3
秘密を抱えたまま、変わらない日常が過ぎていく。
段々とつぼ浦にも今日殺すのだろうなという日がわかるようになってきた。それはいつもより強く煙草の匂いを感じるとき。ひっそりと早めに退勤していくとき。その後はたいていつぼ浦のもとに電話がかかってくる。
倫理も道徳もとっくに溶けた。こみ上げる認知的不協和を依存がすべて正当化する。
大型犯罪をはしごしてIGLを勤め上げ疲れ果てたあとでも、チルタイムにみんなでちょけてふざけあったあとでも電話はかかってきた。今日なんだろうな、という予感はすれど何がきっかけなのかは未だに読めなかった。
ただ今までは多くても週に2回程度だったのに、最近はペースが上がっているように感じ、それだけがつぼ浦の不安だった。
今日も署内ですれ違うときに強い煙草の香りがした。どうせ電話がかかってくる。仕事が落ち着いた夜半過ぎ、つぼ浦は先に盗めそうな車を探していた。
ふとマップを見るとそう遠くないところにぽつんと警官のGPS反応があった。見つかるわけには行かないし、誰がこんなところにいるのか気になってつぼ浦はマークの方へと足を運んだ。
闇の向こうから誰かの声が聞こえた。それは意味までは聞き取れない心なきの怒号だった。
路地の先、開けた裏庭に二人の人影があった。一人は逃げ惑う心無き、もう一人は刀を片手に持つ警察の格好の青井だった。つぼ浦はとっさに気づかれないように塀の裏に隠れ、様子をうかがう。
すでに片足が切りつけられ、よたよたと逃げる心無きのことを逃げ場のない獲物を弄ぶかのように青井はゆっくりと追いかける。だらりと下げた右手に持つ刀の切っ先がガリガリと嫌な音を立ててコンクリートを削り、一本の筋を残す。
時折笑い声が喉から漏れる。口角は嬉しそうに上がっているのに目はまったく笑っていない。煌々と青く輝くその目は人を食らう物語の悪鬼のようだった。
じきに背後に追いつく。ケラケラと笑うとその背中を袈裟懸けに切り裂いた。崩れ落ちた背中を踏みつけ、楽しそうに何度も刀を突き刺す。血が飛び散り肉が弾ける様につぼ浦は思わず口を押さえた。
もう何ヶ月も悪事に付き合っているのに、すべてが終わった後の穏やかに笑う顔しか知らなかった。猟奇的に獲物を狩る姿は、二人で捨てに行っているものがただの魂のない肉ではなく、本当に青井の手で殺された死体であるということを今一度思い出させた。
突然、青井が刀から手を離す。重力に従い刀は音を立てて地面に転がった。
ふらつきながら縺れる足で死体から離れ、荒く息を吐く口を押さえる。何度か咳き込むが吐くことができず辛そうに背を丸めている。
それはまるで殺したことを後悔する人間の仕草だった。悲痛に歪み涙すら浮かべる顔はとても人間らしく、先程まで哄笑しながら切りつけていた顔とは似ても似つかない。
突然の豹変に戸惑うつぼ浦に気づくことはなく、青井はポケットから煙草の箱を取り出す。半ば潰れたボックスから一本抜き取ろうとして手がもつれ、白い煙草がばらばらと血溜まりの上に落ちる。血を吸ってじんわりと赤くなっていく様子を見て手で頭を押さえる。何かを叫ぶかのように口が開き、結局何も言うことなくうなだれる。
辛そうな姿を見ていられなくて、つぼ浦は声をかけようかと悩む。青井は震える手でスマホを取り出している。自分に電話をかけようとしているんだ、と気づいたときにはつぼ浦のポケットの中でけたたましい着信音が響いていた。
ゆっくりと音の方向を見る青井と目があった。少し驚いた顔をした後に、電話を切るといつものように穏やかに笑った。
「よく気づいたね」
「アオセン、退勤してない」
「あ……」
指摘され、慌ててスマホを操作するとマップからマークが消える。
いつもなら目立たない私服に着替えているのに、顔を隠す面はおろか、青い半袖の警察服のままだった。返り血が服に赤黒い飛沫を残している。こんなに詰めが甘いのを見たことがなく、つぼ浦も冷や汗が伝うのを感じる。
