テラーノベル
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─────キーンコーンカーンコーン…
やっと一限目終了の鐘が鳴った。
はやく藍子ちゃんのところに行かなきゃ。
彼女は今朝待ち合わせ場所に来なかった。いつもの約束の時間を過ぎて心配を募らせていた頃、一言「ごめん。遅刻する」とだけメッセージが来た。そこからの返信は未読のままで────昨日の二人きりのデートの後も何故か連絡が返ってこなかったが────何かあったのかと不安を覚えながら一限目を迎えた。
すると、暫くして教室後方のドアがガラガラと開く音と共に、血の気の失せた顔をした藍子が入ってきたのだ。彼女は何かとても思い詰めたような表情をしていた。私は離れた席の彼女の元へ今すぐ駆け付けたい気持ちを堪え、机に向かったのだった。
チャイムが鳴り終わるのを待たず、私は腰を浮かせた。しかし、折悪しくもそこで視界を遮った人物がいた。
「おはよぉ。雪さん」
新妻庵。
馴れ馴れしく私の机の上に腕を組み、顎を乗せ、上目遣いに挨拶をするこの男。どこか仄暗い目と高い鼻、薄い唇をした狐の様な顔立ち。
入学当初からずっと私に熱い視線を寄越し続けているクラスメイトだ。
それだけなら、まあよくある事。どうせコイツも私の事が好きなんだろう。ただ、庵の視線は何故か今までとは違う、異様に気味が悪くて…私はこの男が苦手だった。
「…庵くん。おはよう」
話しかけられた手前無下にする訳にもいかず、逸る気持ちを抑えて私は笑顔を貼り付けた。
「どうしたの?」
「あのさ、聞いてほしい話あって、俺昨日啓示聴いてたらね────」
これから長ったらしい自分語りをしますよ、とでも言う様な出出しに脱力感を覚える。どこか芝居がかった抑揚と間延びした口調が何時になく鼻につく。
「へえ、そうなんだ」
どうでもいいクラスメイトの話など聞いていないが、私は笑顔で相槌を打ってやる。
焦燥感が募っていく。休み時間は限られているのに。体調の悪そうな藍子ちゃんをはやく保健室に連れて行ってやりたいのに。
だって、彼女には、私しか居ないから。
「あとね、昨日来てた信者が過去イチ乱暴で────」
椅子から立ったままの足が無意識に揺れる。机の前 でしゃがんで上機嫌に話し続ける庵を一瞥し、後方の席の藍子をちらりと垣間見た。彼女は机に伏し、荒く肩で息をしていた。かなり辛そうだ。
ああもう、こんな所で油を売っている場合じゃ無い。庵に断って保健室へ行こう────そう決意し、ごめんね、を吐き出す為に唇を開いたその刹那。
「そんなにあの人が気になる?」
すり。
突然、机の下に伸びた庵の手が私の脹脛を撫ぜた。
「…っ」
瞬間、ぞわりと全身が総毛立つ。
思わず私は大きく後退った。膝裏に打つかった椅子が手荒を咎める様にガタリと音を立てる。
庵は平然と、まるで構って貰えずに拗ねる子供のような表情で唇を尖らせていたが、私が困惑の中絶句しているとやがて思い至ったようにパッと口角を上げた。
「そっか。あの人なんか知らないけど体調悪いんでしょ?雪さんもそれを心配してるんだ。なら俺が保健室連れてっといてあげる。
だから、雪さんは気にしないでここで休んでて。」
一方的にそう捲し立てると庵はさっさと藍子の元へと歩いて行き、彼女の肩を支えながら教室を出て行った。
予ての予想を裏切る成り行きに私はただ呆然と立ち尽くした。
…藍子を庵に任せてよかったのだろうか。
さっき触れられた脹脛がじわりと熱を持ったような錯覚を覚える。
私の第六感は「あいつは普通の人間ではない」と囁いている気がしたが、その嫌な予感に耳を傾けるにはもう遅かった。
庵は藍子をベッドに座らせ、ガラガラと保健室の引き戸を閉めた。
室内は無人。養護教諭は不在のようだ。
「に、新妻くん。
あの、わざわざありがとう… 」
藍子にしてみれば、話したこともないこのクラスメイトが何故自分を連れて来てくれたのか不思議だった。が、親切をしてくれたことには違いないので、素直に感謝を伝える。
実際、昨日の嘔吐の所為かどうやら高熱が出ている様だ。体調はかなり限界に近く、最早瑣末な事も気にして居られなかった。
「…」
庵からは返事が無かった。
扉の前に立ったきり、言葉を発さない。
───どうしたのだろう。もしかすると、庵も体調が優れないのだろうか?
