逃げ続けても追われる。大きなものに。そんな恐怖が刻一刻と背中に迫った来ている。こちらに来ないで、それしか心の奥底でも言えず。苦しげに息を吐き続けながら逃げ惑う。
鬼ごっことは趣味の悪い遊びでこの手首を、この体を捕まえられないように遠く遠くへ行く。だがきっとこれは無謀な行為で鬼は鯱の如く体力を無くさせてから喰うつもりだ。嗚呼、だからどうかこちらに来ないで、誰か助けて。この想いは届かない。なんでこういう時に限って人がいないのだろう。
なんて考えながら走っているうちに行き止まり。袋小路、袋の鼠。どちらも正解、逃げ道なんてない。嗚呼お願い、もし神が本物なら助けて欲しい。
そんな願いも虚しく手首を乱雑に捕まれその痛みに声が漏れる。
「やっと捕まえたんだぞ」
「ひっ」
金髪に青眼、背丈が高くて髪の毛の大きく跳ねたところが愛らしく特徴的。眼鏡もよく似合っている。イケメンさん。そんな圧倒的に自分より遥かに大きいやつに捕らわれれば誰だって怖がるだろう。事実鬼ごっこに負けた菊もそうだった。
礼儀遠慮、恥じらうことが美徳とし生きてきた日本の化身。東洋人らしく背丈も低ければ髪は黒い。異文化に当てられると爆発してしまいそうになる。
手首を掴まれたまま壁へ壁へと向かわせられる。治安の悪そうな路地裏、逃げた結果こんな所でしか身を隠せなかったが追いつかれていたので意味は無い。暗ければどうにかなったかもしれないと言うのに。これでは全く意味が無い。
「菊、俺の話聞いてたかい?」
「いえ、私も歳でして耳が悪く空耳でしか……」
「ならなんで逃げたんだい?」
痛いところを突かれた菊は目を泳がせる。遂には壁にドンッと背中を打ちそれこそ逃げ道がなくなってしまった。
「あ、やだ……来ないで」
青い瞳がこちらを捕らえて離さない。近づいてくるそれに恐れることしか出来なかった。小さな抵抗で相手の胸に手を当て押そうとするもそれさえも無謀な行為であった。
「アルフレッドさん、私達」
「ん? 菊が意見だなんて珍しいね! なんだい?」
「あ、えと、いや……私達お友達でしょう?」
負の感情が巡り始める。友達だと言えばそうだが黒く苦い過去と従わされている現在。そんな状態で愛を語られても、せめてお友達という形でありたいのが菊という人外だった。
「残念だが俺はそれを望んでないんだ、君に決定権がないことは重々承知しているだろう?」
そんな言葉に肩を震わせる菊。金髪の青眼、もといアルフレッドは菊への一方通行な恋を説き続ける。
「やめてください」
着々と顔が近づき覚悟を決める前に口付けを落とされた。菊は胸が一気にざわめき頭には大量の考えが一気にこみ上げ最悪な気分に陥った。不安、焦り、憎悪大雑把に言えば全ての感情が湧き出て混沌を生み出していた。
青ざめた菊を見て愛しそうに笑うアルフレッドはきっと壊れているであろう。菊の全てを奪うであろう男、それがアルフレッド・F・ジョーンズだ。決定権は常に彼にある。菊の大事にしていた全てを破壊する、歪んだ愛情だ。
「最低です」
それでいいと肯定するような微笑みでアルフレッドは菊にまたも口付けを落とす。菊は抵抗も出来ずにされるがままへと流されると舌が入りこんでくる。貪るような口付けに苦しさを覚えるも菊は呼吸も上手くできずだんだんとクラクラしてきた。菊はただ必死にその青く美しい瞳に吸い込まれるように見入り全てを諦めた。
やっとのことで離された唇に対して、菊は開放感を感じ垂れている唾液など気にもせず息を吸った。苦しかった。それしか思えず力も抜け頭が前下りへと力なく俯いている。両手は掴まれた挙句頭上へと固定されて全身の力を抜いてもその腕の位置だけは変わることは無かった。
