郵便物を分け終えた由樹は、それぞれのデスクに置きながら小さなため息をついた。
足を組んでデスクに座っている篠崎の、自分を見る目が痛い。
「篠崎さん、郵便です……」
そのデスクにそっと解体業者からの請求書を置こうとしたところで手首を掴まれた。
「うっ」
「おい、他に言うことは」
「と言いますと……」
苦笑いをして振り返ると、篠崎はぐいとその手を引きながら由樹の椅子に座らせた。
「お前の席はそこだろうが。こそこそこそこそ逃げ回りやがって。俺に報告することがあるんじゃないのか」
(……バレてた)
由樹は肩をすくめながら上司の顔を見た。
先週、8軒の空き家の所有者を登記簿で調べた由樹は、その8人の所有者に手紙を送っていた。
詳しいことは書かずに土地を譲ってほしいお客様がいるとだけ明記し、もしお話を聞いてくださるなら、と由樹の名刺に携帯番号も明記しておいた。
しかし実際に返信用封筒を使って、返事をくれたのは2通のみ。
いずれも断りの手紙だった。
一つは「実は土地の上に立っている家のローンの完済が終わらないまま引っ越しを余儀なくされたため、家のローンはまだ払っている。完済すれば、リフォームして売りに出す予定なので、土地を譲ることはできない」というもの。
そしてもう一つは、篠崎が言うように「先祖代々守ってきた土地で、亡き母からきつく言われているので、よその人間に譲ることはできない」という趣旨が、それはそれは丁寧に書かれていた。
「今日で1週間だぞ」
篠崎が机に肘をついて、こちらを睨む。
「………はい」
「その2件だけか?」
「………はい」
篠崎は無言で由樹が差し出した手紙を読んだ。
そしてそれが終わると、手紙から視線だけを上げ、由樹を睨んだ。
「んで?諦めはついたか?」
「………」
「お前の諦めだぞ?先方はとっくに諦めている。それでも待って下さっているお客様に、返事をしないのは、いかがなもんかな」
(………確かに。諦め切れないのは、俺だけだ…)
由樹はかくんと頭を垂れた。
少し伸びた髪がサラッと顔にかかる。
と、その髪を避けるように篠崎が手を伸ばし両手でぐいと由樹の顔を上げた。
「ちょ………!!」
「なんでこの1棟にそこまで固執する。“諦めが肝心”てのもこの業界では大事な言葉だぞ」
「…………」
「……おい?」
「…………」
口を結び上司の鋭い左右の目を交互に見つめる由樹を、篠崎はため息をつきながら手を離して解放した。
「出かける支度をしろ」
「……え?」
「2件目の所有者の住所」
「……あ……阿佐丘です」
篠崎は立ち上がると、引き出しから名刺入れを取り出し、バッグに入れた。
「ダメ元だからな。これでダメだったら諦める。いいな?」
由樹は勢いよく立ち上がりながら、
「はいっ!」と微笑んだ。
ため息をつき頭を掻きながら出ていく上司と、それに尻尾を振りながら付いていく後輩を、渡辺は笑いながら見送った。
工事課の猪尾がコーヒー片手に渡辺の隣に腰を下ろす。
「いいコンビになってきましたね」
「コンビっていうのかな、あれ」
渡辺は呆れながらため息をついた。
「あ、違います?じゃあ犬と飼い主かな?」
「……どっちが飼い主なんだか……」
「え?」
「篠崎さん、新谷君に良いように操られてる自覚ないよね」
「……あ、そんな感じですか?」
猪尾が驚いて渡辺を振り返る。
「簡単に絆されちゃって、まぁうちの上司のちょろいこと……」
「へえ。やりますね、新谷君」
猪尾が笑いながらコーヒーに口をつけた。
「確かに一生懸命で、ニコニコしたり落ち込んだり、いちいち一喜一憂して。守ってあげたい感じはする!」
「……それで済めばいいけど」
「え?」
「いや、こっちの話」
渡辺は窓に視線を移した。
「お互い無自覚って状態ほど、怖いもんはないよね」
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