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脳天から爪先までを貫き通すような激しいリズムやそれに合わせたように色を変える照明に文字通り踊らされ、曲が終わると同時に顔を伝う汗をシャツの袖でぐいと拭ったのは、仕事終わりに一人の部屋に帰ることを拒否しているリオンだった。
ここ数日事件も殆ど無く、珍しいことに定時に帰ることが出来ていたが、以前ならばそんな時は彼女に電話をしたり、遊び友達を呼び出しては一緒にいて時間を潰していたのだが、最近彼女達に連絡をする頻度がめっきり減ってしまっていた。
一人にならないために付き合っていた彼女やセフレだったが、何故か連絡をする気持ちになれず、かといって心の底から安らげる場所ではない仮初めの宿のような部屋に帰る気持ちにもならず、一人で来ることは珍しいクラブに顔を出していたのだ。
ここで踊っていれば一人きりという、物心ついた時から己の心の奥底に存在する暗い感情と向かい合ずに済むと思い、また実際その通りで、一人である事を忘れられていた。
音楽に合わせて踊り、隣で踊っている好みとは少し違うが、刹那的な関係を築く相手としては良さげな女性からの意味ありげな視線に頷いたり無視したりしていると、心の底でうずくまっている孤独の影がさらに薄らいでいく。
だが、それと同時に、こちらはつい最近知り合ったばかりの感情が、どうしても忘れられない顔と声をお供にやって来ていて、己自身理解出来ないそれを抜けることの無い棘のような不快感すら抱いていた。
その顔と声は、リオンが育った孤児院で一時的に預かっていたアルマという少女が声を取り戻し、心優しい養父母に引き取られていった一連の事件をひょんな事から担当してくれた、ウーヴェ・F・バルツァーという、己より四歳ほど年上の精神科医のものだった。
女ならばともかく、何故男の顔が何かの切っ掛けに思い浮かぶのか、穏やかな優しい声が耳の底に響いているのか、その理由が全く理解出来なかったが、夢の中にも出てくるようになった為、理解出来ないことへのフラストレーションを発散するようにクラブに顔を出したのだった。
曲の終わりに合わせて踊ることを止め、カウンターに肘をついて顔なじみのスタッフにラドラーを注文したリオンだったが、学生の頃から付き合いのある面々が一人は珍しいな、彼女に振られたかと肩に腕を回してきた為、暑苦しいから止めろよと笑ってその腕を振り払う。
「何だよ」
「暑苦しいって言ってんだろ」
お前だから手を払ったわけじゃねぇ、だから殺気立つな兄弟と笑い、ラドラーのグラスを向けたリオンに手を払われた男も確かに汗まみれだなと肩を竦め、同じく注文していたグラスの底を軽く触れあわせる。
「それにしても、一人なんて本当に珍しいな」
「そーだな、前の女とは別れてから彼女を作ってねぇからなぁ」
カウンターに腕をつきながら、以前なら考えられないが、今は彼女という存在が欲しいと思わないと苦笑しつつグラスを傾けたリオンに男が意外そうに目を丸くするが、どんな心境の変化だと笑い、他の友人が呼んでいるからそちらに行く、お前も興味が向けば合流しろよとリオンの肩をぽんと叩いて立ち去っていく。
その背中を見送りながら、本当にどんな心境の変化だよと自嘲するように呟いたリオンだったが、一体いつ頃からそう思うようになったと、己の過去の思考を振り返ると、不意に穏やかな、こちらの話を真正面から受け止めようとする姿勢を笑顔で表した顔が思い浮かぶが、それがウーヴェであると気付き、舌打ちをした後ラドラーを飲み干す。
何故特定の男の顔や声ばかりを思い浮かべるのか。今まで女としか付き合ってこなかったが、もしかして己は男女どちらとも付き合えるのかと思案し、離れていった知人とのキスシーンを思い浮かべた瞬間、飲み干したラドラーが食道を逆流しそうな気持ちの悪さを覚えてしまう。
