先生に会いに行く前に、まずはクレハに確認を取らないとな。蝶を飛ばしていたのがクレハなら調べる必要は無くなり、それで終わりだ。そして、それとは別に忘れてはいけない大切な事……彼女の姉についてはなしておかなくてはならない。
正直こちらは気が重い。でもクレハが家に帰るのが決まった以上、避けては通れない。しかし、フィオナ嬢のことは俺も又聞きでしかないから、どこまでを事実として扱って良いのか思いあぐねるところだ。
最初に父上から聞かされた、癇癪を起こして暴れているという話……それだけでもあのフィオナ嬢からは想像もできない異常事態ではあるが……。リズはそれを、俺とクレハの婚約が原因としている。ジェムラート夫妻も認識の相違はあるが、そこは同じだ。
「はぁ……」
俺はただ好きな子とずっと一緒にいたいだけなのに。クレハが婚約を拒否していないなら何も問題無いじゃないか、邪魔をしてくれるなと声高に主張したくて堪らなかった。
自分の立場は分かっている。俺との結婚で多くの利権が得られることだって理解しているのだ。望む相手を伴侶にするのがいかに難しいことか……その点で言えば、煩わしいこともあるとはいえ、俺は本当に運が良かったといえる。一瞬で心を奪われた相手が、自分の手の届く場所にいたのだからな。たらればになるけれど、もしクレハが貴族でもなく、それこそ身の上も知れないような女の子だったなら……さすがの父上も婚約に反対していただろう。
あの時、店でクレハに出会えた事が、俺のこれからの人生を変える転機だったのだと思う。エリスが俺達を引き合わせてくれたなんて……怪我をした彼に申し訳ないことまで考えてしまう始末だった。
そう……あの子は俺の運命。俺のものだ。もし、それを奪おうとする人間がいるのなら――――
「殿下……蝶の事は気にかかりますが、まだ悪いものと決まったわけではありません。どうか、あまり思い詰めないように」
「……ああ。分かっているよ、レナード」
主に蝶よりもクレハの事を考えていたのだけどな……
俺はクラヴェル兄弟を引き連れ、クレハの部屋に向かっている途中だった。件の蝶に関しては、今のところ何も被害は出ていない。王宮内を飛び回っている蝶はもういないはずだ。あくまで気配を感じないというだけだが。
「でかい溜め息ついてさ。ボスの悪い癖出てるんじゃない? 1人であれこれ考え過ぎてぐちゃぐちゃになってるの」
「殿下が優秀であられるのは重々承知の上ですが、我々もお側にいることを、お心に留めて頂ければと思います」
「そうそう、俺達はボスの味方。もっと頼ってくれると嬉しいんだけどな」
変に気を使わせてしまった。大丈夫、俺は冷静だよ。少なくとも、父上が危惧しているであろう暴走めいた事はしない。しないけれど……腹の内に燻る物騒な感情を自覚していないわけではない。
「……俺はクレハが好きだよ」
「うん、見りゃ分かるね。しかし唐突だな……」
「可愛くて良い子ですねぇ、クレハ様」
「あっ、そうだ。このハゲさ、調子こいて姫さんに抱きついてたぜ。可愛いー可愛いーって言いながら」
「ちょっ……! 何で今それバラすの!!?」
「レナード……お前」
俺は彼に向かって右手をかざす。瑠璃色に輝くそれを見たレナードは、瞳を大きく見開いた。あたふたと大袈裟な身振り手振りを繰り返す。分かりやすい動揺っぷりだ。ホントに抱きついたんだな。
「ごっ、ごめんなさいっ!! 殿下、どうか電撃だけはやめっ……」
バシャッ!!
「うわっ!? つ、冷たっ!!」
「電撃は嫌なんだろ」
「だからって、水ぶっかけなくてもいいじゃないですかぁ……」
実は水を操る魔法の方が俺は得意だったりする。雷撃の方が、見た目の派手さと音で威嚇になるので多用しているだけで。
「あはははっ、今日は暑いから丁度良かったじゃん……ってバカ!! ハゲ、ここで脱ぐな!」
「だって……びしょびしょで気持ち悪いんだよ」
レナードはその場で濡れた隊服の上衣と、更に下に着ていたシャツまで脱ぎだした。ぽたぽたと水が滴る前髪を、両手で勢いよく後ろへかき上げる。普段はすかした……いや、お行儀の良いレナードだけど、時折こういう豪快な一面を見せてくれる。
しかし、この半裸男をこのまま連れ歩くのはマズい。俺が水かけたせいだけど。さっきすれ違った侍女が顔を真っ赤にしながら走り去ってしまったからね……
「正体が分かるまで、蝶のことはあまり言いふらすなよ。とりあえずミシェルにだけは、念の為伝えておいてくれ」
「ボスの言ってたその先生って、ボスがスカウトした魔法にめっちゃ詳しい人なんでしょ?」
「ああ、その分野の知識は俺なんか足元にも及ばないぞ。あの蝶が何なのか……もしくはそれを解明できる助言はして頂けると確信している」
「凄い人なんだな。ねぇ、俺たちもついて行ったら駄目? 先生に会ってみたい」
「だーめ。お前らはクレハに付いてろ。俺が王宮を離れるのだから尚更だ」
「分かってるよ、言ってみただけ。その先生、しばらく店にいるそうだし、会う機会はいくらでもあるしね」
「殿下もおひとりで大丈夫なんですか? どうせ護衛なんて付けないんでしょう」
素肌に隊服を羽織ったレナードが会話に入ってくる。ルイスが見かねて自身の上衣を着せたのだが、体格差のせいで肩周りが窮屈そうだった。こいつデカいからなぁ……。何も着ないよりはマシだけど。
「レナードよぉ……ボスにへたに護衛なんて付けても、そいつらが足手まといになるだけだぜ。最悪、護衛の方が守られちゃうよ」
「例えそうでもね、王太子殿下を単身でうろうろさせるのもどうかと思うなぁ」
「うろうろって……店にはセドリックもいるから平気だよ」
コイツらのお陰で良い意味で力が抜けた。これからクレハに大切な話をするというのに、さっきまでの鬱々とした状態でいたら、彼女にまで不安や苛立ちをぶつけてしまっていたかもしれない。しっかりしないと……
「レナード、ルイス……ありがとう。気が楽になったよ。お言葉に甘えて、これからも存分に頼らせて貰う。目一杯こき使うからよろしく」
「えっ?」
ふたりの声が綺麗に重なって、つい笑みが溢れた。流石兄弟。勿論そういう意味で言われた言葉でなかったのは分かっているけど、あえて気づかない振りをする。しばし放心するふたりを放置して、俺はクレハの部屋に向かって歩きだした。