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「対価……?」
山口が目を見開き、吉瀬が渡慶次を見た。
『治療した右足の御礼に~』
医者がガーゼの撒かれた右足を撫でてから、その視線を隣に移した。
――ヤバい。
「山口!!逃げろぉおお!!」
渡慶次が叫んだのと同時に、
『左足を貰いま~す!!』
医者が笑った。
振り返った吉瀬の目の前を、
叫んだ渡慶次の頭上を、
その肩口から覗いた上間の脇を、
太腿からバッサリ切断された山口の左足が飛んでいった。
「……うぐあぁああああ!!」
山口が悲鳴を上げながらその場に倒れ込む。
その切断面に見えていた真っ白な骨も暗赤色の肉も、ドクドクとあふれ出す血液であっという間に覆われ、たちまち床に真っ赤な血だまりができた。
「……山口君!」
「待て!」
駆け寄ろうとした上間の腕を渡慶次が掴む。
『おや、お嬢さ~ん?』
返り血を浴び、白衣を真っ赤に染めた医者が、どこを向いているのかわからない白目のまま振り返った。
『その指……どうしました~?』
「……!!」
渡慶次は掴んだ腕の先にある指を見下ろした。
ピエロを攻撃した時にバケツで擦れたのだろうか。彼女の指の第2関節の皮が擦りむけていた。
『擦過創ですね~。治療が必要だ~!』
医者が白衣を翻しながらツカツカとこちらに駆けてきた。
「くっそおおお!!」
吉瀬が持っていた机で医者の側面を殴るがびくともしない。
彼はこめかみから血を流しながら、一直線に上間に向かってきた。
「……チッ!この……!!」
迷っている時間はない。
渡慶次は咄嗟にブレザーの袖を捲り上げた。
「渡慶次君…?」
「渡慶次……!」
上間と吉瀬が同時に振り返る。
「ァグッ!!」
医者の目の前で渡慶次は、自分の右腕に思い切り噛みついた。
「グウウゥッ」
思い切り噛み終わると、渡慶次は口から血を垂れ流しながら、その場に膝を落とした。
『おおおっと、これは~!!』
医者が渡慶次の腕を掴む。
『咬傷じゃないですかぁあああ!!歯に付着している雑菌が組織内に押し込められるため、感染症のリスクが最も高いで~す!今すぐ処置が必要で~す!』
渡慶次は自らが与えた痛みに耐えながら片眼を痙攣させた。
そうだ。これでいい。
この医者が右手の治療をしている間に、吉瀬と上間を逃がす。
そして彼らが無事に逃げ伸びたあとには―――。
視線を倒れている山口に移す。
―――対価だ。
山口は太股から左足を切断され、大量に出血をしながら痙攣している。
しかし、自分が噛みついたのは腕。
たとえ二の腕から切断されようがちゃんと止血すれば命だけは助かる可能性もある。
しかも噛んだのは|右手《利き手》、対価は左手。
こんな状況下で左手が無くなるのは辛いが仕方ない。
「渡慶次君……!」
目に涙をためながら寄り添っている上間を振り返る。
目の前で上間が死ぬよりずっとマシだ。
『大丈夫~。私がいますからね~!』
医者は白衣のポケットに手を突っ込んだ。
てっきり消毒液が出てくるのかと思いきや、医者が取り出したのは―――。
『感染症のリスクを最小限にとどめるため、これより切断手術を行いま~す!』
山口の脚を一瞬で切断したメスだった。
「……!!」
マズい。
もしここで右腕を切断されたら―――。
そしてその対価として左腕をも切断されたら―――。
――100%死ぬじゃん。俺……!
渡慶次は医者を睨んだ。
打撃が効かないことは先ほどの吉瀬の攻撃で立証済み。
じゃあ逃げるか?
上間を連れて?
無理だ。あの速さ、あの瞬発力じゃすぐに捕まる。
――どうすれば……!!
「――先生!!」
黙って見ていた吉瀬が叫んだ。
「先生!!アンビの音が!!急患です!!」
医者の動きがさっと止まった。
「アンビ……?」
「あんび?」
渡慶次と上間が同時に振り返る。
しかし吉瀬は医者の顔を見ながら続けた。
「化学爆発が起こった模様!一部患者は爆傷に寄るチアノーゼ発症!至急応援をお願いします!」
畳みかけるように言う。
「爆心地は―――放送室です!」
「!!」
渡慶次と上間は顔を見合わせた。
――吉瀬のやつ……コイツを、新垣のもとに……?
この状況下でよく思いついたと感心しつつ、しかし―――。
―――引っ掛かるか……?
『……急患~?』
無表情の医者の顔を盗み見る。
『アンビ~……?』
―――頼む。騙されてくれ……!
『……それは大変だ~!』
医者は白衣を翻しながら踵を返した。
『放送室だな~!直ちに向かいま~す!』
そう言いながらスタスタと駆けて行った。
「すげえ……」
渡慶次は吉瀬を振り返った。
「すげえじゃねえか吉瀬!お前、どこでそんな医学用語を覚えたんだよ?」
しかし駆け寄ろうとした渡慶次を拒むように吉瀬は山口に駆け寄った。
「山口……!」
手を取り温度を確かめると、脈をとりながら下瞼に指をそえ、眼球の動きを確認している。
「ダメだ。出血性ショックを起こしている!意識もない……」
「そんな……!」
上間が両手で口を押えた。
「できるだけ止血するんだ!」
吉瀬はブレザーとワイシャツを脱ぐと、ワイシャツの裾を破り、ひも状にした。
上間もブレザーのリボンをほどいて渡す。
「……渡慶次!!」
吉瀬はそれで山口の残った太ももを縛りつつ叫んだ。
「ここは俺と上間が何とかする!お前は、あの医者を追って放送室へ!」
「は……?」
渡慶次は目を見開いた。
「新垣が、どうやってあの医者を攻略するのを盗み見るんだ!さっきは偶然誤魔化せたが、同じ手が通用するとは限らない!」
「それはそうだけど……!」
「さっさといけ!絶対に見つかるなよ!」
「―――」
吉瀬の言葉に渡慶次は上間を見つめた。
「……気を付けてね」
上間も渡慶次を見つめ返した
「さっきは……かばってくれてありがとう……!」
「………ああ」
渡慶次は忍ばせながら走り始めた。
「はあっ……はあっ……はあっ……!!」
不謹慎だと思うのに、ニヤ付を抑えることができない。
それは彼女が半年ぶりに自分に向けた笑顔だった。