優しくて悪い男は、女の可愛がり方も要求の飲ませ方も女の躊躇いを消すのもまた会いたいと思わせるのもうまい。
それを私が痛感したのは、夏が近付いてきた頃だった。
研究室では内部進学の院生と仲良くなり学生の鞍馬とはほぼ喋っていなかった。今度一緒に飲みに行かない? と誘われても忙しいの一点張りでその場をしのいでいた私だが、ある日鞍馬から送られてきたLINEでその指を止めてしまった。
【花火大会行かない?】というシンプルな誘いの後ろに、割と新しくできた花火大会の写真が二枚続いていた。
――どうしよう。行きたい。私は昔から、花火にだけは目がないのだ。毎年欠かさず行っていたし、それは今も変わっていない。
ちらりと遠くの椅子に座ってスマホ片手に他の同級生と話している鞍馬の方を見ると、視線に気付いたのか、私の方を見てにこりと手を振った。
軽く会釈をして自分の机に向き直る。正確には、鞍馬からの誘いが表示されている画面に、だが。十分ほどうーんうーんと悩んでいたが、悩むくらいなら行った方がいいと思った私は、【何日ですか?】とだけ返した。
負けた気分だった。正直花火大会に行きたいからといって鞍馬と行く必要はないのだ。それでもこの誘いに乗るのは、押しに負けたから――と、鞍馬が単純にタイプだからだった。
同じ研究室でしばらく見ているうちに、本当に他人の空似、偶然かもしれないとも思えてきた。顔が酷く似ていると思ったけれど、子供の頃の顔と大人になってからの顔なんて変わるもんだし。何より、鞍馬は私に心当たりがないようだし。
それらの“彼は私が殺してしまった鞍馬ではない”という条件が揃った時改めて見てみれば、鞍馬という人物は、私にとって性的に魅力的だった。
女慣れしすぎている男はタイプじゃないから付き合いたいとかは微塵も思わないけど、一度くらいはヤってみたいと思わせる容姿と雰囲気をしている。あの夜バーのカップルシートでヤっておけばよかった。鞍馬はどんなセックスをするんだろうって気になって、また二人で会いたくなってしまう。
ことりと鞍馬によってコーヒーカップが私の隣のデスクに置かれた。そこは鞍馬の席ではないのだが、そこに座る予定の院生は今昼食で出ている。いつの間に同級生との会話を切り上げてこちらに来たのだろう。私がぼうっとしすぎていたのか……。
「来てくれるんだ?」
鞍馬は椅子を引いて、私の隣に座る。
「嬉しいよ、釣れて。フラれてばっかだったし。花火好きなんだ?」
「……まあ。いつですか?これ」
「ずっと思ってたけど、何で敬語?俺学生だよ?」
それを言うなら年上相手で敬語を使ってないお前も可笑しいが?と思ったが、呑み込んだ。視線だけを返した私を見て、鞍馬はふふっと楽しそうに笑った。
「その花火大会は来週の日曜。今日の夜空いてる?予定決めない?」
「……夜は空いてないですね。晩ご飯作らないといけないので」
京之介くんと自分のために晩ご飯を作る日々が続き、今ではすっかり当たり前になっているのだ。
「晩ご飯ねぇ。彼氏に?」
ああ、そういえば彼氏いるって設定だったな。誘いを断り続けているいい口実になると思い、頷いて肯定した。
「明日でもダメ?」
「LINEで済ませられる話はLINEでしませんか?」
「……ふーん、別にいいけど。俺とご飯食べてくれる日はないってこと?」
「また機会があればって感じですね」
「機会は作るものだと思ってるけどなあ」
頑なな私が面白いのか、鞍馬はクックッと肩を揺らしている。そして、机に手をついて立ち上がり、私の耳元で囁いた。
「瑚都ちゃんなかなか俺と会ってくれないから、花火の日はぐちゃぐちゃにするね」
