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ホワイトデーの、不器用なアンサー。
3月14日。街はパステルカラーのラッピングと、
甘い香りに包まれている。
けれど、若井の心境は、
春の陽気とは裏腹に、まるで嵐の前の静けさだった。
「……よし。……いや、まだ早いか?
……でも、遅すぎても失礼だし……」
若井は、自分の部屋のテーブルの上に置かれた小さな紙袋を、もう一時間近く眺めていた。
中に入っているのは、彼が数週間前から悩み抜いて、最終的には専門店でオーダーした特別なチョコレートだ。
バレンタインの日、元貴から「はい、これ」とぶっきらぼうに渡されたのは、元貴の好きなブランドの、これまたセンスのいい高級チョコだった。
「深い意味はないからね」
そう言いながら、耳の先を少しだけ赤くしていた元貴の顔が、今も若井の脳裏に焼き付いている。
ピンポーン。
「わかーい、いるんでしょ? 開けてー」
心臓が跳ねた。
噂をすれば、当の本人がやってきたのだ。
若井は慌てて紙袋を背中に隠し、
平然を装ってドアを開ける。
「……あ、元貴。今日、来るなんて聞いてないぞ」
「えー、冷たいなあ。
ホワイトデーだよ? 何か忘れてること、ない?」
元貴は、ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべて部屋に入ってくる。
彼は若井が動揺しているのを完全に見透かしているようで、わざと若井の周りをひらひらと歩き回った。
「……忘れてないよ。……一応、用意は、してる」
「へぇー、一応なんだ? 見せてよ」
元貴がぐいっと顔を近づけてくる。
琥珀色の瞳がキラキラと輝いていて、若井は思わず視線を逸らした。
この至近距離は、いつまで経っても慣れない。
「……これ」
若井は、背後に隠していた紙袋を差し出した。
元貴は「わあ」と声を上げ、丁寧に中身を取り出す。中には、音符の形をした繊細なチョコレートが並んでいた。
「……元貴に、似合うかなと思って。
味も、甘すぎないやつを選んだし」
「……ふーん、センスいいじゃん。
若井のくせに頑張ったね」
元貴はそう言って笑うが、
その指先が少しだけ震えているのを、
若井は見逃さなかった。
元貴は一粒、音符のチョコを口に運ぶ。
「……ん、おいしい。……ねえ、若井」
「……なに」
「これ、味の感想だけでいいの?
それとも、もっと別の……『お返し』、
期待してる?」
元貴が、首を少し傾けて若井を見上げる。
その瞳には、いつもの悪戯っぽさと、それ以上の熱が含まれていた。
「……お返しは、さっき渡しただろ。
……俺が欲しいのは、感想じゃなくて……」
若井は、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
けれど、元貴はその先を待つように、
じっと若井を見つめ続けている。
若井は意を決して、元貴の肩をそっと抱き寄せた。
「……俺が欲しいのは、来年も、再来年も、こうやって元貴にチョコを渡せる権利だよ」
一瞬の沈黙。
元貴の顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「……っ、バカ。
……何それ、かっこつけすぎ。
……死ぬほど恥ずかしいんだけど!」
元貴は若井の胸に顔を埋めて、ポカポカと拳で叩く。けれど、その腕はしっかりと若井の背中に回されていた。
「……でも、いいよ。
……その権利、一生分あげる。
……だから、来年はもっと高いやつ、期待してるからね」
「……一生分か。……高くつくけど、まあ、悪くないな」
窓の外では、春の風が桜の蕾を揺らしている。
甘いチョコレートの香りと、二人の体温。
ドロドロの地獄も、消えゆく透明な体も、
音がみえる奇病もない。
ただ、大好きだという気持ちだけが満ちている、最高に「ホワイト」な昼下がりだけだった
コメント
8件
ヤバい! 最後のやつ尊死する!!