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更衣室に入ると、本社の女性社員に加え、各店の受付嬢たちもごった返していた。
授業参観日のような、グチャグチャに混ざった女の匂いに、眞美は吐き気を覚えた。
中には総務部の大地(おおち)が待っていて、「あ、栗山さん、来た来た」と笑った。
「中にそれぞれサイズのサンプルがあるから、合わせてみて、決まったら教えてください」
言いながら一覧表を見せてくる。
(げ。こんな感じで同じ紙に書くの?だったらバレるじゃん。他の人にサイズが)
ちらりと先輩の大地を睨む。
確か歳は38歳。
“昔は美人だったろうな”とよく言われている彼女は、肌はくすみ、表情には日々の疲れが浮き出て、手は荒れて、洗いすぎなのか、他の社員と比べて制服まで傷んでいる印象だ。
(もしかして、だから制服も改定したのかな。こっちまで巻き込みやがって)
心の中で舌打ちをする。
溢れかえる女子社員に埋もれながら、経理部の早坂と、今年入社した坂井が出てきた。
「早坂さん、何号ですか?」
「9号にしとこうかな。中にベストとかも着たいし。冬場は腹巻もしたいし」
「……ババアですか?」
いきなり失礼なことを言う新人に驚いて二度見する。しかし早坂は笑って、坂井の艶々の頭をペチンと叩いた。
(へえ。意外に仲いいんだ)
ちょっと前までは表面上だけの付き合いをしているように見えたのに。
女は仲良くなる時はスピードが速い。もちろん、その逆もしかりだから、恐ろしいのだが。
「栗山さんで、ラストでーす」
(げ。斎藤だ。)
中から出てきたその顔を見て、眞美はパッと目を逸らした。
斎藤輝美(さいとうてるみ)。
歳は三つ下の27歳。
ショートカット、黒髪、眼鏡と垢抜けない見た目に反して気が強く、常務だろうが、部長だろうが、時には社長にまで物申す無鉄砲もの。
(この女、嫌いだ)
斎藤がこちらを見上げる。
「今、何号着てますか?それに合わせて持ってくるので」
大地もこちらを見る。
終わったなら早く出ていけばいいのに、早坂と坂井までなぜかこちらを見ている、気がする。
「今は15号ですけど」
消え入りそうな声で言うと、斎藤は「15号」と大きな声で言い直した。
「待っててください。探してきます」
そういうと、また人ごみの中に消えていく。
「15号持ってる方いますか?15号~?」
(———わざと?)
その張り上げた声に怒りが湧いてくる。
15号は大柄なほうだ。しかも、160センチを切る眞美の身長からすれば、相当。
顔を赤らめて下を向いていると、やっと靴を履き終わった経理の二人が出ていった。
少しだけ胸を撫で下ろす。
後は総務の二人と、各店の受付嬢だけだ。別にここで号数がバレたとしても、互いに関心のない間柄なら別に構わない。
と、唐突にドアが開け放たれた。
「遅れましたー」
カーテンをくぐって女性が入ってくる。
そこに立っていたのは、営業の結城麻里子だった。
「あ、麻里子さんも必要なんだっけ?」
総務の大地が彼女の顔を見て笑った。
「そうなんですよ。メーカー研修の時は制服着用なんで」
言いながら少し息を弾ませている麻里子を大地が気遣う。
「大丈夫?すぐ息上がっちゃうよね」
「平気ですよ。日頃の体力の問題です」
言いながら屈託なく笑う。
眞美は少し距離を取った。この女と並ぶことは愚か、制服のサイズを知られ、マウントを取られるなんて、絶対ごめんだ。
人ごみの中から、斎藤が出てきた。
「はい、15号です。着てみてください」
(こいつ………殺したい)
眞美はできる限りの呪いの気持ちを込めて斎藤を睨んだが、斎藤は淡々とスカートのチャックを外して、しゃがみ込む。
「いえ、大丈夫だから。自分で着ます」
それを受け取って、壁際に異動する。
「麻里子さん、今、家にある制服の号数どれくらい?」
後ろから大地の声が響く。
「ええと、7か9なんですけど。あれ。どっちだっけかな」
麻里子が考えている。
「麻里子さんは7、余裕だと思います」
斎藤が答える。
(こいつらにデリカシーって言うもんはないのかな。目の前で15号着てる人間がいるっつうのに)
イラつきながらもスカートを上げる。
サイドにあるチャックを閉める。
閉め――――???
