クレハ様はあっという間に眠ってしまった。精神的にも肉体的にも相当負担がかかっていたのだろう。起こさないように注意しながら部屋を後にし、私はルイスさんが待機している控えの間へと移動した。
予想していたことではあった。フィオナ様がクレハ様に対して与える影響は大きい。あの方は本当に姉君を尊敬し、慕っているのだから……
フィオナ様に否定されたこともショックだろうが、一連の騒動が起きた原因を自分のせいだと捉え、責任を感じてしまうのではないか……私はそれが最も心配だった。
私と話をして気持ちが楽になったとは言われたけど油断は禁物だ。睡眠を取ることができる程度には落ち着いているので良かったが、当分の間はクレハ様の動向に注意を払っていかなくてはならない。
「リズ、姫さんの様子はどうだった!?」
控えの間に入って早々、ルイスさんに詰め寄られた。クレハ様が心配で堪らなかったのだろう。彼の勢いに圧倒され、私はその場から数歩後ずさってしまう。
「……疲れて眠っておられます。でも、私とちゃんとお話をして下さいましたよ」
状態も落ちついていると伝えると、ルイスさんは大きく息を吐き出して床に膝を付いた。安心して一気に力が抜けてしまったみたい。
「そうか……良かった。姫さんのあんな顔……できればもう二度と見たくないわ」
「……私も同感です」
ルイスさんにクレハ様の身に何が起きたのかを説明した。クレハ様がフィオナ様の事について知ってしまった……私たちの想像が当たっていたのだ。
「やっぱりか。いずれは誰かが教えてやらなきゃいけないことだったから覚悟はしていたよ。でも、いざその時になると、どうしたらいいか分かんなかった。キレることしか出来なかった俺は役立たずだったね」
『リズがいてくれて良かった』と、ルイスさんは私の頭を撫でた。偉そうに任せてくださいなんて言ったけど、余裕なんて全く無かったし、私ができた事なんて微々たるものだった。傷つきながらも乗り越えようとクレハ様自身が頑張ったのだ。
レオン殿下の婚約者としての自覚をしっかりと持っており、立派に成長して反対意見をねじ伏せてみせるとまで宣言されたことには驚いた。
私を安心させるために大仰に言ったのかもしれない。それでも、クレハ様の口からこんなにも頼もしい言葉が出てくるなんてと、場違いを承知で高揚した。
「私だって偉そうに言った割には大したことは出来なかったんです。クレハ様は最初こそ混乱しておられましたけど、私と会話をしながら状況を整理して、徐々に落ち着きを取り戻されたのです。しばらくは注意して見守る必要はありますが、最悪の状況は脱したと思います」
あの感じなら殿下とお話をしても問題ないだろう。おふたりの関係が危うくなるという心配はもうしなくてもよさそう。
「……俺たちはどんな風に姫さんに接したらいい? 変なこと言っちゃったらどうしようってめっちゃ不安」
ルイスさんは食堂から出てきた直後のクレハ様が相当トラウマになっているみたいだ。気持ちは分かるけど、気を使い過ぎるのもよくない。クレハ様が萎縮するだけだ。
「できるだけいつも通りにお願いします。こちらから無理にフィオナ様の話を振る必要はありません。でも、クレハ様の方から聞かれたら答えてあげて下さい」
「分かった……まぁ、俺は姫さんの姉さんについてはあんまり知らないから、聞かれても大したこと言えないんだけどね」
難しい顔をしながら『いつも通り、いつも通り……』と呟いているルイスさんを見て、自然と笑みが溢れた。粗暴なようで実際は気配りができて優しい人なんだよな。
クレハ様が婚約者としての自覚をしっかりと持つようになられたのは、ルイスさんたちが側にいたのもあるだろう。殿下の側近である彼らに認められているので、自信が付いたのかもしれない。自己肯定感が低いクレハ様には良い傾向だ。
「ルイスさん、クレハ様がお休みになっている間に事の次第を殿下に報告したいと思うのですけど……」
「そろそろ姫さんに会いに来てもおかしくない時間帯だからな。地味にボスも暴走しないか不安なんだよ……」
「そうならないためにも、今のクレハ様の状態を正しくお伝えしなければなりませんね」
ルイスさん以外の『とまり木』の方たちは殿下の指揮のもと、本格的に事件の捜査に乗り出している。殿下も忙しい中、合間を縫ってクレハ様の所に顔をだしているのだ。
旦那様が行った事とはいえ、我々の間でも禁句扱いになっていた『フィオナ様の話』を、殿下に一言の相談もなされないままクレハ様に知られてしまった。
こちらも上手く対応しなければ、旦那様のところに殴り込みに行きかねない。ルイスさんの時のように体当たりでそれを制止する展開だけは御免だ。
「大まかな説明は私がしますが、ルイスさんにも同席して頂きたいです。もし万が一、殿下がお怒りになってしまったら、私だけでは対処できないです」
「キレたボスの相手は俺にも荷が重いな……あっ、そうだ。どのみち知らせることになるんだ。セドリックさんとルーイ先生にも一緒に聞いて貰えばいいよ。あのふたりがいたらボスも無茶な行動は起こさないだろ」
ルーイ先生とセドリックさんは、殿下に真正面から意見することができる貴重な方たちだ。特に先生は、私とクレハ様がジェフェリーさんのことで悩んでいた時も、間に入って力を貸して下さったのだ。あのふたりがいてくれたら心強い。
「そうですね。まずは先生とセドリックさんの所に行ってみます。今後のアドバイスも頂けるかもしれまん」
「俺はここで姫さんの警護を続けるから、何かあったら連絡する。引き続きよろしくな、リズ」
「はい!」
先生の怪我の経過も気になっていたので、丁度良かった。お見舞いも一緒にしておこう。
ルイスさんとの会話を終えると、私はすぐさま先生が養生なさっている部屋へと向かったのだった。
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