地面に転がる死体を視界の隅にちらりと収め、つぼ浦は新品の煙草の箱を手渡した。少し驚き、青井はそれを受け取った。
「ありがとう」
少しだけ触れた血塗れの指はとても冷たかった。疲れた横顔をつぼ浦はただ見つめる。
「駄目だなぁ今日は。ちょっとよくなかった」
「ああ、本当に迂闊ですよ、……珍しいっすね」
これでもかというほど用意周到な青井しか見たことがなかった。青井はそれに答えることはなく、包装をぺりぺりと剥がし煙草を取り出す。火をつけ、口をすぼめて吐き出した煙が夜の闇に溶けていく。それから指に挟む煙草と箱を見直した。
「これ、違うやつだよ。俺のはボックスのやつ」
「あーそうなんすか?よくわかんないけどまあ健康志向?ってことで」
白っぽいパッケージ、とだけしか覚えていなかった。たしかに普段より柔らかく甘めの香りがする。
「でもありがとね、これもこれで美味しいよ」
嬉しそうに言うと、ソフトタイプの煙草の箱をベストのポケットに押し込んでいる。しばし普段とは違う煙を味わう青井の横でつぼ浦はゆっくりと切り出す。
「初めて見ましたよ、殺害現場」
「そりゃ見せるつもりないからね、お前グロいの苦手やん」
「結構、楽しそうでしたね」
「楽しくなかったらやらないよ」
「その割に辛そうでしたね」
少しだけ青井の顔に動揺が走る。まだ残っている煙草を指から落とす。地面に落ちたそれを無言のまま革靴で踏みにじる。
「もう満足、ってことはないんすか」
「……ない、と、思う」
自信のない弱い声だった。殺しの理由や目的を聞くと、毎回どこか他人事のような答えが返ってくる。先程見た豹変する姿もまるで他人のようだった。
自分を呼びつけたあとに穏やかに笑うその意味は、優しさではなく諦観だとつぼ浦は気付いた。ひどく深い諦めが、顔に笑みだけを残すのだろう。
ならば理由がないと思っていた殺戮に、救済の芽があるのではないか。本当は気に病んでいた殺人鬼を引き戻すことができるのではないか。その傲慢とも言える発想が、共犯者に決意させた。
「殺すの俺じゃ駄目ですか」
思わぬ言葉に青井は目を丸くする。体ごと向き直り、つぼ浦はその目を見て続ける。
「俺なら病院に行けば治りますよ。毎回危ない橋を渡って埋める必要もないし、コスパ最高じゃないっすか」
なにしろ特殊刑事課の命は羽よりも軽い。明るく言い放つ声とは裏腹に、つぼ浦の心臓は駆け足に打ち続ける。
目の前にいるのはもう何十人、いやもしかするとそれ以上に殺してきた殺人鬼だ。その怪物に向かって命を奪う許可を出すなど正気の沙汰ではない。まずい提案をしている自覚はたしかにあった。それでも現状を変えるためにつぼ浦は一歩踏み出した。
「……死にたくなければ埋めるのに付き合え、って言ってここまで来たのに。お前がそんなこと言うんだ」
「チクショウ、名案だと思うんすけどね」
つぼ浦にも考えがあった。この殺人鬼は、同じ秘密を抱え泥沼を進んできた共犯者を欲を満たすために殺すことができるか否か。きっとこの提案はなにかが変わる端緒になる。僅かな期待と痛みへの恐怖が心臓を速める。
「……本当にいいの?」
「サクッと頼むぜ。いや~アオセン上手かったからな〜。きっと簡単にできちゃうんだろうなー」
狼狽する青井の前でつぼ浦は手を広げてみせる。無抵抗で殺害を受け入れようとするつぼ浦とは逆に青井の目は泳ぐ。
少しの時間悩んだ後、死体の横に転がっていた刀を拾いに行く。刀身の血を服の裾で拭い去り、逆手に持つとゆっくりとつぼ浦の前に立つ。
胸を押されてその場に膝をついた。青井は両手で刀を持つと、その切っ先をつぼ浦の喉に向ける。怖くて目を閉じたかった。だがしっかりと青井を見つめ、つぼ浦はその先の痛みを待った。
青井の目に先程までの精彩はなかった。何度か大きく息を吸い、眉をひそめてつぼ浦を見た。
どれくらいの時間が過ぎたのか、切っ先は震えるままで動かない。
やがて指が白くなるほどに強く握りしめられた刀が降ろされ、そして地面に軽い音を立てて落ちた。
「アオセン……!」
