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◆◆◆◆
遠くで男のものとも女のものともわからない叫び声が聞こえた。
「悲鳴……?」
渡慶次は階段を挟んだ東側の1年1組の教室から顔を出した。
非常口の灯でかろうじて照らされている廊下には何も見えない。
気のせいだろうか。
いや、気のせいじゃなかったとしても、
――もう聞こえなくなった。
「………」
渡慶次はそれが意味することに暗いため息をつきながらそっと慎重に扉を閉めた。
ここに来る前にトイレでくんできたバケツを手に持ちながら、壁に寄りかかりズルズルと座り込む。
『雅斗はまだ自分の立場が理解できてないみたいだなぁ』
シンと静まり返る教室に、新垣の声が蘇る。
『――死にたくなかったら、いうことを聞けよカス』
暗闇に、顎を突き上げた新垣の顔が浮かぶ。
『仲良し……?冗談でしよ』
「―――ろ……」
『俺はいつでもこいつの顔色を窺ってた。怒らせないように一挙手一投足に神経をすり減らして。こいつに嫌われないように。こいつに虐められないように。だって……』
「―――めろ……」
『アイツみたいになりたくねえからなぁ?』
「やめろ!!」
シンと静まり返った空間に渡慶次の声が響いた。
「……はぁッ……ッ……はぁっ……」
息が上がる。
新垣があんなことを言うなんて、
新垣があんなふうに思っていたなんて、
想像もしたことがなかった。
だってアイツは、
渡慶次の姿が見えるなり駆け寄ってきて、
話しかけただけで嬉しそうで、
笑わせようと必死で、
いつもただ肯定するように頷いていて、
――あれも全部、演技だったのか。
沸々と怒りがこみあげてくる。
誰が一緒にいてほしいと願った。
誰が無理してでも笑ってろと言った。
――てめえが勝手に金魚の糞のようにまとわりついてきただけだろうが……!
勝手に逆恨みして、最低な方法で手のひら返ししてきやがって。
「……あのクソ野郎」
ガラガラ。
そのとき、扉が開いた。
「!!」
ピエロか?
じゃなければ特別室にいるはずの女教師か?
それとも―――。
渡慶次は瞬時にバケツを持って立ち上がった。
しかしそこに立っていたのは、
「……なんか今、暴言が聞こえたんですけど」
気まずそうにこちらを睨む、上間美紀だった。
「う……上間!?なんで……」
「しっ」
上間はさっと教室の中に入ると、廊下の気配を伺いながら扉を閉めた。
「……さっきの声ってお前?」
囁き声で聞くと、
「声?」
上間はこちらを振り返りキョトンと目を見開いた。
「私じゃない。今階段を下りてきたばかりだから」
そう言いながら彼女は背筋を伸ばした。
「――先に言っとくけど、勘違いしないで。渡慶次君を追ってきたわけじゃないから」
「わかってるよ、そんなの」
渡慶次は上間が来てくれたことにニヤつきなりそうになる口元を強く擦った。
「新垣君のやり方がどうしても納得できなかったからきたの」
そう言うと上間は渡慶次から目を反らし、心底嫌そうにため息をついた。
「……新垣、あのあとなんだって……?」
「前園さんにパンツ脱げって」
「は?」
「今から全員、俺の奴隷になれって」
「な……!」
愕然と口を開けた。
逆恨みとはいえ、自分に鬱憤が溜まっていたのは何とか理解できるが、クラスメイト達にもそんなことを言うなんて。
「他の奴らは?」
「わかんない。何人か逃げたみたいだけど、誰が残って誰が逃げたかはわかんない。私も必死だったし」
「だよな。ピエロもいたし……」
そこまで言ってから渡慶次は上間を見つめた。
「てかピエロ!いただろ!大丈夫だったか?」
そういうと彼女は形のいい唇をくいと上げて微笑んだ。
「ねえ。私のこと、何もできないおバカさんだと思ってる?」
彼女の手には空になったバケツがぶら下がっていた。
「は……」
渡慶次は思わず笑いながら、その場に膝を立てて座り込んだ。
「んで、ピエロは今、メイク直し中なわけね」
「そ。2階の廊下にいるはずよ」
上間が頷くと、渡慶次は上間を見つめた。
ホッとしたからか、それとも半年間ずっと硬化していた彼女の態度が少し緩んで見えるのが嬉しいのか、軽口の一つも言いたくなる。
「――なあ、今日すっぴん?」