藍子がそう案じた矢先、二限目開始を知らせる鐘が静かな室内に鳴り響いた。
その音を合図にしたかの様に、庵は突如振り返った。そして真直ぐに藍子の方へと歩き出すと、目前で立ち止まる。
見上げた庵の顔は青白く、陰に沈んでいる。
やっぱり体調が悪いのかも。
───新妻くん、大丈夫?
そう喉を出かけた言葉は、上履の靴底に思い切り押し潰され、音になることは無かった。
「…っ!」
庵は座っていた藍子の喉元を唐突に蹴り飛ばした。
「ごっ、げほっ…」
なに、なんで。喉が引き攣れたように声が出ない。生理的に込み上げる涙で視界がぼやけていく。
シーツの上に倒れ込み嘔吐く藍子の脇にダンと片脚を乗り上げ、庵は居丈高に言い放った。
「あのさあ。雪さんにベタベタ引っ付くの、辞めてくれないかなあ。」
藍子は耳鳴りの遠くで聞こえたその言葉の意味が分からず、ただ視界に揺れる庵の姿を見返した。
ひゅうひゅうと浅く呼吸する藍子にすっと顔を近付け、庵はやけにねっとりとして芝居がかった声色で続ける。
「俺さ、ずっと神様の啓示聴いてるから知ってんだよねえ。雪さんが毎日お前のこと気にして悩んでるの。
鬱陶しいだろうなあ。あぁ早く俺が救ってあげないとなあ。」
神、啓示。庵の不可解な主張に混乱が深まる。
庵は眼下で震える藍子を無感情に見下ろし、吐き捨てた。
「考えてもみれば?
きっと神様もお前みたいな凡人、まったく場違いだって思ってるよ。」
散々毒突いた後、庵はそれまでが嘘のようにふっと表情を緩めた。
そしてやけに愛想良く「加藤さんだっけ?よろしくねえ」なんて言いながら、保健室を出て行った。
───何だったんだ。神様だとか。
藍子の脳内は突然の暴力に対する怒りよりも、庵の訳の分からない主張に対する混乱が占めていた。纏まらない思考の中、 つまり庵は雪のことが好きで自分を邪魔だと言っている、ということだと曲がりなりにも藍子は理解した。
そして同時に恐ろしく思う。
庵は何をも抛つほど、限り無く雪に心酔しているらしい、と察して。
「…」
藍子は簡易ベッドに横たわったまま、庵がシーツに付けた汚れを払った。指先に感覚がない。さっきの数刻でまるで全く違う世界に放り込まれたかのように、身体と思考が切り離されている。
ずきずきと痛む喉元を撫で摩りながら、しばらく動けなかった。
最近、藍子ちゃんの様子がおかしい。
「藍子ちゃん、一緒に帰ろう」
「…ごめん。この後すぐ用事があって急ぐから…
またね」
何かと都合を付けられ、一緒に登下校しなくなった。
休み時間も、振り返るともう席に居ない。
そして悩み種はもう一つ。
「雪さん!化学室一緒に行こう。」
藍子ちゃんが私を避けるようになると同時に、以前よりも鬱陶しくなった新妻庵。
「ねえねえ、雪さんって普段どんなもの食べてるの?ちゃんと葉酸とかカルシウムとか摂ってる?特に葉酸は母体に一番大事な栄養素だからねえ。」
「別に、普通だよ」
彼女が最近、私以外に接触した人物はごく限られている。大方見当は付く。
「…はあ。」
「ねえ雪さん、今度うち来なよ。
雪さんのこと、須弥子様に紹介しておきたいし」
まるで蝿の様に煩わしい庵を無視し、私は数歩前を歩く一人のクラスメイトの肩を叩いた。
「───林さん」
「えっ、は、はい」
赤い眼鏡を掛けた彼女は、大袈裟に肩を跳ねさせ振り返った。
いつも教室の隅の席でスマホに繋いだイヤホンを耳に差している、まるで自分だけの世界に住んでいるような女。
そういや初めて声を聞いたな、なんて心のどこかで思いながら、私は彼女にさっと耳打ちした。 「放課後、”あの教室”に来て、って藍子ちゃんに伝えてくれない?」と。
「…わ、分かりました」
林は俯いたまま、背を向けて足早に先を行った。
「来てくれてありがとう、藍子ちゃん。
…さ、庵くんに何をされたのか、話してくれる?」
そっと扉の内鍵を閉めながら、私は穏やかに問い掛けた。
その日の放課後、藍子ちゃんは約束通りの場所に来てくれた。”あの教室”────この薄暗い廃教室に。
来てくれて良かった。
放課後が訪れ、やがて時計の長針が一周した頃、漸く彼女は不安気な顔をして現れたのだ。
「っ…」
私の率直な問いに、彼女は見るからに動揺する。
「……新妻くん、って…なんで?
