テラーノベル
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遊園地のゲートが見えた瞬間、僕は思わずため息を漏らした。 スペースランド。宇宙をテーマにした、派手でチープな遊園地。そこそこ有名らしく、子供向けのアトラクションや着ぐるみが充実しているというのが売りらしい。
前の彼女と行ったきり──僕の知識はそこまでだった。
こんな場所に、Lが「行ってみたい」と言い出す日が来るなんて、誰が予想しただろうか。しかも、ワタリさんが「良かったらLと一緒に行ってあげてほしい」と頼まれたら、もはや止めようがなかった。
問題は、そこに至るまでの手段だ。
「……やっぱり、盗難車じゃないのか?これ」
斜め前で笑いながらハンドルを切っているBの横顔を睨むように見ながら、僕はそう言った。
見るからに年季の入った白のバン。後部座席のドアは片方開かないし、内装はボロボロ、エアコンからは怪しい音がする。Bいわく「整備は完璧」とのことだが、どう見ても町工場から失敬してきた感が拭えない。なぜこんな車を所持しているのか、本人は答えない。
後部座席にはニア、メロ、マット、粧裕が詰め込まれ、それぞれ思い思いの表情で窓の外を眺めている。Lだけは助手席に座り、真剣な顔で目的地に着くのを待っていた。とういうか、Lが助手席に乗るという時点で、すでにこの遠足の異常性は証明されている。
ブレーキ音がやけに大きく響いた。
車が停止するのと同時に、Bが壊れかけのドアを全開にして外の空気を吸い込んだ。
「ふふ、星の匂いがする。いいね、宇宙遊園地」
「ただの排気ガスの匂いだろ」
メロがすかさず突っ込んだ。
Lは助手席に座っていたというのに、彼の姿勢はまるで崩れていない。何もしてないのに、宇宙船の操縦を終えた船長のような態度だった。
僕はドアを開けて外に出た。熱いアスファルトに靴の底が貼りつくような感触がある。
ゲートの前では、等身大の宇宙人マスコットが揺れながら手を振っていた。手書き感のあるポスターには《スペースランドへようこそ!》の文字。──どう見ても、平和な休日だ。
でも、心のどこかに引っかかる。このメンバーで、この場所。何も起きないわけがない。
「さあ、行きましょう。まずはマップを手に入れて、各アトラクションの優先順位を──」
Lが嬉しそうに言いかけたその時、ミサが飛び出すように駆けていった。
「きゃー!見て見て!宇宙人のぬいぐるみ〜! 月〜撮って〜!」
「………………」
──……僕たちの一日は、まだ始まったばかりだ。
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【月&L&ミサ&B】
気づけば、もう全員バラバラだった。
到着して数分。園内マップを広げる前から、ニアと粧裕はお土産コーナーにメロとマットはゲームセンターに吸い込まれていった。僕たちは「とりあえず近くのアトラクションに行こう」というLの提案で、そのままコーヒーカップ乗り場に向かっていた。
──僕、L、ミサ、Bの4人。
コーヒーカップは、見た目に反して“地獄の回転地獄”だった。だがこの顔ぶれでは、まともに終わるはずがない。
このコーヒーカップはそこまで大きなコーヒーカップではないため、二人ペアで乗らなければならないらしい。
この4人、どう分けるのか──僕の提案でグッとパーで別れる事になった。
「いくぞ──グッとパーでわかれましょう」
全員同じパー。
「……しょ……」
もう一度、パー3人、グー1人。
「しょっ」
パー2人、グー2人。
別れた。
僕とLがパー、ミサとBがグー。
──これで、まさかの異様なペア同士が決まった。
……嫌な予感がした。
「え~~!?ミサ、月と一緒がよかったあああ!」
ミサが僕の腕にしがみつくようにして、あからさまに不満を漏らす。Bが口をへの字に曲げた。
「私だってLと一緒が良かった……」
──子供か。
もちろん、声には出さない。けれど、喉元まで出かけていたその呆れを、なんとか奥歯で押し潰した。
「ペアはもう決まったことです。公平な“グッとパー”で」
Lが平然とした声で言った。まったくもってその通りだが、なぜこんな事態になるのかは理解不能だ。
「じゃあミサ、ライトのこと想像しながら乗るからね!」
「Bも……想像する。Lと、くるくるくるくる……」
こっちのほうが面倒くさい。
僕とLは目を合わせるとあからさまなため息をついた。
僕は遠い目をして、順番待ちの列に並んだ。前には小さな子供連れの家族、後ろには宇宙人のカチューシャをつけたカップル。明らかに僕たちだけ空気が違う。
「ねえねえ、じゃあさ!」と、ミサが急に声を上げた。
「どうせなら勝負にしない?あのコーヒーカップ、確か回転速度、表示されるじゃん!速く回したペアの勝ち!」
「いいですね」
「負けた方が、勝ったペアにアイス奢り!」
Lは一瞬だけ僕を見て──「やりましょう」と返す。
「……まあ、いいけど。勝つのは僕たちだ」
言った瞬間、Lの目の奥がぴくりと動いた気がした。あれは完全にスイッチが入った顔だった。
たかがアイス。されどアイス。
──しかし、勝負となれば、絶対に負けられない。
カップに乗り込むと同時に、僕たちはもう戦闘体勢だった。中央に据えられた銀色のバー。これを回せば回すほど、カップの回転数は増していく。そしてカップの中にあるパネルには、“回転数:0rpm”の文字。
「月くん、どっち回しますか?」
「……時計回りのほうが得意だ」
「分かりました、こっちですね」
と手で軽く回してみせる。が、まだ回らない。
「1秒に一回転、まずは20rpmを目指す。そこからは本気で回そう」
「了解です。では、アイスの味は何にしますか?」
「──今から決めておくか」
僕たちは勝ち確を感じ、ニヤッと笑った。
「らんらら〜ん、ミサミサー、くるくるくるくるー!」
「いやー!この人怖いー!ちょっと気持ち悪くなってきたー!」
隣のカップでは、既に不穏な声が飛び交っていた。
──敵に情けは無用。
これは、勝負だ。
係員の声がスピーカーから響く。
「シートベルトをしっかりお閉めください。それでは……コーヒーカップ、回転スタート!」
銀色のバーに、Lと僕の手が重なった。
「行きますよ、月くん」
「ああ。全力で」
──始まった。
バーに力を込めた瞬間、世界が歪んだ。
最初の一回転はまだ、ただの“遊び”の範囲だった。
二回転目で、Lが正面から低く呟く。
「もっと回りますよ」
「わかってる」
三回転目で、バーが呻き声を上げた。
四回転目で、風が僕らの髪を巻き上げる。
そして──五回転目から先は、もう、人間が乗ってはいけない領域に突入した。
加速。さらに加速。僕たちの手がバーを引きちぎらんばかりの勢いで回し続ける。
カップは地面ごと浮き上がっているのかと錯覚するほどの遠心力を生み、空気が泣いていた。
「現在の回転数、17rpm……18……19……20!」
頭上のパネルがビープ音を鳴らす。周りの子供達が遠くからなにかを叫んでいるが、聞こえない。
視界が横方向に引き伸ばされる。まるでパノラマ写真にされながら生きている気分だ。
Lの髪が宙を泳ぎ、僕の視界を遮る。額がぶつかりそうになる距離で、Lがにやりと笑った。
「もっといけます、月くん」
「っ、ああ!まだまだっ……!」
21rpm……22……24──24.9!