かと思えば菊は無理矢理顔を上げられまたもや口付けされる。その際に少しづつ働いた頭で菊はアルフレッドの唇を噛んだ。すると唇と腕は解放されそのままふらふらと地面に座り込む。アルフレッドを見上げると唇から出たちを親指で拭っている。菊は変な気分のまま逃げなければという意思にも駆られその場から急いで離れようとするもこれもまたダメだった。
口付けのせいで腰が砕けてしまっていた状態で、そこから上手く立ち上がれたろうか、否菊は上手く逃げられずにまた腕をすくわれた。
「あ、あ」
菊の細い喉からはそんな絹糸のような声しか出ず、アルフレッドの少々怒ったような顔に身体を震わせた。顔を振り抵抗を未だに見せる菊。
「無意味だって、菊」
手首を掴まれたままアルフレッドのもう片方の手で頬に触れられる。正直ゾッとする。震えが止まらなくて呼吸困難に陥りそうだ。
「君、会議の資料まで置いてここまで来たろう? それくらい焦っていたんだね、ほら早く立ってくれよ」
立てと言われるも足が震えている菊にはそれはたいそう難しい話で立とうにも怖さと焦りが混じり合い青ざめた顔でアルフレッドに無理だと言うことしか出来なかった。優しげな口調とは裏腹に過去を思い出させる嫌な裏の顔が見えていた。菊は目線を合わせてくれていたアルフレッドが急に立つのを目で追いかける。すると無理やり手を引かれ無理矢理にでも立たせられる。震える足が小柄な菊を未だに地面に引っ張っているようで倒れ込みそうだったのをアルフレッドが支えた。
「ほら、一旦会議室に戻ろう? 資料はいるだろう?」
「あなたが! あなたが変な気を起こさなければ!!」
「変な気を起こしているのはいつだって君だよ、君は未だに自分の立場が分かっていないんだね」
威嚇する菊を冷たい瞳であしらいながら勝手に手を取りふらつく菊を歩かせる。目的地はおそらく会議室だ。
「貴方のそういう力任せなところが嫌いです」
「君のそういう無駄な抵抗を見せるところが嫌いかな、不思議で仕方ないんだ、まあそれも君らしいところだけど」
「このっ」
文化や性格がまるで違うせいで感性が合わない。こちらの考えをいとも簡単に踏み潰しては菊を苛立たせる。ああそうだこういう奴だった。それで済めばどれだけ楽だったことか。
「菊って色恋沙汰になるとどうしてこうなるんだい?」
「色恋沙汰って貴方ねぇ! そもそも私は男! 貴方も男です! そういう関係に至った訳でもな……」
なんて言うと振り向かれまた口付けを落とされる。その際は触れるだけのものだったようで菊は唇を離された後すぐに口を拭った。
「細かいことはいいんだぞ」
「貴方そういうところ子供ですよね」
「うるさい、またキスするよ」
なんて菊は言われてしまったので黙りこくっていると今度は「そんなに俺とキスするのが嫌かい!?」とツッコまれた。嫌に決まっているだろう。あくまで主従関係、よく言ってもお友達。恋人になんていくら主の命令でもなりたくないものだ。
ふらふらと菊が歩くとそれを支えるように体格差の酷いアルフレッドが隣でゆっくりと歩く。菊の意思はほぼほぼないが諦めて会議室に赴く足にはなった。路地裏の暗さが目を気持ち悪くさせる。年寄りと言うには十分なくらい腰も痛めて、今でこそこんな若い相手に菊は歩くのを手伝わせている。理由はまた年寄りと別だが。見た目は明らかに幼い顔立ちで未だに未成年に見える。
「菊、危ない」
「うわっ」
歩道の方に出たかと思えばふらつきが酷く車道まで行く勢いで菊は倒れそうになった。それをアルフレッドが菊の腰に手を当て引く。いくら口付けをされ慣れていないからと言ってここまで酷いとは、と菊は思うもそれと同時に何か盛られたのではないかと考えをめぐらせる。
