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役者パロ。赤桃。
恋愛ではない。友情かな????
りうら(新人役者)22歳
ないこ(ベテラン役者)24歳
舞台の幕が上がる瞬間を、俺は夢に見てきた。
だけど現実の稽古場に立つと、眩しすぎる光に怯えてしまう自分がいる。
俺――りうら、二十二歳。まだ新人役者だ。小劇場の端役や無名映画のエキストラを経て、ようやく巡ってきたチャンス。それが劇団《暁座》の新作舞台『暁に咲く華』での主演だった。
「熱があるやつを探してたんだ」
オーディション後、演出家にそう言われた。演技力はまだ未熟でも、目の奥に光があったらしい。俺は浮かれた。これでやっと、スポットライトを浴びることができる――そう信じていた。
しかし稽古初日。俺はその浅はかさを思い知らされることになる。
稽古場に足を踏み入れると、すでに十数人の役者たちが集まっていた。緊張感の漂う空気の中、中央にひときわ強い存在感を放つ青年が立っていた。
背筋はすっと伸び、視線を向けるだけで場の空気が張り詰める。まだ二十四歳だと聞いていたが、年齢以上の落ち着きと威圧感があった。
彼の名は――ないこ。
俺の相手役であり、この劇団の若き看板役者だった。十代でデビューし、二十歳のときすでに主演を務めていたという逸話を持つ。華やかな舞台歴と実績を積み、いまや観客を惹きつけてやまない存在。
俺とは正反対の人間だ。
「……お前が新人の、りうらか」
鋭い視線がこちらを射抜いた。声は低く、落ち着いているのに圧がある。
「は、はい! りうらです。よろしくお願いします!」
思わず背筋を伸ばして答える。
ないこは一瞬だけ薄く笑ったが、それ以上は何も言わず、手にした台本に目を落とした。
歓迎の言葉もない。ただ自然体で立っているだけなのに、場の中心を支配していた。
――これは……勝てるわけがない。
直感的にそう思った。俺は端役としてでも、この人の隣に立てるのかさえ怪しい。
最初の稽古は読み合わせだった。
俺の役は若き反逆者。ないこは師であり、後に敵対する役どころ。物語の核は二人の対立にある。つまり俺とないこの芝居が舞台全体の出来を決める。
「じゃあ、五ページ目からいこうか」
演出家の合図で稽古が始まった。
俺は緊張で喉が張りつき、声がうまく出ない。必死にセリフを吐き出す。
「……俺は、もう従わない! あんたのやり方には――」
その瞬間、稽古場を震わせる声が響いた。
「従わないだと? 笑わせるな。お前に何ができる」
ないこの低く鋭い声が、場を支配した。
ただの読み合わせのはずなのに、彼はもう役そのものだった。視線の圧、呼吸の間合い、わずかな笑みさえ芝居になっている。
俺の声は一瞬でかき消された。
全員の意識が、ないこに釘付けになる。
……これが、本物の役者か。
頭が真っ白になり、次のセリフを噛んだ。慌てて台本に目を落とすが、言葉が出てこない。
「カット。りうら、もっと腹から声を出して。相手を見ろ」
演出家の声が飛ぶ。
「は、はい!」
必死に立て直そうとする。けれど、隣に立つないこの存在感に圧倒される。俺の声は震え、視線は泳ぎ、セリフは棒読みになるばかり。
結局その日の読み合わせは何度も止まり、注意されるのはいつも俺だった。
稽古が終わったあとも、他の役者たちは淡々と片付けを始める。俺は悔しさと情けなさで立ち尽くしていた。
――やっぱり俺には無理なんじゃないか。
せっかく掴んだ主演も、結局俺には荷が重すぎたのかもしれない。
「りうら」
名前を呼ばれて振り向くと、ないこが立っていた。片手に台本を持ち、真っ直ぐな眼差しでこちらを見ている。
「……はい」
「今日の芝居、正直ひどかった」
胸に突き刺さる容赦ない言葉。思わず俯く。
「……すみません」
「謝るな。下を向くな」
ないこの声は冷たいのに、不思議と逃げられない力があった。
「りうら。狂い咲け」
「……え?」
