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出社すると、事務所には八尾首展示場の金子と細越がいた。
「おはようございます!」
1年前、八尾首展示場にいたあの短期間でどんなに傍若無人にふるまったのかは知らないが、紫雨の姿を見つけるなり二人は
直立し、腰からパキッと前に体を倒してお辞儀をした。
その反応に当然の顔をしてふんぞり返る紫雨を横目に林は自席に鞄を置いた。
「おっはよーう」
と、秋山が事務所に入ってきた。
「おはようございます!」
元気よく答えながらも皆一様に壁の時計を見上げる。
いつも朝礼に間に合うのもまれな支部長が二日続けて朝礼よりも前に来るなんて――。
「お、来てるね」
秋山は金子と細越を交互に見て微笑んだ。
「今日、何かあるんですか?」
紫雨がパソコンを開きながら秋山に聞くと、
「うんとね、臨時研修。地元のコミュニティラジオ相手に、ナソパニックの社員が新しい外壁タイルの説明会するっていうから、混ぜてもらうことにしたんだよ」
「へえ。なんていうラジオ局ですか?」
「BE JAMPエフエムだって」
「―――聞いたことないですね」
紫雨が小さな声でつぶやく。
「地元のコミニュティラジオだから。配信エリアはここ天賀谷市と隣の時庭市、そのまた隣の山東町くらいまでしかないからね」
言いながら秋山が金子と細越に資料を配っている。
「もしよければ、林君も参加してみない?」
急に話を振られ、林は思わず背筋を伸ばした。
「勉強になると思うよ?」
「……あ、はい。ぜひ」
言うと秋山は資料を林にも渡してくれた。
「そうだ!」
秋山が思いついたように紫雨を振り返る。
「紫雨君、今日の午後から時間ある?」
「えっと……」
紫雨が慌てて手帳を開く。
「――ないことも、ないですけど」
「じゃあさ、せっかく金子君、細越君も来てくれたことだし、紫雨君、あとでアプローチ練習付き合ってあげたら?」
「は?」
明らかに嫌がりながら紫雨が一歩後退する。
「お願いします!」
金子と細越が並んで頭を下げる。
「―――ね、いい機会だし。そうだ。林君も初心に戻って教えてもらいなよ」
秋山がにこやかにこちらを見る。
(そういうことか…)
林は秋山の意図をやっと理解して口を結んだ。
確かに気を使ってくれたのは嬉しいし、自分からは頼める雰囲気じゃなかったからありがたいけど――。
紫雨がだるそうに首を回す。
(これ以上関係が悪化したら、いやだな)
「いいよね、紫雨君。2人も4人も一緒でしょ?」
秋山が微笑む。
「4人?」
ガチャッと事務所のドアが開いた。
「おはようございます!!」
誰よりも元気な声を出して、新谷が事務所に入ってきた。
「ワクワクしますね!」
管理棟脇のホールに続く遊歩道で、新谷はニコニコとこちらを見上げた。
つい1週間前まで涙に暮れていたくせに。現金なものだ。
「そうですか」
林は力なく答えた。
「光触媒の外壁タイルなんて、セゾンでは2年前から導入してるんだし。今さらって感じですけどね」
言うと、
「そりゃあ採用してますけど、実際のところ、セルフクリーニング機能がついてるってしかわからなくないですか?」
「――元ダイクウの技術者が聞いてあきれますね」
林はため息をついた。
「いいですか。光触媒のメリットは、水膜と活性酸素により、汚れをつきにくくすること、その親水性により、汚れを落としやすくすること、の二つです。なんですか、セルフクリーニング機能って。ワイパーじゃないんですよ?」
「へえ……!」
新谷が大きな目をさらに広げてこちらを見る。
「さすが!林さんですね。知識が正確でピカイチ!」
叫んだ新谷に、金子と細越も振り返る。
「新谷さんも技術的なところは詳しいと思ったけど、林さんもすごいですね」
細越が眼鏡をずり上げながら言う。
「俺は、電化製品専門なんだよ」
新谷が口を尖らせる。
その言葉と表情に二人が笑う。
新谷もなんだかんだでもう4年目だ。彼らにとっては立派な先輩だ。
しかしこの緊張感のなさは何だろう。
ほっとするような親しみは何だろう。
思えば新谷は入社当初からそうだった。
あの新人嫌いの篠崎をあっという間に手懐け、鉄仮面の設計長の心まで解した。
今よりずっと取っつきにくかった紫雨をも味方につけ、最終的にはゲイでもない篠崎を落として見せた。
――この男と自分は何が違う……?
朝日に似合う爽やかな笑顔を横目で見る。
笑顔?
素直さ?
実直さ?
親しみやすさ?
吸収力?
情熱?
愛情?
