「——!?」
妊娠検査薬に浮かび上がる二本の線
途端に込み上げる吐き気
「ぅ、うげぇぇ……」
脳裏に過るCEOの影
「ハァハァハァ……」
もしも運命があるのなら
これが私の運命なのだろう
***
遡ること数ヶ月前——
バタンッ!
深夜に帰宅する夫
帰宅の挨拶もなく
作っておいた夕食に見向きもしない
酒と香水の匂いを漂わせ
冷蔵庫の水をがぶ飲みすると
シャワーを浴びに浴室へ消えてゆく
ヴヴヴ♪
深夜に届く母親からのメール
冒頭の挨拶もなく
給料日前にお金の無心
毎月振り込んでいる仕送りが尽きたのだろう
こうして平凡な平日が今日も終わりゆく
やっと一日が終わる
もやもやとした意識が次第に遠のき
眠りに落ちて行くこの寝入り端が
最も穏やかで
最も幸せを感じる——
……
ウォォオーーン!
遠くで聞こえる狼の遠吠え
夢の中で気付く既視感
「あぁ……またこの夢だ」
幼少期から見ている悪夢
一面漆黒の闇
遠くに灯る朧げな月光
それは難聴の私にもはっきりと聞こえる
夢の中でさえ朧げな音声
しかし
この夢の
この遠吠えだけは違う
心に響くような
DNAに訴えかけるような
鼓膜を震わせる
熱意をまとった振動
距離以上に身近で香る
オスの獣臭
遠吠えは
昔より近くで聞こえる気がする
昔よりも近づいている気がする
——怖い
ただひたすらすらに怯える事しか出来ない
息を殺し
気配を消し
この夢が過ぎ去るのをじっと待つ
やがて時間と共に意識は遠のき
完全なる無へと落ちてゆく——
ジリリリリ♪
次の瞬間に聞こえるのは
けたたましいアラーム音
夢の続きがあったのか知る由もない
目覚めれば忘却の彼方なのだから
そして今日もまた繰り返される
平凡な一日
***
ピッ♪
出社と共に通すタイムカード
着席と共に起動させるパソコン
そしてコーヒーを淹れに給湯室へ
「おはようございます」
眠気に脳は未だ働かず
条件反射で交わす軽い挨拶
席に戻れば
何の合図もなく
今日もまた業務が始まる——
「情報まとめて次の会議までに資料作成しといて貰えるかな」
私の業務スケジュールも
私の業務リソースも
何の確認も無く放り込まれる雑務
営業補佐とは体の良い小間使いだ
「じゃあお互い話し合いの上、納得できる形で決めて下さい」
総合職での採用後
定員を超えて集中する人気部署への希望
コンプレックスと劣等感を抱え
気の弱い私は
気の強い同期に
その席を譲ってしまった
今後を左右する重要な岐路と考えも及ばず
いや
分かっていても結局譲ったのかも
争いを好まず
摩擦を好まず
自分を押し殺し続け
流れ着いた現在
「水川さんは真面目で信頼できる」
「水川さんは有能で仕事ができる」
口頭で浴びるだけの高評価
昇進もせず
昇給もせず
放り込まれる雑務を
こなすだけの業務
私の生産物を礎に
昇格して行く同僚を眺めるだけの傍観者
私はそれだけの存在
私は一体何なのだろう
私は一体何者なんだろう
もしも運命があるのなら
これが私の運命なのだろう
リマインダーの如く
定期的に繰り返す自問自答
そうして今日も同じ一日が過ぎて行く
「ねえ聞いた?今期も目標未達らしいよ」
年始の右肩上がりの業績見通しに反し
年末の右肩下がりの業績確定
ここ数年の風物詩
それなりのパテントを有し
ここ周辺の地域と
この業種の界隈では
それなりに知られた企業
それでも時の流れは残酷で
年々相次ぐ新規参入の煽りを受け
縮小を続ける市場の占有率
下落を続ける会社の株価
***
そんな或る日
上層部が慌ただしくなる
会社の変化を敏感に察知し
社内で囁かれる噂話
「何か株価暴騰してるらしいよ」
「めっちゃうちの株買われてるんだって」
「そうなの?それって良い事じゃない?」
「それが……」
ニュースにもならない
狭い業界の片隅で
そっと発表された
小さなプレスリリース
そこで
弊社買収の意向が示されていた