この殺人鬼は自分のことは殺せないのか、という高揚が胸を躍らせる。初めて青井の本心が見えたように思えた。この殺人鬼にも殺せないものがあった。しかもそれが自分だったということを、つぼ浦は無邪気に喜んだ。
だが色めき立つつぼ浦とは裏腹に、青井は真っ青な顔をしていた。つぼ浦の前に同じように力なく膝をつくと、その身体を引き寄せ両手で強く抱きしめた。
煙草と血の香りが鼻腔をくすぐる。重たい警察装備の入ったベストが当たって肋が痛む。いつもならつけていないざらつくグローブが頬に触れた。
「ごめん」
枯れた声でそう言うと、青井はつぼ浦にキスをした。
いつもと違う甘ったるい煙草の味がした。これはひと仕事終えたあとの秘密を飲み込むためのキスではない。目的のわからないキスを、しかしつぼ浦は受け入れて青井の背中にゆっくり手を回す。
こわばっていた体の力が抜ける。歯がぶつかり、口を開ければ熱い舌が割り入ってくる。
酸素を求めて僅かに口を離す間すら惜しみ、飲みきれず口端から溢れた唾液すら舐め取って、何度も夢中に深く口付ける。
口を離せば熱に浮かされる顔があった。首を甘く噛まれて体が跳ねる。噛み跡を強く吸われ思わず声が出た。健康的な肌に残るその赤い印を見て青井はハッとして顔を離した。
「アオ、セン…?」
突然の終わりに熱を抱えたままつぼ浦は青井を見る。だが抱きしめる手を解くと青井は立ち上がる。
「お前殺したら手伝ってくれる人、いなくなっちゃうし」
呆然とするつぼ浦に背を向け、転がる死体に向けて手榴弾を投げ込んだ。爆発とともに千々に飛び散る死体を確認し、すかさず警察無線に入ると「今の爆発は事故です」と言う。
肩越しに見えた目は暗く淀んでいた。振り向き、手を差し伸べてきた顔に笑みはなかった。
謝罪とキスの理由を聞くことができず、つぼ浦は立ち上がるために青井の手を取った。
4
この世界は普通ではない。
心ある人間たち、その心の向こうには別の形の魂がある。自分なのに自分ではない力強い意思がある。
それは思いもしない力を与えてくれることもあれば、看過できない行いをさせることもある。
青井の場合、それは殺人衝動だった。それも含めて自分の一部だ、と言い切れないほどにその衝動は青井自身の人格と乖離していた。
人を殺したがる鬼の前に、殺しても問題のない人間がいくらでもいる、という状況はきっと天国で、心にとっては地獄だった。
心が望まない状況でも魂が許す。その悪夢の後始末につぼ浦を巻き込んだこと。追い込まれるあまり軽率な救いを求め、傲慢にもその身体と命に手を伸ばしたこと。罪悪感は日ごとに膨れ上がっていく。外からかけたはずの秘密を守る鍵が、内側から食い破られそうになる。
青井は考える。せめて、共犯者を日の下に戻す方法を。
あの日以来、つぼ浦のもとに夜、電話がかかってくることはなくなった。
普段もよそよそしく顔を合わせようとしない。通り過ぎるときに煙草と、ほのかに血の匂いがする。殺していないわけがないのに、しかしそのよそよそしさを問い詰めることもできず、ただ時間だけが過ぎていく。
それだけ自分がしたことが、あるいは青井がしたことがまずかったのだろう、とつぼ浦は理解していた。それは殺人鬼が正気に戻るのを期待したことだったのか、抱きしめる手を解き離れていく青井の腕を掴めなかったことなのか、どちらにしろ取り返しはつかない。
死体という大きな秘密を乗せて、二人で他愛のない話をしながら夜道を走った日々が懐かしい。仄暗く、しかし青春の1ページのような褪せたロードムービーが忘れられない。
自分はどんな顔をして横に座り、どんな会話をしていたのだろうか。きっと内容自体に意味はなく、共にある時間こそが得難いものだったのだろう。形があるものを失うよりも、目に見えないものが消えてしまうほうが喪失感は深い。
変わらないことこそが最良の関係もある。なぜあのとき殺人鬼を「もとに戻せる」などという傲慢な発想を行動に移してしまったのか、つぼ浦は後悔してやまない。