死ぬ。誰か止めろ。けど勝つまで止めるな。
隣のカップでは、もはや絶叫では済まない悲鳴が響いていた。
「いやああああああああああ!!止めてええええええええ!!!」
「くるくるくるくるーもっといける、回る、くくくくくくっ」
むしろあっちの方がヤバい。
「26……27……27.5……!」
世界が、ちぎれそうだった。
風圧で涙が勝手に出てくる。鼓膜の内側で変な音が響く。
「っ、ぅぐ、……まだ……いけるかっ……!?」
そして──
28rpm。
そのとき、カップが停止した。ミサが目を回してグッタリしており、Bは笑いながら天を仰いでいた。
ミサとBのカップには27rpm。僕たちは28rpm。
「やった……28……L、勝った……僕たち……勝ったぞ……!」
「そうですね……バニラアイス奢って貰いましょう」
視界が回る。地面が傾く。
勝った──という事実と、胃の中が逆流してるという現実。
──とてもアイスを食える状態では無かった。
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【粧裕&ニア】
スペースランドの中央にあるお土産コーナーは、宇宙をテーマにした雑貨であふれていた。天井には発泡スチロールの惑星がぶら下がり、BGMはやたらテンションの高い「宇宙戦争ごっこ」のテーマソング。だが、それさえも背景になるほど、店内は子供たちと家族連れの賑わいに包まれていた。
その片隅に、静かに佇むふたり──ニアと粧裕。
「……これ、ロケットの模型みたいですね」
ニアは棚に並んだ銀色の筒型キットを手に取った。プラスチック製だが、意外にも精巧な造りで、細かいパーツが内部に収納されている。組み立て用の小さなドライバーまでついていた。
「こういうの、好きなの?」
粧裕が微笑みながら横から覗き込む。ニアは少しだけ頷いた。
「ええ。好きです」
そのまま隣の棚へと移動すると、今度は宇宙人型のフィギュアが並んでいた。目がぐりぐりした緑のやつや、妙に筋肉質なロボット風のやつもある。
「ふふ、これ……お兄ちゃんが小さいころ好きだったのとそっくり」
粧裕が懐かしそうに笑う。
「夜神月さんですか」
「うん。でも今は全然、こういうのには興味示さなくなっちゃったけどね。……ニアは、今もこういうの好きなんだね」
「……そうですね」
Tシャツなどが山積みにされている。その中央に──妙に存在感を放つコーナーがあった。
宇宙人マスクコーナー。
銀色のラバー素材。のっぺりとした顔面。左右に大きすぎる黒い目。鼻はなく、口元は申し訳程度に線が引かれているだけ。何種類かあるが、どれも基本的には「異様」のひと言に尽きる。
その棚の前で、ニアがじっと立ち止まっていた。
「これ、欲しいの?」
粧裕がマスクを指さし恐る恐る尋ねると、ニアはこくりと頷いた。
「これが?」
もう一度、こくり。
「……宇宙人だよ?」
また、こくり。
「ええ」と声を漏らす粧裕には目もくれず、宇宙人のマスクを手に取った──
そして──
数分後。
僕とLが、地獄の回転地獄からなんとか這い出て、ベンチに崩れかかっていたその時。
視界の先に、妙な影が2つ立っていた。
銀色のマスク。
のっぺりとした顔面に、黒く巨大な目。無言。
──2人の宇宙人がこっちを見ていた。
「なにそれ」
思わず、口から出た。
「……余計目立ちますよ、ニア」
Lがとなりで平然と言った。
その瞬間。
2人の宇宙人──ニアと粧裕──が、同時に喉をトントンと叩いた。
そして、低いノイズ混じりの声で宣言した。
「ワレワレハ ウチュウジン ダ……」
その場に、微妙な沈黙が流れた。
「……いや、何やってんの?」
体力ゼロの僕には、それしか言えなかった。
「仮面をかぶると、人格が変わるんです」
ニアが淡々とマスクの中から答える。
粧裕の方は、明らかに楽しんでいる。肩が揺れてる。笑いをこらえてるのが分かる。
「ちなみに、“宇宙語”には定義がないので、今即興で作ってます」
ニアが言う。
「ポポポ……ギギギ……ツァメブ、L……オマエノ アタマハ オイシソウダ」
「なんですかその侵略宣言は」
そのままLは、ニアのマスクをまじまじと見つめ──
「……それ、私も欲しいです」
えっ。
僕はLを見た。ミサも口を開けたまま固まっている。
Lはそのまま立ち上がり、ニアに向かって一言。
「案内、お願いします」
「分かりました」
そして、宇宙人のマスクをかぶったニアと、地球代表の顔をしているLが、並んでお土産コーナーへと歩いていった。
銀色の仮面と、真っ黒な瞳。
ポポポ……ギギギ……と、何やら再現音声らしきものを練習しながら、Lは小さく「クスッ」と笑ったように見えた。
僕は、宇宙より遠い目で空を見上げる。
──もう、帰りたい。
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【メロ&マット&L&ニア&B】
「……クソガキが」
メロはハンドルを握ったまま、歯を噛み締めていた。
画面には、マットが選んだヨッシーが見事なスピンで1位ゴールを決める姿。対して、メロのキャラは無様にバナナに滑って最下位。横の筐体からは、ピースサインをして勝手に乱入してきたクソガキの声が響いた。
「うわぁ〜!こいつザコ〜い!」
「ジャンプ台で落ちるとかマジおもろ!」
マットは隣でチュロスを食べながら言った。
「メロ……“カーブの内側攻めすぎ”なんだよ」
あまりに穏やかな声で、的確に刺してくる。
「……ああ?」
メロの声が低く唸る。レースゲームのハンドルから手を離し、ゆっくりマットを見た。
「今、なんて言った?」
「いや、だからさ……1周目のあのキノコジャンプ台。直前で加速かけすぎると、車体浮いてスリップする仕様なんだよね」
「知ってる」
「でもそのまま突っ込んでさ──バナナ滑って、壁にゴンッてなって、めっちゃ吹っ飛んでたじゃん?」
「知ってる」
「で、2周目も同じ場所で──」
「知ってるって言ってんだろ!」
そこそこ本気の声量だった。
「……落ち着けメロ。チュロス食うか?」
「いらねえ」
メロはしばらくモニターを睨んでいたが、やがて低く呟いた。
「……コントローラーが悪いんだよ」
「コントローラーのせいにしたら終わりだって」
「くっ……」
そのとき、背後からピコピコと変な足音が響いた。
振り返ると──銀色のマスク。
黒い目。サイズ違いがふたり。
宇宙人が、こっちを見ていた。
「……Lとニアじゃん」
「えっ……あの人何やってんだ……」
「ワレワレハ、ゲームセンターにキタ……」
「ポポポ……チュロス、ホシイ……」
メロがため息をついた。
「……もう今日は、何に突っ込めばいいのか分からない」
メロがチラリと横目で見て、ため息をついた。
「どうなってんだこの遊園地……」
そんな中、ニアがぬいぐるみクレーンの前で立ち止まった。
中にいたのは、宇宙人型マスコット。
「……L。これが欲しいです」
「分かりました。任せてください」
Lは百円玉をゆっくり入れた。
アームが静かに降下する。
──スカ。
2回目。
「今回は角度を……」
──スカ。
3回目。
「今度こそ、頭を掴めば……」
──ポロリ。
「うわあ……地味に下手だ……毎回、同じとこ掴んで失敗してる」
メロとマットが並んで観察していた。
「L、そこ狙っても、アームが滑るだけだよ」
「……恐らく、次で成功するはずです」
──4回目。
アームが降りた。今度はかなり中心に近い──!
──持ち上がる。揺れる。……落ちる。
「……同じく失敗です」
「毎回、惜しいところで落とすの、逆に才能だよ」
5回目。6回目。
Lの顔は一切変わらない。
後ろで見ていたメロが、低く言う。
「見てらんないな……」
ニアはマスク越しに無言で、UFOキャッチャーの中を見つめていた。
もはやぬいぐるみの方が申し訳なさそうな顔に見える。
Lはまた百円を入れようとしている。
そんな時、ニアが、ゆっくりと振り返った。
そして──
まっすぐにマットを見た。
マットはチュロスを食べながら、気配に気づいて顔を上げた。
「ん?」
ニアは、何も言わずにマットを指差し、そのまま──ぬいぐるみを指差した。
「……え、オレぇ?」
ニアはこくんと頷いた。
「Lより……俺の方が取れるって判断したってことでいいの?」
「はい」
即答だった。
Lはそれを聞いても動じない。
マットは小銭を入れながら、ぬいぐるみに付いていたタグをじっと見つめていた。
「この台、アームがゆるいけど、タグ狙えば……引っ掛けでいける」
操作する指先に迷いはない。
アームがスッと降り──タグに引っかかる──
少し揺れて──ポトン。
「……はい、取れた」
「ありがとうございます」
ニアが丁寧にぬいぐるみを受け取る。
銀色のマスク越しに、ほんのり“嬉しさ”が滲んでいた。たぶん、満足している。
一方その頃──
筐体の前に、メロがひとり、マリオカートのシートに座ったままだった。
不貞腐れてる様子のメロ。Lは音もなくやってきた。銀色の宇宙人マスクはしたまま。──のっぺりした顔面。黒い巨大な目。ちょっと気味が悪い。
「……おい」
メロは冷静に言った。
「いつから“名探偵”じゃなくて、“宇宙人”になったんだ?」
Lは、何の悪びれもなく言った。
「今さっき、宇宙人になりました」
「……顔隠してるつもりなんだろうが、余計目立つぞ」
「かもしれませんね。しかし、顔をさらけ出してる方が落ち着きません」
Lはそのまま宇宙人のマスクをずらしもせず、当たり前のように右隣の筐体に座った。
そして──いつもの座り方ではなかった。
椅子に深く腰掛け、左足は椅子の上、右足のつま先だけが、アクセルペダルにそっと乗っている。
姿勢は正しいのに、どこか間違っている。
異様なほど静かな空気をまとって、Lがこちらを見た。
「一戦どうですか?」
その言い方は、まるで「紅茶でもいかがですか」と同じトーンだった。
メロは眉ひとつ動かさずに、じっとLを見た。
「……あんた、マリオカートなんてやるタイプだったか?」
「“勝負事”である以上、燃えるタイプです」
「ふーん……まぁいい。乗るよ」
メロは腰を浮かせ、ハンドルに両手をかけた。
「ただし、手加減なしだ。僕が勝ったら、そのマスク、外せよ」
「分かりました。では、メロが負けたら?」
「……僕が、被るよ」
Lの口元が、少しだけ笑った。
「良い条件です。では、スタートしましょう」
選ばれたステージは「レインボーロード」。
地面がない。ミスれば即墜落。勝負にはふさわしい。
3──2──1──スタート!