「ーーーあ、もしかして入らないですか?」
後ろから覗き込んだ斎藤が無表情で言う。
「—————」
応えられない。
また、太っている。
もう体重は天井まで上がり切ったと思っていたのに。
「すみませーん、17号お持ちの方―???」
斎藤が大声を上げながら、また受付嬢の中に入っていく。
「17号?」
「見たことないんだけど、そんなの」
若くてきれいな受付嬢たちの笑い声が聞こえてくる。
「17号なんていったらさ」
名前も知らない、一番髪の色が明るく、お洒落な子が言う。
「長方形じゃなくて、正方形じゃね?」
どっと受付嬢たちが笑う。
「誰が履くのそんなの」
ケラケラと笑っている人の一人が振り返る。
そして眞美を見て察したのか、口を“あ”の形にして、周りに指でツンツンする。
顔が。
綺麗で若い女たちの顔が。
眞美を見る。
一つ、二つ、三つ、四つ。
見ないで。
見ないでよ。
眞美は視線を下げた。
その時、
「多分春のメーカー研修の時、お腹大きいので!」
隣にいた麻里子が叫ぶ。
「一応準備しときたいんですよー」
大きな声を張りながらも、大地を見て言う。
「そうよね、そのほうが安心ね」
大地も空気を読んで微笑む。
一気にシンとなった受付嬢たちは、またこちらに背中を向ける。
「なんだ、嫌味?」
「イケメンと結婚したからって、ここでまでアピールしなくても、ねえ」
「なんだっけ、あの女」
「名前忘れた。てか結城でいいでしょ、結城で。似合わねーけど」
先ほどの大声とは打って変わってヒソヒソ声に変ったそれは、耳があまりよくない眞美にも十分に聞こえてきた。
その中から、“正方形”の制服を持った斎藤が出てきた。
さすがに気まずい顔をしている。
「ーーどうします?」
眞美は小さな声で言った。
「さすがに入ると思うんで、17号でいいです」
言うと、大地は「オッケー」と言ったが、一覧表には書き込まなかった。
「はい!決まった人から、私に教えてください!」
嫌な空気を切り裂くように、大地の声が響くと、派手な女たちはいっせいに振り返り、麻里子を睨んだ。
「あ、麻里子さん合わせてないですよね」
斎藤が慌てて受付嬢の中に飛び込んでいく。
「お腹大きくなってきたから11号が良いんじゃないですかー?」誰かが言い、皆が笑う。
すると、
「大丈夫です。今すぐは着ないし。営業は会社支給のオーダーメイドスーツなんで。サイズ合わなくなったら無料で作ってもらいます」
麻里子が女たちに言った。
「終わったなら、お喋りしてないで、さっさと店舗に戻ったほうがいいのでは?サービスマネージャーにお茶出しさせてるんでしょう?」
驚いて麻里子を振り返る。
(この人、こんなキャラだった?)
女たちが麻里子を睨みながらも大地の方に歩いていく。
麻里子は斎藤から制服を受け取り、更衣室の真ん中で着替えだした。
眞美はなかなかその場を離れられずに、麻里子の小柄で細い体が、7号の制服にすっぽり収まるのを見つめていた。
デスクに戻ると、入れ替わりに綾瀬が席を立った。
(なんだ、せっかくコーヒーカップを洗ってくれたお礼を言おうと思ったのに)
瞬時にどうでもよくなり、パソコンに目を走らせる。
今月の新車登録台数。やはり秋は売り上げが落ちる。当たり前か。営業たちも新車よりも冬タイヤの成績を上げることで躍起になっている時期だ。
無心で各店からの報告を集計表に打ち込んでいると、隣の席に綾瀬が戻ってきた。
「あ」
振り返ると、彼は湯気の出たカップを持っていた。
「先ほど、飲みそびれたでしょう?はいどうぞ」
言いながら勝手にカップを眞美のシリコンコースターの上に置いた。
「————」
置かれたその黒い液体を見て、眞美はため息をついた。
「ありがとうございます。でも私、ブラックは――」
「ブラックコーヒーって」
綾瀬が重ねてきた。
「クロロゲン酸というポリフェノール成分も含まれていて、血糖値の上昇を抑える働きと、体内のミトコンドリアを活性化させ、脂肪燃焼を促進する働きがあるんですよ」
急にペラペラと話し出す男に唖然とするが、最後の“脂肪燃焼”という言葉が引っかかる。
(何この男、馬鹿にしてんの?)
「浅煎りのコーヒーを選べば、クロロゲン酸アップですよ。さらに、コーヒーの香りによるアロマ効果もあるので、ぜひこれからはブラックがおすすめですよ」
眞美は嬉々として語る男を見つめた。
女みたいに可愛い顔。
少しカールした艶々の黒いくせ毛。
男にしては白い肌に、細身の体。背も眞美と数センチしか変わらない。
体重は。
下手したら2/3くらいかもしれない。
(あーーー。この男。誰かに似てると思ったら)
「お話は以上ですか?」
言いながら立ち上がる。もちろんコーヒーに砂糖とミルクを入れるためだ。
「あ、はい」
綾瀬が苦笑を返したのを確認せずに、眞美は給湯室に向けて歩き出した。
(わかった。『ホテル・ド・パルフェ』のあいつに似てるんだ)
甘えん坊で、泣き虫で、調子よくて、懐っこくて、それでいて唯一の闇魔法の使い手である、土星=サタンに。