「役になりきる必要はない。一番目立つように咲け。舞台は戦場だ。観客の視線を全部、自分に向けろ。それができなきゃ役者なんて名乗るな」
言葉が胸を撃ち抜いた。
俺は「役になりきる」ことばかり考えていた。台本通りに、正しく演じること。それが役者だと信じていた。
でも、ないこの言葉は違う。
「狂い咲け」――それは形にとらわれず、全身全霊で自分をさらけ出せという意味だった。
「……俺に、できるでしょうか」
不安が滲む声が出てしまう。
ないこは鼻で笑った。
「できるかじゃない。やるんだよ。舞台に立った時点で、逃げ場なんてない。逃げた瞬間、観客は離れる」
その眼差しに射抜かれて、息を呑んだ。怖い。でも熱い。
逃げたい気持ちより、燃え上がる何かが胸に広がる。
「……俺、やります。俺なりに、狂い咲いてみせます」
ないこは満足そうに頷くと、背を向けて歩き出した。
「明日までに覚悟を決めろ。俺の隣に立つなら、そのくらいの気迫は見せろ」
その背中を見送りながら、俺は強く拳を握った。
――俺はまだ何者でもない。けれど、この人と同じ舞台に立つ以上、全力でぶつかっていくしかない。
胸の奥に、確かな火が灯った気がした。
翌日も稽古場に立った瞬間、全身が緊張で硬くなる。
昨日のないこの言葉が、まだ耳の奥に残っていた。
――狂い咲け。
――役になりきらなくていい。一番目立つように咲け。
簡単に言うけど、どうやったらそんなことができるんだ。
俺は不安と焦りを抱えたまま、台本を握りしめた。
この日のメニューは立ち稽古だった。
読み合わせだけではなく、実際に立って動きながらの芝居。立ち位置、動線、目線の使い方。役者としての基礎が試される。
「よし、五ページから。昨日の続きをやろう」
演出家の合図で稽古が始まる。
俺は相手役のないこと向き合い、深呼吸した。
「俺はもう従わない! あんたのやり方には――!」
昨日より大きな声を出したつもりだ。だが。
「従わない、だと?」
ないこの視線が鋭く走った。
一歩踏み出して睨みつけてくる。その気迫に、体がすくむ。
俺は次のセリフで声を上ずらせた。
「お、俺は……っ」
「カット!」
演出家の声が飛ぶ。
「りうら、どうした? 昨日より硬いぞ。目が泳いでる」
「す、すみません!」
額に冷や汗が滲む。
ないこは腕を組み、じっと俺を見ていた。無言の圧。
……俺の弱さが全部見透かされている気がした。
その後も立ち稽古は続いたが、俺は何度も止められた。
声が小さい、動きが不自然、感情が伝わらない――ダメ出しの連続。
「もっと感情を込めろ。師を裏切る弟子だぞ? 胸の奥に渦巻く憎しみや覚悟を観客にぶつけろ」
演出家にそう言われても、うまくできない。
俺は必死にセリフをなぞるばかりで、気持ちが乗らない。
そんな俺に苛立ったのか、ついにないこが口を開いた。
「おい、りうら」
「は、はい!」
「お前、なんで舞台に立ってんだ」
「……え?」
「昨日から見てて思った。お前の芝居には熱がない。セリフを正しく言おうとしてるだけだ。そんなもん観客に届くか」
ぐさりと胸を刺された。
俺は言い返せず、ただ黙り込む。
「俺はな、舞台に立つときはいつも命懸けだ。観客が求めてるのは“正しさ”じゃない。“生き様”だ。……お前の芝居にはそれがない」
「っ……!」
悔しかった。図星すぎて、言葉が出なかった。
休憩時間、俺は稽古場の隅で膝を抱えていた。
周囲の役者たちは談笑している。ベテランの人たちは余裕の表情で、立ち稽古の疲れをものともしていない。
俺だけが肩で息をし、手のひらは汗でぐっしょり濡れている。
――俺はここにいる資格があるのか。
ポケットのスマホが震えた。
母からのメッセージだった。
《初主演おめでとう! 本番楽しみにしてるね》
胸が詰まる。期待してくれてるのに、このザマだ。
思わず唇を噛んだ。
午後の稽古。俺は必死に食らいついた。
何度も注意されても、立ち上がって繰り返した。
だが結果は同じ。俺の芝居は硬く、心が伴わない。
ついにないこの苛立ちが爆発した。