女をぞくりとさせる色っぽい声が鼓膜を震わせる。去っていく鞍馬の背中を見つめながら、自分が身体であの男を求めていることを痛感した。
自明の理だけども、鞍馬という人間はかなり遊んでいる男だ。
それは振る舞いを見ていても分かることだし、研究室の学生から話を聞く限りでもそうだった。所属する学科には女が少ないにも関わらず女に困っていないその姿から、同学科の男たちからかなり反感を買っているらしい。この研究室に配属されているあの女学生も、たまに研究室に鞍馬を迎えに来る新入生女子も、みんな鞍馬の現在進行形のセフレだという話だ。見境なく食ってる男のようだし、私とどうなっても気まずさなんて感じないだろう。同じ研究室とはいえあの男なら後々の関係にヒビが入ることもきっとない。ワンナイトしたところでいつもの調子で話しかけてきそうだ。
カレンダーアプリを開き、来週の日曜の予定に“花火大会”と入力した。その後、LINEを開いて鞍馬へ短く返信する。何時に集合するかという質問だった。
【早い分には全然アリ。その分一緒にいれるし】
すぐに返ってきたので、既読だけ付けてトーク画面を閉じた。スーパーで買ってきた材料の袋からお肉と野菜を取り出し、京之介くんが置いていったマーシャルのスピーカーで音楽をかけて料理を始める。
割り切ってしまえば楽しみになってきた自分に気付いた。
鞍馬に性的な興味がある。それはあの夜からずっとだったから。
:
当日は伏見稲荷駅に午後3時に集合した。鞍馬は駅最寄りのコンビニの近くに車で迎えに来てくれた。後ろの座席に荷物を置いて助手席に乗ると、鞍馬は軽く私にキスした。
「瑚都ちゃんって煙草大丈夫?」
「……大丈夫ですよ」
本当は苦手だったけど、間を置いて嘘を吐いた。鞍馬はPeaceと書かれた黒い煙草の箱を手にとって中から一本取り出して火を付け、吸い、白い煙を吐く。煙草を吸う人を間近で見るのは初めてだった。鞍馬の香水の香りに、煙草の匂いがよく似合っていた。
「俺普通にスモーカーなんだよね」
長時間一緒に居ると健康を害しそうだな、と思った。普段煙草を吸っている人の前を速歩きで歩いているような私なのに、不思議とやめてくれという気は起きない。
「いつもそれ吸ってるんですか?」
「色々吸ってたけど、常習的に吸うならこれしか無理かな」
鞍馬の吐く煙が少しだけ開けられた窓から出ていくのをぼうっと眺める。運転するその横顔を見ていると、その首筋に派手なキスマークが見えた。
「キスマーク見えてる」
「ん? ……ああ、ついてる?」
「遊んでるんですね」
「まあ、それなりには。ちょっと前は遊んでなかったんだけどね。数ヶ月前に再開したって感じ」
「再開?」
「彼女が俺に遊ばないでって言うからやめてたんだけど、向こうがこっそり浮気してたから俺もしよ~って思って」
意外だった。彼女とか、特定の相手作るタイプなんだ。
「勘付いてんのか最近やけにキスマ付け始めたんだけど、バカなんじゃないかなと思って。俺と遊ぶ子がキスマなんか気にするわけないじゃん」
ねえ? と可笑しそうに聞いてくるから、曖昧な作り笑いしか返せなかった。
私の知る限り甘い言葉しか吐かない鞍馬が、“バカなんじゃないかなと思って”なんて言い方をすると思わなくて少し怖かったのだ。でもそんな風に言うってことは彼女の浮気に対して多少の怒りがあるわけで――ああ、こいつもまともな人間だったのか、なんて場違いな安堵を覚える。
「ま、今日は瑚都ちゃんが俺のカノジョだからこの話はもう終わりね。どっか行きたいとこある?」
言葉に詰まった。鞍馬の目的は分かりきっている。女を抱きたいだけだ。その目的は私と同じだし、花火の前にホテルへ行くなり家へ行くなりするならそれに合わせようと思っていたのに――選択を私に委ねるとは。
