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禁 止 区 域

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禁 止 区 域

1 - 第1話

♥

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2025年06月27日

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ヒョンに彼女ができたらしい。












思考が追いつくまでに、たぶん三秒くらいかかった。


廊下の端っこ、ロッカーの前で、女子たちが笑いながら話してた。


「え、ほんと?あのマネージャーと?」


「あんな優しかったらそりゃそうなるでしょ」って、今さっき。


しかもそれが嘘かほんとか、確認もできないまま、その話題はあっけなく流れていった。


なのに、頭のどこかがずっとその一言をリピートしてる。


「彼女ができたらしい」


「できたらしい」


らしいって何。誰から。いつ。誰と。どこで。


知りたくもないのに、知りたいのが悔しい。



なんでそんなの、今、聞かなきゃいけないんだ。



「……最悪」


吐き捨てるように呟いて、教室に戻る。









マクヒョンのことが好きだ。


好きっていうのは、友達とかじゃなくて、それよりもうちょっと困る方のやつ。



たぶん叶わないし、言ったらきっと笑われる。だから誰にも言わない。


あの場所だけでいい、って思ってた。

会って、話して、同じ机で、隣で問題を解く。それだけで、十分なはずだった。


ヒョンが好きだって、言わないままでいたのは、こんなふうに傷つかないためだったはずなのに。









図書室の窓際。今日はいつもより少し遅れてヒョンが来た。


ブレザーをきちんと着てて、髪の毛も綺麗に整えてある。


なんとなく違和感があったけど、理由は訊けなかった。


「今日って古典のプリント出てた?授業、ほぼ寝てて」


「出てたけど別に配ってないよ。先生が黒板に書いただけ」


「写真とかある?」


「あるけど」


はい、と手渡されたマクヒョンのノートを受け取って、黒板の文字をノートに写してる間、ヒョンはあくび混じりにペンケースをいじってた。


プリントをぱらぱらめくるヒョンの指先を見てしまう。長くて、節があって、綺麗で、ボールペンをくるくる回す癖がある。


ヒョンの横顔はかっこよくて、真面目そうに見えるけど、ちょっとしたことで笑うのが子どもみたいで。

その笑顔を一番近くで見てるのは自分だって思ってた。


いや、今もまだ、そうだって思いたい。


ヒョンが眉間に皺寄せて、英文をじっと読んでる横顔を盗み見る。

好きだな、って思う。何回思っても、飽きることなんてない。


自分の気持ちはずっと変わらないのに。

マクヒョンは違う誰かを好きなんだ、と他人事のように思う。



笑い方も、声のトーンも、仕草も、何にも変わらないのに、あの噂を聞いてから何か嘘みたいに思えてしまう。



写し終わったノートをヒョンに返しながら、気づけば口が勝手に動いてた。



「……ヒョン、彼女できたんでしょ」



書きかけのペンの先が、空中で止まる。


ヒョンが一瞬だけ、黙った。


視線も、こっちを見てなかった。


「……うん。まあ、そんな感じ」


その声はいつも通り静かで、でも少しだけ硬かった。


どうせなら笑ってほしかった。

でも、曖昧に笑わないでほしかった。


「そっか」


自分のノートを閉じる。

ヒョンの手が止まってるのがわかった。


「いつから?」


「先週……くらい?」


「ふーん」


カバンを持って立ち上がった。

ヒョンは「え、どうした?」って言ったけど、背中を向けたまま「ごめん、やっぱ今日眠いから帰る」って言った。


歩きながら、心臓の音がうるさかった。

喉の奥がつまって、何も飲み込めないみたいだった。









僕が出ていったあとヒョンは動かなかった。たぶん、まだ座ってる。


でも、そんなことどうでもよかった。


さっきのヒョンの顔が頭から離れなかった。


早く忘れたくて、思い出したくなくて必死だった。



下駄箱までの廊下を早歩きで抜けたころ、背後で名前を呼ばれた。


「ドンヒョガ!」



うそだ、と思った。

信じられなくて反射的に立ち止まったら、マクヒョンが走ってきた。

息を少し切らして、少し怒ったようにこっちを見る。


「帰るだけで、なんでそんな走ってんの」


「……別に」


「眠いなら図書室で寝ればいいじゃん」


「………は?」


「それか俺の家来たら?静かだし、ベッドあるし」


本当に意味がわからなかった。なんでそうなるのか、わからなかった。

でも、ヒョンは真顔で言ってた。じっと僕の顔を見て、そう言った。


「……ほんと、ヒョンって分かってない」


「何が?」


「ぜんぶ。全部分かってないよ」


言いながら自分が情けなくなる。

でもヒョンはそんな自分の顔を見て、また真っ直ぐこう言う。


「じゃあ、教えて」


「……やだ」


「…とりあえず来いよ。なんか甘いもんあるから。チョコ好きだろ」


「…別に、そうでもない」


「嘘つけ。この前家寄ったときめっちゃ食ってたじゃん」


「覚えてないでよ、そういうとこだけ」


「そりゃ覚えてるよ。ドンヒョクの好きなもんとか、全部」



ああ、この人にはもうお手上げだ。



ヒョンの家に向かって歩きながら、何も言えなかった。

さっきよりずっと心臓がうるさくて、息がしづらくて。


