、必ず守ってくれた兄。
——その温もりこそが、私の世界でした。
成長するにつれて気づいてしまった。
兄は強いけれど、完璧ではない。
ときに疲れ、ときに脆さを見せる。
そのたびに胸を締めつけられた。
だから誓ったのです。
「兄上を支えるのは、私の役目だ」
他者の視線も、他者の言葉も、何も関係なかった。
オリバーが優しく笑っても、アレンが「束縛」と嘲っても、
フランソワやルチアーノの歪んだ兄弟愛を見ても、
私の答えはただ一つ。
「兄上は私のもの」
「兄上は、誰にも渡しません」
——その決意のすべてが、この手に込められているのです。
だから。
だからこそ。
その手を振り払われた瞬間、胸の奥で何かが砕け散った。
「……ッ」
桐の目が大きく見開かれる。
「兄上……今、何を……?」
視線が小瓶を捉えた瞬間、声が掠れる。
「また……それに……?」
唇が震え、笑顔は貼りつかず。
そして――叫びが迸った。
「兄上が薬に逃げるくらいなら……!
私を見てください! 私を選んでください!!」
涙が頬を伝い、理性的な仮面が砕ける。
その声は祈りであり、呪いだった。
「兄上……私を捨てないでください。どうか、私を選んでください……!」
——純粋で、残酷な願い。
洋は震え、小瓶を落とした。
乾いた音が夜に響き渡る。
「……桐」
掠れた声で名を呼び、手を握り返す。
「……我は……お前を選ぶある」
桐は震える指で小瓶を踏み潰した。
ぱきん、と硝子が砕ける音。
「兄上が薬に逃げるくらいなら……私は、代わりに死にます」
その言葉は、自分を削るように清らかで、しかし恐ろしく狂っていた。
洋は弟の顔を見つめ、笑みとも泣き顔ともつかぬ表情を浮かべる。
「なら……我も共に逝くある」
肯定。
それは救いであり、終わりだった。
「……兄上……やっと……」
桐は嗚咽混じりに笑い、胸に顔を埋める。
「……桐……もう外の世界はいらないある」
粉が舞い、甘い匂いが満ちる。
唇を寄せ、呼吸を混ぜ合わせ、影を重ねる。
——二人の世界は、完全に閉じた。
夜が明けかけた頃。
絡み合ったまま倒れる二人。
手を強く握り、離さぬまま。
障子が開き、影が差し込む。
「……あらあら♡ やっぱりこうなっちゃったのね」
オリバーがうっとりと囁く。
「ヒヒッ……マジでやりやがったな」
アレンは笑うが、その奥には憧れが揺れていた。
「くだらねぇけど……美しいじゃないか」
フランソワは煙を吐き、虚ろな目を細める。
「……兄弟で最後まで一緒かよ」
ルチアーノは桐の顔を覗き込み、呟いた。
四人の影が二人を取り囲む。
だが、誰も手を伸ばさない。
オリバーがくすくす笑い、甘く囁く。
「見て……♡ 最後までちゃんと手を繋いでる」
——兄と弟。
——純粋さが狂気に変わり、世界を切り捨てて選び合った二人。
その姿は、静かで、残酷で、そして確かに美しかった。