「…………どこがありますか?」
「京都のどういうところが好き?」
「うーん、小さい頃清水寺見に行って面白かったのは覚えてます」
「なるほどね。そういう系か」
信号が青に変わる。鞍馬が灰入れに煙草の灰を落とし、走り始めた。どこへ行くつもりだろうと思うと急に緊張してきてぎゅっとシートベルトを握ると、横でふっと笑う気配がした。
「そんな緊張しなくても。裸見合った仲じゃん」
「……、」
「年上のくせに。カワイイですね」
からかうように敬語を使われ、思わずチッと舌打ちが出る。
「別に私は脱ぐ気なかったけど、あんたが脱がせたんでしょ」
あまり仲良くない人間相手には作ってるけど、地声は低い方だ。可愛い声の出し方をやめると、満足そうに鞍馬の口元が弧を描く。
『目的地は左側です』――Googleマップのナビの声がした。三十三間堂と書かれている。初めて聞く名前だった。
「さんじゅうさんかんどう……」
「げんどう、ね。京都らしい意地悪な読み方でしょ」
車を止めた鞍馬がくすくすと笑い、また私にキスを落とした。今度は舌が入ってきてびくりと身体が揺れる。煙草の味が少しだけするけれど不快なほどではなかった。普段喫煙者とはしないから、煙草の味のするキスは初めてだ。
「……鞍は飲み物何が好きなの」
唇が離れていった後で冷静な顔をしてそう聞くと、鞍馬は少し考える素振りを見せた後言った。
「コーヒー系かな。どうして?」
「いや。一応運転してもらう身だから、飲み物買ってきた。水だけど」
後部座席に置いていた荷物の中から迷った末に買ったミネラルウォーターを渡す。鞍馬が何を好むのか全く想像がつかなかったから、万人受けする水を購入したのだ。
すると鞍馬はにやりとしながらそれを受け取り、「カフェオレの方が良かったなあ」と意地悪なことを言う。
「じゃあ返して」
「うそうそ。ありがとうね。嬉しい」
ペットボトルを奪おうと手を伸ばした私から、ペットボトルが離れていく。
先に車から出た鞍馬に付いていくと、受付でパンフレットのようなものをもらった。拝観料を一緒に払おうとするので自分の分のお金を押し付けておいた。彼氏でもない男に奢られるのは好きではないから。
靴を脱いで中へ入り、鞍馬の持っているパンフレットを受け取ろうとすると「俺が持っとくよ」と言われ、思わず首を傾げた。
「折ればポケットに入るけど」
「パンフレット見られたらネタバレになるもん。帰るまで没収しとく」
三十三間堂は初めて来る場所だ。雰囲気的にお寺だけれど、事前情報は何もない。一体何があるんだ……と不審に思いながら付いていくと、途中で引っ張られ手で目を覆われた。何も見えぬまま歩かされ、あるところで鞍馬の足が止まる。
「え、何……」
「いくよ?はい」
鞍馬の手が退いたかと思えば、等身大の千手観音立像がずらりと目の前に並んでいた。びっくりして思わず転けかけたのを鞍馬が支えてくれた。そんな並べる? ってくらいずっと向こうの方まで、等身大の千手観音立像が並んでいる。
「うわ、すご……」
「ここびっくりするよね~お寺好きなら一回くらい見といてほしいなって思って」
「いや、これはすごい。こんなの初めて見た」
「でしょでしょ」
ニコニコしながら私の手を取った鞍馬は、ずっと続く像の前を私に合わせて歩いていく。
「俺は初めてじゃないから、瑚都ちゃんの好きなところゆっくり見ていいからね」
正直神社仏閣は好きな方なので興味津々で説明文を読んでしまう。頻繁に立ち止まる私に、鞍馬は文句を言わず付き合ってくれた。
お互い身体目的なのに、まるで本当にデートみたいだな。