「は?何よ急に」
上間の顔が曇る。
「ピエロにメイク教えてもらってきたら?」
「失礼ねっ!」
上間は頬を膨らませた。
「今日は時間がなかったの!」
「メイク道具とか持ち歩いてねえの?」
「あるけどこれは部活用だし……」
「部活用って……。本当に水泳しか頭にないんだな」
「な……そんなわけないでしょ!私だって高校生なんだから!」
上間がただでさえ大きな目を見開く。
けして和やかな会話というわけではないが、こうして普通に話すのはいつぶりだろう。
「へえ。じゃあ、部活後にデートする相手でもいるんだ?」
渡慶次は意地悪く眉を上げながら言った。
「……そ、それは……!」
「あれ?いないのかなー?」
「うるさいわね!」
楽しい。
上間の怒った顔を見るのも久しぶりだ。
それに彼女にデートする相手がいないらしいという事実は、さらに渡慶次を浮足立たせるには十分だった。
「……あのお」
そのとき、低い声が聞こえた。
「もしかして俺たち、お邪魔だったりする?」
扉を開けたのは学級委員の吉瀬だった。
後ろには吉瀬ほどではないがこちらも成績のいい山口も一緒だ。
「誰か一緒に動ける人を探してて――もし邪魔だったら他当たるけど」
「まさか。いいよ、一緒に動こうぜ」
吉瀬の言葉に、渡慶次は頭を掻きながら言った。
非常時だからとはいえ、上間と普通に会話できたこの時間をもっと大切にしたかったが、人数はたくさんいたほうがいいのは、先の経験で実証済みだ。
「新垣はずいぶんとふざけたことを言ってるみたいだな」
渡慶次が言うと、吉瀬と山口は互いに目配せをし合った。
「本当にふざけたやつだよ。あんな男だったなんてがっかりした」
吉瀬が舌打ちをして、
「ああ、失望だな」
山口も頷く。
「だが別に、あいつに従う必要なんてないんじゃないかと思って」
吉瀬が神妙そうな顔をして言う。
「どういうことだ?」
渡慶次は2人を交互に見つめた。
「だって、もうすでにピエロも橘先生とかいう女教師も、攻略法とやらがわかっているじゃないか」
山口が几帳面そうな活舌の良さで言った。
「ピエロは水をかければいいし、女教師は3階の特別室に呼び出されて行っちゃっただろ。だから実質は、俺たちが怖がる驚異ってないのかなって思って」
自分の言葉にうんうんと頷いている。
「まあそれは……そうかもしれないけど」
2人の言葉には納得しているのに何かが腑に落ちない。
もう驚異はない?本当にそうだろうか。
「でもそれじゃあ、クリアはどうするの?」
上間が2人を見つめる。
「それなんだよなー」
吉瀬がため息をつく。
「新垣に頼んだとして今のあいつじゃ教えてくれるとは到底思えない。こうなったら自分達でクリアを目指すしかないな。こういうのはゲームとか普段からやってるやつの方がいいんだろうけど」
「あ」
「あっ」
「あ……」
渡慶次と上間、それに山口が同時に口を開けた。
「そういえば、この世界に来る直前、比嘉たちがゲームの話してたよな」
渡慶次の言葉に、
「今、私もそれ言おうと思った」
上間も頷く。
「少なくとも戦闘力として確保してた方がいいだろうな。あいつらも新垣の奴隷になるとは思えないし」
吉瀬が頷く。
普段なら、渡慶次を毛嫌いしている比嘉たちが自分の味方になることなんてありえない。
しかしさきほど共にピエロと戦った、あの瞬間は確かに仲間だった。
今ならあるいは――いや、きっと……。
「とにかくここにじっとしていても仕方がない。バケツに水をためて、あいつらを探しに行こう!」
山口が扉を開けたところで、
『クランケはどこですか~?』
突然、白衣を靡かせた男が入ってきた。
「……クランケって……こいつ、医者?」
山口がずり落ちた眼鏡を直しながら言った。
「これも敵キャラなのか?」
吉瀬が積み重ねられた机にしがみつくように言う。
長い白衣、黒いスラックス。肩に聴診器をかけた姿は、確かに医者に見えないことはない。
しかしその瞳は白に近い灰色で、どこを見ているのかわからない不気味さに、渡慶次は背筋が凍りついた。
「……だろ、どう見ても!」
今度は周りを見回した。
武器になり得るものは吉瀬がしがみついてる机だけだ。
それを投げつけてまごついている隙に廊下に飛び出す。
あとは、走るのみ。
いくか?