「りうら! もっと俺を見ろ! 俺に向かってこい!」
「向かってるつもりです!」
「つもりじゃ駄目だ! 本気で俺を殺すつもりでやれ!」
その瞬間、胸の奥に火がついた。
殺すつもり――そんな言葉を言われたのは初めてだった。
「……だったら、俺だって!」
思わず怒鳴った。
「俺だって必死なんだ! 何年も端役ばっかで、やっと掴んだチャンスなんだ! 俺だって……俺だって狂い咲きたいんだよ!」
稽古場に沈黙が落ちた。
ないこの目がわずかに見開かれる。
俺は荒い息を吐きながら続けた。
「なのに、隣に立つと足がすくむ。声が出なくなる。お前の存在感に押されて……情けなくなる。でも俺は負けたくない。逃げたくない!」
演出家が目を細めて俺たちを見ていた。
ないこは数秒黙り込んでから、ふっと笑った。
「……いい顔になったじゃねえか」
「え?」
「今の怒鳴り声、観客に届くよ。やっと役者らしい目になった」
その言葉に胸が熱くなった。
稽古は再開した。
俺はないこに食らいつくように声を張った。ないこの視線に怯まず、真正面からぶつけた。
もちろんまだ未熟だ。動きもぎこちなく、言葉がつっかえる場面も多い。
それでも。
観客に見せたいと思った自分の感情を、確かにぶつけられた気がした。
稽古が終わり、片付けをしていると、ないこが俺に声をかけてきた。
「りうら」
「……なんだよ」
「今の芝居、まだまだ荒い。けど――少しは狂い咲いたな」
にやりと笑う顔に、俺は思わず吹き出した。
「……お前、ほんと上からだな」
「事実だろ」
ないこも笑った。
初めて肩の力が抜けた気がした。
この人に追いつくのはまだ遠い。でも、並んで舞台に立つ未来が見えた。
俺は小さく拳を握った。
――絶対に食らいついてやる。
稽古場の空気が重く張り詰めていた。
木製の舞台板の上、りうらは衣装を着込んで立ち、台本を握りしめたまま動けずにいた。視線の先では、監督が腕を組み、険しい目でこちらを見ている。その隣にいるないこは、表情を変えない。ただ静かにりうらを見ていた。
「りうら、台詞が台詞になってねぇんだよ。声を張れ。もっと腹から出せ」
監督の鋭い声が飛ぶ。
りうらは小さく息を呑み、もう一度台本に目を落とした。頭では理解している。役に入り込むこと、舞台に立つこと、観客を惹きつけること。だが、いざ演じようとすると喉が固まる。声が上ずり、気持ちが散っていく。
稽古を始めてから一週間。りうらは毎日のように自分の不甲斐なさと戦っていた。
「……俺は、」
弱々しい声が舞台の端に落ちた。
監督が舌打ちするのが聞こえる。観客席の椅子に座っていた共演者たちの空気も冷たくなった。りうらは俯き、指先が震えているのを隠そうと台本を握る手に力を込める。
そのときだった。
「りうら」
低く、しかし響く声が舞台の下から飛んできた。ないこだった。
彼はゆっくり立ち上がり、舞台に歩み寄る。背筋をまっすぐ伸ばしたその姿は、たった二歳しか違わないはずなのに、何倍も大きく見えた。
「狂い咲け。役になりきらなくていい。一番目立つように咲け」
昨日、公園で言われた言葉が、今再び胸に突き刺さる。
りうらは思わず顔を上げた。ないこの視線は真っ直ぐだ。逃げ場などない。逃げるなと言わんばかりに、力強い眼差しで射抜かれている。
「……でも、俺は」
「できる。やれ」
短い一言が、りうらの胸を撃ち抜いた。
ないこは舞台に上がると、りうらの肩をがしりと掴む。監督が怪訝そうに眉をひそめるが、制止はしない。稽古場の空気が変わったのを、誰もが感じ取ったからだ。
「りうら。お前は役を演じようとしてる。だから苦しい。違う。お前は“りうら”としてここに立てばいい。俺が支える。だから全部曝け出せ。下手でも、格好悪くてもいい。狂ったように咲け」
ぐっと肩に食い込む指の感触に、りうらの心が揺れる。
自分をさらけ出すこと。そんな勇気はなかった。新人として、恥をかきたくない、失敗したくない、格好悪い姿を見せたくない。そんな恐れが常に胸を塞いでいた。
