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「こんな夜更けに
女の子が二人で歩くには⋯⋯
少し危ない時間じゃないかい?」
闇の中
ふと降るように現れた男が
双子の行く手を塞ぐようにして
立っていた。
声は低く、穏やかで
どこか慈愛すら滲ませている。
月明かりに浮かび上がるその姿は
壮年に差し掛かるか否かの男。
だが
柔和な笑顔の奥に
芯の強さと老練な体躯が
隠しきれず滲んでいた。
「良ければ送って行くよ?
こんな時間に君たち二人だけじゃ
親御さんも心配しているだろう?」
その声音は
まるで通りすがりの
善意の人間を演じているような
完璧に作られた温かさにも
感じられた。
ルナリアが
表情を崩さぬまま一歩前へ出る。
「⋯⋯お心遣い、痛み入ります」
彼女の言葉は冷静で
距離を保つように
ぴしゃりと正面から向けられる。
続いてエリスが
ふわりと笑みを浮かべながら
頭を下げた。
「ご心配には及びませんわ。
ありがとうございます、おじさま」
双子は礼儀正しく揃って一礼し
それぞれの小さな手を結び直すと
一歩だけ静かに後ろへ下がった。
(ルナリア⋯⋯)
(ええ、あの親指の付け根。
刀瘤⋯⋯剣士、しかも一流です)
(気配の殺し方も
尋常ではないし⋯⋯警戒を)
男は二人の動きを眺めながら
微笑んだまま
ゆっくりと手を挙げて見せた。
「おやおや⋯⋯
怖がらせるつもりは
なかったんだけどね。
ごめんね?」
言葉の端々に
妙な優しさが混じっている。
だが
その瞳だけが
微かに冷たく光った。
ルナリアが
柔らかく口元を綻ばせる。
「謝罪の言葉を述べるなら⋯⋯」
エリスが
くすくすと笑いながら続けた。
「手向けてきた刺客たちのことを
謝って頂けますか?」
その瞬間
男の笑顔の目元が
僅かに鋭く揺らいだ。
ほんの一拍——。
表情は変わらずとも
男の内心には確かな驚きが走っていた。
男は手を顎に添え
何かを思案するように
双子を見つめた。
その沈黙の中——
ふと、心に考えを浮かべてしまった。
(⋯⋯この子供。勘が良い)
——その一瞬が
運の尽きだった。
「残念ですわね、おじさま」
エリスが、にこやかな声で呟く。
「貴方の声⋯⋯届きました」
「私たちは、貴方を——」
「「敵と看做します」」
双子が、声を重ねて断言する。
その響きには
揺るぎのない意志が込められていた。
だが
男はそれを聞いてなお
崩れるどころか
口元を更に緩めて微笑んだ。
「ふふ⋯⋯あぁ、ありがとう」
「「⋯⋯⋯?」」
双子は、同時に小さく眉を寄せる。
「キミ達は⋯⋯
ボクを〝敵〟と認識した。
それだけで、もう十分なんだよ」
「⋯⋯何を⋯⋯?」
「逃げましょう、エリス。
只者じゃありません!」
ルナリアが即座に判断し
エリスの手を引こうとする。
だが——
「⋯⋯もう、遅いよ」
男が軽く、指を鳴らした。
ーパチン!
その音が空気を震わせた瞬間——
双子の足が、ピタリと止まった。
まるで
世界の時間だけが一拍遅れたような
奇妙な感覚。
風が止み、夜が凍り、そして——
双子が
ふわりと笑みを浮かべて男を見上げた。
「「お久しぶりですね!」」
満面の笑み。
目を細め、嬉しそうに
まるで親しい人との再会を喜ぶように。
「ふふ⋯⋯
ボクも、久しぶりに会えて嬉しいよ」
男の声もまた
穏やかに微笑を含んでいた。
「さぁ、夜道は危ない。
送って行こうか?」
その言葉に
エリスとルナリアは
互いに手を結び直しながら
にこりと微笑んだ。
それは
無垢な少女の微笑みだった。
先程までの警戒に満ちた声はなく
夜道に楽しげな笑い声を響かせながら
三人は連なって歩いていく。
明るい声だけが響く、静かな夜の中。
だが
その気配は既に
背後にぴたりと寄り添い
平穏を破る瞬間を待ち構えていた。
⸻
玄関の扉を静かに閉めると
エリスはルナリアと
目を見合わせて
にこりと微笑んだ。
エリスは
玄関で靴を脱ぎながら
携帯を取り出す。
指先が慣れた動きで画面を操作し
登録されている一つの番号に
躊躇いなく発信する。
耳に当てる前に——
『もしもし!』
「わっ!
お父様ったら
珍しく出るのが早いですね?」
スピーカー越しに響いた声に
エリスが小さく笑う。
ルナリアもくすりと笑い
エリスの背中に
そっと寄り添うようにして覗き込んだ。
『えぇ⋯⋯
なかなか
電話が無かったものですから⋯⋯
ずっと握りしめてましたよ』
時也の声は
どこか安心したような響きだった。
その言葉に
エリスが少しだけ
肩を竦めて冗談めかす。
「ふふ。心配性ですわね?」
『当たり前でしょう⋯⋯
帰路に、問題でもあったのですか?』
時也の声色が僅かに硬くなる。
だが、それはあくまで
父としてのごく自然な反応だった。
エリスは一拍
言葉を置いてから明るく応える。
「ごめんなさい、お父様!
帰り道に⋯⋯
とっても可愛い〝黒猫〟がいまして
ルナリアと二人で
ついつい愛でてしまいましたの!」
「人懐っこく
膝に乗ってくれました。
夜闇のように艷めく
素敵な毛並みでした」
ルナリアの声も
実に自然で柔らかい。
そのやりとりには
何一つとして不自然な点はなかった。
浮ついた様子もなければ
隠しごとの気配すらも無い。
ただ
楽しく寄り道をした娘達が
家に帰ってきただけの
日常の風景——。
電話の向こう
時也は小さく笑みを浮かべた。
『そうでしたか⋯⋯
可愛い猫、それは確かに
立ち止まってしまいますね』
「本当に!
連れて帰ろうか迷ったのですが⋯⋯
兄弟猫も近くにいて! 」
「引き離すのは可哀想ですし
また会えるのを楽しみにしようと
別れてきました」
『ふふ。
貴女達は、優しい子ですね』
言葉の隅々に
心からの安心が滲んでいた。
「それでは、また
お店のお休みの日に伺いますね!」
「お父様も
お仕事も程々に
ご自愛くださいませ」
『楽しみにしています。
では⋯⋯おやすみなさい。
僕の可愛い娘達』
「お母様と、青龍にも
よろしくお伝えください」
「「おやすみなさいませ。
お父様!」」
——しかし。
その完璧なまでに
整ったやり取りが
どこか⋯⋯
妙に完璧すぎる気がしたのは
ほんの一瞬の胸騒ぎだったのか。
違和感を疑う隙など、一切ない。
時也の心には
安堵だけが満ちていた。
そして、双子もまた——
何一つ変わらぬ穏やかさで
携帯を切った。
二人の間に流れる空気は
いつもと変わらない静けさ。
何かがあったとは
誰も思わない。
何もなかったように語るその声が
むしろ疑いを遠ざけていた。
まるで——
その夜の闇に起きた出来事など
初めから存在していなかったかのように。