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何事もなく朝食を食べ終えて、食器を洗って、一息ついて。
それから私は、予定通り周囲のダンジョンを潰しに向かった。
今日はこの前みたいに、楽しくなって時間の感覚を吹き飛ばしてしまわないように、家を出る前に新しい端末でアラームをぽちぽち設定しておく。
夕方前と、夕飯少し前と、最悪の保険で夜の二十時。三段構えだ。
(これで帰り忘れたら、さすがに弁解の余地ない……)
そんなことを考えながら、私の立っている位置から一番近いゲートへと足を向けていく。
潰し始めて――三つ目、十個目、五十個目と数を重ね。
八十二個目のダンジョンに足を踏み入れた、その瞬間だった。
視界がゲート特有の揺らぎから切り替わるのとほぼ同時に、
ヒュッ、と空気を切り裂く鋭い音が耳を打つ。
(矢――)
考えるより先に体が動いていた。
手に持った剣で刃を横から差し込む。
カン、と乾いた音。
飛んできた矢は、私の頭に届く前にあっけなく真っ二つにされ、そのまま床に転がった。
矢の飛んできた方向へ、視線だけを向ける。
「……ダークエルフか」
そこには、こちらをじっと窺うように立ち並ぶ一団がいた。
特徴的な尖った耳、浅黒い肌、しなやかそうな肢体。
森の中でも夜の闇に紛れそうな、濃い色合いの革鎧とマント。
(懐かしいな……)
思わず、昔の記憶が引きずり出される。
カレンと最初に出会った時も、似たような光景を見た。あの時も、彼女の後ろにいたのはダークエルフたちだった。
ダークエルフの分類はモンスターだ。
同じ耳を持つエルフは、モンスターではなく亜人として分類されていた。
回帰前――まだ「人類」が余裕をギリギリで保っていた頃。
ゲート内にいる、話が通じる人型の生物は総称して「亜人」として整理されていた。
逆に、言葉が通じない、あるいは通じたとしても価値観が遥かに隔たっているものは「モンスター」。
両者の違いは、結局のところ「会話が成立するかどうか」だ。
カレンの話では、本来のエルフは森と清浄を好み、瘴気に長時間晒されると、その魂ごと汚染され、やがてダークエルフへと堕ちるのだという。
魔界には瘴気が当たり前のように存在していて、魔族はそれに対する耐性を先天的に持っている。
けれど、エルフはそうではない。だからこそ「清浄」にこだわるのだとカレンは笑っていた。
稀に、そんなダークエルフの群れの中にも、高い知性を持つ個体が生まれる。
そういう個体は「指揮個体」として群れを統率し、魔物の軍勢を組織だった戦力へと変える。
(……で、今回は居るみたいだね)
前方の影の密度と、矢の飛び方、射線の整理のされ方で察しはついていた。
基本的に、モンスターは強者に靡く。
力の差を見せつけて、服従させてしまえば「戦力」として使えることもある……らしいが、
元々が排他的なエルフだったせいか、素直に人間に従ってくれる例はほとんど無い。
エルフ、もしくは同じダークエルフが相手でないと、言葉どころか命令も聞きやしない。
カレンがダークエルフたちを従えていたのは、彼女の中に「高位エルフであるハイエルフの血」が流れていたからだ。
(しかし……動かないなぁ)
こちらが剣を抜いて構えたまま、しばらく距離を保って対峙する。
だが、矢の一斉射も、突撃もない。ただ、互いに相手を値踏みするように睨み合うだけ。
(待ち伏せ前提で戦うつもり……ってわけね)
突っ込んでいっても、今の私なら普通に勝てる自信はある。
けれど、戦術を駆使してくるタイプは単純に「面倒臭い」。
小さく舌打ちして、一歩、また一歩と歩みを進める。
緊張と殺気に満ちた空気の中、前方の集団から一人だけがふらりと前に出てきた。
(指揮個体、かな)
周囲の視線の集まり方からして、間違いないだろう。
1対1を尊ぶのか、自分の実力に絶対の自信があるのか。
どちらにせよ――。
(思ってたより、ちょっとは楽しませてくれそう)
自然と口角が上がる。
前からやってくるダークエルフは、こちらとは対照的に、わずかに肩を強張らせているように見えた。
遠目に見ていた時はぼんやりとしていたが、近づくにつれ、その肌の色が「浅黒い」というより、
焦げ茶に近い、砂を焼き締めたような色合いなのに気づく。
(……突然変異、か? 瘴気の質が違うとか?)
