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そしてついに、世間がバレンタインと騒ぐ時期がやってきた。



『昨日の京都府内の新規陽性者数は1687名で――』



昼のニュース番組では、一向に減る気配のないコロナの新規感染者数が報道されている。


コロナを言い訳にこの旅行中止にできないかなと一瞬思ったが予約してしまったものは仕方が無いので、着替えと歯ブラシセット、ヘアアイロンを鞄に突っ込んでテレビを消した。



京之介くんが外で待っている。


行きに二人で探したチョコレート専門店へ寄って一緒にバレンタインチョコを買おうと言っていたが、私が寝坊したせいでそのような余裕はなくなってしまった。




京都駅から電車に揺られておよそ一時間二十分。


車で送ってもらうという話も出たが、渋滞の状況が酷そうだったことや私の荷物が少ないことから電車になった。


途中からまた寝てしまったが、到着すると京之介くんが起こしてくれた。



「瑚都ちゃん、髪伸びたな」



電車から出た後、京之介くんが大急ぎで巻いた私の髪に触れる。



「今更?」

「なんか電車乗ってる時、瑚都ちゃんが京都来て迎えに行った日のこと思い出した。あの時は短かったなって」



そういえば、あれからもうすぐ一年が経とうとしている。


あの時私の髪はもっと短かったっけ。今は肩より下くらいまで伸びたし、そりゃあの時に比べれば変わっているかもしれない。



「あの時はまさか付き合うとは思てなかったな」

「えっそう?」

「何やその反応。まさか予想してたん?さすがあの爺さんの孫やな」

「いや、そうじゃなくて……私は最初からそういう目で見てたし、京之介くん私のものにならないかなって思ってたよ。彼女から奪えないかなーって」



半分冗談で半分本当だった。



「……怖。いつからそんな子になったん、瑚都ちゃん」

「京之介くんと会ってない期間何年あると思ってるの。私だってそれなりに嫌な女になりましたよ」



少なくとも、幼い頃の純粋で素直で鈍臭い“瑚都ちゃん”ではもうないはずだ。


京之介くんがククッと愉しげに笑った。




第一ターミナルから第二ターミナルへ無料の連絡バスで移動し、自動チェックイン機が並ぶ場所まで歩いていく。


鞍馬には早めに行って先に搭乗口に向かってくれとお願いしているので、姿は見えない。



チェックインは三十分前までで、出発予定時刻は十五時三十五分。


今は十四時五十五分で、チェックインするのにあと十分ほど余裕がある。



「京之介くん、わざわざ付いてきてくれてありがとうね」



並ぶ前に振り返ってお礼を伝え、別れる。



その時、京之介くんの後ろに、妹の手を引く兄らしき子供が歩いていくのが見えた。


妹の方はぐすっぐすっと泣いている。どちらもまだ十歳にも満たないような子供だった。



――――刹那、遠い過去の記憶が蘇ってきた。



六歳の夏が終わる頃。



関西空港で私たち家族を送り出す中に、おじいちゃんやおばあちゃんだけでなく、京之介くんの家族も居た。


私はお母さんたちが喋っている間にトイレへ行きたくなって、でも話し込んでいるみんなの邪魔をしたくなくてこっそりトイレへ向かった。


トイレの場所は分からなかったけれど、大人のお姉さんに場所を聞いて辿り着くことができた。


何だ、私だってできるじゃんと自信を持ったのを覚えている。


飛行機の出発時刻までかなり時間があることは分かっているので、案内図に書かれている色んなご飯屋さんを見たくなって沢山寄り道した。



その後何度もエスカレーターを登ったり降りたりして、お母さんたちの居る場所に戻ろうとした。


その場所には何とか戻れたのに、お母さんたちはもう居なくなっていた。


どこを探しても誰もおらず、みんな私を置いていってしまったんだと思った。



充電器を取り囲むようにして設置された椅子の一角に靴を脱いで体操座りした私は、そこでずっと静かに泣いていた。