「っち……!」
メロのカートはスタートダッシュが遅れた。
隣のLのキャラは的確にインを攻め、すぐに2位に浮上。1位との差も徐々に詰めている。
何やら騒がしいマリオカートの方にマットとニアは戻ると、すかさずマットがメロの背もたれから、画面を見つめた。
「メロ、そこのダッシュ板!」
「分かってる!」
が──カーブで大きく膨らみ、フェンスに衝突。
──ドン!
「あちゃー」
更に操作ミスでメロのキャラはスピンして、真っ逆さまに落下していった。
「っくそ……!」
復帰後も、3秒してバナナを踏み、スピン。
ダッシュ板を外して、奈落へ直行。
──落下。再スタート。すぐ落下。
「またかよッ!!」
後ろからマットの声がした。
「ねぇ、メロ……」
「なんだよ!」
「もう……ハンドル、俺がやろっか?」
メロは0.5秒くらいで悩んだあと、舌打ちして言った。
「……お前がハンドルやれ」
マットは笑顔で手だけ前に出してメロのハンドルを握った。
完全に“マリカー二人羽織”。
「でもアクセルとアイテムは自分でやってね?」
「ああ。赤い甲羅投げるのは得意だ」
操作は急に滑らかになった。
マットの手によって、カートはカーブを正確に抜け、障害物を器用に避けていく。
メロの右足が、アクセルをベタ踏み。
左手が、次々とアイテムをぶっ放す。
「バナナ、甲羅、またバナナ!っておいまたバナナかよ!」
「それ引いたのお前だし!」
目まぐるしく回転するコース、ライバルのカートが横をかすめていく──そして直線区間に入った、次の瞬間だった。
マットの手が、ハンドルをグルグルと爆速で切り始めた。
直線で、ドリフト。
「なっ……バカか!?ドリフトはカーブで使うもんだろ!」
「そんな決まりないから。直ドリ(直線ドリフト)はスピード出すために必要なんだよ、メロ」
タイヤがキュルキュルと音を立てて滑るたび、スパークが飛ぶ。
ドリフトゲージが溜まると同時に、ミニターボが次々と発動。
ブゥンッ!
ガガッ!
シュンッ!!
──爆走。
「っ……速い……!」
Lのカートが目前に迫ってくる。
既にこのコンビは9位から3位へ。順位表示がゴンゴンと入れ替わる。
「次のアイテム、キノコならショートカットいける!……祈れメロ」
──ボックス通過。
メロがボタンを叩く。現れたのは──
──トリプルキノコ。
「勝った!」
マットがステアを真横に切る。
カートは飛んだ。ダート地帯(でこぼこ道)をぶっちぎるショートカット。
Lのキャラの背中が、すぐそこにあった。
「抜け!いっけぇええ!」
残り一カーブ。
マットの手がハンドルを切る。
メロの手がキノコを叩く。
直線ドリフトからの最終加速──
「──ゴール!!」
順位表示、1位。
Lのカートがコンマ数秒差で追い抜けず、2位のままフィニッシュした。
「よっしゃあああ、勝ち!!」
「さすがマット……!」
マットは笑いながら両手を上げていた。
「最高!やっぱ俺うまい!」
「、……アイテム使ってたのは僕だ」
「バナナ踏みすぎだったけどね」
「二度と言うな」
Lは、マスク越しから悔しそうに言った。
「さすがですね。メロ、マット。これは……“チームドリフト”とでも名付けましょうか」
「ふざけんな」
勝利の余韻に浸るその瞬間──
ぬっ……。
メロの背後から、ひとつの影が滑るように現れた。
不気味に笑うLそっくりな男は無言でLを退かすと、マリオカートの筐体に腰を下ろした。
──Bだった。
「Lの仇をとります」
メロが眉をひそめる。
Lは後方で親指を口に咥えて静かに言った。
「Bダッシュ、できるんですか?」
Bの動きがピタッと止まった。
「得意に決まってます。Bですから。Bは攻め、強気な攻めです」
「BのBダッシュ、期待してます」
その一言で、カチッと何かが入った。
マットが小声でメロに耳打ちする。
「やばい……B先輩のやる気スイッチ入ったかも」
「むしろLの“煽り芸”の方が怖いよ」
レース、スタート。
Bの動きは、もう完全に「待ち構える狩人」。
1ラップ目、メロとマットが順調に1位を取っている中──
「……来ないな……」
そう呟いた瞬間、カーブの先にBのカートが止まっていた。
「待ち伏せ!?!?!?」
ドゴッ!!!
Bのカートが猛突進。メロのカートが横に吹き飛び、柵を突き破り奈落へ。
「うわああああああああ!!!」
「待ち伏せとかありかよっ!」
「くっそぉ、やるなぁ、B先輩。絶対負けねぇ」
珍しくマットが燃え上がっている。
2ラップ目。
メロとマットが今度は警戒して少し距離を保つも──
「赤甲羅……しつこい!!」
Bが何度もアイテムで執拗に追撃。
「なに!?何個持ってんだよ!!」
「これは……Bのしつこさですね」
Lが冷静に画面を見つめながら、ぽつり。
そして、マットのハンドルさばきをジッと見つめていたLが、やがて言った。
「B、ハンドルを交代してください。マットのハンドルさばきを見て学びました」
「学んだ?」
「最短ドリフト方法が分かりました。私がやります。これでBダッシュし放題です」
その会話を真横で聞いていたマットのハンドルを握る手が震える。
「やばい、やばい、Lのほうが怖い」
──3ラップ目。
運転・L。
アイテム・B。
最悪のタッグが完成した。
メロの「操作してないのにストレスがすごい」という名言が出るほど、追い詰められる展開。
Bは相変わらず的確に赤甲羅を投げ続け、Lはスリップストリームからの高速ドリフトをキメる。ショートカットまでどこで見つけたのか、ステージを飛び越えながら、周回遅れの13位から一気に2位にブチ上がる。
2位と1位、接戦。差はわずか数メートル。
──最終直線。残り50m。
「あとちょっと……!」
しかし……音がした。
上空から──
ピィィィィィィィィィィィィ──ン
「青甲羅!?!?」
マットが叫んだ。
画面上空から、青い恐怖の砲弾が迫る。
「メロ!キノコ持ってるじゃん、避けられるぞ!」
「は、はあ!?どのタイミングだよ!早いのか!?今か!?まだか!?」
「うわぁ!無理だ!お前には無理だ!!」
──そのとき。
「私がやりましょう」
ニアがスッと手を伸ばしてきた。
表情は、いつも通り無表情。
しかし、その指先は一切の迷いがなかった。
青甲羅が頭上で炸裂する、ほんの0.1秒前──
ピッ
ニアの指がキノコを起動。
カートが青い爆風を突き抜け、加速。
──ゴールイン。
1位。チーム、メロ・マット勝利。
「勝った……?」
メロが息を切らしながら言った。
マットは後ろで呟いた。
「うん……勝った……ニア、マジでありがとう……」
Lが横から言う。
「ナイスタイミングです。まさに……“ニアシスト”」
Bが悔しそうに言う。
「負けた……ニアを使うなんてチートだ」
Bが悔しそうに歯を噛み締めていると、Lが口を開いた。
「……では、別の競技でリベンジ戦といきましょうか」
「は?」
「え?」
「こちらです」
Lがすっと指を差した先にあったのは、パンチングマシーン。
「なんで!?」
メロが叫ぶ。
「レースと関係ないじゃん」
「少しやってみたくて」
「名探偵のくせに、なんで殴るゲームに本気なんだよ……!」
Lは、銀色の宇宙人マスクを被ったまま、列に並んだ。
──パンチングマシーン対決、開幕。
トップバッター、メロ。
「行くぞ……Lより上ならそれでいい」
バコッ!