鞍馬が複数の女を同時進行でセフレにできる理由が分かった気がする。女を沼らせる男は恋人ごっこがうまいから。どのセフレにも最初はこういうことをしているとしたら、なかなかのやり手だ。
そんなことを考えながら歩いていると、綺麗な若い女の人たちが弓を引いている写真があった。1月にはここで新成人が弓を引く大会があるらしい。
「いいなあ、京都。イベントが多くて」
「これからしばらく居るでしょ。いっぱい色んなところ連れてってあげる」
私の手を握っている鞍馬の親指が、擽るように私の手の甲をなぞる。
鞍馬はこんなことを言っているが、果たして私たちに“次”があるのかは甚だ疑問である。
初夏の、他の花火大会よりはきっと早いであろう花火イベントは、少し早めに行ったにも関わらず人がごった返していた。花火大会なんて高校生の頃ちょっと良い感じの人と行って以来だった。花火はすごく好きだけど、一緒に行こうという人がいなかったのでしばらくは行っていなかった。屋台で唐揚げを買って食べて、多くの花火が打ち上げられる中、鞍馬は私と手を繋いだまま人気のないところへ連れて行ってくれた。あまり人が居ないけど、花火はよく見える。こんな穴場を知っているなんてできる男だ。
「彼氏も他の女の子とここ来てたら面白いのにね」
私が唐揚げを食べた後のゴミを捨ててくれた鞍馬は、地面に座って可笑しそうに肩を揺らした。
何が面白いんだ、笑えないだろと思う。彼氏がいるなんて断るための嘘だったが、今更バラすともし帰りたくなった時に断り辛いのでそのままにしておこう。
同時に、ふっと京之介くんの顔が浮かんで何とも言えない気持ちになった。……彼氏じゃないけど、京之介くんに見られるのは嫌だな。
「本当に来てたらどうする?俺この手絶対離さないけど」
ぎゅっと繋いでいた手を強く握られ、鞍馬の方を向かされる。ゆっくりと顔が近付いてきて、花火をバックにキスするなんていう青春みたいな状況になった。相手がこんな、誰とでもしてそうな人物じゃなければドラマチックなんだけど。
「今日の彼氏は鞍なんでしょ」
そっちこそ彼女が来てたらどうすんの?という気持ちを呑み込んでそう返す。ふ、と息を柔らかく吐き出すような色気のある笑い方をした鞍は、「そうだったね」と言って私の後頭部に手を回した。
「――キスの時」
幻想的な音楽と一緒に、花火が弾ける音がする。
「口もっと閉じてた方が気持ちいいよ?」
ディープキスを嫌がる男としか付き合ってこなかったことを見透かすような笑い方に少し恥ずかしくなった。
「必死で可愛い」
久しくしていなかった唾液の交換を、大好きな花火を見る余裕もないくらい最初から終わりまでずっとしていた。
蓮の花をイメージしたとかいう和風のラブホテルを選んだのは私だった。初めて来る京都のラブホ街。どこを見てもホテルホテルホテル。こんなに密集してるなら調べずに適当に入っても良かったなと思った私の手を引いて、鞍馬が中へ入っていく。
部屋番号を選ぶパネルの前で、「好きなところ選んでいいよ。とりあえず315はナシ。煙草吸いたいから」と鞍馬が言う。
315号室は禁煙と書かれている。そこ以外は喫煙オーケーだった。まだ煙草吸うの……と思う気持ちを呑み込んで、明かりが付いている中で一番安い部屋を選ぶ。安いとは言っても私の知るラブホよりは料金が高い。
来る前に適当に調べて出てきたところだけど、どうやらちょっと良いところを選んでしまったらしい。
浴衣を着た愛想の良いおばさんが奥から出てきて「ご休憩ですか?」と聞いてきて、鞍馬が「宿泊で」と短く答えると、ルームキーが渡された。いよいよメインイベントだ、と思いながら鞍馬と201号室へ向かう。部屋に入り荷物を置いて、ソファに並んで座った。部屋に入ってすぐ襲われると思っていたけど、鞍馬は余裕があるようでがっついてはこなかった。