その気持ち悪さを掻き消すためにもう一杯ラドラーを注文したリオンだったが、己の名を呼ぶ声が流れ込み、その声が脳裏でも耳の底でも常に響いている声と同じだったため、こんな所でも聞こえてくるのかよと舌打ちしつつ頭を振るが、もう一度遠慮がちに呼ばれたため、何だようるせぇなぁと声だけを明るくしながら振り返り、思わず絶句してしまう。
「・・・一人だと思って声を掛けたが、迷惑だったかな?」
リオンの視線の先にはつい今し方も考えてしまった、最近リオンを困惑とそれを由来とした不機嫌さの渦の中に突き落としているウーヴェが、声と同じく遠慮がちな笑みを浮かべて立っていた。
「・・・・・・ド、ク・・・?」
「ああ」
珍しい所で会ったなと笑うウーヴェに何も言えずにただぽかんと口を開けてしまったリオンだったが、ウーヴェの肩に親しげに手を置き何事かを耳元で囁きかける連れらしき同年代の男に気付いた瞬間、名指しがたい感情が胸に芽生え、お代わりに注文したラドラーのグラスを握りしめてしまう。
「ドクもこんな店に来るのか?」
あんたならもっと静かな店で飲んでいると思ったと、胸に芽生えた感情に気付かない顔で微苦笑すると、滅多に来ない店だが、友人が来たいと言ったから一緒に来たと肩を竦められ、己の予想通りあまり好きでは無いのだろうと判断すると、友人付き合いも大変だなと皮肉な事を呟き、己の失言に気付いて舌打ちをする。
「まあ、付き合いは大変だな」
ただ、ここに来たいと言ったのは大学時代の友人だから、実はあまり気を遣っているわけじゃ無いんだと、まるで己の言葉をフォローしてくれるような穏やかな声にリオンが無意識に拳を握ってしまう。
アルマの治療を通して以前の顔見知りから時間が出来れば飲みにいく友人と言えるほどの関係になったが、そのウーヴェが友人に振り回されている様に感じた事にどうしてそんなにもショックを受けているのか。
友人のその友人関係など、今までのリオンにとってはどうでも良い事だったし、当人同士の問題で自分には何の関係も無いはずだった。
だが、今周囲の爆音が掻き消えてしまったのではと思えるほど穏やかな声が真っ直ぐに己に向けて発せられるだけではなく、己の失言すら庇ってくれるようなそれに覚えたのは反発や呆れではなく、もっとという感情だった。
もっとその声を聞いていたい。穏やかに話し笑みを浮かべたり時折険しい表情を浮かべるその顔をずっと見ていたい。
以前のリオンならば逆さまに頭を振っても出てこない発想だったため、自分の思考回路がバグってしまったのかとただただ驚いてしまうが、そんなリオンの心の動きにまで気付けるはずの無いウーヴェが眼鏡の下で目を瞬かせ、もしかして本当に声を掛けない方が良かったのでは無いかと申し訳なさそうに目を伏せた為、リオンがくすんだ金髪を左右に激しく振ってその言葉を否定する。
「まさか!ここでドクに逢えるなんて思ってなかったから────」
ただただ驚いたのとそれ以上にすげー嬉しいと、ウーヴェの手首を少しだけ強く握りながら満面の笑みを浮かべる。
「────!!」
その笑顔がどのような効果をもたらすかなど、この時のリオンに想像出来るはずも無く、己の心の軌跡に苛立ちつつも、ウーヴェに意外な場所で逢えた事を素直に喜び表情に出したリオンは、握りしめた手首が一瞬で熱を帯びた気がし、笑みを浮かべたまま小首を傾げると、ウーヴェが逆の手で眼鏡のブリッジを押さえながら手を離してくれないかと小さく呟く。
「あ、悪ぃ」
汗まみれの男に手を握られるなんて気持ち悪ぃよなぁと、頭に手を当てて暢気に笑うリオンにウーヴェが再度眼鏡を押し上げて沈黙した後、確かにそうだなと呟くと、リオンも俺も男の手を握るよりも女の方が良いと呟くものの、脳裏ではウーヴェが己の肩に手を回すシーンを思い描き、さっきのような吐き気を覚えるどころか、心臓の鼓動が跳ね上がった事に気付いて呆然としてしまう。
