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「いやあ、丁重にお断りのお手紙をわざわざ書簡箋を買ってまでしたためましたのに、わざわざ電話帳で番号まで調べて、こちらの都合も考えずにいらっしゃるなんて、思いもよりませんで、何のおもてなしもできませんが、すみませんね」
土地の所有者である石澤は、手紙で受けた印象よりも相当若かった。
電話口で、「退職して今は家にいるので、いつ来ていただいても構いませんよ」と笑っていたのとは裏腹に、実際に訪れると、彼は篠崎と新谷の顔を交互に見て、嫌味たっぷりに微笑んだ。
「お時間をいただき、申し訳ありません」
篠崎も苦笑いを返すと、隣に座った新谷は遠慮なく20畳近くある広いリビングをじろじろと見渡した。
その視線に不快感を隠そうともせずに石澤が眉を潜めた。
「リビングがそんなに珍しいですか?住宅メーカーの方だと聞きましたけど?」
また皮肉をこめて言うと、新谷は慌てて石澤に向き直り、「まさか」と真正面から返した。
「素敵な家だな、と思いまして」
他意のない笑顔で頷く新谷に、石澤はほんの少し毒気を抜かれたようで、きまり悪そうに咳払いをした。
「ところで、あの空き家について、ということでしたが、手紙に書かせていただいた通り、あれは、亡き母から受け継いだ、大切な財産の一つでございまして。
いや、あなた方が見ればただの汚い空き家、それはわかっているんです。しかし私にとっては貧乏だった幼少時代から、県庁に入りある程度の地位を築き、この家を建てるまで過ごした大事な大事な家なんです」
県庁。確かにそんな感じだ。かたく融通のきかない役所特有の顔をしている。
「今までも、数々の不動産屋が、手を変え品を変え、口説き落としに来ましたよ。
破格の値段を出したところもあれば、……はは。あの土地が呪われていると霊媒師を連れてきたところもあったかな」
言いながら石澤は、当時を思い出したのか、クククと短く笑った。
「それを……」
石澤は新谷を一瞥してから言い放った。
「昨日今日、目をつけて、ぶしつけな文章の手紙を、返信用の封筒を同封するという暴力的な方法で送りつけてきた挙句、自宅に電話をかけ在宅を確認した上で、訪ねてくるという横暴な訪問の仕方をするような方に、譲ると思いますか?」
そこまで一気に言うと石澤は、いかにも値が張りそうなウィングバックの一人掛けソファに身体を沈め、腹の上で指を組んだ。
「逆に私が聞きたいくらいだ。どうですか?」
そう言いながら、くっくっくと笑った。
(……これは、お手上げだな)
訪問を承諾したことから、少しくらいは付け入る隙があるかと思ったが、これは梃子でも動くまい。
篠崎は新谷の膝を叩いた。
“諦めて行くぞ“という合図だったのだが、彼は何を勘違いしたのか、こちらを見て力強く頷くと、おもむろにバッグを開き、何かを広げ始めた。
(おいおい……)
思わず口を開けて、部下の凶行を見守る。
(何を始めるつもりだ……)
彼が広げたのは、南部を拡大した地図だった。
「……これが?」
石澤が呆れたように新谷を見上げると、彼はその中心を指さした。
「ここが、石澤様の土地です」
「……ええ、勿論存じていますよ?」
石澤はおかしくてたまらないというように笑った。
「徒歩5分のところに公園と、大型スーパー。徒歩15分の所に小学校、そこからさらに5分のところに中学校。
小学校も中学校も田園に囲まれ、見通しのいい広い道路には、ちゃんと左右に縁石で仕切られた歩道があります」
石澤は大真面目で話す新谷に、だんだん不信感を抱いたらしく、眉間に皺を寄せながら覗き込んだ。
「私が知らないと思いますか?ここで育ったんですよ?」
「はい、よくお分かりだと思います」
新谷は背筋を伸ばして座り直すと、自分の親よりも年上の石澤を正面から見据えた。
「素晴らしい立地条件です。どうか、恵んでください」
「……恵む!?ただで?」
「ただで、とは言いません。ですが限りなく安い金額でお願いしたいです」
言われた石澤は口の先で吹き出した。
そして掌で目を強くこすると、ため息をついた。
「ガキの使いじゃあるまいし。ちょっとは他社よりいい条件を出してくるかと思いきや、そんな直球勝負で言われてもね。
こっちは生憎、仏の心を持っているわけでもなければ、サンタクロースの魔法の袋を背負ってるわけでもないのでね」
(全くだ……)
篠崎は曇り亡き眼で石澤を見つめる新谷を見下ろした。
そしてその後に今にも本気で怒りだしそうな石澤に視線を移した。
(まあいいか。こいつの社会勉強の一環と思えば……)
この男に嫌われようが、どなられようが、会社としては何の支障もない。
石澤には悪いが、新人教育に利用させてもらうことにした。
「お母さんと、娘さんと、その旦那さんが住む家なんです」
新谷は石澤から目を逸らさずに言った。
「はあ」
石澤が呆れてため息とも相槌ともわからない声を出した。
