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中庭のベンチで、夕闇が完全に私たちを包み込むまで、私たちはそこに座っていた。彼女は自分のスケッチブックを抱え、私はタブレットを握りしめたまま。
「……私の絵、本当に、綺麗に見えたの?」
声が震えた。あの子の圧倒的な実力を前にして、その言葉が信じられなかった。
「うん。すごく」
彼女は、はっきりと言った。
「私が描く絵は、いつも『正解』を探してる気がするの。先生に褒められる、みんなに『上手』って言われる絵。でも、あなたの絵は違う。……何て言うか、心がそのまま溢れ出してるみたい。技術じゃない、もっと……強い何か」
強い何か。
私は、自分の描いてきた絵を思い返した。
クラスで一番になりたくて、誰かに認められたくて、必死で線を引いていた。
けれど、その心の奥底にあったのは、誰にも負けたくないというプライドだけじゃなかったはずだ。
運動ができなくて、勉強ができなくて、外見に自信がなくて。
そんな自分が、世界と繋がるための唯一の窓。それが「表現」だった。
私は、誰かに勝ちたかったんじゃない。……私自身を、認めて欲しかったんだ。
「……私、あなたみたいに上手くなりたかった。でも、それは無理だって、今日、心の底から思った」
私は、自分のタブレットの画面を点けた。
そこには、あの日、彼女の絵を見た瞬間に描き止めた、歪で、暗くて、けれど真っ直ぐな線が引かれたイラストがあった。
「でもね。私、……私の絵が、好き。ピアノも、作曲も。完璧じゃないし、誰かに自慢できるものじゃない。それでも、私の中から生まれた、私だけの音と色だから。……それを、一生、大切にしていきたい」
彼女は、少し驚いたように私を見つめた。
そして、フワッと、今日一番の笑顔を見せた。
「……私も。あなたの絵、もっと見たいな」
その言葉に、胸のつかえがスッと取れていくのを感じた。
「……ありがとう」
私は、彼女に向かって、初めて心の底から笑った。
それから、数ヶ月。
美術室には、また私の姿があった。
けれど、もう周りに集まる人を気にすることはない。
目の前のキャンバスに向かい、自分の中から湧き出る色彩を、自由に、大胆に重ねていく。
ピアノに向かう時も、同じだった。
誰かに聴かせるためじゃない。自分の心が求めている音を、ただ、紡ぎ出す。
あの男子生徒が言うような「感情を音にする」ことが、少しずつ、分かってきた気がした。
タブレットの作曲データも、未完成のままいくつも並んでいる。
けれど、以前のような焦りはない。
「まだ未熟だけど、好き」。その気持ちが、私を突き動かす。
「あ、〇〇ちゃん! 今日の絵、すごくいい色だね」
彼女が、美術室のドアから顔を覗かせた。
「ありがとう。……でも、まだ未完成なの」
私は、彼女にウィンクをして、再び筆を握った。
「自分にはこれしかない」。
あの日、そう思っていた唯一の盾は、確かに砕け散った。
けれど、その破片は、今、新しい自分を描き出すための、世界に一つだけの色彩となって、私の手に握られている。
私は、完璧な「表現者」ではない。
未完成で、不器用で、もがき続ける、一人の人間。
けれど、その「未完成」こそが、私だけの「特別」なのだと、今は、信じられる。
夕陽が、キャンバスの上の色彩を、キラキラと輝かせていた。