【791】
「これで名探偵より上だな」
「私、まだやってませんが」
二番手、マット。
「じゃ、ちょっとだけね」
ポスッ。
【684】
「うん、こんなもんでしょ」
「優しさ出てたな」
三番手、B。
「Bは、感情を拳に込めるタイプです」
構えから、しなやかな踏み込み──
ズドン!
【822】
「……B先輩怖っ……」
「その体のどこにそんな力があんだよ」
四番手、ニア。
「手の平を、そっと……」
ポスン。
【006】
「……え?」
「こういうのは苦手です……L、仇を取ってください」
「任せてください。ニア、Lの名にかけて、正義の一発をお見舞します」
ラスト、宇宙人──L。
マスクを被ったまま、無言で機械の前に立つ。
マットが思わず呟いた。
「いやマジで、誰か止めろよ……」
Lは、その異形のまま拳を構え──
「ふっ!」
という謎の掛け声と共に──
ポスッ!
【018】
「低っ!?」
「あれ?壊れてます?おかしいですね」
Lはマスクを外さず、黙って点数を見つめていた。
Bがぼそりと呟く。
「L、リベンジ失敗ですね」
Lは答えない。
「……悔しい、拳では無く足なら……そこそこ良い点数が取れると思うのですが」
その場の空気が一瞬、止まった。
「えっ、今“足”って……?」
メロが眉をひそめ、マットが小声で言う。
「やめとこ?マシン壊れちゃうから……」
だがもう、遅かった。
Lは銀色の宇宙人マスクをつけたまま、機械の前にゆらりと立つと──
ひと呼吸、置く。
「──ふっ」
静かな声とともに、片足を軸に大きく旋回。
──くるり、と美しい回転。
そして、
ズガァァァァァァァン!!!
機械が、一瞬、軋んだ音を立てた。
スコア表示:【999】
「……え、え、え、MAX出た!?」
「なんだ今の蹴り……」
「カポエイラ……?」
Lは平然と回し蹴りの姿勢を解き、宇宙人マスク越しに言う。
「……私、足技の方が得意なんです」
「いや得意ってレベルじゃないだろ!」
「……ゲーセンのマシン、凹んでるんだけど」
Bが眉を寄せ、機械をのぞき込む。
「L、ルール違反です。あなたの負けです」
「いや、もう何の勝負だったか分からないから」
メロがツッコんだ瞬間、後ろから店員が近づいてきて──
「さっき、すごい音したのですが……宇宙人の方ですか……」
視線がLにピタリと定まる。
他のメンバーは、そっと視線を逸らして一歩後退。
「……マシン壊れてないですよね?」
「異常はありません。数値も正常です」
Lはまるで何事もなかったように答えた。
だが、店員は首を傾げながら、やや語気を強める。
「いえ、でもですね……これ、パンチングマシンなんで、拳でお願いします」
「……」
少しだけ沈黙したのち、宇宙人は俯くと、自分の拳を見つめポツリ。
「……拳では、勝てないんです」
「そちらの都合は知らないので、拳でお願いします」
「……はい」
L、人生で初めてゲーセン店員に怒られる。
Bは小さく笑っていた。
「Lが怒られるの、ちょっと面白いですね」
「なぁL、次やるときはちゃんと“宇宙のルール”守れよ」
メロが肩をすくめて言うと、Lは宇宙人の口元に親指を添えて静かに頷いた。
「……次はこの頭で999を目指します」
「やめろって!」
そのやりとりの一部始終を──
少し離れた場所から眺めていた人物がいた。
夜神月だ。
背後には粧裕と弥海砂。チュロス片手に、和気あいあいとしていたはずの彼が、ふと立ち止まって呟いた。
「……なんだあれ」
視線の先には、宇宙人マスクのまま店員に小言を言われるL。
「竜崎さんって見た目より面白い人だよね」
月はもう一度、あの不可思議な光景に目を向け──何とも言えない顔で、呟いた。
「……全員、頭おかしいだろ……」
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【月&B】
「……はぁ……」
──正直、思っていた以上にきた。
遊園地の定番アトラクション・コーヒーカップ。あれほど可愛らしい見た目で、人をここまで追い詰めるとは思っていなかった。
「月、意外と酔いやすいんだね」
そうはしゃいでいたミサも、今はもう、ジェットコースターへと向かってしまった。
粧裕、L、ニア、マット、メロ……B以外の全員が、僕を置いて行った。いや、正確には「休んでていいよ」と言われたから断っただけなのだが。
──気づけば、ベンチに一人。
騒がしい歓声とアトラクションの機械音のなか、ほんの少しだけ静かな場所。
木陰にあるそのベンチに、僕は項垂れて座っていた。冷たい風が、額の汗を拭っていく。
そして──その時だった。
視界の端に、“黒いノート”が落ちているのが見えた。
「……ノート?……忘れ物、か?」
僕はゆっくりと立ち上がり、木の根元へと歩み寄る。
地面に落ちたそれは、思った以上に不気味だった。まるで、最初から“ここにあるべきもの”のように、違和感なく存在していた。
表紙には、英語でたった一言。
DEATH NOTE
──……。
その文字を見た瞬間、頭の奥に何か鋭い針のような感覚が走った。
「……何だ?これ」
僕は、思わず手に取ってしまった。
──黒い表紙、軽いノートなのに重く感じる。この力の篭もる感じ、ざらついた紙質。
その瞬間だった。
「う、うわあああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
……叫んでいた。
空飛ぶジェットコースター「コスモスライダー」より高く、地響き鳴らす「ギャラクシードロップ」より深く、この日一番の絶叫が、“地上のベンチ”から放たれた。
遊園地中に響き渡る、心底からの絶叫。
絶叫マシーンどころではない。完全に次元が違う。むしろ月本人が“アトラクション”と化した。
その叫びに気づいた男はビクッと肩を震わせると、夜神月の方を見た。なんだあいつと。
そして、その異常音に誘われるように現れた、もう一つの異常。
──Bが、ベンチの背後から、ぬっと現れる。
「…………」
赤い目を細め、月の手元をじっと見る。
「おや、それは……かつて世界を変えかけた“死神のノート”では?」
月は、ベンチからそっと顔を上げる。
Bがいた。
黙ってこちらを見ていた。そしてなぜかニヤニヤしている。
月の目がスッ……と細くなる。
「見たな?」
「ええ、ええ、しっかり。」
月は、真顔のままデスノートをぱたんと閉じた。
「思い出したのか?夜神月」
「ああ、思い出した。……正義とは何か、世界とはどうあるべきか、そして──」
月は先程のコーヒーカップを殺意ある目で睨んだ。心臓麻痺で動きを止めてやりたいほどだ。
「……今なら“世界”も回せる気がする」
「頭が回ってませんよ、それ」
Bが即答する。が──月の顔からは、もう笑顔も遊びも抜け落ちていた。
「……見たんだね、B」
Bは頷いた。
「ええ、しっかり。今日一番の絶叫だった。くくくっ」
月は静かに頷いた。そして、デスノートを胸元に押し当て、囁くように続けた。
「B、君の“目”は使える。そして、僕の記憶が戻った。この二つが揃えば、誰も止められない──“完全な裁き”ができるんだ」
月はすっと目を閉じ、言った。
「協力しないか?」
遊園地という陽気な空間にそぐわぬ、冷たい決断の声。
「君のその目、正義のために使う気はないか。……僕の、正義のために」
沈黙。
ただ、近くのジェットコースターでミサの「キャーーー!!」という悲鳴が通過していった。
Bは、首をコキ、と鳴らした。
「いいでしょう、夜神月、共にLを超えましょう」
その言葉を聞いた瞬間、月の目に狂気じみた閃光が走った。
勝った……!