「娘さんには今後、子供が生まれるかもしれません。その時に子育てをするにはうってつけの場所だと思うんです」
いよいよ石澤が目を細める。
「そうでしょうね」
「ですよね」
新谷がぐっと前のめりに石澤を見つめた。
「この土地で育った石澤さんなら、この場所がどんなに家族を幸せにできる場所か、わかってくださっていると思います」
「…………」
石澤は対照的にますます身を引き、ソファに寄りかかった。
「そのお母さんには、軽度の認知症の母親がいます」
言うと石澤の額がピクリと波打った。
「……もしかして、今度は同情を買おうとしてますか?」
「彼女は、死ぬ前に娘にどうしても家を建ててあげたいと言っています」
「だから、そんな話をされても……」
「彼女は病気で余命幾分もないんです」
「……!」
篠崎は新谷を見下ろした。
初耳だった。
もしそれが本当なら、母娘からそんな話題も出てきそうなものだったが。
「……そんなことを言われても、私には関係のない話だ」
石澤は困ったように頭を掻いた。
「そっちがその気なら、こっちだって感情的なことを言いますけどね。
あの家は私と、優しかった母親の思い出の家です。古いけど、あそこにいくと、母親の声が聞こえる気がします。手放すわけには行かない」
すると、新谷は今度は一枚の写真をとりだした。
「……これは?」
言いながら石澤が厚い眼鏡をずらしながらその写真を見た。
「…………」
「お分かりですか?」
石澤は腹立たし気にそれをテーブルに滑らせた。
篠崎もそれに目を走らせる。
それは、その空き家を、夜に撮った写真だった。
「僕、この土地に何度も足を運びました。朝も、昼も、そして、夜も」
言いながら新谷がその写真を手に取った。
「周りの家には灯りがともり、夕飯のいい匂いがしました。
ドアを開けるお父さんの“ただいま”の声。反応する“お帰り”の言葉。
お風呂に入っている母親と舌足らずな男の子の合唱、窓から漏れる笑い声」
新谷はその写真をもう一度、石澤の向きに合わせた。
「この家には、一軒だけぽつんと暗いこの家には……もう、誰もいません」
石澤が新谷を睨む。
それでも新谷は続けた。
「優しかったお母様も、成長され立派な家を建てた石澤様も、もう、いません。お母様の魂だって、ご先祖様の魂だって、こんな寂しいところには、いません」
「…………」
「譲ってください。これからここで生きていきたい家族に。家族が幸せになるのを見届けてから逝きたい母親に」
石澤は目を細めて、もう一度写真を見た。
沈黙が続く。
篠崎は待った。
新谷も膝の上で拳を握ったまま、石澤を見つめていた。
「私は……」
だいぶ間があってから、石澤は話し出した。
「こう見えても小心者でね」
言いながら、胸ポケットから何か紙を取り出している。
「ゆえに慎重すぎるところをいつも母親に注意されていた」
拡げた紙を新谷に渡した。
「これは……」
新谷と篠崎はその紙を覗き込んだ。
〇条件のいい金額を出してくる→金には困ってないという。
〇空き家の危険さをアピールしてくる→耐震工事はしてあるため、崩れる心配はないという。
〇空き家は不衛生だと言う→月1回業者を入れて、クリーニングしていると言う。
〇固定資産税のことを言われる→死んだ母に自分がしてやれることは、これくらいだと言う。
「電話が来てから君たちが訪ねてくるまでに、あらゆるパターンを想定して、断り方を考えていたんだ」
石澤は自嘲気味に笑った。
「でもそこに、“空き家の寂しさを説かれる”ってのはあるかい?」
もう一度丁寧にメモに目を走らせたあと、新谷は石澤を見つめて首を振った。
「そこにないんじゃ、残念ながら、断る理由がないってことだな」
そう言うと、石澤は力が抜けたように笑った。
「……え。あ、ありがとうございます!!」
新谷は膝に額が付くほど勢いよく頭を下げた。
篠崎も並んで頭を下げる。
それに合わせたかのように、篠崎と新谷の前に、夫人がお茶を出してくれた。
石澤にも有田焼と思われる、上品な藍色の湯飲みが置かれると、彼はそれをうまそうに一口飲んだ。
「……本当によろしいんですか?」
篠崎が念のために聞くと、彼は小さく頷きながら、もう一口飲んだ。
「実は迷っていたのも事実だったんですが、くれくれと言われると意固地になってしまって。でもそんな寂しそうな家を見せられたら、踏ん切りがつきました」
言いながら篠崎を見下ろした石澤は、どこかほっとしたような顔で眉を上げ、そしてもう一度笑った。
篠崎は貰ったお茶を口に運びながら、写真をもう一度見た。
周りの家の灯りに照らされ、かろうじて見える暗い空き家。
(家が、“寂しそう”か。確かにな……)
横で石澤に負けず劣らず旨そうに茶を啜る新谷を盗み見る。
(……こいつ、大したもんだ―――)
「あ、茶柱が立ってる!」
鼻息荒く新谷が見上げる。
「人生初です!」
石澤夫妻が吹き出す。
微笑む彼を見て、篠崎はふっと笑った。