煙草にライターで火を付けて、煙を吐き出す。そして横目で私を見て、「どうする?」と言いながら太腿に手を這わせた。
「エロいことしたい?」
「したくないならここに来てない、かな」
「じゃあベッド行く?」
薄く笑った鞍馬が煙草を置いて、私の手を優しく引いてベッドに押し倒す。綺麗な顔だな、と思って見上げると同時に――やっぱり一瞬だけ寒気がした。ああ、似ている。
「……ぐちょぐちょなんだけど。何でこんな濡れてんの?」
私の下を触った鞍馬が可笑しそうに言った。
「お察しの通り濡れやすいから、前戯しないで入れていいよ」
前戯が嫌いなんて我ながら珍しい方の女だと思う。でもそういうのは一人でもできることだし――せっかく一緒にいるんだからさっさと挿れてほしい、が私の意見だ。
すると鞍馬が私の足の間に入り込んで、そのままのそれをあてがってくる。いや、ちょっとはゴム付ける素振り見せてよ。なぜそんな当たり前のような態度でそのまま入れようとする?と思ったけれど、もう抵抗する気力もなかった。生理不順でピルは飲んでるし、あとは性病だけど……どっちにしろ検査は行くし。
「挿れてほしい?」
分かりきったことを甘い声でいちいち確認取って、女の口から言わせるのが好きな男だなと思った。
「……ほしい」
鞍馬が、ゆっくり腰を前へ動かした。
そこからは、さすがと言える性交渉の繰り返しだった。
「瑚都ちゃん、どの体位が好き?」
「……寝バック?」
「へえ。奥が好きなんだ。じゃあいっぱい責めてあげるね」
「っ、」
「何逃げてんの。瑚都に拒否する権利ないよ?」
いつの間にか呼び方が“瑚都ちゃん”から“瑚都”に変わり、正常位を気持ちいいと思ったことがなかった私に十分な快楽を与えてくる。結果として鞍馬が達するまでに私は三度イき、息を荒げながら終わったことに安堵していると
「言っとくけどまだ終わりじゃないからね」
と言いながら鞍馬がキスをしてきた。その下半身が存外元気でゾッとする。慌てて私が「待って、お腹すいたし水飲みたい」と訴えたら応じてくれた。
ソファでポテトとソフトドリンクをテレビ画面で注文した後、鞍馬に「上乗って?」と言われたのでまだそこまで休んでいないのに座位をする羽目になった。それにしても、めちゃめちゃ気持ちがいい。これは何の違いなんだろうか。どの体位でも気持ちいいなんてことは初めてだった。腰が止まらない私に、鞍馬が意地悪く「この体勢中出しされても文句言えないよ?」と囁いてくる。いつもよりぞくっとさせるような甘い声だった。しばらく動いていると、痺れを切らしたように鞍馬が私を後ろに倒し思いっきり突いてくるから、喘ぐことしかできなくなった。
「彼氏何型?」
「え?……A?」
「瑚都は?」
「O……」
何で性行為中にそんなこと聞いてくるんだろう?と思いながら答えると、「ちなみに俺もA型だよ」なんてご機嫌な様子で言いながら動きを激しくして中で果てやがった。
え?私ピル飲んでること言ってないよね?血液型的に自分との間に子供ができても彼氏にはバレない、大丈夫だと言いたいんだろうけど、何も大丈夫じゃないしいつもこんなことしてるのかなこの子?クズじゃん。
あまりのクズさにドン引く間もなく、何発出しても萎えない鞍馬のせいですぐに次のラウンドを行うことになる。休憩じゃなくて宿泊で正解でしたね、と納得した。しかもプレイ内容が徐々にマニアックになっていくから驚いた。
私に首輪を付けリードを強く引っ張ってよろけたところを四つん這いにさせたり、そのまま上に乗ったり、目隠しさせて自分のものを舐めさせたり――拘束具持ち込むほど好きなんですか?これ、と聞きたくなるようなプレイをさせられた後で、そんな泡立てる?ってくらい泡だらけのお風呂に入った。