たぶん、あの時点でもうわかってた。


ヒョンが誰かの彼氏になったって話を聞いて、泣きたくなったことよりも。


それよりも、

ヒョンが「僕を連れて帰る」って選んだことのほうが、ずっとずっと怖くて、嬉しかった。









放課後の空はオレンジに染まりはじめてて、自分はヒョンの隣を歩いてた。

「久しぶりだな、ドンヒョクが家来んの」って笑った声が、ぼんやりと耳に届く。


マクヒョンの部屋。

玄関の鍵を開けた瞬間、ふっと漂ってきたのは、いつか来たときと変わらないあの香りだった。


なんてことない柔軟剤の匂いと、微かに残る香水の気配。


「適当に座ってて、飲み物取ってくる」


ヒョンは黒いリュックを椅子に投げて、リビングに降りていった。


その間にローテーブルの前に座って教科書を出す。

でも、ページを開いたまま全然頭に入ってこなかった。


「アクエリでいい?」


「うん」


隣に腰を下ろすヒョン。

そのとき、シャツのボタンが二つ外れてるのが見えた。


白いシャツの間から見える、しっかりした鎖骨。

制服のときはきちっとしてるのに

今はネクタイもはずしてて、袖も捲ってて、


「……ドンヒョガ?」


「え…、あ、ごめん」


不思議そうなマクヒョンの表情。


「…シャツ、開けてたの?」


「まあ、暑いから。あと家だし」


さらっと言いながら、ペットボトルの蓋を開けてぐいっと飲む。

喉仏が動いて、光の加減でそれがくっきり見えた。


慌てて視線を教科書に戻したけど、残像が脳裏から離れてくれない。


ページをめくる指先が自分のものじゃないみたいな感覚だった。









数学の問題を解いてたはずなのに、マクヒョンの手が止まった。


ちらりと横を見るとヒョンのスマホが音もなく震えていた。


画面に浮かんだのは見慣れない、でも知ってる名前。


「……あ、ごめん、ちょっと出る」


ヒョンはすっと立ち上がって、スマホを耳に当てながら部屋を出ていった。

開いたままの教科書を見てたけど集中なんてできなかった。


奥の廊下の向こうから、くぐもった声が聞こえてくる。


特別優しいわけじゃない。かといって、冷たいわけでもない。


誰かに気を遣ってる声だった。

自分には向けられないような声色。


シャーペンを持つ指に力が入らない。

せっかく教えてもらってた問題も、どこまでやったのかもうわからなくなってた。



何分かしてヒョンが戻ってきた。

片手でドアを閉めながら「ごめん」って。


「悪い、長くなった」


「……ううん、大丈夫」


顔を上げずに言った。

ノートのマス目をなぞって、ページをめくるふりをする。


ヒョンは気づいてるのか、気づいてないのか、いつもの調子で隣に座った。









またやってしまった、と思った。





今、ヒョンの部屋の空気が確実におかしくなったのは、たぶん自分がまた余計なことを言ったから。



「……彼女いるのに、なんでここに連れてきたの?」


って、言った瞬間にヒョンが少しだけまばたきを遅らせた。


何でそんなこと言うんだよって怪訝な顔をしてる。


「ドンヒョクに来てほしいって思ったから」


ああ、もう。

その言い方がずるい。

それがいちばんずるい。


「……なにそれ」


「なにって」


「ヒョン、ほんとそういうとこある。人の気持ちわかってないくせに」


「わかってるから言ってんだろ」


「うそだ」


悔しくて、ずるくて、顔を伏せる。


「…ドンヒョガ」


マクヒョンの声。

すぐそばで名前を呼ばれると、どうしても顔を上げられなかった。


「拗ねてる?」


「拗ねてない」


「…でも顔に出てる」


「出てないってば」


つい大声を上げてしまった。


「……嘘下手だな」


「やっぱり、ヒョンってひどい」


そう言った自分の声はひどく掠れて、ヒョンが聞き取れたかどうかも分からなかった。


「……そう」


ヒョンの声が、さっきより少しだけ低くなった。

それがどんな感情から来ているのか、自分には分からなかった。


そっとマクヒョンの横顔を盗み見る。まっすぐ前を見ていてやっぱり掴めない。

でも、その瞳の奥がわずかに揺れてるような気がした。



「じゃあさ、」


ヒョンが静かに言った。



次の瞬間、左手を取られた。

そのままヒョンの方に引かれて、バランスを崩して、床に倒れる。



「こうやってほしかった?」


何が起こったのか、理解できなくて

思わず、息が止まった。


顔がすぐ近くにある。

マクヒョンの瞳の奥に、自分の顔が映ってる。



「…お前が俺に見せてくる顔って何?」


「……」


「お前さ、怒ってないふりして、寂しいって顔して、それで『別に』とか言うから、余計……分かんなくなる」



そう苦しそうに呟いたヒョンの目はあまりにも真剣で、揺れてて、何も言えなかった。



なんで、なんでマクヒョンがそんな顔するの。



もう、視線を逸らす余裕なんてなくて、ただ見つめ返すしかなかった。


呼吸のしかたも分からないくらい、ヒョンの顔が近い。


心臓の音が、やけにうるさく響いた。



「ごめん。彼女のこととか、色々。……今日のドンヒョガ見てたら、無理だった」


「なにが、無理……」


「自分が誰を好きなのか、分かんなくなるのが」



そのまま沈黙が落ちた瞬間


ヒョンの唇が、自分の唇のすぐ手前で止まった。



「……していい?」


「……バカ」






それが許可だって、ヒョンはちゃんと分かってた。

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