呪霊と呪詛師が姿を消した後、あたりには静寂が戻っていた。だが、戦の痕は深く刻まれ、今もなお、空気は張り詰めている。
庵歌姫は肩で息をしながら、動きを封じられていた体をゆっくりとほぐした。
「……アイツ、本当に呪力がなかったの?」
彼女は不知火陣の異様な動きを思い出しながら呟く。呪力なしで術師と渡り合うことなど、通常ではありえない。
「ああ。だが、奴は呪力を持たない代わりに、呪霊を利用する手段を確立している。天与呪縛だ。」
夜蛾正道は地面に残った呪霊の痕跡を見つめながら言った。
「おい、あまり気負うなよ」
楽巌寺嘉伸が夜蛾の肩を軽く叩く。
「確かに厄介な敵だったが、今ここでどうこう言ったところで仕方ねぇ。まずは情報を整理しようぜ」
夜蛾は小さく息を吐き、うなずいた。
「……そうだな」
だが、彼の脳裏にはある疑問が残っていた。
(呪力を持たない者が呪霊を操る手段……もしそれを応用できれば、俺の呪骸研究は次の段階へ進むかもしれない)
京都に戻った夜蛾はすぐに研究室にこもった。机の上には、戦闘中に使用した呪骸の残骸が置かれている。
「改造された呪霊……術式を持たない者による呪力操作……」
夜蛾はメモを取りながら、不知火陣の戦い方を反芻する。
(もし呪骸に、自律的な判断能力を与えられたなら……)
それは、呪骸に”魂”を宿すということ。だが、現時点での夜蛾の技術では、それは夢物語にすぎなかった。
「……何かが足りない」
その時、研究室のドアがノックされた。
「……夜蛾、起きてる?」
庵歌姫の声だった。
「入れ」
扉が開き、庵歌姫が顔をのぞかせる。
「また研究? ちゃんと休んでるの?」
「……俺にはやるべきことがある」
夜蛾は机に視線を落としたまま答えた。
「まったく、相変わらずね」
庵歌姫は小さくため息をつきながら、壁にもたれかかった。
「……楽巌寺が言ってたわよ。『夜蛾の呪骸は、もう一歩で本物の”術”になる』って」
「……楽巌寺が?」
夜蛾は眉をひそめる。楽巌寺は呪骸の研究には否定的な立場だったはずだ。
「アイツなりに認めてるんじゃない? あんたの研究が、呪術界にとって無視できないものだって」
夜蛾は黙っていた。だが、確かに楽巌寺の言葉は彼の心の奥に響いていた。
(……もう一歩、か)
一方、遠く離れたとある山中の隠れ家。そこには、不知火陣と彼が率いる呪詛師集団 「鬼哭衆」 の数名が集まっていた。
「チッ……京都高専の奴ら、思ったより手強かったな」
不知火は包帯を巻きながら、肩の傷を確認した。
「けど、収穫もあったろ?」
薄暗い部屋の隅から声がする。現れたのは、鬼哭衆の幹部の一人、蓮水。細身の男で、鋭い眼光が不知火を見据えていた。
「京都高専の呪術師ども、特にあの夜蛾正道って男……アレはやばいぞ」
「……やっぱりな」
不知火はうなずいた。
「夜蛾の研究、俺らと根っこは同じだ。奴は気付いてねぇかもしれねぇが、もうすぐ気付くさ」
「つまり?」
蓮水が首を傾げる。不知火は不敵に笑いながら言った。
「夜蛾正道は、いずれ俺たちと同じ道を歩むってことよ」
部屋に静寂が広がる。
夜蛾正道の呪骸研究と、不知火陣の呪霊改造術――二つの技術が交わる時、呪術界の均衡が崩れることになるだろう。
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