「実家に帰るか?」
少しの沈黙の後、陸翔兄さまの問いに、私は考え込んだ。実家に帰れば、いろいろなことを聞かれるだろうし、心配をかけてしまうのは容易に想像がつく。
もう少し一人で色々と考えたかった。
私が小さく首を振ると、陸翔兄さまも「わかった」と答えて、運転を再開した。数十分走って到着したのは、「The Celestia Tokyo」。神崎グループのホテル部門が経営するこのホテルは、VIPを招待する場でもある。家を出る前は、よくここで両親と食事をしたことを思い出す。
外観はガラス張りのモダンなデザインで、夜のライトアップがラグジュアリーな雰囲気を漂わせている。
「この格好で入れるかな」
その雰囲気に、私は思わず言葉を漏らした。
すぐにベルボーイがやってきて、私のドアを開けようとしたが、陸翔兄さまが軽く手を上げてそれを制し、先に自分で降りて助手席のドアを開けてくれた。
「ありがとうございます」
そう言って彼の差し出した手に触れるのを一瞬ためらったが、ただのエスコートだと自分に言い聞かせ手を重ねた。
車内の温かさに慣れていたせいか、外のひんやりとした空気が頬を撫でた。
その時、突然肩に温もりを感じた。陸翔兄さまが着るはずだったのだろう、ブラックのロングコートを羽織らされたのだとわかった。
「陸翔兄さま?」
「外は寒い。着ておけ」
「ありがとう」
お礼を言いながら、コートの胸元をキュッと握りしめると、少し甘い香水の香りが漂い、ドキッとしてしまう。こんな時に何を考えているのかと、自分を戒めた。足元のサンダルは隠せなかったものの、コートのおかげで服装は隠れ、それだけで少し安心できた。
「陸翔兄さま、あとは自分で部屋を取ります」
このホテルに、一緒に入れば、彼ほどの人ならばスキャンダルになる可能性もある。それに、私の素性を知る人だっているかもしれない。奥様にだって申し訳が立たない。
そう思って頭を下げた私だったが、あろうことが陸翔兄さまは私を隠すように肩を抱きよせた。
「すぐにいつもの部屋を。そして支配人を呼んでくれ」
陸翔兄さまの声に、すぐにスタッフが連絡をとると、最上階の部屋へと案内をされる。
陸翔兄さまは、身長も180㎝以上あり、均整のとれた体形に、誰もが見惚れるような整った容姿。ロビーやラウンジにいる人たちが一様に視線を向ける。
そして、その隣にはサンダル姿の私。どこからどう見ても異様な雰囲気に見えているのだろう。
「陸翔兄さま、ねえ、迷惑になるから大丈夫だから」
そういう私にお構いなしに、VIP専用のエレベータの乗せられる。最上階のスイートルーム。
リビングルームは、天井が高く、開放感があり、窓からは東京の夜景が広がり、遠くに見える東京タワーが美しく輝いていた。
リビングの隣には、4人がけの大理石のダイニングテーブルがあり、照明は控えめな間接照明が落ち着いた光を投げかけている。ダイニングからは、プライベートバルコニーへと続くドアがあり、バルコニーにはテーブルと椅子が配置されている。ここからは東京湾の美しい夜景が一望できる。
「こんな部屋……」
そう言った私だったが、陸翔兄さまがかなり大きなため息をつく。
「沙織、お前にふさわしいのはこの部屋だ。自分が誰なのかわかっているか?」
そう問われ私はグッと言葉に詰まる。智也に虐げられ、義理母や美咲さんに罵られ自分でも萎縮してしまっていた。
「ありがとうございます」
背筋を正した私に、陸翔兄さんは「それでいい」と笑ってくれた。