躯が軋み上げる痛みに目を醒ました私は
それから休む間も無く
忙しない日々を送っていた。
日課である鐘楼の掃除
授業
それに加えて紅蓮の花の管理
生徒会執行業務
無事に交流会の発案書が通り
各校から戻ってきた提案書への返事を纏め
念入りに準備を整えねばならない。
参加が決まった各校の生徒達の書類に
隅々まで目を通すと
とある一枚の書類に栞を挟み込む。
セイリュウの黒曜石を想わせる漆黒に
自然光に透かせば濃紺が煌めく鱗に紐を通し
その先に一枚のサクラの花弁を
樹脂で固めた物を飾った。
傍から視ればその栞は
透明な樹脂が飾られただけの紐に
視えるだろう。
栞を挟まれた書類に添付された写真には
夜闇の様な長髪と
その頭頂部から黒曜石を研ぎ澄ましかの如く
湾曲して伸びる角を持った
凛とした翠色の双眸の青年が映されている。
「マレウス・ドラコニア⋯」
最初に返ってきた交流会の提案書の返事に
彼の名前が無い時は焦ったが⋯
ー無事に世界屈指の魔法士殿を
ご招待できたなー
頭に入れ終わった書類を
机上に戻すと深く溜息を吐き切る。
チリッと揺れる栞を
頬杖を着きながら指で弄ぶ。
「私の成功を
祈っていてくれたまえ⋯」
1ヶ月後。
私の世界を救う日が始まる事を
朝の救いの鐘の音が告げる。
ゾロゾロと撒き餌に掛かった
魔法士という悪党共が
そうとも知らずに集って来た。
悪党の巣窟
ナイトレイブンカレッジ生の許に辿り着き
一頻り挨拶を終えると
書類には記載の無い生徒が居る事に気付く。
「君達は⋯
失礼。名前を伺っても?」
私の問いに
猫の様な魔獣を肩に乗せた青年は振り向き
その顔に驚きを隠せなかった。
「!?⋯ セ⋯⋯ュウ⋯⋯」
「ユウです。初めまして!」
ユウと名乗った青年には
私の声が聴こえていなかった様で
心底、安堵する。
別れ際、魔力を消費して夢を渡る際に
垣間見たセイリュウと
角の有無だけで
彼は瓜二つだったのだ。
「魔法が使えないと聞いていたので
まさか使い魔を連れて来るとは
思わなかったよ」
魔獣が何やら憤慨した様子を見せたが⋯
本当に彼は
見れば見る程セイリュウに似ている。
ー彼等は今も異世界の者の夢を
渡り続けているのであろうか?ー
彼方此方の夢を渡り
世界を紅蓮で覆う二人の背中を
想像した。
4度目の鐘の音が、街中に響き渡る。
そして今
鐘楼に立つ私の目前で
学園が⋯街が
地下水路より舞い出た
紅蓮の貴婦人達により紅く染まっている。
逃げ惑う人々の悲鳴
地に伏し貴婦人の養分となった人々の呻き声
この悲鳴も直ぐに
魔法が悪である事に気付けば
感謝の言葉に変わるだろう。
鐘楼の扉が開く音が
風と悲鳴とに混じって私の耳に入った。
ー来たな⋯ー
アズール・アーシェングロット
イデア・シュラウド
そして
マレウス・ドラコニア⋯
「お前達の様な悪党ほど世間にのさばる。
実に嘆かわしい事だよ」
魔法は、悪だ。
人を誘惑する、危険な力だ。
悪しき力に魅力され、依存し
享楽に耽る⋯
貴様ら魔法士の⋯なんと醜い事か。
ー何故、それが解らない⋯ー
3人を相手に私は攻撃魔法を
穿ち続ける。
魔力に反応し
私にも襲い来る貴婦人達。
ー悪いが、魔力を吸われる事には
慣れているのだよ!ー
「ロロ氏が憎んでるのは
⋯自分でしょ?