一人で越える夜は長い。つぼ浦は本署二階の休憩所でぼんやりと時間を潰していた。時折同僚が通りかかるが、上の空な様子を見て声をかけずに立ち去っていく。
不意にポケットに入れたスマホが鳴る。どきりと心臓が一気に高まる。
画面には青井の名前があった。意図せず顔が笑みを作る。焦る指で着信を押し、耳に当てると聞き慣れた長閑な声がした。
『今いい?』
「あ、ああ、いいぜ」
『手伝ってほしいんだけどさ』
今まで何度も聞いた犯行への誘いだった。
抑揚のない声で行き先が告げられる。聞きたいことはたくさんあった。だがそれらをすべて飲み込んで、つぼ浦は駐車場へと走った。
いつもなら殺害現場に呼び出され、二人で死体を運ぶのに今回は直接埋める場所に来るように言われ、つぼ浦は車を走らせる。
高速を降り、未舗装路も外れ、夜の森を走るのは久しぶりだった。木々の合間で大きな月が星明かりを蹴散らすほどに冷たく輝いている。あの日は星がきれいだった。木々を縫いアクセルを踏みながらつぼ浦はそんなことを思い出す。
月光の差し込む森の空き地に黒い服の青井が立っていた。傍らにはおそらく盗んできた車があり、地面にスコップが突き刺さっていた。
「ありがとね、来てくれて」
久しぶりに聞く優しい声に胸が一杯になる。月明かりを受けた白い顔がにこりと微笑む。その諦めたような笑顔も懐かしい。これからまた罪で手を汚すというのに心は浮き立って仕方なかった。
「アオセン、あの、えっと……その、とりあえず埋めちまおうぜ!」
努めて明るく笑うとつぼ浦はスコップを手に取ろうと近づく。
新しい土の匂いがする。暗くて見えなかったが、もう地面には一人分の浅い穴が掘られていた。
ではなぜ自分を呼んだのか。疑問を告げようと青井の方を振り向いた瞬間、身体が強く突き飛ばされる。ぐらりと視界が揺れ、つぼ浦は穴の中に倒れ込んだ。身体を起こそうとするより早く青井が馬乗りになる。右手には何人もの血を吸った刀が握られていた。
あの日の続きだ、とつぼ浦は瞬時に理解した。あの日殺害を許可した自分を、本当に殺すつもりなのだと。
「て、手伝う人いなくなるんじゃなかったんすか?」
あの日確かに青井はつぼ浦を殺すことができなかった。それが殺しの連鎖を止めるきっかけになりはしないかとつぼ浦は願っていた。
それが正しいかはわからないが、ここで殺されるわけにはいかない。だが抵抗しようとしたつぼ浦の喉元に鋭い切っ先が向けられた。
命を焼く青い光が、煌々と輝く目があった。喉の奥で乾いた笑いを上げる、それは残忍な殺人鬼の笑みだ。人ならざる気配を纏う姿は人間というよりは怪談の中の怪物だった。
殺された心無きたちの最期の視界もこうだったのだろう。到底話が通じるとは思えないその迫力に、思わず身がすくむ。
逆手に持った刀が一切の躊躇なく振り上げられ、心臓めがけて一気に振り下ろされる。せめて一突きに、痛みが少なく済むことを願ってつぼ浦はぎゅっと目を閉じる。
だがいつまで経っても痛みは訪れない。胸に何かがポタポタと落ちる感覚につぼ浦は目を開けた。
青井は歯を食いしばり、右手で突き降ろそうとする刃を左手で強く掴んでいた。せめぎ合いガタガタ震える度に鋭い刃で割けた手から胸の上に鮮血がしたたる。
「ッ……!!」
殺意と正気が拮抗する。荒く息を吐き、青井は揺れる目でつぼ浦を見た。
「アオセン!!」
名を呼ぶ声が脳を貫く。青井はハッと息を呑むと刀を傍らに投げ捨てた。
苦しげに肩を上下させる姿は怪物ではなくただの一人の人間だった。つぼ浦は身体を起こすとその肩に手を置く。
「ア……」
「なんも言わないで」
気遣う言葉を止められ、思わず肩から手が離れる。だがうなだれ荒く呼吸する姿を見ていられずもう一度手を置く。
呼吸が落ち着くまでしばらく二人は無言でいた。つぼ浦はかけるべき言葉を探す。普段の饒舌さはどこかに消え、何も出てこない。せめて自分が前にいることが伝わることを願い、手に力を込めた。
少し落ち着いた頃、震える青井の手がさまよい、傍らに落ちる刀の柄を掴む。一瞬まさか、と思うが先ほどまでの狂気はない。