時間にして数十分ほどだっただろうが、私にとっては何時間も経ったように思えた頃、




私の元に男の子がやってきた。



「何してん」



涙でぼやけた視界の中、それが誰だか理解するのに数秒かかった。


その夏何度も私をいじめた京之介くんだった。



京之介くんを見た瞬間酷く安心して、わっと更に泣き出した私。


京之介くんはびっくりしたような顔をして、戸惑うように周りを見回した後、慣れない手付きで私の頭を撫でた。



「靴履きや」



バラバラになった私の靴を私の下に並べた京之介くん。


鼻水を啜りながら靴を履き、京之介くんに手を引かれて歩き始める。



「鈍臭いな。勝手にどっか行って迷子になってみんなに迷惑かけるて、何考えてんの?」



京之介くんの言葉のきつさに、思わず聞いた。



「京之介くん、私のこと嫌い?」

「はあ?嫌いとか誰も言うてへんやろ」



私を見てたらイライラするって言ったくせに。


前日に京之介くんに言われた言葉を思い出して、泣き止むことができなかった。



「みんなどこ行ったの?」

「第二ターミナル。瑚都ちゃん探しに。先行ったんちゃうかて。俺は瑚都ちゃんにそんな能ないと思って残ったけど」

「……何でいっつもそんな酷いこと言うの」

「ほんまのことやもん。この方向音痴」

「方向音痴じゃない!戻れたもん。みんなが居なくなっちゃっただけで」

「瑚都ちゃんが勝手にふらふらしはるからやろ。退屈でどっか行きたなったんやったら俺でも凪津でも呼んだらええのに」

「話しかけたらどうせ酷いこと言うくせに」



私の恨み言に、ピタリと歩を止めた京之介くんが振り返る。



「なんそれ。俺のせいにするん?」



その低い声に怯えてしまい、ビクッと体が揺れた。



しかし気を取り直して負けじと睨み、



「京之介くんが私のこと嫌いなら、私も京之介くんのこと嫌いだもん」



と言い返した。



ハァ、と京之介くんが溜め息を吐く。




そして私の前髪を手で上げて、ゆっくりと私の額にキスをした。




「俺も凪津も瑚都ちゃんのこと、お姫様みたいに大事やで」




そんな言葉と共に離れていく京之介くんにびっくりして涙が引っ込んだ私。



「……な、なにそれ」

「凪津が言うとった。瑚都ちゃんはお姫様なんやって」

「京之介くんもそう思ってるの」

「やから迎えに来たんやん。随分鈍臭い姫さんもいたもんやなぁって思っとるよ」



バカにしてるでしょと思ったが、満更でもなかった。



「あ、泣きやみはった」

「……」

「もう泣かん?」

「……うん」

「えらいな」



京之介くんが初めて私を褒めた。



「俺は瑚都ちゃんのこと嫌いやないよ。でもみんな心配させてるんは事実やから、みんなのとこ行ったらちゃんとごめんなさいするんやで」



柔らかい口調の優しい関西弁が妙に耳に残る。



「……うん。京之介くんにも迷惑かけちゃって、ごめんなさい」



私も、そこで初めて謝ったのだった。




京之介くんに連れられて第二ターミナルまで着くと、みんなが待っていた。


お母さんやお姉ちゃんの顔を見て安心した私は、気が緩んでまた泣き出してしまった。



「もう……心配かけて。そろそろ行かないと間に合わないでしょ。ごめんね、京之介」



お母さんが泣きじゃくる私の腕を引っ張って京之介くんから引き離した。




「もう、迷子になったらあかんで」




手が離れる間際、京之介くんが最後に私にそう言ったのを覚えている。



私はその後も自動チェックイン機の前でお母さんと手を繋いで、去っていく京之介くんの後ろ姿を眺めていたのだ。





年に数度しか会えない遠くに住む親戚のお兄ちゃん。意地悪なお兄ちゃん。



関東に戻ってからもしばらく京之介くんのことが忘れられなくて、無性に切なくなったのは、あれが私の初恋だったからだろう。







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