雪、もしかして最近一緒に帰ったり出来なくなったこと、怒ってる?」
「藍子ちゃんには怒ってないよ。
だから、言って。」
「…ごめん。でも、私本当に忙しいだけで…新妻くんは関係無いよ」
必死に言い訳するような彼女の話しぶりに、私は内心憐れみを覚える。そして、
「これはなあに?」
そっと、襟元から覗く痛々しい痣に触れた。
「…っ!
いや、これは…」
私の指摘に、彼女は見るからに狼狽える。それから言葉に詰まったまま暫く逡巡している様だったが、私はそれ以上何も言わずに待った。
────やがて、彼女は告白した。
ぽつりぽつりと語る。
あの日起きたこと。
庵の報復を恐れて、私を避けていたこと。
そして最後に呟いた。
「あんな人が雪と一緒に居てほしくない。けど、また何かされたら、って怖かった。
…ごめんなさい」
私は考えていた。
どうやって不純物を取り除くべきか。
なるべく後は汚したくない。が、さっきからずっと頭の中は冷え切り、胸の奥はやすりを掛けたようにざらついていて、まともな結論を出せそうにない。どんどん頭の中が熱を持ち、どす黒く染まっていく。
藍子ちゃんが傷付けられたのだ。
到底、許せない。
もう二度と、私の宝物に触れられないように────
ピコン。
その時、傍らの携帯電話が短い電子音を立てた。
無意識に目を遣り、私は息を呑んだ。
一件の通知だった。正しく、願ってもない相手からの。
«雪さん!明日の昼休みに屋上来てくれないかな?»
思わず口角が上がる。
どうやら、鴨が葱を背負ってやって来てくれるらしい。
「──♪ ────♪」
鼻歌を歌いながら、足取り軽く踊る様に階段を上る。
ゴミ回収の日がやって来ることを、こんなに嬉しく感じたことは無い。
ガチャ、と屋上へのドアノブを捻ると、眩く清々しい初夏の空気が私を出迎えた。自然一帯までもが私の背中を押してくれるように思える。
光のコントラストに眇めた目を開くと、庵は既に鉄柵の前に佇んでいた。
「ああ、雪さん。よかった、来てくれて嬉しい」
現れた私の顔を見るなり庵は相好を崩す。
その端正でどこか中性的な白い顔面が滅茶苦茶に崩れる様を頭に思い描き、沸き上がる怒りを鎮め、口角を上げる。
「…ごきげんよう。いい天気だね。」
数秒の静寂が過ぎる。
やがて庵は徐にぐい、と私の両手を取ると、彼自身の生温い体温のそれに包み込む。
そして、核心を切り出した。
「雪さん。
────俺の恋人になって。」
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コメント
5件
更新神🙏🤩🤯‼️ 間挟まり男出てきてやばい リアルにいそうな性悪書くの上手すギル😨😨
庵普通にカスでとても消えろ
読んだ読んだ!この第5話、ヤバすぎるわ…!庵、あの飄々とした関西弁で藍子ちゃんに暴力振るうシーン、めっちゃゾッとした。しかも「神の啓示」とか言い出して、宗教?なんなんあいつ…。雪さんの内面もどんどんヤバくなってて、最後の「鴨が葱を背負って来た」で口元が上がるところ、もう引き返せない感じが半端ない。藍子ちゃんを守ろうとする執着が愛なのか依存なのか…次どうなるの?屋上での告白、どう応じるのか気になりすぎる🔥
トド村
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