だが今、目の前のないこはそれを壊そうとしている。たとえ壊れても構わないと、その覚悟を目に宿して。
「……やってみる」
小さく、だが確かな声で答えた。
次の瞬間、りうらは大きく息を吸い込み、台詞を吐き出した。
「俺は……俺は、もう逃げない!」
声が稽古場に響く。
喉が震えるのをそのままに、全身を使って叫んだ。腹から声を出すなんてまだまだだ。それでも確かに、今までの自分よりも遠くに届いた。
監督が眉を上げる。共演者たちが目を見開く。
りうらの胸は痛いほどに高鳴っていた。視線を横にやると、ないこが静かに頷いた。
稽古が終わったのは夜遅くだった。
全身が汗で濡れ、足が棒のようになっている。りうらは床に座り込んだ。水筒の水を一気に飲み干し、呼吸を整える。隣に腰を下ろしたないこが、タオルで首筋を拭いながらぽつりと言った。
「悪くなかったな」
「……ほんとに?」
「おう。声はまだ細いし、動きも固い。けど……今日の一瞬は、ちゃんと舞台に立ってた。客席からお前が見えた」
その言葉に、りうらの胸が熱くなる。
今まで自分を否定することばかりだった。でも初めて、認められた気がした。認められたのは、技術じゃなく、心だった。
「……ないこさん」
「さん付けすんな。俺ら同じ舞台に立つ役者だろ。りうら」
そう言って笑うないこの横顔は、舞台のライトに照らされた時のように眩しかった。
りうらは目を逸らし、水筒を強く握る。心臓が痛いほど高鳴っている。憧れと悔しさと、説明できない感情が混ざり合い、胸の奥で渦を巻いていた。
その夜、アパートに帰っても眠れなかった。
天井を見つめながら、りうらはないこの言葉を思い出す。
――狂い咲け。
その言葉が、次第に恐怖ではなく希望に変わっていく。
俺はもっと咲けるだろうか。
もっと、強く。もっと、自分らしく。
答えはまだわからない。
ただ一つわかるのは、隣にないこがいる限り、俺はきっと前に進めるということだった。
稽古場に通う日々は、気づけばあっという間に三週間を過ぎていた。新人として必死に食らいつく俺――りうらにとって、毎日が挑戦であり、壁の連続だった。
俺の隣には、いつもないくんがいた。二十四歳にしてすでに舞台経験豊富なベテラン俳優。稽古場の空気を自在に操り、役を纏えばその場の景色すら変えてしまう。俺が息を呑むほどの存在感を放つ男だ。
けれどその背中は、遠いだけじゃない。追いかければ追いかけるほど、俺にとって道標になってくれる。稽古で失敗しても、台詞を噛んでも、ないくんは冷静に俺を見つめ、時に厳しく、時に柔らかく言葉をかけてくれる。
――「りうら。狂い咲け。役になりきらなくていい。一番目立つように咲け。」
あの日、公園で言われた言葉は、まだ俺の胸に生々しく残っている。芝居をする上での本質を突かれた気がした。俺は役に溶け込みたいと必死になっていたけれど、ないくんはそうじゃないと言った。自分を殺すんじゃなく、自分をさらけ出して、観客の目を奪えと――。
稽古場で台本を手に、俺は息を整える。今日のシーンは、劇中でも最も感情が高ぶる対決の場面だ。俺とないくん演じる役が、真正面からぶつかり合う。台詞の応酬も長く、感情の爆発も要求される。
「よし、じゃあ始めようか」
演出家の声で稽古が始まる。緊張で喉が乾く。俺は台本を持ちながら、ないくんに目を向けた。
彼は立ち位置に静かに立ち、深い呼吸をしている。次の瞬間、役に入ったその顔は、普段のないくんとはまるで違った。冷徹で、鋭く、俺を射抜くような目。言葉を交わす前から、圧に押し潰されそうになる。
(くそ……負けるな、俺)
心の中でそう叫んで、俺は台詞を吐き出した。喉の奥からしぼり出すように、役の感情を重ねる。だが、声が震えていた。感情が空回りしているのが自分でも分かる。
「……ダメだな、りうら」
稽古が止まる。演出家が眉をひそめ、ないくんが視線を外す。俺の胸は一気に冷えた。
その後も何度もやり直すが、うまくいかない。俺の声は震え、感情は途切れ、立ち姿さえ弱々しい。ないくんの台詞が突き刺さるたびに、俺の未熟さが露呈する。気づけば、頭の中が真っ白になっていた。