目の前で苦しむ、弟を守れなかった
弱くて役立たずの⋯自分自身」
煩い⋯
煩い煩い煩い煩い!!
そんな事は解っている!
ーなにも解っていないのは貴様等だ!ー
あの子は手をこまねいて視ていただけの
魔法士共にだけではない⋯
あの子は⋯
魔力やその絶望を糧とする
闇の存在の所為で!!
「残念ながら、分かりたくなくても
分かっちゃうんですよねぇ 」
八つ当たり?
勘違い?
私が⋯か?
此奴等はいったい
何を言っているんだ?
お前達は視た事があるのか?
あの醜く嘲笑を浮かべ
嘲る闇を⋯
それにより、要らぬ涙を流す者を!
あの子を奪ったのは魔力であり
闇だ!!
「悪いのは⋯
私じゃないぃぃぃぃぃっ!!」
激しく逆撫でされた怒りで
そこから先の私の記憶は⋯酷く曖昧だ。
普段抑えられていた感情が
爆発していくのを感じる。
いつの間にか地に伏した私の躯⋯
猛り狂う
畏怖を糧とする私の炎の中を
毅然と進んで来る足音
「やめろ⋯頼む、やめてくれっ!」
想い虚しく
5度目の鐘の音が⋯響く。
鐘の音に運ばれた魔力によって
0時の鐘で魔法が解けた姫の如く
魔力の供給過多に陥った
貴婦人達の紅い花弁が萎んでいく⋯
「紅蓮の花が⋯私の花が
救いが⋯枯れていく⋯!
この悪党め!なんて事を⋯」
これでは⋯
この世界に闇が蔓延ってしまう
また⋯あの子の様な悲劇が
「そんな事を弟が君に頼んだわけ?
弟の願いを勝手に捏造して
自分の罪滅ぼしに使うなよ」
「罪滅ぼし⋯?違う、私はっ!」
何故に、こうも解らないんだ!!
いや⋯解る筈が無かったのだ。
そう、この者達は誰一人として
自分の魔力から生み出されるブロットが
闇の糧になるかを
この世界が〝歪んで〟いるかを
知る由もないのだから⋯
「もう良い⋯。
これ以上お前達
悪党の話など聞いていたくない 」
皆で罰するなり
警察に突き出すなり
〝好きにすれば良い〟
確かに、そうは言ったが⋯
何故私は⋯
魔法士共を誘き寄せる
撒き餌でしかなかった
仮面舞踏会の支度をしているのだろうか?
講堂の床に水を撒き
モップで磨く手を止める。
「すまない⋯」
誰にとは言わず
私はそう独り言ちていた。
ー私は世界を⋯救えなかったー
俯く足許で
床に撒いた水に映る私の顔は
酷く情けなく視えた。
ダン!
と、足で水面を踏み付け
水鏡の自分を消し去る。
水飛沫が顔に跳ね
溜息と共にハンカチを取り出そうとすると
一緒に入れていた栞が水面に落ちる。
『卿のその様な腑抜けた顔を
もう視る事は無いと願いたいところだ』
栞を拾おうと屈んだ私に
水鏡の私が叱責する。
そう
これは私が、トキヤに放った言葉だ。
拾い上げた栞の鱗を力一杯に握り込むと
血が滴り落ちて床を紅く染め上げる。
ほら⋯鱗は私にしか視えていないが
確かに此処に実在しているのだ。
だから、不死鳥という悪も⋯
紅く染まった水面
不死鳥
ドラゴンの鱗
「⋯はっ!?」
いつぞやの夢で
マレウス・ドラコニアと思わしき者は
不死鳥を庇い立て
私の攻撃を防ぎ護った⋯
《この世界で龍と出会してはなりませぬ!
