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トイレに行くと言いながら病室を出て、すぐ傍にある談話室の椅子に、思わず座り込んでしまった。
「まったく太郎のヤツ……いったい、なにを考えてるんだ」
病室ですれ違った男のコは、明らかに大学生だってわかった。しかも泣いていたのだ、ただ事じゃないのは明白。
だからアイツに逢った瞬間、驚きついでに不機嫌になれず、どうしていいのかすごく混乱した結果、にこやかに笑ってしまった。怒りなんて、一瞬でどこかに行く始末。
談話室には、携帯使用許可のプレートが出ていたので、困り果てた俺はすぐに、桃瀬にメッセージする。
『ももちん、俺どうすればいい? 太郎の病室に行ったら、泣いてる男のコと出くわしちゃった。きっと病室に男のコを連れ込んだアイツは、いかがわしいコトをしようとしたんだよ』
(メッセージ送信っと――)
渋い顔のまま送信ボタンを押し、ちょっと待ったら、桃瀬から返信があった。
『とにかくその彼について、きちんと太郎に事情を聞いてみろ。納得するまでお互いに、話し合ったらいいんじゃないか?』
おおっ、確かに。冷静になりきれず、いきなり病気のことから聞いちゃったもんな。ここは桃瀬の言うとおりに落ち着いて、納得するまで事情を根掘り葉掘りと聞いてやろうじゃないの。
さっきまでの重い気持ちはどこへ――桃瀬の的確な意見のお蔭で足取りも軽くなり、太郎の病室に戻った。
ベッドの傍に置いてある椅子を引き寄せて、よいしょっと腰掛けてから、太郎の顔を見る。相変わらずのサル顔はそのままに、以前よりも血色は良好そうで、健康そのものに見える。
「おい、さっき出て行ったヤツ――」
いつも通りの口調で話し出した途端に、太郎が慌てて弁解するように話し出した。
「タケシ先生、絶対に誤解をしてるだろ。アイツは、ただの元彼っていうか……えっと告白されて軽い気持ちでOKしたんだけど、その後俺が自然気胸で倒れてから、音信不通になって。心配して、実家に入院先を聞いたらしくてさ。わざわざ見舞いに来てくれたんだ」
焦りながら喋った言葉を、頭の中で整理していく。ここは冷静になって、落ち着いて分析しなければならない。
「元彼ね、へえ……」
「でも、ちゃんと断ったんだ」
「――押し倒したんじゃなく」
「違うって! そんなことするワケないだろっ。やっぱり誤解してる」
必死な太郎の形相が、俺の笑いを誘った。なんでこんなに、一生懸命になってるんだ?
(ああ、そうか。元彼と俺を二股かけていたのが、この機会でバレたから……)
「俺、タケシ先生と付き合うことにしたから、ケジメをつけるために、ちゃんと断ったんだ。そしたら泣かれちゃって」
「……俺みたいなかわいげのない年上と付き合って、おまえは後悔しないのか?」
吐き出すように低い声でやっと告げて、上半身をぐらつかせながら、ふらりと立ち上がる。
「――電話が入ったから、ちょっと出るわ」
太郎がなにかを言う前に、逃げるように病室を出た。その足で談話室に向かい、また桃瀬にメッセージする。
『話し合いの結果、新たな事実発覚! 俺はどうやら、二股をかけられていたらしい』
メッセージ送信っと……。
力なく、そこにあった椅子に腰掛ける。
何だろ、この裏切られた感は。チャラ男の太郎を好きになったツケが、これなのか!?
せっかく――。
「桃瀬以外の人を好きになったというのに、落ち込むばかりの真実を突きつけられるのって、酷すぎやしないか?」
あまりの悔しさに、ぎゅっとスマホを握りしめたら、バイブがメッセージの返信を知らせてくれた。
『実はお前のメール、涼一にも転送していて、意見を聞いていたんだ。なので涼一の文章、そのまま送るな。
周防さん、二股をかけられてたことは、過去の出来事として捉えてください。大切なのは、太郎くんの気持ちです。彼は今、誰が好きなんでしょうか? そこにたどり着くまでの、プロセスを思い出してください。
この文章を読んで、俺も考えた。命を賭けて、お前に迫った太郎だ。きっと、いい加減な気持ちじゃなかったはずだ。そんなヤツだから、お前も好きになったんじゃないのか?』
「桃瀬……涼一くん、ありがと――」
ふたりからの心に沁みる、あたたかい応援メッセージに、胸がじんと熱くなった。まるで、たくさんの勇気を貰ったみたい。
そして二股をかけられたショックで、すっかり忘れていた。太郎は最期の恋を、俺としたいって言ってたことを。
そのとき、左肩に優しく手が置かれる感触がして、顔だけで振り向くと、そこに太郎が立っているではないか。
俺と目が合うと、腕を掴んで引っ張るように、病室へと連れ戻された。
「本当は病気が治ってから、逢いに行こうと思ってた。タケシ先生の本心を聞くために」
掴んでる腕を使って自分の体に引き寄せ、ぎゅっと抱きしめてくれる。久しぶりの太郎のぬくもりに、不安だった心が簡単に落ち着いていくのがわかった。
「――俺の本心?」
「ああ。俺の病気を治すのに、あんなこと言ったんだろ? きっと、無理をさせたんだろうなって思ったんだ」
「……無理なんか、してない――」
太郎の体に、そっと両腕を回す。
「おまえの本当の名前を知ったとき、俺は思ったんだ。コイツと歩むために、出逢ったのかなって」
「なんだよ、それ。タケシ先生に名前を呼ばれると、なんだか落ち着かない」
照れくさそうにしてる恋人の顔を見るために、ゆっくりと首を動かし、ほほ笑みながらじっと見つめて、ボサボサしてる頭をぐちゃぐちゃと撫でてやった。
「歩……俺は、おまえが好きだよ。最期の恋じゃなくて、俺との最後の恋にしてくれないか?」
「ヤベェ。そんな言葉、タケシ先生の口から直接聞けるなんて、夢を見てるみたいだ」
「夢じゃない、現実だ。バカ犬っ」
撫でてた手を頬に添えて、そっと口づけをしてやる。桃瀬と涼一くんのお蔭で、素直に自分の気持ちを伝えることができた。
「早く病気を治して、俺のところに戻って来い。首を長くして、ずっと待っていてやるから」
「わかった、約束する! タケシ先生を最後の恋人にするために俺、絶対に頑張るから……」
見つめあい、そして約束を守るように、深い口づけを交わす。手遅れだと思った恋が、最後の恋になって想いが重なり合い、真実の愛になった。
俺たちは今、はじまったばかりの恋に揃って、身をゆだねる。