Lと互角の頭脳を持つBを手にした僕は最強だ。
──計画通り。
Lを超えるための、最適解の一つが、今、目の前に転がり込んできたのだ。
B。かつてLに匹敵し、死神の目を持ちながらも生き残った異端の存在。
その“危険性”すらも、僕の手の内に収まる。
──あとは、導くだけだ。
「……分かった。では──本題に入るぞ。Lの本名を教えてくれ」
Bはくるりと背を向けた。
猫背のまま歩き出し、振り返りもせずに言う。
「それも、気が向いたら」
「…………」
冷たい風が吹いた。
地上では、誰かがまた絶叫マシンに乗って騒いでいる。だが──僕にとっては、それどころではなかった。
完全に、主導権を握っているのは“僕”ではなかった。
──“B”だった。
そして、ここから始まる。
僕とBによる『Lの本名教えろ合戦』が──
観覧車がゆっくりと回り始めた。
カゴの中には、僕とB、ふたりきり。
遠くでミサの叫び声と、粧裕の笑い声が聞こえる。平和だ。──しかし、このカゴの中だけは殺人会議だった。
「なぁ、B。せっかくだから話でもしようじゃないか」
「いいですね。じゃあ、宇宙の起源について語りますか」
「いや、違う。“Lの本名”についてだ」
Bの赤い瞳が、こちらをじっと見る。
いつも通り、焦点が定まらない、不気味な視線。
「……それ、乗る前にも言ってましたよね?」
「言ったさ。3回くらい言った。今4回目だ」
観覧車が半周を超えた頃、Bはコメカミに指を当てて考えるフリをする。
「うーん……気が乗らないですね」
「じゃあ気が乗るように努力するよ。かき氷もう1個買ってあげようか?何味がいい?」
「イチゴですかね。それなら──聞くだけは、してあげます」
「……今言え」
それから。
僕は──ジェットコースターに乗ってる間も、射的コーナーで的を狙いながらも、かき氷を食べながらも、ひたすら、隙あらばBに問いかけた。
「Lの本名、ヒントでもいい。イニシャルは? 誕生日は? 干支は? 血液型は?」
「いいですよ。Lの血液型は、たぶん“B”です。私と同じ」
「ふざけてるのか?」
「真面目にふざけてます」
お昼を迎えるまでに僕の問いは、すでに30を超えていた。
──が、得られた情報は「B型っぽい」と「甘党」という至極どうでもいい情報だけ。
Lの正体を知るには──このBという“バケモノ”を、なんとしても攻略しなければならない。
勝負はまだ終わっていない。
むしろ、これからだ。
──“B”がこの勝負を楽しんでいる以上、僕には「乗り続ける」しか道はないのだ。
他の皆がジェットコースターの出口から出てくる中、僕はこっそりBの腕を引いた。
「ちょうど良さそうな店、あるんだ。人混みも少ないし──静かに話せる」
「ふむ……話す内容は、もちろん……?」
「言わなくても分かるだろう。“Lの本名”だ」
そう言って僕は、遊園地の端にあるちょっとオシャレなレストランへとBを誘導した。
ファミリー層に人気の、銀河モチーフの店内。天井にはプラネタリウム、テーブルは星座の名前付き。
Bはおとなしくついてきたが、席に座るなり言った。
「……この席、天秤座って書いてありますけど、Lの星座じゃないです」
だからなんだ。
どーでもいい。
注文を終え、料理が届くと同時に──僕の質問タイムが再開する。
「Lの名前、教えてくれ。フルネームでなくてもいい。下の名前だけでも」
「じゃあ、“L”です」
「……それはコードネームだろ」
「いえ、名前です。“L”という名前の人もいます」
「Lの本名を、教えろ」
僕は冷静に──いや、これ以上ふざけられないという覚悟でBに迫った。
だが、Bはまたしても無表情で口を開く。
その声は妙に真剣で、かえって不気味だった。
「わかりました。……『ルーカス・ロブスター』です」
「…………」
「本名ですよ」
「そんな変な名前なわけないだろ」
「じゃあこれは?」
じゃあこれは?の時点でふざけてるのがよく分かる。Bはまるで小声の暴露のように、耳打ちしてきた。
「Lの本名は──“ラピュタ”です」
思わず僕は机を叩いて頭を抱えた。
「3分間待ってやりますよ、夜神月」
「黙れ、40秒だ。40秒で心臓ごとバルスしてやる」
僕は一度深呼吸をして、姿勢を正す。
「……真面目に頼む。Lの本名。今度こそ、まともな答えを聞かせてくれ」
Bは黙った。赤い目が細まる。
そして、ぽつり。
「──“ロドリゲス・レジェンド”」
ため息をついて肩を落とした。
「……あれはロドリゲスって顔じゃないだろ」
僕がナイフのように鋭い視線を突き刺し、息を整えた。
「──今度こそ、本当に本当に教えてくれ。Lの名前だ」
真剣に迫る僕に、Bは少しだけ俯き、赤い目を細めた。
「……わかりました」
「……!」
やっとか……長かった。
とうとう、L を裁く鍵を──
「“ランラン・ルー”です」
「…………は?」
「フルネームで“Lunlun・Luuさん”と呼ばれていました」
「…………」
沈黙。
空気が凍った。
「……おい」
僕は半笑いのまま、顔を引きつらせながら言った。
「なんだ、それは。死ね死ね消えろって意味か?気持ちはよくわかるよ、B」
「失礼ですね、あれは世界平和の呪文なんですよ」
──この男、“悪ふざけ”を“真顔”でやってくる。
「ランラン・ルーさん」はさすがに書けない。
たとえ本名でも躊躇する。
書いたら負けだ。いろんな意味で。
「あ!思い出しました!Lの名前!」
なっ、お前、忘れてたのかよ!
心臓が跳ねた。僕はすぐに身を乗り出す。
「……なんだって?教えてくれ……」
Bは、胸に手を当て、神妙な面持ちで言った。
「Lの名前は──“ルイージ”です」
「…………」
ガタッと椅子に力なく項垂れた。
また始まった……。
「緑の帽子にLと書かれている。つまり、Lの正体はルイージだ」
「任天堂に怒られろ」
静かに、けれど確実に怒気を孕ませて、僕は言った。
「茶番は終わりだ。ふざけるのも大概にしろ。僕は本気で言ってる。……Lの名前を、教えろ。今すぐに」
Bは、ストローでストロベリーソーダをすすりながらこちらを見た。
そして、口の端だけでニヤリと笑う。
「分かりました。では、本名を教えます。Lの本名は──」
僕は半ば呆れ、半ば期待しながら身を乗り出す。
──ここまでくると、何を言われても動じない自信があった。が、Bは真顔のまま、口を開いた。
「“エル・エル・エルエルエル・エルエル・L”です」
「…………」
吹き出しかけた。
というより、呆れて笑うしかなかった。
「なにそれ、パスワード?それとも何かの呪文?」
「いえ、本名です。“見えて”いますから」
「ふーん?Lの頭に“エル・エルエル・エルエル・エルエル・L”って出てるんだ」
「違います。エル・エル・エルエルエル・エルエル・Lです」
「よく笑わずにいられるね」
「はい、いつも笑いを堪えてます」
「ポケモンの鳴き声じゃないんだから、真面目に答えろよ」
「真面目にふざけています」
「…………」
Lと並ぶ程の頭脳と聞いていたが、L以下、Lの足元すら及ばない。なんであいつはこんなのを後継者に選んだんだ。
(ダメだこいつ──早く、何とかしないと)
僕は静かにカバンの中に手を入れた。重みとともに、紙の感触。
さっき拾った“世界を変える黒いノート”が、そこにある。
(もう、使い物にならないなら……)
「ねぇ、B」
「はい」
「お前の本名、教えてくれないかな?」
「私の本名ですか?“ビビデ・バビデ・ブー”です」
「黙れ」
──“名前を聞き出す為なら、こちらも手段を選ばない”。
僕はゆっくりとノートを取り出し、ページを開いた。
その仕草を見て、Bは首を傾げた。
「……夜神月、それ、もしや──」
「そう。“デスノート”だ」
Bは驚くでも怯えるでもなく、なぜか嬉しそうに口を開いた。
「では、教えましょう。私の名前は……」
ほんの一拍の沈黙の後、
「バトルドーム・超・エキサイティングです」
──椅子がきしんだ音と同時に、僕は椅子から本当に転げ落ちそうになった。
「お前なァ!!」
「ボールを相手のゴールにシュート!です」
ふざけてるのかこいつは。
いや、ふざけている。間違いなく、全力でふざけている。
……だが、それが逆に厄介だった。
僕は息を整えるように深く呼吸し、椅子にゆっくりと腰を下ろした。
そして、冷静な声で言った。
「……B。今一度、真面目に聞く」
「はい」
「Lの本名は分からない。だが、君の本名は──ここで書ける」
「はい」
