灰が降る街は、
今日も音を失っていた。
遠くのビルの輪郭が、
まるで鉛筆で描かれた線みたいに味だ。
白でも黒でもなく、灰。
その中に立つ自分の姿も、
誰かが途中で消しゴムを
当てたみたいにぼやけている。
目を開けた瞬間、
世界の輪郭が曖味に揺れた。
点滴の刺さった手、機械のノイズ。
けれど病院ではなかった。
目の前には、
白衣をまとった
青年。若井がいた。
「…..やっと、目が覚めたな」
声がやけに落ち着いている。
でもその目は、どこか焦っていた。
俺、元貴は、喉が乾いたみたいに言葉を探した。
「….ここ、どこですか」
「研究所だ。
お前は灰の影響を受けて倒れた。
覚えてないか?」
覚えていない。
けれど、”灰”という言葉に、なぜか胸がちくりと痛んだ。
若井は視線を落として、小さく笑う。
「まあ、いい。
思い出さなくていい。…..少なくとも、今はな」
なぜだろう。
その”今はな”の響きが、妙に引っかかった。
まるで俺が思い出すことを、
彼が恐れているみたいに。
そのとき、部屋の扉が軽く叩かれた。
金髪の青年が顔をのぞかせる。
穏やかな笑みを浮かべた、
どこか柔らかな人は、涼ちゃんと言った。
「やっぱり起きてたんだ。
….大丈夫?灰、まだ残ってない?」
「藤澤…..監視官か」若井がため息をつく。
「勝手に来るなって言っただろ」
「だって、気になったんだよ。この子のこと」
その一言で、空気が変わった。
若井が僅かに目を細め、
涼ちゃんは静かに笑って、俺の枕元に歩み寄る。
金色の髪が、降る灰の光を
受けて淡く輝いていた。
「….僕、隣の部屋にいるんだ。
何かあったら、呼んでね」
差し出された手を、
反射的に取った瞬間視界がぐらりと揺れた。
涼ちゃんの指先が、灰の中で淡く光っている。
ほんの一瞬だけ、世界が”反転”したように見えた。
その瞬間、誰かの声が、頭の奥で囁いた。
「見つけた。もう逃げられないね、元貴。』
目を瞬かせたとき、灰の匂いだけが残っていた。
若井は何かを言いかけて、静かに息を呑む。
そして、俺の肩にそっと手を置いた。
「…..大丈夫だ。ここにいれば安全だ」
ーその言葉が、本当でないことを、
このときの俺はまだ知らなかった。
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