散々ヤりきった後の休憩中、お風呂の方へ行ってボディソープを何回もプッシュしてたのはこれのためだったらしい。風呂というか泡じゃんと思ったけど、中に入るとちゃんとお湯だった。しばらく泡で遊んでから、お互い身体を洗うことにした。
私の髪の毛を慣れた様子で丁寧に洗いながら鞍馬が聞いてくる。
「瑚都ってダメなプレイとかあるの?」
「……んー、嘔吐系とかは苦手かも」
「あー。でも男ってイラマ好きなんだよねえ。ごめんね、さっきやっちゃって」
「いや、吐くほどじゃなければイラマはいいけど……。鞍は?どういうのが好きなの」
「うーん、俺結構性癖の坩堝みたいな人間でさ。さっきみたいに女の子の上に座って煙草ふかすのも好きだし、一人でしてるの鑑賞しながらスマホいじるのとか、おしっこかけたりとか色々したいんだよね。基本どんなプレイにでも興味そそられる」
何だよ性癖の坩堝って。初めて聞いたわ。
「……やられたい、どれも」
興味はあったので何気なくそう言うと、鞍馬がちょっとびっくりしたような顔をした。
「え?かけていいの?」
「いいよ、面白そうだし」
すると――ふ、と鞍馬が妖しく笑った。
「いいなあ、瑚都。俺好みの変態で嬉しい」
まるで新しい玩具を見つけたみたいに。
翌朝、お互い講義もないのでチェックアウトの十一時までホテルにずっと居続けた。寝てる間も襲われたし、朝からも襲われた。この子何時に寝てるんだろうと思った。
帰りにスタバへ寄ってカフェモカのアイスを注文した。中高生が勉強をしているような場所で、昼間に向かい合って飲み物を飲んでいると、まるで昨夜のことが夢のように感じる。まるでただの学生と院生の健全なお出かけのようだ。散々ヤることヤったのに。
鞍馬がじっと私の首元を見ているので、「何」と問うと、「いや。キスマ丸分かりだなあと思って」と可笑しそうに笑われる。
「……本当にね。私キスマーク結構残るのに」
「残したもん」
悪びれる様子もない鞍馬。コーヒーを飲みながらスマホをいじって他の女に何か返信しているその姿は、……正直な感想を言うとイケメンだ。キスマークを首に付けられるのは割と本気で迷惑だ、と文句を言う気もなくなってしまう。
でも、彼氏がいるとかいないとか以前に研究室へ行く時に困るんだよね……。普通に恥ずかしいというか人前に出る時のマナーとしてどうなんだろうって思うし。ファンデーションである程度薄くして、あとは虫さされとか言って誤魔化そう。
そんなことを考えながらあとはぽつりぽつりと会話して、一時になる頃には店を出ていた。
結局家まで送ってもらって、帰り際鞍馬が最後のキスをしながら言った。
「また会ってくれる?」
鞍馬の方から言われると思っていなかったので口籠ると、「こういうのあるけど」と鞍馬がにこにこしながらスマホで動画を再生する。
『あっあああ、』
「………………」
絶句した。車内でハメ撮り流さないでよ……。
しかも最新機種だから音質も画質も無駄にいい。笑顔の鞍馬が憎たらしかった。
「……いや、もういいや。その動画は顔さえ隠せば好きにしてどうぞ。あとはあんたの良心に任せる」
そう言って車を出ようとすると、腕を掴んで止められる。
「俺と一回ヤって二度目を求めない女の子初めて見た。気持ちよくなかった?」
心底驚いたような顔をすることから、随分自分のテクニックに自信があることが窺える。確かに技術面では申し分なかった。初めてあんなに気持ちいいと思った。でも。
「もう満足したから、無理に二度目を作らなくていいよ。それで文句言うこともないから」