まさか、己に限ってそんな事があるのか。
心の動きと感情を重ね合わせた結果、リオンの脳味噌がはじき出した言葉は、目の前でやや伏し目がちだが穏やかな笑みを口元に湛えているウーヴェに対し、惚れたのかという疑問だった。
「・・・・・・ウソ、だろ」
「リオン?」
己の心身と向き合っていることから咄嗟に呟いた言葉にウーヴェが首を傾げてリオンの名を呼ぶが、それにも気付けずに目元を手で覆い隠したリオンは、もう一度ウソだろうと呟いた後、その手を離して小さく吐息を零す。
「どうした?」
「あー・・・・・・うん、ドク、良かったら次の曲で一緒に踊らねぇ?」
「え?・・・踊りはあまり得意じゃないんだけどな・・・」
今日も友人の付き合いで自分は酒を飲んでみているつもりだったと苦笑するウーヴェの手首を再度握ったリオンは、そんなの問題ねぇ、踊って気持ちいいと思えばいいだけだ、だから一緒に踊ろうと、ウーヴェとの再会に顔を輝かせた時以上の顔でウーヴェを強引に誘ってフロアに引っ張り出そうとするが、友人に声を掛けてくるから待っていてくれと慌てて静止をされてウーヴェが一人ではなかったことを思い出す。
「あ、そっか」
「ああ。・・・本当はもう少し静かな店できみとゆっくり酒を飲むほうが好きなんだがな」
でも今日は偶然の再会だし友人がいるからそれもできないと、心底残念そう顔で肩を竦めるウーヴェの言葉にリオンのロイヤルブルーの双眸が限界まで見開かれ、そっかともう一度呟いてしまう。
「ああ」
テニスなどは好きだし得意だが、ダンスは自ら好んで壁の花になっている方だったと笑われてリオンがそのシーンを想像し、えー、もったいねぇなぁ、俺がその場にいれば真っ先にドクを誘って全曲一緒に踊るのにと、リオン自身全く意識しなかった言葉を呟き、二人同時に沈黙してしまう。
「・・・と、にかく、友人に声を掛けて、くる」
「あ、ああ、うん」
伝えられた言葉の真意を考えるには周囲がうるさすぎ、またウーヴェの肩越しにこちらを見つめている友人らしき視線に気づいていた為、リオンがうんと頷いて飲みかけのラドラーを飲み干す為にカウンターへと向き直ると、顔見知りのバーテンダーが意味ありげに見つめてきた為、なんだと笑いながらカウンターに身を乗り出す。
「いや、今までお前がここで女をナンパする時と同じ顔をしていると思っただけだ」
「・・・・・・冗談はやめてくれよ」
相手は俺より年上の男だぜと肩を竦めてラドラーを飲み干したリオンは、待っていてくれとの言葉に素直に従うか、それともフロアで踊っている好みの女と踊るかどうするかと、まるで何かを賭けるよう呟くと、グラスを軽く音を立ててカウンターに戻す。
「・・・・・・良し」
大人しく待っている理由も無いことだし、この店を出た後も付き合ってくれそうな女を探すかと苦笑したその時、タイプとは少しだけ違うが胸の谷間に目を奪われそうな女が隣に来てリオンの顔をちらりと見つめる。
「ハイ、一人?」
「そう、一人」
オネエさんも一人なら一緒に遊ばないかと声を掛けようとカウンターに肘をついて体を開こうとしたリオンだったが、少し後ろでメガネの下で目を見開きながら呆然と見つめてくるウーヴェに気付き、カウンターに両肘をついて背中を寄り掛からせる。
「・・・・・・だったんだけど 、オネエさん、また機会があれば遊んでくれよ」
「あら、そうなの?」
「チャオ」
隣の女にそれ以上何も言わせずにカウンターから背中を剥がしたリオンは、メガネのブリッジを押し上げながら構わないのかと小さく問いかけるウーヴェの前で上体を屈めて顔を突き出すと、一緒に踊ってくれますか、ドクと片目を閉じる。
「・・・・・・きみが誘ったんだろう?」
「もちろん!」
今日はここにきて良かった、最高の時間になると、ついさっき声を掛けて来た女に見せた顔とは全く違う楽しそうな顔でウーヴェの手を三度取ると、踊る前からステップを踏むような軽い足取りでフロアに出て行く。
