テラーノベル
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同居が始まってから、二人の時間は、少しずつ、ゆっくりと形を取り戻していった。
朝、同じキッチンでお茶を淹れること。
夜、どちらかが先に帰って、電気のついた部屋に「おかえり」と言えること。
ソファで並んでテレビを眺めながら、何気ない会話を交わすこと。
それだけのことが、ひまなつには奇跡のように思えた。
新しい連絡先を交換したときも、ひまなつはスマホの画面を何度も見返し、登録された「いるま」の名前を指でなぞった。
その事実だけで、表情が自然と緩む。
職場同士も、思った以上に距離が近く、取引や業務のつながりが深いことを知って驚いた。ただ、実際にやり取りをするのは上層部同士だけで、現場レベルで顔を合わせることはなく、二人が仕事中に会うことはなかった。
だからこそ、家で過ごす時間が、より大切になっていく。
けれど、ある時期から、いるまの残業が続くようになった。
帰宅予定の時間を過ぎても、玄関は静かなまま。
リビングの灯りの下、ひまなつは一人でソファに座り、テレビの音だけをぼんやりと聞いていた。
最初は「忙しいんだな」と思える余裕もあった。
けれど、日が重なるにつれて、胸の奥に、じわじわと不安が広がっていく。
――また……黙って、いなくなるんじゃないか。
そんな考えが、ふとした瞬間に頭をよぎる。
時計を見るたび、スマホを見るたび、胸がざわつく。
その不安を誤魔化すように、ひまなつは無意識のうちにメッセージ画面を開いていた。
『まだ仕事?』
『ちゃんとご飯食べてる?』
『無理すんなよ』
送信ボタンを押すたび、「返ってくるかな」「既読つくかな」と、心臓が小さく跳ねる。
――返事が来るか、確かめたいだけなのに。
自分でも、依存みたいだと分かっていながら、やめられなかった。
そんなひまなつの様子を、いるまは画面越しでも察していた。
少し手が空いたタイミングで、スマホを耳に当てる。
「……なつ」
電話口から聞こえる低い声に、ひまなつの胸が一気に緩む。
「……いるま」
「ちゃんといるから。あんま不安になんな」
短いけれど、真っ直ぐな言葉。
「明後日には落ち着く。そしたら、ちゃんと一緒に飯食おう。だから、待ってろ」
その一言で、不安がすっと和らいでいくのが分かった。
「……うん、待つ」
声は少し震えていたけれど、今度は安心の震えだった。
電話を切ったあと、ひまなつはスマホを胸に抱きしめ、静かに息を吐く。
ちゃんと繋がっている。
ちゃんと、戻ってくる。
そう、自分に言い聞かせながら、ひまなつは、玄関の方をもう一度だけ見つめた。
宣言通り、いるまは仕事が落ち着き、毎晩きちんと家に帰ってくるようになった。
玄関の鍵が開く音がして、聞き慣れた足音が廊下を進んでくるだけで、ひまなつの胸はふっと軽くなる。
「……おかえり」
そう声をかけると、自然と表情が緩んでしまうのを、自分でも止められなかった。
「ただいま」
短いやり取りだけなのに、それが当たり前に続くことが、何よりも嬉しかった。
ひまなつの心底ほっとした表情を見て、いるまはくしゃりとその髪を撫でる。
「晩飯、何?」
「クラムチャウダー」
そう答えると、いるまの顔がぱっと明るくなった。
「マジで? すげー嬉しい」
子どもみたいな反応に、ひまなつは思わず小さく笑う。
テーブルに並んだ湯気の立つスープを前に、二人は向かい合って座った。スプーンを口に運ぶたび、あたたかさが身体に染み込んでいく。
「お前、昔から料理うまいよな」
ぽつりと、いるまが言う。
「……まあ、最低限のことはできるけど」
そう返しながらも、ひまなつの胸の奥はじんわりと温かくなった。
ちゃんと覚えていてくれたことが、何より嬉しかった。
食事を終え、食器を片付けて、部屋に静けさが戻る。
少しの沈黙のあと、ひまなつは意を決したように口を開いた。
「……なぁ、いるま」
「ん?」
「……一緒に、風呂入りたい」
空気が、一瞬止まる。
「は……?」
いるまの口から、間の抜けた声がこぼれた。
同棲してから、二人は寄り添いはしても、キス一つしていない。触れたい気持ちは、互いに胸の奥に溜め込んだままだった。
「……もっと、近くにいたいだけ」
ひまなつは視線を落としながら、正直な気持ちを口にする。
「お前、どういう意味で言ってんの。襲われんぞ」
ぶっきらぼうに言われても、ひまなつは逃げなかった。
小さな声で、けれど確かに。
「……襲ってよ」
その一言で、空気が変わる。
いるまの視線が、真っ直ぐにひまなつを捉える。しばらく無言のまま見つめ合い、次の瞬間、互いの距離が一気に縮まった。
言葉はいらなかった。
触れ合う体温、絡む視線、抑えてきた想いが一気に溢れ出す。
互いを確かめ合うように、離れないように、強く、切実に求め合う。
長い空白の時間を埋めるように。
失った分を取り戻すように。
コメント
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続きがないッ……だとッ……?!(翻訳、作者様何でもするので作ってください気になりすぎます)