一度ヤってしまえば相手に対する性的な興味が半減する。そういう男は多いというが私も多分そのタイプで、一晩中セックスしたことでもうお腹いっぱいなのだ。荷物を持って今度こそ車を出た私は、昼間の眩しい太陽の光を浴びながらマンションの階段を上がった。
LINEを開くと、京之介くんから一言メッセージが来ていた。
【今日行ってええの?】
自然と顔が綻んでしまう。日常に戻ってこれた気がした。
【いいよ。待ってる】
さて、今日も買い物へ行って、晩ご飯の準備をしよう。そう思って足りないものを確認するために冷蔵庫を開けた時――スマホが震えた。
【外食べに行かん?】
【まだ材料買ってなければ】
:
午後六時頃、仕事帰りの京之介くんが家の前まで迎えに来た。助手席に仕事のファイルやらiPadやらが置かれているので後ろに乗ろうとしたけど、京之介くんがわざわざそれを退かせてくれたので助手席に乗り込んだ。
「何食べたい?」
京之介くんがスマホを操作しながらこちらを見ずに聞いてくる。
「……えっと……ラーメン?」
「そんなんでええの?」
「え?うん。ラーメンの気分かな」
「ふうん」
京之介くんは興味なさげに言って発車した。そこからしばらく会話はなく、京之介くんの車は煙草の匂いがしないな、なんてぼんやり思った。
「美味しくなかった?」
「は?」
「……私のご飯」
「はあ?」
沈黙を破ったのは私だ。赤信号が青に変わるのを待っている最中、横の京之介くんに問いかける。
「だって急に外食しようとか言い出すから」
「気分やん。いつも作ってもろてるから、たまには奢ったろうと思て……」
「……」
「……瑚都ちゃんの飯は普通にうまいよ」
不貞腐れていたのに、毎晩食べて帰るだけだった京之介くんの口から初めて出た“うまい”に思わず顔を上げてしまった。
「え、なんて?」
「だから、うまいって。食べた時びっくりしたもん。中学生の頃は米の炊き方も分からんと不味い飯作ったはったのに……」
「不味い飯とか言わないでよ」
「俺本音しか言われへんねん」
酷いことを言っているようだが、本音しか言えないということは、今の私の料理がおいしいというのも本音なのだ。笑いを堪えきれずニヤニヤしていると、そんな私を横目で見た京之介くんが「言わんかったらよかった」とげんなりした表情をする。それが可愛くてよりニヤニヤしてしまう私だが、じろりと睨まれたので前を向いた。
ラーメン屋さんに着き、中へ入ると美味しそうな匂いがした。京之介くんの行動への疑問で空腹を忘れていたけど、匂いのせいで刺激されて、途端に早く食べたくなる。
少し待ったがすぐにテーブル席へ通された。「ここ観光シーズンは長蛇の列なんやけどな」と京之介くんが言う。これだけ早く通されたのはラッキーということだろう。
京之介くんは味噌ラーメンと炒飯と餃子、私は塩ラーメンを頼んだ。京之介くんそんなに食べるんだ……と思ったけど、そういえばこの人昔マクドナルドのハンバーガーとか余裕で三個食べていた気がする。
「相変わらず、その調子でよく太らないよね」
どちらかと言えば細身の京之介くんに対して恨めしそうな顔で言えば、「よう言われる」と笑顔を返された。
そこからは京之介くんの仕事の話を少し聞いて、大学での私の話も少しして、注文した品が届いてからは静かに食べた。外で京之介くんと何かを食べるのは祇園へ出かけて以来なので少し緊張した。そうでなくても立場も状況も違う人なのだ。話のネタがなかった。
食事が終わり、会計時に財布を出そうとすると、「奢りや言うてるやん」と止められる。
「いやいくらいつものお礼って言っても京之介くん材料費は払ってくれてるし、せめてちょっとだけでも……」
