コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
涼しい風が貴方の肩に浸り、同時に空腹と目眩が押し寄せてくる。私は貴方の頬に手を当てた。冷たかった。私はあの頃を思い出したく無かった。
20XX年2月29日。何時もと変わらず商店街に歩む人々。御常連も選び買う毎日。空は少し曇っており、私はあまり乗り気では無かった貴方の付き添いをした。然して少し経つと小雨が降り注いで来た。雨は一気に脅威を露わにし、大雨へと発展した。私は幸い傘を持っていた為心配は無かったが、ここは家から掛け離れた場。貴方は天候に見捨てられていた。私は相合傘をしようと言い寄った。貴方は普段陰湿な私がそんな事を言うなんて思っても無かったのだろう。少し貴方は四泥萌泥していた。でも状況を把握し同意してくれた。同意する立場な貴方では無いが、私は何時もと違う事には気づいていた。然して二時間位だろうか。私達は相合傘をしながら大雨に濡れた地面を踏み締めながら第三者から見れば楽しそうに、客観的には態とらしく。一人称では少し嫌な感じだった。あと家まで五百尺位。程遠い場所に何故呼んだのか。その疑問だけが私の頭脳に横切った。 その時は急に訪れた。外の為あまり感じなかったが、
地震だ。
外でも感じる程の揺れの為震度は四五位はあるだろうと考えながら外を未だ楽しい気持ちで一杯の貴方の身体には届いては無いが、私は気づき、心拍数も徐々に上がっていった。何故此奴(こいつ)は気づかないのだろうと考えながらも大雨の中を傘で掻き分け進んでいく。すると本震だろうか、急に立てなくなる程の地震が発震した。貴方もこれに気付いただろう。大雨に濡れた地面に膝を付いて貴方の方向を向く。貴方の顔は青ざめていた。携帯が鳴った。この音は苦手なのだろうか。貴方の身体が少し震えたように感じた。何時も陰湿な私の顔は変わらず無表情だが身体は正直で、心拍数は徐々に上がっていった。気付く内に周りの瓦礫は崩れ、木々は折れて道路に横たわり、道路も罅(ひび)が入っている。私は貴方の手を取り、十時道路の真ん中でしゃがんで傘を盾にした。意味は無いのだろう。でも貴方は完全に蛇に睨まれた蛙。自分で動けず無力さに気付き顔も暗くなっていた。そろそろ本震も本番に入る。周りの家々はどんどん崩れ割れ。周りには悲鳴が木霊し轟音も轟いている。貴方は泣き出していて、私は少し焦った。普段温厚で陽気な貴方が泣くなんて私の中では前代未聞だった。
そうこうしてる内に本震は落ち着き、周りの轟音も少しずつ落ち着いてきた。その為私は貴方に声をかけて手を取り五百を越える距離を走った。家に着いてから貴方は落ち着き、気軽に私の家の椅子に腰掛け、地震の報道を見て最大震度や深さ等を見て唖然してる中、私は自分の部屋に散らばった物を直していた。本震の影響で津波が発生して避難警告が出た。貴方は避難しよう、と促していたが私は地震の被害より自身の家の家具達の心配をしていた。そうこうして夜になるが地震の報道は被害拡張により避難勧告を広げていった。三時間くらい私の裾を引っ張りながら避難を訴えたが私には聞く耳が無かったのか、黙々と片付けをしていた。勧告にも一切耳を向けず地震なんてお構い無しの私は余震が来ても無表情だった。そう余震が来たのだ。貴方は私の傍に更に近づきくっ付く位まで近づいた。余震も少し大きいようだ。すると家が揺れ始め、物凄い勢いで崩れていった。
そこから何時間経ったか分からないが、足の冷たさに気がついた。暗闇に灯りを灯し、光を見た貴方が飛んで来た。どうやら瓦礫に生き埋めになったようだ。今は2月29日。寒い日々が続く中の生き埋めに私は希望を無くしていた。貴方は「だからいったじゃん」と言わんばかりに泣いている。だからと言い私の顔は変わらない。しかも外は真夜中らしく、瓦礫の存在すら気づかれて居ないようだった。貴方もどんどん涙が枯れていき、目の輝きさえも失いかけていた。すると貴方が気付く。私に教えてくれたが、波の音がするらしい。耳を澄ました途端、瓦礫と瓦礫の間から海水が入り込み、一気に私達の体温を奪った。
生き埋めから五時間が経ち、互いに返答が無くなって不思議と思ってる中、私は貴方が寝ていると察した。私も寝ようとしている中、やはり海水が体温を奪っており、唇が震えて眠るなど困難だった。この頃は2月さえも寒かった為海水も徐々に凍っていった。凍らない為に私がたまに手を上げたり脚を無理なく動かして海水を動かし凍らさずにいた。貴方は一向に起きなくて流石に私も怖くなり肩を揺らした。貴方はこんな動きじゃ滅多に起きない人だったので、少ない体力を使って全力で腕を動かした。起きなかった。私も貴方も空腹と目眩があり、どんどん視界がぼやけていった。そして私は貴方の頬を触った。冷たかった。体温が奪われて冷たくなっていると考えた私は馬鹿かもしれない。察しが悪い人間だ。
私は貴方が眠った後十七時間救助を待ったが現実は残酷なもので。私達は静かに眠った。症状はない。低体温症と飢餓だ。
今あの頃を思い出すと、もっと出来たことがあったのかもしれない。
あの頃、貴方の話を真剣に聞いていれば。そんな事を考えながら私は薄暗い瓦礫の下でこれを残す。今も尚、私と貴方は君達の助けを求めています。
記述 二千年・閏年 二月二十九日