「今日はここまでにしよう」
演出家がそう言って稽古は終了した。俺は深く頭を下げ、稽古場を飛び出した。情けなくて、悔しくて、吐き気がするほどだった。
◆
夜。誰もいない劇場のロビーに俺はいた。電気も落とされ、薄暗い。昼間のざわめきが嘘のように静まり返った空間で、俺は一人台詞を呟いていた。何度も、何度も、同じ言葉を繰り返す。
「……なんで、うまくいかねえんだよ」
声はかすれ、台本を握る手は震えていた。自分が情けなさすぎて、涙が滲む。必死に稽古してきたはずなのに。ないくんに追いつきたくて、食らいついてきたはずなのに。舞台に立つ資格があるのかすら分からなくなっていた。
「りうら」
不意に声がした。振り返ると、薄闇の中にないくんの姿があった。いつの間にか来ていたらしい。彼はゆっくり歩いてきて、俺の前に立つ。
「……ないくん」
声が震える。ないくんは俺をじっと見て、低い声で言った。
「なんで逃げた」
その言葉に胸を突かれる。逃げた――そうだ。悔しさに耐えきれず、稽古場から逃げ出したのは俺だ。
「ごめん……。俺、全然ダメで……」
「そんなことは俺が一番分かってる」
冷静に言われて、言葉を失う。だが、続いた言葉は意外なものだった。
「でもな、ダメなのは悪いことじゃねえ」
「……え?」
「芝居は、完璧にやろうとした瞬間につまらなくなる。お前は今、失敗が怖くて縮こまってるだけだ」
ないくんは静かに言葉を重ねる。
「お前は新人だ。失敗して当然だ。けどな――舞台の上では、恐れた瞬間に観客から目を逸らされる」
俺の胸に、再びあの言葉が蘇る。
――狂い咲け。
ないくんは俺の肩を軽く叩き、言った。
「りうら。お前はお前のままでいい。役になりきらなくてもいい。お前の声で、お前の心で叫べ。それが舞台だ」
目の奥が熱くなる。涙を堪えながら、俺は頷いた。
「……俺、もっとやれるようになりたい。ないくんに追いつきたい」
「追いつく必要はねえ。一緒に舞台に立つんだろ」
ないくんはそう言って笑った。その笑顔は、稽古場で見せる鋭さとは違う、人間らしい温かさに満ちていた。
◆
次の日の稽古。俺は昨日よりもずっと冷静だった。台詞を噛んでも、声が震えても、それを隠そうとはしなかった。ありのままをさらけ出す。ないくんに言われた通り、自分の心をぶつけた。
そして、ある瞬間。ないくんの台詞に突き動かされるように、俺の声が自然に溢れた。震えも、迷いもない、真っ直ぐな叫び。
「俺は……絶対に、負けない!」
稽古場に響いた声に、演出家が目を見開く。ないくんの瞳も一瞬揺れた。息が切れるほどに叫んだその瞬間、確かに空気が変わった。
演出家が口を開く。
「……今の、いいな。りうら、やっと舞台に立つ顔になった」
胸の奥が熱くなる。やっと、ほんの少しだけど、舞台役者になれた気がした。
稽古後、ないくんが肩を叩いてきた。
「いい声だったな、りうら」
「……ないくんのおかげだよ」
「違う。お前自身の声だ」
その言葉が、何よりも嬉しかった。
◆
そして、初日まで残りわずか。俺とないくんの物語は、いよいよ舞台という本番の場所へ踏み出そうとしていた――。
稽古場のドアを押し開けた瞬間、鼻をくすぐるのはいつもの汗と埃の混じった匂いだった。けれど今日は少し違う。俺の心臓が強く打ちすぎて、空気すら震えているように感じる。舞台初日、本番の朝。俺――りうらは二十二歳。まだ新人の枠から出きれていない役者だ。だけど、隣に立ってくれているのは、俺が「ないくん」と呼ぶ、二十四歳にして堂々たるベテランの役者――ないこだ。
「緊張してるのか?」
楽屋に腰を下ろした俺を見て、ないくんが笑う。いつもの落ち着いた声だ。
「……してないって言ったら嘘になる。でも、震えてるのは怖いからじゃないんだ」
「へぇ。じゃあ、何でだ?」
「この瞬間を待ってたから、だと思う」
言ってから、我ながら青臭いと思う。けれどないくんは眉ひとつ動かさず、静かに笑った。