僕はノートのページを押し広げながら、鋭い眼差しを向けた。
「本名を、教えろ」
Bは一瞬だけ口元に指を添え、考える素振りをした。
──が、次の瞬間、口から出てきたのは。
「“バカボン・バ・カボン”です」
「……ぶっ飛ばすぞ、お前」
静かに、冷静に、だが限界ギリギリの声だった。
「その名前で死んだら、世界一マヌケな死因にしてやる」
「構いません。“それでいいのだ”と書き添えてください」
ふざけてる。
こいつ、ほんっとうにふざけてる。
「……名前を言う気がないなら、こっちにも考えがある」
「おや?」
「“お前の名前が分からないなら、見ればいい”。顔を見て分かるなら、ミサに見て貰う方法もある」
「……くくくくっ」
「今さら“ふざけた本名リレー”をやられるよりは、よっぽどマシだ」
──僕は本気だった。
その時、Bもようやく……ほんの少しだけ、目を細めて真面目な顔になったように思えた。
だが──
「では、最後に……もう一つだけ、名乗ってもいいですか?」
「……どうせまた変な名前だろ」
「いえ、“ガチのやつ”です」
「……なら言ってみろ」
Bは微笑を浮かべ、すっと口を開いた。
「“ボボボーボ・ボーボボ”です」
「帰れ」
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【月&L】
時計を見ると、ちょうど集合予定の時間だ。
Lたちが乗っていた「ギャラクシードロップ」は、もう終わっているはず。
僕達はレストランから出ると、Bにだけ小さく振り返った。
「……B、一つだけ、念を押しておくぞ」
「はい」
「さっきのこと──“デスノートを拾った”ってことは、誰にも言うな」
「もちろん」
Bは、いつものように赤い目を細め、静かに笑った。
確信があった。
──こいつは言わない。言うはずがない。
なぜなら。
“Lを超せるチャンス”を、今この瞬間、僕が握っているのだから。
言ってしまえば、すべてが水の泡。
Bにとっても、“Lを超える遊戯”は終わってしまう。
「……頼んだぞ」
背を向けて歩き出した僕の背中を、Bの視線が静かに追っていた。
Lを倒す鍵を、夜神月が持ち、夜神月は、Bを使って鍵穴をこじ開けようとしている。
その瞬間を、ずっと待っていた。
「……ようやく、面白くなってきましたね」
Bのつぶやきは、風に紛れて誰にも届かなかった。
──そして、僕は、遠くから手を振る粧裕と海砂の姿を見つけた。
「お兄ちゃーん!遅いよー!どこ行ってたの!」
「ちょっと、ベンチで休んでただけさ。……さぁ、合流しようか」
──そこへ、Lのマスクがぬっと視界に入った。
「夜神くん……あなたがどこかへ行ってしまったので、私は寂しかったですよ」
宇宙人のマスクのまま、無表情にそう言うL。
隣でミサが「それ、マジで怖いから取って」と呟いていた。
「ああ、ごめんね、L。次はちゃんと一緒に回ろうか」
やけに優しく──そう言ってやる。表面上は、完璧な好青年の仮面だ。
しかし──心の中では違った。
(必ず、お前を殺してやるよ、L──!)
次に全員が乗り込んだのは、“銀河昇降ミーティア”という、名前の割に洒落にならないほど上下に激しく動く絶叫アトラクションだった。
僕達は乗り場の待機列に並び、ふと目に入った注意書きに目を細めた。
《心臓の弱い方はご遠慮ください》
──その瞬間、脳内で何かが“カチリ”と音を立てた。
(……なるほど)
この手があったか。
さすがに遊園地でLの本名を暴くのも、殺すのも難しい。
(“物理的”心臓麻痺で殺すという選択肢)
これがあったか。
僕はその看板をじっと見つめた。
要するに、状況を利用すれば、“自然死”にも見せかけられる。たとえば、高所・急降下・強制的心拍の上昇──アトラクションの動作条件と、死因のロジックが、ピタリと重なった。
(これなら……ノートがなくても、人を殺せる)
「夜神くん、並びましょう」
Lがいつの間にか隣に来ていた。
「うん、そうだね。これは面白くなってきた」
「アトラクションの話ですよね?」
「もちろん」
だが僕はもう、“アトラクション”の一線を越えていた。
Lを物理的心臓麻痺で──つまり、『スリル』で心拍数を限界まで引き上げて心臓を止めさせるという前代未聞の計画!
──僕は本気だった。
「L、心臓に自信あるか?」
「……急にどうしたんですか、夜神くん」
──殺意だよ。
もちろん言わない。が、内心では完全にノートを手にした頃の“黒い僕”に戻っていた。
ゴンドラが、ゆっくりと上昇していく。
ギギ……ギギギギ……と、鉄の軋む音。高度が上がるにつれ、街並みが豆粒に変わっていく。
ここだ。ここから、僕の“殺し”が始まる──!
──第1作戦。
「L!!あれ見ろ、あれ!!」
「……どれですか?」
「ほら、下!下!子供が落ちそうだ!!!」
「えッ……?えっ……?」
Lが身を乗り出しそうになる。が、落ち着いて戻った。
「……いませんよ」
(チッ……だめか)
──第2作戦。
僕はLの方を向き、目を細め、優しく──できる限り“親しみやすい人類代表”の顔を作った。
「L。……怖いか?」
「……はい?」
「大丈夫だよ、僕が──手、握っててあげるから」
Lの瞳孔がわずかに揺れた。
……いける。
これは効いている。確実に、心拍が上がっている。
「……あの、夜神くん、それは──」
「気にするな。手を貸すのは当然のことだ。友達だろ?」
僕はLの手を、強引に握った。
冷たい。思ったより細い。が、力はある。
「……ほんとに、優しいですね、夜神くん」
手首の脈が動くのが分かった。
──ドクン。
「ねぇL。今、君の心臓、ドキってしたでしょ?」
「……いえ?」
「いや、してた。してたよ、僕にはわかる」
Lは相変わらず無表情で、だがほんの少しだけ──意味深な間を置いて、答えた。
「っ……夜神くんの顔が近すぎて、若干息苦しいだけです」
ふいっと目を逸らした。
「…………」
(な、なんだ今の間は……!?)
「……それに」
Lは、再びこちらを見つめると、唐突に続けた。
「この距離感……なんだか、恋人みたいですね」
「…………ッッッ!?」
な に を 言 っ て い る ん だ お ま え は 。
──ドクン。ドクン。
(やばい、やばい。本気にするタイプか!?冗談が通じないのか──)
「……夜神くんの手、温かいですね」
「やめろ」
アトラクションは遂に頂上。
まずい、違う意味でドキドキしてきた。
(やばい……落ちる……いや違う、Lの言葉が……違う!落ちる……!!!)
「……ずっと前から、こうして隣にいたかったんですよ、夜神くん」
ドクン、ドクン、ドクン──ッ!!!
風が止まった。時間も止まった。心臓も止まりそうだ。
(落ちる……落ちる……落ちる……)
そんな中、突然──
ギュッとLの手が僕の手を握った。
「私のことは嫌いですか?」
(……は?)
突如、心拍数は振り切った。さっきまで上げようとしていたLの鼓動よりも、先に自分の心臓が危険域に達するとは。
(なに言ってんだこいつ──まさか僕に好意を!?そんなまさか!いや、落ち着け……これは心理戦だ。試してるだけに、間違いない……)
でも、「嫌いだ」なんて言える空気じゃない。
Lは真剣な目をしている。
だが、夜神月。表情管理スキルは極限まで鍛えられている。
──これは、こちらが吹っかけた以上、夜神月として、誠意ある返答をするしかない。
「……好きだよ」
満面の笑みで。その瞬間──
ゴゴゴゴゴ──ンッ!!!!!!!!!!!!
急降下の衝撃とともに、僕の理性もどこかへ吹き飛んだ。
「うああああああああああああああ!!!!」
地響きすらかき消す、“本日の最大音量の絶叫”が、宇宙を模した空に響き渡った。
──そのとき、隣から。
「……落ち着いてください、夜神くん」
冷静な声がした。
「そんなに叫んだら……心臓に悪いですよ」
(誰のせいだと思ってる!)
怒りのツッコミを内心で炸裂させながら、僕は隣のLを睨んだ。
「だったら!なんで!今!恋愛ゲームみたいなこと──」
その瞬間、ゴンドラが再びゆっくりと上昇し始めた。
(あ、また来る。また落ちる……!)
──ガコン、半分まで到達。
Lはあからさまな嘘と悪ふざけで、ちらりと僕の方を見て、言った。
「夜神くん……地球で、いちばん好きかもしれません」
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!」
ドゴォォォォォォォォォン!!!