その柄がつぼ浦の胸元に掲げられる。青井は顔を上げ、真っ暗な目でつぼ浦を見た。
「俺を殺して」
疲れ果てた声だった。
目を見開くつぼ浦に青井は言葉を続ける。
「知ってるよ、本当には死なないことは。でもこのまま埋めてくれたら土に還れるかもしれないし」
ちらりと自分たちが座り込む穴を見た。そのとき自分はこのために呼ばれたのだ、とつぼ浦は悟った。予期せぬ殺意が挟まったが、これは青井のための墓穴だったのだ。
「もう疲れた、魂の衝動に振り回されるのが」
弱りきった声で青井はいう。
「俺の魂が、違う、魂の一部が、殺しを望むんだ」
それは青井ではない誰かの話だった。四番目の壁の向こうから強要する力と、そのせいで生じる苦悩。何の話をしているのか理解できないが、理解できてつぼ浦は言葉を失った。
「それに動かされてたのか、アオセンは」
青井は力なく頷いた。
「ましてお前を殺し続けて、それで満たされるなんて嫌だよ」
先日、青井が自分を殺せなかった理由をつぼ浦は察する。自分が差し出した提案に、青井は一瞬でも乗ってしまったのだろう。殺人を望んではいないはずなのに、つぼ浦ならいいかと安易な救いに乗ってしまったことが、どれほど罪悪感を膨らませたのかは想像に難くない。
「どうにかならないんですか、それ」
「俺が俺である以上、どうにもならないよ。だから俺を……」
「えーっとつまり、アオセン自身はやりたくなかったのにいっぱい殺してきちゃった。そういうことっすね?」
噛み砕いた表現で決意の言葉を遮られ、青井はキッとつぼ浦を見た。
「殺したいわけなんてない。心無きだって守るべき市民だ」
まっすぐな瞳でに見据える姿は、ロスサントスを守る一人の警察官、青井らだおだった。
一人の人間として心から叫んだその言葉を受け取り、つぼ浦は渡された刀を手に取った。
共犯者に頼む最後の仕事は主犯の介錯だった。それが共犯者にかけたあらゆる束縛を解くと信じて、青井は頭を垂れて目を閉じる。
初めて手が赤く染まった日が、無我夢中で死体を埋めた夜が、誰にも言えずに抱えた日々が走馬灯のように過ぎる。
木々のざわめきと遠く巻き立つ風の唸り声が耳をすり抜ける。喉を通る空気は冷たく、煙で濁った肺を満たす。
長い長い沈黙のあと、まだ生々しく血を流す左手が掴まれ、持ち上げられた。その手首にがちゃりと冷たい金属の感触を覚え、青井はハッとして目を開けた。
「……30万」
「え」
「NPC殺人罪だ。青井先輩、アンタを逮捕するぜ」
刀をポイと投げ捨て、揚々と告げるつぼ浦の目に呆気にとられた青井の顔が映る。
確かにその通りだ、罪状と罰金額などそらんじることができる。牢屋で、あるいは犯罪現場で、幾度となく犯罪者に告げてきた言葉が降りかかる。
「アオセンが欲しいのは罰だろ?」
その言葉で青井は大きく息を呑む。
ここにいる、他の誰でもない青井は最後まで警察官であろうとした。たくさんの罪悪感に押し潰され、それでもまっすぐであろうとした心に必要なものは罰だ、とつぼ浦は見抜いた。
身体を重くし続けた巨大な罪悪感が、手首の冷たい金属の感触でゆっくりと溶けていく。何も言えずに黙ってしまった青井に、つぼ浦は優しく告げる。
「罰が下ったら、償えば許されるんですよ。犯罪してないときは犯罪者も市民、ですよね?」
いつか言った信条だった。己を貫くそれがそのまま返ってきた。思わず目の奥が熱くなり、青井は俯く。
「共犯者の俺が警察なことを幸運だと思ってくださいよ。この先また殺しても、何度でも捕まえますよ」
そういうとつぼ浦は自分の右手首に手錠のもう片方をかけた。カチャン、という金属音が二人を繋ぐ。それは犯罪者と警察官を縛る鎖であり、主犯を逃さない共犯者が差し出した絆だった。
「俺があのときそれもありかって思っちゃったから、多分そのせいでお前のこと殺そうとしたんだよ?」
「でも耐えたじゃないっすか。もうタネがわかったんでこっちだって負けねえっすよ」
