テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
倒れたカニの魔物を、しばらく見下ろしていた。
動かない。
完全に、仕留めたらしい。
その時――
ぐう、と腹が鳴った。
「……腹、減ってたのか」
そう言ってから、自分でも少し驚く。
さっきまで、そんな余裕はなかったはずなのに。
視線が、自然とカニの魔物へと戻る。
大きな体。
分厚い殻。
だが、その隙間から見える中身は――
「……食えそうだな」
ぽつりと呟く。
なぜそんな発想になるのか分からない。
だが、嫌悪感はなかった。
むしろ――
旨そうだ、と思った。
俺は刀を構え、関節部分に刃を入れた。
ギチ、と音を立てて殻が割れる。
力を込めると、ぱきり、と開いた。
中から、白く透き通った身が現れる。
「……」
一瞬だけ、ためらう。
火はない。
調理もできない。
生だ。
だが――
迷いは、すぐに消えた。
指で身をつまみ、そのまま口へ運ぶ。
――トゥルン。
舌の上で滑る。
柔らかい。
それでいて、弾力がある。
噛むと、じわりと旨味が広がった。
「……うまい」
思わず声が漏れる。
なんとも言えない、まろやかさ。
深みのある味。
淡白ではない。
しっかりとしたコクがある。
それが、口いっぱいに広がる。
「……これは、いいな」
手が止まらなかった。
次々と殻を割り、身を取り出し、口へ運ぶ。
夢中になっていた。
腹が減っていたのか、それとも――
この味に魅せられたのか。
気づけば、ほとんど食べ尽くしていた。
残っているのは、硬い殻だけ。
俺は満足げに息を吐いた。
「……助かったな」
腹が満たされると、思考も少しだけ落ち着く。
立ち上がり、手についた汁を軽く払う。
その時だった。
ふと、違和感を覚えた。
「……なんだ?」
周囲を見回す。
先ほどまであった骨や装備。
それらが――
「……減ってる?」
いや、違う。
消えている。
さっきまで確かにあったはずの残骸が、いくつか消えていた。
目を凝らす。
床。
壁。
どこにも、移動した痕跡はない。
まるで――最初から存在しなかったかのように。
「……なんだよ、これ」
背筋に、冷たいものが走る。
ここは、おかしい。
魔物がいる。
人が死んでいる。
それだけじゃない。
“消える”。
何かが、勝手に。
その時。
カニの殻に目がいった。
さっき自分が食べた残り。
それが――
ゆっくりと、崩れていく。
「……っ」
音もなく、形を失っていく。
砂のように。
いや、それよりももっと静かに。
そして――
完全に消えた。
「……消えた?」
思わず呟く。
何も残っていない。
痕跡すらない。
まるで、この場で何も起きなかったかのように。
「……」
沈黙が落ちる。
理解が追いつかない。
だが、一つだけ――
確かなことがある。
ここは、普通じゃない。
生き物も、死体も、物も。
すべてが、何かの“ルール”の中にある。
「……ダンジョン、か」
その言葉が、また浮かぶ。
理由は分からない。
だが、妙にしっくりくる。
作られた場所。
何かの目的のために。
そう考えれば――
この異様さも、説明がつく気がした。
俺は刀を握り直した。
光は、まだ奥へと続いている。
まるで、誘うように。
――進め、と。
俺は、一歩踏み出した。
この場所の正体を知らぬまま。
ただ、生き延びるために。
コメント
1件
読了しました。今回は「食」の描写がすごく生々しくて、思わず引き込まれました。生のカニの身を食べる場面の、あの「トゥルン」という擬音とまろやかな旨味の表現が、妙にリアルで…。でも食べ終わった後の、残骸が静かに消えていく不気味さが一気に来る。安心した直後の違和感が心臓にじわっと来ました。タイトルの「捕食と違和感」、まさにその二つが絶妙なバランスで同居してる回ですね。続き、気になります!