急落下──地球の重力より重い、僕のプライドが砕け散った。
L、やはり心臓に悪い──
──そして、隣のLが静かに呟いた。
「恋は、心臓に悪いです」
まさかの名探偵による物理的ラブアタックがくるとは思わなかった──
夜神月、“精神的心臓麻痺”で撃沈。
認めよう。今回ばかりはLの勝ちだ。
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【月&ミサ】
再び、僕──夜神月はベンチに項垂れていた。
手は膝に、天を仰ぎ、顔は完全に死んでいる。口元からは、魂の形をした何かがフワフワと浮かび上がり、風に流されていく。
「……なんだ、アレ」
帰ってきたメロが、チョコアイスを片手に眉をひそめた。
「アトラクションに負けたのか?てか、なんで魂抜けてんだよ」
マットがすかさず笑い出す。
ベンチで虚ろな目をしながら呻く僕に、追い打ちのように──
「月〜っ!」
遠くから駆けてくる、ツインテールの爆弾。弥海砂が満面の笑顔で腕を広げて突撃してきた。
「ぐはっ!」
ダイブしてくる海砂の勢いで、僕はベンチごと倒れかける。
「もう、どこ行ってたの!?ミサ、ずっと探してたんだからぁ」
「い、一緒に居たじゃないか」
「今度はミサと一緒に回ろ!」
海砂は強引に僕の腕を取ってぶんぶんと揺らす。
魂抜けてる僕を、完全に無視して。
「ほら、あっちにボートあるって粧裕ちゃんが言ってた!ふたりで乗ろうよ〜」
──なぜ今日、こうも“心臓に悪いこと”が続くのか。
だが僕は、思い出したばかりの使命を、ふいに意識する。
(いや、待て。Lを倒すには、ミサの目が必要──)
「……よし、行こう」
「やったー!」
手を引かれてボートに向かいながら、僕は決意を新たにした。
ミサに手を引かれるまま、僕は“ドリームボート”なるロマンチックすぎるネーミングのアトラクションへと乗り込んだ。
カラフルなボート。しかもこれ──自力で漕ぐタイプ。
「わ〜、見て見て!白鳥もいる〜」
「……ああ」
「ねぇねぇ、月。ミサが漕いでもい──」
「いや、いい。ここは、僕が漕ぐ」
即答。
断じて、断じて女の子に漕がせるわけにはいかない。
(僕は男だ。女をボートで運ぶくらい、当然だろう……!)
ギィッ……ギィッ……
ボートを漕ぐたびに音が鳴る。恋愛イベントBGMみたいな音が後ろで鳴っているが、僕の気持ちとは裏腹。今僕はどうやってミサに目を取引させるか考えている。
「ねぇ、月ぉ、ミサ、こういうの憧れてたんだ〜。湖で二人きり」
「……ミサ」
僕は、静かに口を開いた。少し真剣なトーンで。
「君に、大事な話がある」
「えっ!なに?まさかプロポーズ!?」
「違う」即答した。
「いいか、ミサ。よく聞いてほしい。実は──」
「──あっ、見て見て月!あのカモ!かわいい〜」
「ミサ、聞いてくれ。実は、裏山に──」
「うわっ!白鳥が今、飛んでた!月見た!」
「ミサ──」
(ダメだ……まるで話が通じない……!)
「……僕は今、重大なことを伝えようとしてるんだ。命に関わることだぞ」
「え!?命に関わること!?月、病気!?どこが悪いの!?心臓!?頭!?それとも──」
「……お前の頭がだ」
「え?」
「いや、なんでもない」
──ギィッ、ギィッ、ギィィィ……
音だけが、湖面に虚しく響いた。
心が折れそうだ。
いや、折れた。今、パキッと音がした気がする。
(……くそ、Lの本名より先に、こいつの扱い方を解明しなければならないなんて──)
湖の上で、一人冷や汗を流しながらボートを漕ぎ続ける僕。
伝えたいことは山ほどあるんだ。
ノートの隠し場所、死神の目、今後の計画。
だがそのすべてが、ミサの天然バリアに跳ね返されていく。
「ねぇ〜月。あのカモがまた“ガー”って鳴いたらさ、“Yes”の合図ってことにしよ」
Yes!?
いいぞ、これならミサに死神の目を強制的に契約させることもできる──
「そのルール、今初めて聞いたけど……わかった。そうしよう」
「じゃあ、“ミサと結婚してください!”」
──ガァァァァ!
「……ッ!!!」
(クソッ……この世界に反抗できるのは、もう神しかいない……)
ボートの揺れと共に、僕の計画もまた、湖の水面へと沈んでいった。
☾ ⋆。˚❀。⋆ 🎠 ⋆。❀˚。⋆ ☾
【L&粧裕】
スペースランドの喧騒は、夜風の冷たい風に少しずつ溶けていった。気がつけば、周囲にいたはずの皆の姿が消えていた。
月も、ミサも、メロ達も──いつの間にかバラバラに別行動を始めていたようだ。
残されたのは、Lと──月の妹、粧裕。
Lは、白いシャツの袖を少し引っ張りながら、横にいる少女の存在にやや困惑していた。なにか話しかけた方が良いのか、無言でいた方が良いのか、判断に迷う。さゆは黙ったまま、じっとLを見上げていた。
──視線が、痛い。
Lは片膝を折り、相変わらず猫背の姿勢で、気まずそうに口を開いた。
「……あの、アイス……食べますか?」
ややぎこちない声音だった。
自分では“自然な会話”のつもりで言ったつもりだったが──
「うーん。おなかいっぱいだから、いいです」
あっさり。
Lはコメカミをかくと、口元に指を当てて押し黙った。
失敗だったかもしれない。
(どうすれば……話が続くのか、難しい……)
そんなLの沈黙を、またしても破ったのは粧裕だった。
「……エルさんって、お兄ちゃんと、どこで知り合ったんですか?」
Lは一拍置き、ゆっくりと答えた。
「大学で……知り合いました。といっても、表向きにはそういう設定です。彼とは、ある件で協力関係にありますので」
「……ああ、キラ事件ね」
さゆはあきれたようにため息をついた。
その目は、少しだけうんざりしているようだった。
「──キラをご存知なのですか?」
「知らないよー」
と、粧裕はすぐに返した。
軽い調子だったが、そのあとすぐ、拗ねたように口を尖らせる。
「キラのせいでお父さん、全然帰ってこないし……最悪!」
Lは、静かにその言葉を受け止めたまま、しばしの間、沈黙する。
そして、そっと問いかけた。
「……お父さんが、恋しいですか?」
「──そりゃそうだよ」
さゆはすぐに答えた。
その声は、今まででいちばん素直だった。
「もうすぐクリスマスなのに……」
ぽつりと、さゆがつぶやく。
「また、クリスマスツリーが出せないや……」
Lは俯いた彼女の横顔を見つめる。
「……大きくて、重いの。ツリー」
さゆはぽつぽつと、言葉をこぼすように続けた。
「お兄ちゃんだけに持たせるのは危ないし……毎年、お父さんが出してくれてたんだ……」
小さな手が、ポケットの中でぎゅっと握られる。しんとした冬の遊園地の空気が、二人の間に降りてくる。
「それに……最近、お兄ちゃん、全然家に帰ってこないの」
さゆの声が、ふっと震えた。
「学校に行ってるのは知ってるけど、夜も帰ってこない。どうしたの?って聞いてもはぐらかされちゃうし……思い詰めてるような……ちょっと、心配で」
Lは、その言葉を聞いて、視線を落とした。
さゆの兄──夜神月は、まさに今、Lの指揮下で捜査に協力している。もうキラは判明しているとはいえ、日常とはかけ離れた、危険と隣り合わせの現場に今もいる。
(……彼女にとって、“夜神月”は、家族であって、“キラの捜査員”ではない)
Lは、自分の中にひそかに芽生えた重みを、自覚した。
「──申し訳ありません」
Lは、ゆっくりと口を開いた。
その声は、いつもよりずっと低く、静かだった。
「それは……私にも責任があります」
Lは空を見上げ、考えた末に口を開けた。
「……正直に言います。私は今、あなたのお兄さんを、“キラかもしれない人物”として、疑っています」
はっきりとした答えだった。
嘘ではなく、しかし真実のすべてでもない。
夜神月がキラ──というのはもう分かっている。が、何も知らない妹に告げることはない。
さゆはぽかんと口を開けて、まばたきを繰り返した。
「……お兄ちゃんが……キラ?!」
それは、あまりにも現実味のない話だったのだろう。
しかし次の瞬間、さゆはぷっと吹き出し、すぐさま否定する。
