「おいおいマジか……。そんな突発イベント聞いてねぇぜぇ?!」
ザンダーよりも先に目線に入ったもの。それは米粒ほどに小さな二人の背後に迫った、途方も無いほど大きな影だった。
「おぉふ」とため息を漏らしたイチルは、イチルとロディアの存在に気付いたザンダーに呼ばれるまま、上昇気流に乗ってバッと身体を開いた。
「おいおいおい、一体どうなってるわけよ、ザンダーちゃん?!」
「し、師匠、どうもこうもありませんよ。このバカが不用意に下層部近くの壁を削ってしまうものだから!」
「壁って……。そんなもの削ったくらいでどうこうする問題なの、これ?」
二人の背後から迫っていたのは、穴全体を覆い尽くしながら迫るマグマのような炎の塊だった。
穴底から迫る恐ろしいほどの熱は、ムザイを背負ったザンダーを追いかけるように全てを飲み込みながらまっすぐ上昇していた。
「とにかく今は逃げましょう。詳しい話はあとでちゃんとしますから!」
背後から迫る炎が巻き上げる上昇気流を利用して、浮き上がるように熱の壁を蹴ったザンダーは、気絶したムザイを肩に担いだまま必死の形相で両足を前後させた。ウチの足手まといをスマンスマンと横並びになったイチルは、ピョンピョンと適当に跳ねながら礼を言った。
「まさかとは思っていたが、これが噂に聞く瓦礫深淵随一の突発性イベント、鬼のメギドファイアってやつか」
「そ、そうです、そのまさかです!」
「あちゃ~。……となると、しばらく下へ行けなくなっちゃうじゃない。いやはや困ったな」
必死なザンダーとは対照的にヘラヘラ頭を掻きながら壁を走るイチルは、ザンダーからムザイを受け取り、今度はそのままザンダーもまとめて肩に担いだ。
「え?! 師匠、ちょっと何するつもりっすか!!?」
「このペースじゃ永遠に並走じゃん。……遅すぎっしょ」
「え?」と呟くザンダーの言葉をきっかけに、イチルが手にしていた右手の魔道具のスイッチを入れた。
突如ギュルギュルと音を鳴らし始めた魔道具は、僅かな遊びの時間の後、急激に唸り始めた。そして耳をつんざく轟音を奏でた直後、今度は全てを置き去りにするほどの速度で四人の身体を上空へと引っ張り上げた。
重力と空気の壁にぶつかり、ザンダーまでもが顔を歪ませる中、ただひとり上機嫌なイチルは、瓦礫深淵の天井に仕掛けておいたレール(※魔道具の糸)に引っ張られるまま、背後に迫った炎を一瞬で突き放した。
「は、速いぃぃいぃぃ!」
「おいおい、案内人たる者、この程度のスピードでビックリしてどうする。もっと日頃から気合いをだな」
「き、気合いでどうこうできるスピードじゃないっすよ、や、やっぱ師匠凄えっすぅ!」
ハハハハと声高に笑うイチルの声だけを残し、四人はおずおずときた道を戻るほかなかった。
一直線に瓦礫深淵の入口付近まで戻った一行は、一旦僕の拠点で計画を練り直しましょうというザンダーに招かれ、隠れ家へと向かった。
中立地点の地下から続く穴の突き当りへと進んだザンダーは、行き止まりの壁に手を付き、指先に魔力を込めた。すると何でもなかった壁が美しい模様を象った扉に変化した。
防魔障壁の張られた厳重な扉を開けると、岩と岩の隙間を利用して作られた小さな部屋が現れた。
「狭いですがどうぞ」とイチルを招き入れたザンダーは、散らかっていた生活感満載の小物を慌てて片しながら、四人分のスペースを確保した。
「狭いですけど楽にしてください。下層部はしばらくは炎が充満していますから、どちらにしてもいけませんので」
背負っていたロディアとムザイをドスンと置いたイチルは、むぅと難しい顔をしたまま、気絶していたムザイの頬を叩いた。すぐに気付き微かに目を開けたムザイは、イチルの顔を見るなり慌てて身体を起こした。
「……?! こ、ここは……?」
「ザンダーの部屋だ。よくわからんが、下層部が炎に飲まれちまったせいでとんぼ返りだ。予定が狂っちまったよ、ったく」
こんなものしかありませんがと、ザンダーが手製の豆水をイチルにだけ差し出すが、イチルは自分で手に入れてきたクク湯があるからと揺らしてみせた。