お互いが、自身の間合いに入ったところで、ぴたりと足を止めた。
私は剣を構え、重心を前へ――踏み出そうとした、その瞬間。
「おおおお、お待ちください!!!!」
耳をつんざくような声が、正面から飛んできた。
「……驚いた。ダークエルフは話が通じないと思ってたんだけど……」
条件反射で構えを崩しかけた手を、そのまま静止する。
目の前の“ダークエルフ”は、両手を高く挙げて、こちらに向かって必死な顔でまくしたててきた。
「あなた様から、高貴な方の匂いがします!! 身近にハイエルフ様の血筋の方がいらっしゃいませんか!?」
言葉ははっきりしていて、発音も流暢だ。
少なくとも、知性のないモンスターが発するうなり声ではない。
間違いなく、こちら側の言語体系を理解している「亜人」の声だった。
ハイエルフ――カレンのことだろうか。
心のどこかで「油断させるための作戦かもしれない」とブレーキを踏みながらも、完全に構えは解かない。
私が眉根を寄せていると、目の前の“ダークエルフ”が続けた。
「あと、私たちはダークエルフと間違われがちですが、デザートエルフと呼ばれる種族です……」
「デザートエルフ……?」
耳慣れない単語に、思わず復唱してしまう。
聞いたことのない名前だ。
エルフの中でも、森の上層に住むハイエルフだの、樹海に溶け込むレンジャー系だのはカレンから散々聞かされたが、「デザート」は初耳だ。
頭の中の辞書を引っ掻き回していると、デザートエルフを名乗る亜人が、慌てて説明を付け足してきた。
「森ではなく砂漠地帯に住むエルフです。南部の砂漠から、ハイエルフ様が女王をしているザレンツァに庇護を求め、向かう途中に……アラミスリドの魔族に襲撃され、気がついたらこんな場所に居たのです」
「……情報量が多くてよく分かってないんだけど、その肌色は――」
「日焼けです」
即答。
私たちの間に、気まずい沈黙が落ちた。
(あ、日焼け……そう言われると、確かに「毒々しい黒」じゃなくて「焼けた茶色」なんだよね……)
言われてみれば、なるほど感がすごい。
危うく、その「見た目」だけで斬ってしまうところだった。
今後は、ダンジョンで人型と遭遇したら、少しくらい会話を試みてからでも遅くないかもしれない。
「ちょっと待っててね」
ひとまず剣を下ろし、踵を返す。
このダンジョンは、外とのゲートが常に開きっぱなしの「持続型」らしく、入口はまだそこに揺らめいていた。
そこをくぐって、一度外に出る。
そのまま全力疾走で家まで戻り、リビングを覗き込むと――
ソファの上で寝転びながら、干し肉を噛みしめているカレンの姿があった。
「ん、あーちゃん、何事?」
口の端に干し肉の繊維を付けたまま、片目だけこちらに向けてくる。
「ゲート入ったら日焼けしたエルフが居たんだ。ハイエルフを探してるって言ってたから大人しく着いてきて」
「ん。了解」
干し肉をもぐもぐと飲み込み、カレンはあっさりと返事をした。
そのまま私は、カレンの腰のあたりをひょいっと抱え上げる。
「ん、姫抱っこ」
「運搬が早いからね」
ずるずる歩かせるよりは、抱えて走った方が早い。
若干楽しそうにしているカレンを抱えたまま、再びゲートへと駆け出した。
ダンジョン内へ戻ると、さっきのデザートエルフたちが輪になって何やら話し合っているところだった。
こちらに気づいた瞬間――。
「お初にお目にかかります!!!」
一斉に、全員が地面に額が埋まる勢いで土下座した。
砂埃がふわっと舞い上がる。
視界の端で、カレンの尖った耳がぴくりと揺れた。
「ん、楽にして」
抱えていたカレンをそっと地面に下ろして、一歩引く。
デザートエルフたちは、おずおずと顔を上げ、恐る恐るカレンを見上げ――
次の瞬間、その瞳に「救いを見た者」の光を宿した。
カレンは、いつもの調子で、淡々と、けれどどこか嬉しそうに彼らの話を聞き始める。
私はと言えば、その様子を少し離れた場所から眺めながら、心の中でだけ小さく息を吐いた。
(さて……このダンジョン、どういう扱いにしようかな)
ダンジョンのゲートを閉じる前に、少しだけやることが増えた気がする。
――一体どうなることやら。