今?
やるか?
今?
どうする……!!
『おっと、これはよくないですね~。裂創じゃないですか~』
自問自答を繰り返しているうちに、医者は山口の前にしゃがみ込みながら言った。
『今すぐ治療をしなければ~最悪の場合、死に至ります~!』
そう言いながら白衣のポケットから消毒剤を出している。
「は……?こんな切り傷で…?」
山口が恐怖で口の端を引きつらせながら言う。
『裂創を甘く見てはいけませ~ん!このままだと化膿や感染のリスクがありま~す』
胡散臭い話し方を続けながら、医者は手際よく患部に消毒を施すと、ガーゼを当てテープで固定した。
「な……なんか、手当してくれてんだけど……!」
山口がこちらを振り返る。
「お……おう。みたいだな……」
それしか言えなかった。
医者の姿をした何かは、本当にちゃんと山口を手当てし終わると、パンパンと手をはたきながら立ち上がった。
『はい、これで処置完了~!処方箋出しておきますからお薬貰って、あとは出来るだけ安静にしてくださいね~』
そう言いながら消毒液をポケットにしまうと、医者はにっこりと微笑んだ。
「……え、まさかの良いキャラ……?」
吉瀬がしがみついていた机から手を離しながら言った。
「回復系のキャラ、とか……?」
山口がなおも口元を引きつらせながら言う。
普段ゲームなんかしないためよくわからないが、ホラーゲームにそんなキャラがいることもあるのか。
渡慶次は目を見開いた。
そうか。
これはゲームなんだ。
キャラの攻略法もあればクリアの仕方もある。
回復アイテムもあれば、
もしかして、アレもあるのだろうか……?
『それでは治療費の計算をします~』
渡慶次の思考を遮るように、医者は今度はポケットから小さな計算機を取り出して数字を叩きだした。
「は……?」
山口が目を丸くしながら渡慶次を振り返る。
「治療費って言ったよな……?今」
「あ、ああ……」
カタカタという音が響く中、渡慶次の肩を掴んでいた上間の指に力が入る。
『初診料27,000円、処方箋料700円、処置費用5000円、合わせて32,700円になりま~す』
「はぁ?高っ」
山口がいよいよ顔を引きつらせる。
「そんなに持ってないよ。てか財布すら持ってないし」
財布―――。
渡慶次はポケットの中を漁った。
何もない。
思えば財布は鞄の中だ。
――つうか、この世界に現実世界のものなんて持ってこれるのか?スマホだって握ってたはずなのにないし……。
しかし、
――あれ。じゃあなんであのとき……。
煙草を取り出し火をつけた彼を思い出す。
――アイツは煙草とライターを持ってたんだ……?
『お金がないのなら仕方がありませ~ん』
医者が口を開いた。
『対価をいただきますね~?』