テラーノベル
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小さい街に雨が降る。太陽は隠れ、暗く、闇の底に堕ちていく……。
それはまるで僕の心のように。
闇とは何色か。
黒とも言える、墨に近い色。人それぞれの解釈がある。
僕は涙が乾いた顔を上げる。
月は、見えない。
「……あ」
僕を激しく打ち付けていた雨が急に止んだ。
上を見上げ、傘を視認する。
誰かが、僕に傘を差し出している。
「風邪ひいちゃうよ」
傘がスッと上に持ち上げられ、声の主が正体を表す。
紳士的な彼は僕に対して微笑む。
「あ……僕、大丈夫です。い、家、近いので」
僕の喉から出る言葉はどこかつっかえていた。
「いや、いいよ、家まで送ったげる」と言うことを聞いてくれないので諦める。
「…ありがとうございます、こんな見ず知らずの僕に」
「いやいやそんなことないよ、実は僕達、会ったことがあったする」
僕はびっくりして彼を見上げる。
「あはは、と言っても僕が遠くから眺めてただけだよ」
ホッとして胸を撫で下ろす。自分だけ覚えていなかっただけとかだったら相手に失礼だからだ。
彼は藤原徹と言うらしい。
暫く黙々と歩いていると自分の家が見えてくる。
「もうすぐ僕の家なので……。もう、大丈夫です」
「話せる機会が出来て良かった。また、話せたらいいな」
ニコッと笑うと僕の頭を撫でて去っていってしまった。
僕は撫でられた部分を何度も触って家の扉の前に突っ立っていた。
誰かに撫でられるのは、中学以来だ。
吐息が真っ白で、母に編んで貰ったマフラーを身に着けていたあの頃……。
…頭が痛くなる。もう、思い出したくない。
今日は日曜だ。だから昼になるまで親は起きない。
僕は下にいる親を起こさないように寝返りを打つ。
まだ重たい瞼を閉じる。
そして、思い出す。
「俺、狭山。よろしくな!」
隣の席に座っている男子が僕に話し掛けた。
外では桜が咲いており、始業式だった。三年生だから先生達が「高校受験頑張れよー」と何度も何度も言っていた。
「狭山さんよろしくね。僕は…悠月」
「そっか、悠月か。いい名前だな!」
そうして彼は僕のことを悠月、と呼んだ。僕は狭山さんと呼ぶ。
「なぁ悠月、今日部活はあるか?」
「ないよ。もう、辞めたから。…狭山さんはさ、部活辞めないの?」
僕は彼の顔をチラリと見つつ鞄に荷物を詰めていく。
「俺はまだまだ現役! 夏になったらまぁ辞めるよ」
「そう」
僕らは教室を出、階段を降りていく。
今日も蝉が忙しく鳴いている。僕は蝉が嫌いだけど、今は気にならない。
「今日も暑いね」
「あぁ」
とある冬休みの帰り道。
自習室からの帰りだった。母が編んだマフラーを首に巻き、狭山とくっついて歩いていた。彼は「少し歩き辛いな」、と苦笑したけれど。
僕はずっと考えるのを避けていたけれど、僕は狭山が友達として、ではなく恋とかの感情で好きだった。
考えていなかったのは気持ち悪い、から。男が男を好きになるなんておかしい。
でも、少しづつ高校受験が近付いて僕は思った。
このままだと、離れてしまう。
僕はこれが嫌だった。スマホは持っていなくて、遊ぶ時は事前に集合場所とかを決めていた。
だから、何度も告白のシナリオを頭の中で描いていた。
彼はなんと答えてくれるだろう。結果は、分からない。
僕は人目のつかない場所まで狭山を誘導する。
あの時、彼は「どうしたの? 珍しいね」と笑った気がする。
あれが、僕が最後に見た狭山の笑顔。
なんて言ったのかもう覚えていない。でも、血の気が引いて、ずっと目の前が暗かったのは覚えている。
僕の中で何かが音を立てて崩れた気がした。
「気持ち悪い」
そう言って彼は去った気がする。
思い出すのも億劫だけれど、何度もあの言葉がループする。
僕は瞼を開く。
僕は、優しくされただけで人を好きになりがちだ。
自分で自分の頬をビンタした。
昨日はずっとベッドで寝ていた。教室に入ろうとして、扉を開ける。
「……あ」
一昨日傘に入れて貰った藤原がいた。
そういえば、何気に相合傘してたんだなと思うと嬉しかった。
「おはよう、悠月」
僕はドキリとした。まさか話し掛けられると思わなかった。
「おはよう、藤原さん。一昨日は…ありがとう」
「いや、そんなことないよ。僕が入れたかっただけだから」
藤原は微笑むと一昨日みたいに僕の頭を撫でる。藤原の手は暖かくて安心する。
「あ、の…なんで、そんなに優しくしてくれるの」
何か言いたそうに口を開くけど何も言わなかった。
「……?」
「なんでもないよ」
また、頭を撫でられる。なんだか子犬になった気分だ。
「ね、帰りにカフェ寄らない?」
「いいよ」
僕達は朝約束した通りにカフェに寄っていた。
「…コーヒー飲めるってすごい」
僕は苦いのが苦手だった。だから匂いを嗅ぐだけでも少し億劫だ。
「そうかな? 最近は飲むと寝れなくなるから飲んでないけど」
「それでもすごいよ」
藤原にとっては大袈裟かもしれないが、自分にとっては英検二級を取るくらいすごいことだった。
僕は自分の手元にあるオレンジジュースを見た。
目元が黒ずんでいる自分が映っていた。
藤原には自分がどう見えているんだろう。時々、そう思ってしまう。
そう考える自分が嫌で唇を噛んだ。
「……ねぇ」
藤原が僕に話し掛ける。
「?」
暫く沈黙が続く。
僕は藤原の黒い瞳を眺めていた。
「男が男を好きになるって……変かな?」
藤原は悩みながらも口を開いた。藤原は僕から「気持ち悪い」とか言われるのを懸念しているのだろう。
「……僕も、同じだった」
「へ?」
予想外の返答に藤原は驚いていた。
「僕も…昔、同じだったから」
今にも零れそうな涙を堪え、俯く。
「ご、ごめん。僕が嫌なことを思い出させたのなら」
「ううん、ありがとう。…モヤモヤしてた気持ちが晴れた」
精一杯のところまで口角を上げてみせる。
藤原は少し目を見開いて、でも、胸を撫で下ろしたようだった。
「話し始めたのは一昨日なのに……。僕はそれよりもずっと前から、悠月のことを目で追ってたんだ。知らない人に話し掛けるのは得意だけど……やっぱり告白したらきっと友達でもなくなるだろうなって思ってやってなかった」
僕はハッとして藤原を横顔を眺める。
夕方で窓から後光が差し込んでおり、藤原がどんな表情をしているのかは正確には分からなかった。
「でも、言って良かった」
彼は歯を見せる。それが笑顔だと気が付くのに時間がかかった。
僕はコップに残ったオレンジジュースを飲み干す。
「そういえば今日、用事あったんだ。また、明日」
僕が笑うとまた、彼は笑い返してくれた。
思い返せる分だけ思い返す。
帰りの足取りは、いつもよりも陽気だった気がする。
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