此方の龍は災いに成りかねない》
そうだ⋯
マレウス・ドラコニアは災いだ。
他の魔法士を先導し
闇を護っているからこそ
誰も私のする事に理解ができないのか!
「んふふ⋯
んっふふふ!
はーっはっはっは!!
そうか!そういう事かね!!」
私の双眸に闘志が戻るのを感じていた。
私には腑抜けている暇など無い。
今は未だ力及ばずとも
あの不死鳥すら撃退した私だ
研鑽を続ければきっと⋯!
モップを握り直し
汚れきった大講堂を見遣る。
「これしきの事で
世界を救う事を諦める様な
間抜けな男では、私は断じて無いっ!!」
〝⋯待っている〟
そう紅蓮の花に包まれながらも
苦痛を視せなかった彼女にも
私は〝救う〟と誓ったのだから。
夜通し支度をし
開催に漕ぎ着けた舞踏会も
漸く佳境を迎える。
ナイトレイブンカレッジ生が
贈り物だ等と宣った時は
大講堂内で先の祭りの様に
花火でも打ち上げるのではと
冷や汗をかいたが⋯
花の街伝統の歌が⋯贈り物だと?
「どうか僕に
光よ、導けー⋯♪」
ー貴様が導いているのは、闇であろうー
虫唾が走る程の酷い吐き気に
大講堂を後にしようと踵を返す。
「フランムよ」
その時、今一番と耳に入れたくない声に
名を呼び止められた。
「⋯マレウス君じゃないか。
楽しんでいるかね?」
ハンカチでは隠れ切れ無い程の
嫌悪感が私の躯を暴れ走る。
「ああ⋯素晴らしい夜だ。
舞踏会の開催に感謝しよう」
ーそうか。
では、引き続き楽しんでくれたまえー
そう言って立ち去ろうと
唇をハンカチの下で動かそうとした
その瞬間だった。
「さて⋯ロロ・フランム。
僕と一曲、踊ってもらえるか?」
その言葉に驚愕すると同時に
躯中を冷たい炎が駆ける気分であった。
この男は、何を考えている?
私を見つめる翠色の双眸からは
何も読み取れない。
試しに、踊りは好かない、他の来賓をと
拒んでみたが⋯
「ほう?
招待客の僕の頼みを断るというのか」
いちいち癇に障る男だ。
だが
こうやって他の者を
洗脳していっているのやもしれん。
私の正しさが
貴様が齎す災いよりも強いという事を
証明してやろう。
「そこまで言われては、仕方あるまい。
手を貸したまえ」
深い溜息の後で
私はマレウスに手を差し出した。
曲が始まり
お互いにステップを踏む中で沈黙が続く。
始まってから、ずっと笑顔が途切れぬ
マレウスの双眸を
私は唯、真っ直ぐに睨み返していた。
「踊っている最中とはいえ、静かだな。
何を考えている?」
私の中で、静かに炎が紅く揺らめく。
「絶望を想像している。
今は余裕に満ちた、貴様のな⋯」
闇になど、私は屈さぬ。
「お前の様な悪党は
いずれ大きな厄災を
齎すに決まっているのだよ」
必ずやまた
紅蓮の花という貴婦人と共に
お前達の前に立ちはだかってやる。
「いつか必ず⋯
どれだけの年月が掛かろうと必ず!
お前の傲った笑みを
魔法と共に奪ってやる!
それが⋯私の使命だ!」
私は、諦めはしない。
ポケットの中で
ハンカチと共に栞の鱗を
強く握り締める。
すると不意に
私達を見守る様に遠くで見つめていた
セイリュウと瓜二つの青年
ユウと目が合った。
名門魔法士養成学校に通う
魔法を使えない青年。
何故そんな彼が
悪党の巣窟に居るのか⋯
ーもしや
魔法士共に脅されているのやも?ー
セイリュウと同じ風貌で
マレウスと去るユウに
私の中の〝正義〟が
警鐘を鳴らしている様だった。
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