「こら。見んな」
カウンターを覗き込んで値段を見ようとした私の顎を手で掴んで自分の方を向かせてくる京之介くん。その言動にドキッとして顔が熱くなった私を見て、京之介くんは何を考えているのか分からない表情のまま無言ですっと手を離した。
結局京之介くんが支払いを済ませて車に戻る。もう夜と言ってもいい時間なのに外はまだ少し明るい。夏が近付いてきているのを感じながら京之介くんの車に揺られた。車内を流れる音楽は夜に似合うお洒落な曲だった。京之介くんは車で流す曲のセンスがいいから、ずっと乗っていたくなる。
けれど、あっという間に私の借りているマンションの前に着いてしまった。
「今日はありがとう。おいしかった」
京之介くんに運転のお礼として予め買っていた麦茶を渡す。しかし、京之介くんと不自然に目が合わない。京之介くんの視線の先が私の首筋であることに遅れて気付いた。ファンデーションで薄くしていたはずのキスマークが、時間が経ち分かりやすくなってしまったのかもしれない。
「……、……どうしたの?」
できるだけ何でもない風に笑ってみせると、ようやく京之介くんがこちらを見た。手にあった麦茶が奪われ、乱暴に私の顔を上げさせた京之介くんの顔が近付いてくる。その一秒一秒がまるでスローモーションのように感じられた。その唇が私の唇に近付き、――あと少しで重なる、というところで、京之介くんのスマホが鳴った。
京之介くんの顔がすっと離れていき、その視線がスマホの画面に向けられた。明らかに女性の名前が表示されている。京之介くんはハァと短く溜め息を吐いて電話に出た。
「はい。どうした? ……おー、うん、……なんもしてへんよ。うん? ……ああ、分かった。持っていくわ。十一時くらいになるけどいい? ……何泣いてんの。いや、別に忙しいわけちゃうけど。うん? ……あー、なあ、後でもっかい掛け直していい?」
――京之介くんさっき何しようとした?という気持ちでバクバクと心臓が鳴り続けている。この通話が終わるまでに心臓の音がバレないように落ち着かなければと思うくらいだ。できるだけゆっくり呼吸をしているうちに、京之介くんの通話が終わっていた。
「……何か、用事?」
声を裏返さないようにするのに必死だった。意外にも落ち着いた声が出てほっとした。
「いや。彼女から呼び出し食らった」
「……え?」
「言うてへんかったっけ。そういや俺ら、恋愛面の報告とか一切してへんな」
「う、うん。びっくりした。いつから?」
「大学時代から。お前は?」
衝撃の事実を呑み込む暇もなくこちらの事情を聞かれたので、どう答えようか悩んだ末につまらない答えを返してしまう。
「……いないよ。恋人とか」
いたら京之介くんに毎晩ご飯とか作れないでしょ。
「へえ?」
京之介くんが意味ありげに私の首をちらりと見た。
「彼女待ってるなら早く行ってあげなよ。今日はありがとう。楽しかったしおいしかった」
何だか気まずくなって、早口でお礼を言ってできるだけ笑顔を作って、車から出る。
動揺を隠すので必死だった。だって京之介くんは、……京之介くんは。
外が蒸し暑いからか、京都で過ごした昔の夏のことが映画のように思い出される。お姉ちゃんと笑い合う京之介くん、お姉ちゃんとずっと一緒だった京之介くん。どの夏を思い出しても京之介くんの隣にはお姉ちゃんが居た。
お姉ちゃんが塗り潰されて、京之介くんの隣には今、別の女の人がいる。
「……お姉ちゃんを置いていくんだ」
あの京之介くんですらも。
お姉ちゃんを過去の人にする。
その事実に私は動揺していた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!