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「おい、そっち突っ込むなよ!」
「うるさいなぁ、助けてよ」
最新設備の揃った豪華なシアタールーム。そこでプレイするシューティングゲームは臨場感抜群だ。
「あー、死んだ!」
「ヘタクソ」
「サクヤのサポート不足だよ」
私の言葉に、サクヤが口パクで「バーカ」と笑った。
「そういえば、新しい職場は慣れたのかよ」
「え?」
「カスタマーサポートセンター、だっけ?長い部署名だよな」
サクヤはポテチ専用の箸でつまんでいる。
コントローラーがベタつくのが嫌なんだよね。軽い潔癖症だし。
「まぁ、なんとかね。先輩も優しいし」
「男もいんの?」
「オペレーターは女性ばっかだよ。同じ派遣の子とも仲良くなれた」
「ふぅん」
たいして興味もないくせに。なんで聞くかな。
「このゲーム、もうすぐ新作出るよ」
〈GAME OVER〉と表示されたままの画面から、少しだけ視線を私に投げる。
「そうなの?」
「YouTubeのゲームチャンネルで、先行プレイしてきた」
「えー、いいなぁ」
サクヤの個人チャンネル。
寡黙にプレイするだけのゲーム配信なのに、登録者数は100万人を超えてる勢いだ。
時々、この部屋からも配信している。
アイドルのプライベート空間が見えるのも、ファンにはたまらないのだろう。
「今度やろうぜ」
「私と?」
「他に誰とやんだよ」
呆れたように言い返された。
サクヤは〈No Continue〉を選択し、ゲーム機の電源を落とした。
「もう2時か」
「そうだね……」
「徹夜で仕事に行く気かよ」
シアタールームが急に静まり返る。
「今から帰れば、少しは寝られるかな」
「……あっそ」
短い言葉も、いつも通り。
「サクヤは、明日も仕事だよね?」
「雑誌のインタビュー2件、ライブの打ち合わせ、夜は音楽番組の収録だとさ」
スマホでスケジュールアプリを見ながら、まるで他人事みたいに言う。
「大変だね、人気者は」
「もう慣れた」
不意に肩がぶつかった。そのときだ。
「あ、ごめ――」
サクヤの顔があっという間に近くなって、それで――。
「え?」
何の予兆もない。
別に甘い雰囲気でもなかったのに。
唇が、熱い。
触れたのはほんの一瞬だったのに。
「……え、なんで?」
「なんとなく」
――いやいや、なんとなくでキスなんてしないで。
「腹減ってきたな。なんか頼むか?牛丼とか」
「アイドルが深夜に牛丼って」
「オレは、太らないし」
「むかつく」
サクヤは鼻で笑うと、スマホを操作した。
薄暗い部屋に液晶画面がまぶしく光り、軽快な電子音が部屋に響く。
流行りのパズルゲームだ。
最初にハマったのは私なのに、気づけばサクヤがこのゲームのCMに出演していた。
そのせいか、ダウンロード数は爆発的に伸びたらしい。
――え、キスしたあとにその態度って、どういうこと?
「そこに置けば全消しだよ」
「うるせ、わかってる」
背後から画面を覗き込んで指摘すると、サクヤは「邪魔だ」と言わんばかりに寝転んだ。
「それで、小春は帰らないつもり?」
まるで『いつまでいるつもりだよ』と言われたようなニュアンスに、チクリと胸が痛む。
でも、顔には出さない。
――出したら、負けだから。
「タクシー呼んだから、もう帰るよ」
「ん、わかった」
サクヤは面倒そうに身を起こすと、脱ぎ捨ててあったパーカーを羽織った。
「お見送りしてくれるの?」
「……玄関の鍵、かけるだけ」
ぶっきらぼうに吐き捨てた言葉。
「――だよね」
玄関で靴を履く私を、サクヤは少し高い位置から見下ろしている。
ふと見上げると、目が合った。
『帰るなよ』
私の小さな願望が生んだ幻聴。サクヤが言うはずのない言葉だ。
キスしたこと自体が幻覚だったとしたら、私もいよいよヤバいかもしれない。
「来週からロンドンだっけ?お仕事がんばってね」
「ああ」
「じゃあ、おやすみなさい」
ドアが閉まる前、ドアの隙間から声がこぼれる。
「気を付けてな」
無機質な金属音を聞きながら、私は冷え込んだ夜の街へと踏み出した。
『またね』なんて言葉はない。
最初から、そんな約束はない関係だから。
タクシーを飛ばして20分。
給料日前には痛い出費を支払い、小さなワンルームマンションに辿り着く。
黒猫の桃太郎が、足元にゴロゴロとまとわりついてくる。
「ただいま、いい子にしてた?」
愛おしさに手を伸ばすと、桃太郎は『いえ、結構です』とでも言うようにスッと身をかわした。
「もう……あんたまで愛想がないんだから」
さっさと自分の寝床へ戻ってしまった。
猫だから仕方ない。分かってはいる。
深夜2時30分。
早く寝ればいいのに、私は吸い寄せられるようにPCの電源を入れた。
現実の冷たさに耐えられず、オンラインゲームの世界へ逃げ込む。
暗い部屋に、鮮やかな異世界ファンタジーの世界が広がった。
――キスを、なかったことにしないで。