――何をとっても勝てる気がしない。
「あっ!あれ、光触媒タイル!新色のオールドブラウンじゃない?!実物見たかったんだよねー!」
言うなりスーツに革靴という出で立ちくせに全速力で走り出す。
後輩の二人がやれやれと肩をすくめながら追いかける。
(――あったわ。一つだけ俺が勝てるもの)
林はため息をついた。
(冷静さ)
そう心の中でつぶやくと、林は手を軽く握って、管理棟へと緩く走り出した。
「おはようございます」
新谷は春空の下、タイルを並べているナソパニックの社員に話しかけた。
「セゾンエスペースの皆さんですね。おはようございます。ナソパニックの花崎です。今日はご参加いただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、強引に混ぜてもらってすみません」
新谷が頭を下げる。
「ラジオ局の方はまだいらっしゃってないんですか?」
「さきほど連絡がありまして、スタジオでの収録が予定を押しているため、少し遅れるそうです」
「あ、じゃあ軽く説明を聞いたら、収録に邪魔にならないようにお暇しますんで。ね?」
慌てて細越と金子も頭を下げる。
林もおざなりに頭を下げながら、並んだタイルを見つめた。
キラキラと輝いていて、確かに一枚一枚の質がいいのが見て取れる。
これが家1棟分になったら、さぞかし高級感のある見た目になるのだろう。
セゾンエスペースで2年前から売り出した新シリーズ、“スマートハウス”には、このナソパニック製の光触媒の外壁タイルが標準搭載されていて、同時期に建設された八尾首展示場もこの仕様で出来ている。
外壁も床材もメンテナンスフリーを謳っているため坪単価が高く、自分はまだ契約をとったことがないが―――。
「この外壁タイル、引き渡したお客様たちからものすごく評判がいいですよ!特に新しい分譲地に建てたお客様なんて、『他の家とまるで違う!』って」
もうすでに数件引き渡している新谷が微笑むと、花崎は振り返った。
「そのお客様は引き渡して何年ですか?」
「え」
新谷がきょとんと花崎を見上げる。
「1年そこらですけど」
「じゃあ、まだですよ。本来の良さを発揮するのは」
「―――?」
自信ありげに頷くと、花形は何やら機械を取り出し、にやりと笑った。
「これは?」
新谷が聞くと、
「ま、あとからのお楽しみ、ということで」
言いながら、皆の前に30㎝四方の外壁を3枚、並べた。
「いいですか。皆さんから向かって左側が一般的な外壁サイディング。真ん中が一般的な光触媒のタイル、そして右側が当社の製品、“光クリア”です」
ぱっと見は同じダークブラウンのタイルに見えるそれらを並べてから、彼は黒い液体が入った霧吹きを手にした。
「汚します。こちらは日常的に空気中に舞っている埃、そして車が出す排気ガスを液体化して再現したものです」
それを吹きかけると、3枚のタイルはたちまち薄汚れてしまった。
花崎は今度は透明な水の入った霧吹きを手にした。
「雨が降ります。にわか雨です」
その言葉に八尾首展示場の3人が微笑む。
「御覧の通り、ただのサイディングは雨くらいでは汚れは落ちません。真ん中の一般的な光触媒のタイルでは、あらかたの汚れは落ちますが、まだうっすら残っています。そして、当社の光クリンは……」
「同じに見えます」
林が口を開いた。
「――え?」
「ですから、一般的なタイルと、御社の光クリンのタイル、汚れの落ち具合が同じに見えます」
思ったことを率直に言葉にすると、花崎はしてやったりというように笑った。
「そうですよ。同じですよね。ここから、です!」
言いながら先ほどの機械の中に、外壁を3枚とも入れた。
「紫外線を当てます」
スイッチを押すと、紫色の光が3枚に当たった。
「――――」
皆でそれを眺める。
「そろそろ、いいかな」
それを取り出すと、花崎は先ほどの順番で外壁を並べ、再度水を吹きかけた。
「――おお」
「――すご」
金子と細越が同時に声を出した。
確かに一般的な光触媒のタイルが若干薄汚れたままであるのに対し、光クリンの方は、先ほどの汚れがきれいに落ち、初めの輝きを取り戻していた。
「どうです?」
花崎が嬉しそうに言う。
「すごい!何が違うんですか?」
新谷が目を見開く。
「それはね、うわ……!」
花崎が資料を取り出そうと鞄を漁ったところで、その隣にいつの間にか男がしゃがんでいるのに気が付いた。
話に夢中になっていた4人も驚いて男を見下ろす。
「あ、バレちゃった」
男は笑いながら立ち上がった。
その手にはマイクが握られている。
「遅れてすみません。BE JUMPエフエムの和氣(わき)と言います。よろしくお願いします」
茶色く染めた髪の毛を一本に結わえて、いかにもマスコミっぽい黄色い縁の眼鏡をかけている。
「え、和氣さんですか?」
花崎が慌てて名刺を取り出しながら言う。
「社長さん自ら収録に来てくださったんですか?」
言うと、和氣は笑った。
「社長も何も。社員数6名の小さな会社ですから。収録も編集も僕がやるんですよ」
笑うと眼鏡の奥の目の周りに人懐こい皺が寄るが、年齢は相当若い。
40代?もしかしたら30代かもしれない。
「いや、邪魔してしまってすみません。なんか雰囲気楽しそうだったから、このまま収録させてもらって、オープニングとケツだけ編集させてもらった方が臨場感あっていいかなと思って」
「え、俺たちの声がラジオに乗るってことですか?」
新谷が目を丸くする。
「ええ、ぜひ!僕がインタビューするよりも、専門に扱う方が反応してくださった方が楽しい音が録れそうなので!」
和氣が笑う。
「僕はいないものと思って、どうぞ続けてください」
言うと、彼は手に持っていたマイクをまたこちらに向けた。