「だったら私に飲ませてくれ。もう身体が乾いて干からびてしまいそうだ!」
ムザイがザンダーの手元から豆水を奪うように取り上げ、一気に飲み干した。なんでお前が飲むんだよと額に血管を浮き上がらせたザンダーは、執拗に何度もムザイの頬を指先で突付いた。ムザイもムザイで、それぐらい別にいいだろと食って掛かった。
「そんなことより、だ。一体アレはなんだ。俺が聞いてた話じゃ、鬼のメギドファイアはまだ数年先のはずだろ?」
バチバチといがみ合うムザイを尻でドンと押しのけたザンダーは、ムザイをひと睨みしてから、心底面倒くさそうに眉をひそめて言った。
「予定ではそのはずだったんすけどね。このバカが下層部の薄い地層を削っちゃったせいで」
「さっきもそんなこと言ってたな。たかが地層を削るだけで、あんな馬鹿げた爆発が起こるものなのか?」
難しい顔をしたザンダーは、部屋に落ちていた手製資料の端に、瓦礫深淵の概要図を書き出した。ボトム状に窪んだ下層部の端一部に丸をつけ、そこをつつきながら、ため息交じりに言った。
「瓦礫深淵の下層部って、本来は何もない平和な空間なんですけど、数年に一度、穴底に溜まった引火性の魔力が爆発を起こしてダンジョンの約70パーセントほどを焼くんです。世間ではコイツのことを『鬼のメギドファイア』とか、『全焼却の炎』とか呼んでるんすけど、ここ数年で根本的な原因がわかりはじめてまして」
「そりゃ凄い。ちなみに原因て?」
「瓦礫深淵の下層部に、一つ大きめの横穴がありましてね。実はその横穴から、可燃性の薄い魔力が常時捻出されてるみたいなんですよ。本来なら気にもとめないほど薄いものなんですが、そいつが何年にも渡って穴底に溜まり続けると、ある一定の濃度を超えたところで小さな火種をきっかけに大爆発を起こすんです」
「随分と気の長い話だな。で、今回の炎も?」
「まだ魔力が溜まりきってたわけではないんですけど、今回狙っていたモンスターが、ちょうど魔力溜まりの近くにいまして……。横穴の入口も近いし、絶対にそっちへ行くなと言っておいたのに、このバカが穴に近づくわ、魔法を乱発するわで」
「結果、自ら魔力に引火させて大爆発を引き起こした上、気絶してひっくり返ったと」
「そのとおりでございます……。私がついていながら面目ないです……」
ムザイの頭をむんずと掴み、ザンダーとムザイが頭を下げた。別に私は悪くないと手を振り払ったムザイは、不機嫌そうにその時の様子を話した。
「今回の討伐対象であるスカイボルケーノドラゴンが休んでいるのを発見したんだ。私もほとんど魔力を使い切っていたから、時間をかけて弱点を探りながら、確実に一撃で倒すつもりで力を溜めていたんだ。しかし――」
「ちょうど攻撃しようとしたところで、タイミング悪くボルケーノの奴が目を覚ましましてね。このバカの攻撃が急所を外したせいで、ボルケーノは逆上して暴れだす始末ですよ。このバカはこのバカで、弱い癖にもう一発当たれば倒せるとかなんとか言っちゃってさ、さらにデカい魔法を撃った挙げ句、外して壁をドーンですよ」
ムザイの台詞を奪って口出ししたザンダーがベーと舌を出した。再び取っ組み合いを始めた二人を強引に引き剥がし、イチルはもうわかったからやめろと呆れながら言った。
「もう少しでボルケーノを倒せたんだ。あと一撃当てられれば!」
「だからそんなに簡単じゃないって言ったろ! 寝込みを一発で決められなかったら、ムザイの集中力じゃ無理なんだって!」
両方の頭をゴツンと小突いたイチルは、どうせそんなことだろうと指を立て、連れてきたもう一人を一瞥し天を仰いだ。
そこでようやく脱力し横たわるロディアの存在に気付いたザンダーとムザイは、石膏にまみれて死んだように動かない女に顔を引きつらせながら、「うわぁ」と声を合わせて叫んだ。
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