あまりに酷い気だるさにやはり盛られたのではないかと推測するも特に意味は無い。走ってきた道に踵を返し歩む。会議室にはあとどれ位で着くだろうかさほど遠くまで来た気はしない。
(最悪ですもうほんとにアルフレッドさんのせいで、なんで私がこんな思い)
なんて頭の中でブツブツと繰り返しているとアルフレッドが話しかけてきた。
「なんです」
「いや、また変なこと考えてるのかなって、君って時々本当に頭がおかしくなるからね」
菊のオタク気質なことを馬鹿にしているようにも聞こえる発言だ。アルフレッドだってオタクな癖して。
「余計です、常日頃頭がおかしい貴方にだけには言われたくありません」
「今日は随分と強気だね? なんでだい? 君にとって俺は重要な存在だろう?」
「……化身としての動きはできますでしょうがお生憎様、政治は私達がしている訳ではありませんので」
そう、そうである。政治はあくまで国の化身たちにおける”上司”がしている。国の化身たちは上司達の言いなりである。だが化身の体等に関わることは国民達に関わることでもあると言えばその通り。アルフレッドに強く出るのは本当は良くないことである。
「……あの時君を傷つけたのは誰だい?」
「そ、れは……アルフレッドさんですね」
手を取られ続けたまま冷たい声でアルフレッドが言うので菊は嫌な記憶を少々掘られ動悸がしつつも返事をした。
「そう、紛れもない俺なんだ、菊、俺は君を、君の国民を傷つけることは俺にもできるさ」
「っ、この……!!!」
そんなアルフレッドの言葉に怒りを抑えきれなかった菊は取られていた手を無理矢理にでも引き剥がしてアルフレッドに平手打ちをした。
アルフレッドはその衝撃に自らの手で頬を触り菊を見つめるとニコリと笑い出した。
「知ってるさ、君が国民っていう名前を出されたら焦ることくらい」
誰だって自分の子は大切だろう?
「うるさい! うるさいです!! 第一そんなの貴方もでしょう!?」
「ああ、そうだよ、ねえ菊そろそろ立場を考えようか」
菊は身体をぶるぶると震わせ、アルフレッドから距離を取ろうとする。恐怖、アルフレッドから逃げなければという使命感に菊の頭は口付けの事だなんて忘れて覚醒した。
アルフレッドに腕を掴まれて終わり。目に見えていた結果だった。骨が軋む感覚に涙がこぼれそうだった。痛みに強かったはずなのに、今では何が嫌かと言えば国民を話に出されたことが菊の胸を抉った。
──────ああ、なんて最低なお人
その言葉に尽きた。
「菊、もう一度言おうか、俺は君が好きだ」
「貴方のそれは支配欲です」
会議室で言われて菊が部屋を飛び出した理由の言葉。二度目のそれははっきりと聞き取れてしまい菊はアルフレッドに思ったことをそのまま返事として返した。
「そうかもね、でも俺はそれでいい、それで君が手に入るならね」
「最悪です」
「なんとでも言ってくれて構わないぞ」
ヒーローとは全くもって嘘だ。虚像そのものなアルフレッドに菊は心底呆れていた。ヒーローはヴィランに勝たなければいけない。だから菊を……した。彼がいくらそんなことを望んだ訳ではなかったとしても菊は大怪我をおった。国の化身でも全治に時間がかかるほどの。ヴィランから見たヒーローもヴィランだ。
「嗚呼、本当に最低」
そんな言葉を発したのを最後に菊はアルフレッドに口付けをされて、今度こそ何かをされた。すぐに記憶が途切れたからだ。
「疲れているみたいだな、今日は俺のところで休むといいんだぞ」
白々しいと頭の奥底で思いつつ、体の全体重をアルフレッドに預けてそのまま何も分からなくなる。アルフレッドは軽い菊を抱いたまま会議室へと向かった後に自分の家に菊を運んだ。
終
コメント
1件
後味カスでごめんなさい〜! 力尽きました。