「いい顔してるよ。稽古の時とは全然違う」
それだけで、胸の奥の緊張がほどけていく気がした。俺は本当に、ないくんに救われてきたんだ――この半年間、ずっと。
最初にペアを組んだあの日。俺は未熟で、空回りばかりしていた。役に「なりきろう」と必死で、結果として薄っぺらい芝居しかできなかった。そんな俺に、ないくんは言った。
『りうら。狂い咲け。役になりきらなくていい。一番目立つように咲け。』
その言葉は俺の支えになった。俺は少しずつだけど、舞台の上で「俺自身」として生きることを覚えた。誰かになりきるんじゃない。俺の花を、俺なりに咲かせる。それを教えてくれたのが、ないくんだった。
◇
幕が上がる。ライトの熱が全身を包み、暗闇の中から客席のざわめきが伝わってくる。俺の足は舞台板を踏みしめて、音を立てた。
物語は、狂気に蝕まれる若者と、その導き手の師を描くものだ。俺は若者を、ないくんは師を演じる。俺たちの稽古は何度もぶつかり合い、笑い合い、悔しさと喜びを繰り返した。その積み重ねが、今ここにある。
「師よ、俺は……俺はどこへ進めばいいんだ!」
俺の叫びが舞台を震わせる。観客席から、空気が張り詰める気配が伝わる。俺は震えていた。けれど、それは稽古の時とは違う震え。生きている証拠だ。
ないくんの瞳がこちらを捉える。師としての厳しさと、相棒としての信頼と、役者としての覚悟が、その一瞬に宿っていた。
「進め、若き芽よ。咲き狂え。咲いて、散ることを恐れるな!」
台本にない言葉だった。アドリブ――でも、俺にははっきりわかった。ないくんが俺に投げてくれた本気だ。俺は笑った。役としても、りうらとしても、心からの笑みだった。
「――ああ! 俺は咲く! 俺のやり方で、狂い咲いてやる!」
台詞を吐き出した瞬間、視界が開けた。客席から熱気のような拍手が押し寄せる。芝居はまだ続くはずなのに、俺の中ではもうすでに答えが出ていた。俺はここで生きている。俺は舞台の上で咲いているんだ。
◇
カーテンコール。鳴り止まない拍手の中、ないくんと並んで舞台中央に立つ。俺は観客の顔をひとりひとり見ることはできないけど、その熱だけは全身に伝わってきた。涙が出そうになった。
深々と頭を下げたあと、俺は小声でないくんに囁いた。
「……ないくん。ありがとう」
「何が?」
「俺をここまで連れてきてくれたの、ないくんだから」
ないくんは驚いたように目を細め、それからいつもの落ち着いた笑みを浮かべた。
「俺は導いたつもりなんてない。お前が勝手に咲いたんだ」
「でも、根っこを支えてくれたのは、ないくんだ」
俺ははっきりとそう言った。今の俺にとって、それが何よりの真実だった。
◇
終演後、劇場を出ると、夜の風が頬を撫でた。稽古場で感じた埃っぽい匂いもなく、ただ澄んだ空気だけが広がっている。星が瞬き、俺の胸もまたざわめいていた。
「りうら」
ないくんが隣で立ち止まる。その声に振り返ると、彼は真剣な眼差しで俺を見ていた。
「これから先、もっと大きな舞台がある。もっと難しい役がある。お前はどうする?」
試すような問い。けれど俺は、迷わず答えた。
「狂い咲くよ。俺は、俺にしか咲かせられない花を咲かせ続ける」
ないくんは笑った。心底嬉しそうに、安堵したように。
「そうか。なら、俺も負けてられないな」
その瞬間、俺たちはただの新人とベテランじゃなく、ひとりの役者同士になった気がした。年齢も、経験も関係ない。ただ「舞台の上で咲き狂う者」として、肩を並べられるんだと。
◇
夜の街を歩きながら、俺は思う。この物語は、今日で終わりじゃない。むしろ始まりだ。俺とないくんがどこまでいけるのか――それはこれからの舞台で決まる。怖さもある。けれどそれ以上に楽しみだ。
俺は、ないくんと並んで歩く。星空の下、笑い声を交わしながら。
そうだ、俺たちは――狂い咲く。何度でも、何度でも。
コメント
6件
役者パロっていいよねぇ...すごいすきだわ...
神作ありがとうございます✨😭