「こ、こら、リオン!」
「マジ最高!ドクが踊ってくれるなんてな!」
くだらねぇと思っていた俺の人生最高だったと、何がそんなに嬉しいのか小一時間問い詰めたくなるような浮かれた様子でウーヴェを引っ張るリオンに、引っ張られているウーヴェも周囲の視線が気になり気恥ずかしいが、フロアに近いテーブルで声を掛けて来た女性と楽しそうに笑っている友人が呆然と見つめて来たことに気付き、何も言えずにただ一つ肩を竦めてしまう。
「ドク、このあと予定は?」
「今日はここで友人が踊ると言ってたから二軒目は無いかな」
「そっかー。じゃあさ、立てなくなるまで踊っても問題ねぇよなぁ!」
「い、いや、それは・・・・・・」
フロアの中央より少し離れた所でリオンがウーヴェの耳元に顔を寄せて音楽に負けない程度の声で問いかけると、ウーヴェが二軒目は無いと答え、ちらりと真横に視線を向けると、一瞬目を疑ってしまうほどの笑みを浮かべた顔があり、呆然と見つめてしまう。
そこにあったのは、色とりどりの照明の下でも煌めきを失わないロイヤルブルーの双眸と、隠しきれない嬉しさで口角を楽しげな角度に持ち上げている顔で、こんなにも楽しそうな表情を素直に浮かべられる成人男性がいるのかと思える程だった。
素直な感情を表に出すことが苦手なウーヴェにとって、この夜間近で見せられたリオンの笑顔が生涯忘れられないものとなり、めったに感じることのない鼓動の速さに息苦しさも覚えてしまう。
「踊ろうぜ、ウーヴェ!」
「!!」
己にだけ向けられて伸ばされた手と名を呼ばれて限界まで目を見張ったウーヴェは、ダンスは苦手との思いが頭をもたげたが、拒否されることを疑わない顔で誘ってくるリオンの楽しそうな様子につられることも悪くないと誰にともなく言い訳をすると、その手に手を重ねて自然と笑みを浮かべてしまうのだった。
「────ドク、今日はマジで楽しかった!」
「・・・ああ、私も、楽しかった」
ここでの再会は意外なものだったが、その後の時間は本当に楽しかったと、店を出て人通りが少なくなった路上で向かい合い笑みを浮かべたリオンは、また踊りたいなぁとタバコを咥えてジッポーの蓋を小気味好い音をさせて開けはなつが、ウーヴェが一瞬だけ眉を寄せたことに気付き、ああと呟いて咥えていたタバコをパッケージに戻す。
「・・・・・・なー、ドク、今度飯食いに行こうぜ」
「うん?ああ、良いな、行こうか」
「マジ?ヒャッホゥ。前にも言ってたあの店に行きてぇなぁ」
タバコを吸うのを素直にやめた己にも不思議だったが、それ以上に嬉しいことを教えられて顔を輝かせ、あの店に行きたいと繰り返すと、前にも同じようなことを言っていたとウーヴェが微苦笑する。
「うん、あの店。人気あるのかいつも満席で、看板が踊ってる女だったかな、その店」
「・・・ゲートルートか?」
「ん?そんな名前だったかな・・・・・・ああ、いつだったかドクがブロンドのすげー美人とレスラーみたいな体格の良い男と上品な婆さんと一緒にいた店」
リオンが思い出しながら呟いた言葉から連想したのはウーヴェがめったに顔を合わせることがない家族だと気付き、リオンが行きたがっている店が幼馴染が腕をふるっている店だと確信する。
「きみがいつ見たのかは分からないが、それは私の姉夫婦と母だ」
「ドクの家族って事は、バルツァーの・・・・・・?」
「ああ────ただ、前にも言ったと思うが、私は会社とは何の関係も無い」
だからバルツァーというだけで距離を取られるのは嫌だと、驚きに目を見張るリオンの目を更に見開かせるようなことを呟いたウーヴェは、思わず口元に手をあてがい、今何を言った、友人になってあまり時間が経っていないリオンに、大学時代の友人ですらめったに話すことのない家族への感情をなぜ伝えてしまったと焦ってしまうが、そんなウーヴェの焦りを前にリオンが頭に手をあてがって場違いな笑みを浮かべる。