殺意に突き動かされる青井は明らかに目つきが違った。あの命を焼く青い目を見間違えるわけがない。なによりもしつぼ浦を一度でも殺したらきっと青井は戻れない。お互いを生かすために必要なのは、死なないための努力だった。
「なんたって小遣い稼ぎにもなるしな。あ~前までのはもう時効なのが憎いぜ」
今からでも指名手配できないか?と悩んで皮算用をし始めるつぼ浦を見て青井は思わず吹き出す。
「ふ、なにそれ、俺の長年の苦しみがお前の小遣いなの?」
「ああ、そうだぜ。覚悟してくださいね、きっちり取り立てるんで」
アオセンファームなんてな、とケラケラ笑っている。その屈託のない明るさが胸にしみ、また心の中の闇がくすぐられる。
「……嫌になったらいつでも全部言っちゃっていいんだよ、俺がどうしようもなく人を殺さなきゃいられないバケモンだって」
青井はつぼ浦の口を指さした。いつかかけた鍵を、秘密を飲み込ませる鍵を解くかのように。
どちらかの心が耐えきれず、秘密をぶちまけることこそがこの歪んだ道を終わらせる最短の方法だ。今からでも、つぼ浦だけでも逃げる道はまだある。それを言わずにはいられなかった。
だがつぼ浦はきょとんとしていた。
「言うわけないじゃないっすか。だって、俺は共犯者なんすよ」
呆れたような顔で、つぼ浦が青井の唇に指を置いた。そして顔を寄せ、唇を押し付ける。
拙いキスだった。その温かな感触はこみ上げた弱音を飲み込ませた。
この共犯者はとっくに覚悟を決めていたのだ、と青井は今更のように気付いた。覚悟ができていなかったのは主犯の方だった。共犯者だけでも、と光の方に押し返そうにも、深みから浮かぶつもりなどもとよりなかったのだ。
繋ぐ銀色の手錠はともに闇の底を歩き続けるという覚悟の証だった。血に塗れる手に指を絡め、離さぬように強く握り返し、不敵な顔でつぼ浦は言う。
「アオセンがいくら嫌って言っても、この秘密は墓まで持っていくからな」
大きな月が天頂から二人を見下ろす。その冷たい光の下、つぼ浦は太陽のように笑った。
つぼ浦は罪を罰で相殺し、宿命を宿命のまま受け入れた。己が身の余りある幸福を知り、青井は涙をこらえて笑い返した。
「やっぱ6mないとだめ?お前の墓穴」
「ハイ、足がはみ出しちまうんで」
毎回穴を掘るときの苦労を思い出し、「建築ジョブにパワーショベルってないかな」と呟けば「そこは心を込めて手掘りで頼む」と冗談めかした言葉が返る。
「6フィートならお前の身長と一緒なのに」
「駄目っすよ、6mで頼むぜ」
「仕方ないなぁ……」
掴んだ手をぐいと引き上げ、二人は立ち上がる。鎖の擦れる小さな金属音を聞きながら、手を繋いだまま車へと向かった。
きっとこれからも自分は殺すし、その度に墓を掘り続ける。
しかし今はその腕に手錠をかけ、ともに掘る共犯者がいる。
死を見届け、彼の6mの墓穴を掘り終わるそのときまでは生きよう、と青井は決めた。
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何も解決しないけれど、薄暗い道を歩く影が2つになった話
ちなみに西洋だと棺桶を埋める深さは通常6フィート、182cmという……なんとなくcmに直してまさかの一致に震えました🥺
RPって魂が自分の人格の一部を各キャラクターに別の切り口で分け与えているイメージなんですけど、その派生キャラ(🐒先生とか)に割いてる殺意マシマシRPの部分が魂貫通して入って来ちゃってる的な感じだと思って書いてました。
後からこれハマってるな~って思った曲はピノキオPの「きみも悪い人でよかった」
コメント
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至高の糧をありがとうございます……!
大拍手、スタンディングオベーションです。素晴らしいラストでした……。良い……大変素敵なものを見せていただきました。ありがとうございます。とても良かったです。最高でした。