「ないないないない!それ、絶対ちがうと思う!」
Lは目を細めたまま、彼女の言葉を受け止めた。さゆは勢いよく手を振って、笑って言った。
「だって、お兄ちゃんがキラなら、わたしとっくに死んでるよ!?」
その言葉に、Lは目を見開いた。
「……どうして、そう思うのですか?」
「家でたまに“キラ最悪ー”って愚痴こぼしてるもん。お兄ちゃんの前で」
Lは沈黙した。思考が、緩やかに回る。
(演技か──それとも、素か。どちらにしても、彼女の前では“善良な兄”なんだろう)
さゆは小さく息をつき、今度は静かに、でも真剣な声で言った。
「それに……ずっと一緒に育ったんだよ?もし、お兄ちゃんがそんな人だったら、さすがに……わたし、気づくと思う」
Lは、その言葉に対してすぐには何も言わなかった。
ただじっと、彼女の瞳を見ていた。そこには、疑いのかけらもなかった。
やがて──Lは、ほんのわずかに視線を落とし、口を開く。
「……そうですね」
声が、少しだけ掠れていた。
「──月くんは、キラじゃないですね」
「そう、キラじゃない」
粧裕は迷いのない声で断言すると、そのまままっすぐLを見つめて続けた。
「だから、そろそろ──お兄ちゃん、返してくれませんか?」
Lは、返す言葉を見失った。それまでの全ての話が吹っ飛ぶほど少女の一言に軽々と覆されるような錯覚すら覚えた。
彼は口元に手を当てたまま、深く静かに呼吸をひとつ置いてから、ふいに問いかけた。
「……兄妹がいないと、寂しいものですか?」
「え?」
粧裕は一瞬驚いたようにまばたきをし、すぐに笑った。
「寂しいよ?」
当然でしょ?と言ったように答える。
「お母さんとも、お父さんとも違う……多分兄妹って、一番“楽しい存在”だよ」
そう言いながら、粧裕は少し照れたように、でも嬉しそうに目を細めた。
「……昔ね、小さいころ、近所の友達と“タッチ鬼”やったことあるの」
「タッチ鬼……ですか?」
「うん、走って逃げ回って、鬼がタッチして次の鬼を決めるやつ。近所には男の子が多かったから、私、いつも鬼役にされてたの」
粧裕は、ちょっと拗ねたように笑った。
「でもね──お兄ちゃん、いつも私のところに来て、“タッチして”って、手を差し出してくれる。で、鬼を代わってくれるの」
Lは静かにその情景を想像していた。
粧裕の記憶の中の“夜神月”は、ただ優しくて、誰よりも頼りになる兄だったのだ。
「小学生の頃もね──鍵盤ハーモニカ、重たいからって持ってくれたり、お兄ちゃんのジャージ、寒いときに貸してくれたり……ちょっとブカブカだから暖かいんだよねー」
思い出すたびに、粧裕の頬が少しずつ緩んでいく。
「お母さんに内緒で、お兄ちゃんがゲーム機買ってきてくれたこともあるの。“秘密だよ”って……ゲームに負けたら交代制だったんだけど、全然粧裕勝てなくて結局お兄ちゃんがずっと貸してくれたけど」
Lはじっと耳を傾けていた。その話に嘘はなかった。
「でもね──一つだけ、どうしても貸してくれなかったものがあるの」
「……貸してくれなかったもの?」
「昔、お父さんが誕生日にお兄ちゃんにプレゼントした“トランシーバー”。警察ごっこで、お父さんとそれ使ってよく遊んでたんだって」
粧裕は懐かしそうに、でも少しだけ寂しげに続けた。
「私も貸してってお願いしたことあるんだけど……“それだけはダメ”って言われたの」
「……特別なものだったのでしょうかね」
「うん。多分……あの日、お父さんが帰ってくるの珍しかったから嬉しかったんじゃないかな」
Lは、少しだけ視線を逸らすと、静かに言った。
「……今度、黒いノートが見つかったら、貸してみてくださいって言ってみてはどうですか。きっと、焦ると思いますよ」
「……黒いノート?」
粧裕が首を傾げる。ぽかんとした顔に、Lは皮肉を交えて微笑んだ。
「ブラックジョークですよ。しかし……あなたの知っている夜神月と、私が知っている夜神月は、どうやらずいぶん違うようですね」
粧裕がきょとんとしているのを見て、Lは続けた。
「私の知っている彼は、恋人が複数いて──必要とあらば家族でさえ手にかける冷徹さを持ち……実際、私は彼に殴られたこともあります」
「……はあ?」
さすがに言葉を失ったように、粧裕が目を見開いた。そして、眉をひそめてむっとした表情になる。
「そんなわけないじゃん……!お兄ちゃんが、そんなことするはずないよ!」
Lは静かに首を振った。
「……本当ですよ。ですが、今の夜神月は──かつての優しい兄に“戻っている”はずです」
「……戻ってる?」
「ええ。先ほど、あなたは“お兄ちゃんを返して”と言っていましたが……私は、もう返したつもりです」
Lはゆっくりと微笑む。その目はどこか切なく、それでも確かな優しさがにじんでいた。
「あなたにとっては、唯一のお兄さんでしょう。──今度こそ、目を離してはいけませんよ」
Lはふと空を仰いだ。
「……私には、兄妹はいません」
ぽつりと、独白のように告げる。
「ですが……兄妹のように、守るべきちいさな子たちは、たくさんいます」
その声は風に溶けるほど儚く、それでも凛としていた。
「だからこそ……私も、尊敬される者であり続けなければなりませんね。どんな時でも、正しい判断ができるように」
そして、ほんのわずかに視線を遠くにやりながら──Lはぽつんと、言った。
「……兄弟が、欲しくなりました」
「……え?」
「今度、メロとニア達を連れて家に帰ります。少し騒がしくなるかもしれませんが、きっと悪くないと思います」
そして──Lの後について回っていた粧裕は目の前の景色に息を飲む。
視線の先に現れたのは、夜の広場に立つ、巨大なクリスマスツリーだった。
無数のライトが瞬き、まるで夜空の星をそのまま地上に降ろしたように、きらきらと輝いている。
「……わあ!」
粧裕が目を丸くして、駆け寄るように歩み出る。
「……綺麗!」
彼女の声が、寒空にふわりと弾けた。
すると──
「おーい!」
突如、ツリーの向こうから軽やかな声が響いた。
手を振っているのは夜神月だった。
「お兄ちゃん!」
粧裕がぱあっと顔を輝かせ、駆け出す。
その月の隣には、どこか退屈そうに腕を組んでいるメロと、無言でツリーを見上げているニアの姿があった。
Lが近づくと、ニアがすぐに動いた。何も言わずに、まるで当然のようにLの袖を掴み、その傍らに寄ってくる。
Lが無表情で見下ろすと、ニアは無表情で見上げ返し、それきりツリーに目を戻した。
一方その頃、粧裕はクリスマスツリーの周りをぐるぐると走り回っていた。きらびやかな光に包まれて、まるで物語の中に迷い込んだ無邪気なお姫様のようだった。
「お前……どこにいたんだ、L」
ようやく月が、Lに向き直って尋ねる。
Lはいつものように無感情な声で、しかし少しだけ意地悪げに返した。
「月くんこそ……探しましたよ」
Lはふと、何気ない様子で粧裕の肩をトントンと軽く叩いた。
粧裕は「あっ」と小さく声をあげて。Lがそっと指先で月を示すと、彼女はぱっと表情を明るくし──そして、勢いよく口を開いた。
「お兄ちゃんっ!今度、黒いノート貸して!」
その瞬間──月の動きが、ぴたりと止まった。
目を見開き、眉が一瞬ぴくりと動く。
そして、数秒間。まるで石像のように固まったまま、ただ静かにその言葉を咀嚼していた。
「……黒い、ノート?」
やがて、キラキラした胡散臭い笑顔でとぼけたように返す。
「はは……なんのことだ?粧裕。なんで黒いノート?そんなの、知らないよ」
粧裕はケラケラと笑いながら「なーんでもないっ」と誤魔化すようにツリーの方へ駆けていった。
月は内心、冷や汗をかきながらチラリとLに視線を送る。
だが、Lはただ口元だけをニヤニヤと笑い──しかし、しっかりとその目で月を見つめ、最後に一言だけ、こう告げた。
「……バレバレです」
コメント
2件
Bがふざけ倒すのめちゃくちゃ可愛かったです😭💞Lから誘って遊園地っていうのも意外すぎてほんとに可愛くて可愛くて…協力してゲームしてるのも最高です🥲