「事情聴取の時にすげー怖い顔で怒られたの思い出した」
「出来れば忘れてくれないかな」
「・・・・・・あんたの顔を忘れるなんてもう無理だ」
だから潔く諦めてくれ、そして次に飯に行った時にはその顔ではなく、さっきまで見せてくれていたような笑顔を見せて欲しいと、他意があるのかないのか咄嗟に理解できない顔で笑ったリオンに何も返せなかったウーヴェだったが、そのまま沈黙してしまうのも癪に触るし胸が痛む為、ニヤリと笑みを浮かべてリオンの胸にトンと拳を押し当てる。
「なら、きみにも同じように笑ってもらわないとな」
ダンスフロアで見せた笑顔も素敵だが、辺りを明るくする様な笑顔を見せてくれと、己の心の動きが理解出来なくても本能のままに従おうと素直になった証の言葉を伝えると、少しだけ高い位置にある顔にじわじわと笑みが滲み出す。
そして、破顔一笑。
ああ、この笑顔ならいつでも見ていたい、見続けたいと胸の奥でかすかに覚えた疼痛と共に強く願ったウーヴェの前、リオンが嬉しそうに笑みを浮かべ、次の食事が本当に楽しみだ、仕事で延期になってしまっても絶対に行くからと大きく伸びをする。
「・・・・・・そろそろ帰るか」
「そうだな・・・・・・」
ここに一緒に来た友人は結局声をかけて来た女性と一緒にいるし、疲れたから家に帰ろうと苦笑するウーヴェにリオンが一度口を開いて閉じるが、俺も明日仕事だし帰ろうともう一度伸びをして、ウーヴェにまたと声を掛ける。
「チャオ、ドク」
「ああ、今日は楽しかった。ありがとう」
「・・・・・・っ、俺も、楽しかった」
疲れているのにそれを感じない楽しい時間だったと笑顔で教えられてリオンが息を飲むが、うんと頷いてジーンズの尻ポケットに両手を突っ込む。
そうでもしなければ帰さないとウーヴェを抱きしめてしまいそうで、信じられないが最早信じるしかない恋心を抑えるためにその場で踵を浮かせたり戻したりと気持ちを外らせようとする。
「じゃあ、また」
「おやすみ、ドク。またクリニックに顔を出すな」
「ああ」
リオンの動きに訝りつつも心地良い疲労からその理由を探ることをせずに手を挙げ、少し離れた場所で停まっているタクシーに手を挙げて合図を送ると、笑みと他の感情を顔に浮かべて見つめてくるリオンに頷き、さっき感じた疼痛をより強く覚えながらタクシーに行き先を告げて乗り込むのだった。
ウーヴェが乗ったタクシーが消えるのをその場で見送ったリオンは、不意に一人きりになったという感覚を覚えて無意識に体を震わせるが、さっきまで一緒にいたウーヴェの笑顔を思い出すと、その感覚が音もなく消えて行くことに気付く。
タバコを再度取り出して今度こそ火をつけて煙を細く吐き出し、ぶらぶらと駅に向けて歩き出したリオンの脳裏、決して消えることのないウーヴェの笑顔が焼き付いていて、踊る前までは不機嫌さの原因になっていたそれが、今では上機嫌へのスイッチになったことに気付き、一つ肩を竦めて石畳を蹴りつける様に足を下ろす。
「・・・・・・そっか、ドクに惚れたのか」
10代の前半から様々な女と付き合って来た自分だが、まさか年上の男に惚れるとは想像も出来なかった、だがそれも悪くないと自嘲にも似た笑みを浮かべたリオンは、トラムの駅が見えて来たことに気づいて小走りになり、ちょうど自宅方面へと向かうトラムの車体が近づいて来た為、咥えタバコをその辺に投げ捨てて降りてくる人と入れ替わる様にトラムに乗り込むのだった。
タクシーとトラムに揺られながら二人が考えていたのはお互いの事で、明日から顔を合わせる時どんな気持ちになるのか、大丈夫だろうかという僅かの不安とそれを遥かに上回る、顔を見たい、声を聞きたいその笑顔を見たいという思いに鼓動を速め胸を暖める様な疼痛を感じるのだった。