次の日。九条がシャーリーに少しばかりお金を貸すと、それで最低限の装備を買い揃え、シャーリーはベルモントへの帰路につく。
「またね、九条。ミアちゃんも」
「お気を付けてー!」
見送る二人に手を振りながら、シャーリーが跨ったのはカガリ。
「よろしくね、カガリ」
その首筋を優しく撫でるシャーリーに、カガリは村の外へと歩き出す。
カガリによる送迎に胸を躍らせるシャーリーであったが、その真意は別のところにあった。
(見送った後、しばらくしたらシャーリーがふらふらと戻ってくるかもしれない……)
根拠はないがシャーリーはなぜか物憂げで、九条にはそれが別れを惜しんでいるようにも見えたのだ。
何を言ってもモジモジと要領を得ないシャーリーに、カガリと一緒なら楽に帰れると九条が提案したことで、ようやく帰ることに同意したのである。
大人の足でも丸一日かかる距離が、カガリが走れば数時間。その速度は馬なんかの比ではない。
そんなカガリに跨り街道を駆け抜けるのは気持ちが良く、シャーリーは感動すら憶えていた。
……しかし、それも最初だけ。カガリは徐々にスピードを上げていく。
快適は既に忘却の彼方。すれ違う人々が一瞬で米粒のように小さくなり、顔の確認すら困難な速度。それは恐怖の域へと達していたのだ。
(おぉぉ……落ちたら死ぬヤツだコレぇぇ……!)
しかも、正面を向いてると息が出来ない。向かい風が強すぎる。
「カッ……カハッ……。カガリッ……ちょっと……とま……て……」
カガリはゆっくりとスピードを緩め、街道の中ほどで足を止めた。
「ゼェー……ハァー……ゼェー……ハァー……」
自分の足で入っている訳でもないのに、なぜか疲労困憊。窒息の危機を脱しシャーリーは呼吸を整えると周りの景色に目を見張る。
「嘘でしょ……」
既にベルモントまでの道のりの半分ほどを終えていたのだ。
馬が全速力で走ってもこうはならない。休憩なしでは馬が潰れてしまう距離である。
にもかかわらず、カガリは息切れさえしていなかった。
「ねぇカガリ。九条のトコより私のトコにこない?」
カガリは無言で首を横に振った。
――――――――――
カガリに少し速度を緩めてもらいながらも、シャーリーはベルモントへと辿り着いた。
町の入口にいた警備兵は、驚きを隠せずただ口を開けている。
魔獣に人が乗っていたのもその理由の一つなのだが、それに乗っていたのがシャーリーだったからだ。
ベルモントでは、シャーリーはそこそこ名の通った冒険者。ゴールドに一番近いシルバーと言われているだけはある。
カガリを見てざわつく街の人々を横目に、ほんの少しの優越感に浸るシャーリー。
そのままギルドへ顔を出すと、カウンターで作業していた一人の女性に声を掛けた。
「ただいま、シャロン」
事務仕事の手を止め顔を上げると、目の前には大きな魔獣。シャロンは驚きのあまり椅子から転げ落ちた。
「ひゃぁぁぁぁぁぁ!」
それをみてゲラゲラと笑うシャーリーだったが、周りの冒険者達はカガリの存在に度肝を抜かれ固まっている。
「ごめんシャロン。大丈夫!?」
シャーリーはカガリから降りると、ひっくり返ったシャロンに手を伸ばす。
シャロンはシャーリーのギルド担当職員。
長い金髪の髪を後ろで一つに束ねていて、清楚な顔立ち。ハイエルフと呼ばれる種族で、肌は白く翡翠のような緑色の瞳。耳の形状が横に長いのが目に見えてわかりやすい特徴だ。
ベルモントは中立都市。色々な種族が暮らしている為、特段珍しいことではない。
「大丈夫じゃないですよ! 寧ろ心配したのはこっちです。シャーリーこそ大丈夫でしたか?」
ベルモントギルドでは、カーゴ商会のキャラバンから死人が出たとのことで、その話題で持ちきりだった。
「大丈夫大丈夫。九条に助けてもらったから」
シャロンも九条のことは知っている。炭鉱案内の時に担当としてパーティにいたからだ。
だが、話したことはない。基本的にギルド職員は冒険者のサポートとして同行しているので冒険者同士の会話には口を出さない者が多い。
禁止されている訳ではないが、常に決定権を握っているのは冒険者の方なのだ。
「九条さんって、あのコット村の|死霊術師《ネクロマンサー》の?」
「そうそう。なんと九条ってプラチナプレートだったの! 知ってた?」
「ええ、もちろん」
「なんだ……。つまんないの……」
目に見えて不満そうなシャーリー。シャロンの驚く顔が見たかったのだが、どうやら不発だった模様。
ギルドではプラチナプレート冒険者が出たというだけで一大事。ギルド中の噂になるのは火を見るよりも明らかだ。
「九条さんと言ったら、プラチナなのに王都に住んでいないということで結構ギルド内では有名ですよ? その魔獣も九条さんのトコのですよね?」
「知ってるなら教えてくれれば良かったのに……」
おかげでコット村ではいらぬ恥をかいたと口を尖らせるシャーリー。
「だってまさか、キャラバンがコット村まで行くとは思っていなかったですし……」
「まあ、それもそーよね」
「そんなことよりシャーリー。九条さん担当変えたいとか言ってませんでした? そういう雰囲気が出てたら、私を推しといてくれませんか?」
「あんた、私の担当辞めて九条に鞍替えする気?」
「だってプラチナですよ? プラチナの担当はギルド職員の憧れじゃないですか」
本気半分、冗談半分。驚かせたお返しとばかりに、不敵な笑みを浮かべるシャロン。
「まあ、そうかもしれないけど、まずはゴールドになるのが先じゃない?」
「うぐっ……」
途端に顔が引きつる。残念ながらシャロンの胸で輝いているのはシルバーのプレートだった。
「で? 今日はキャラバンの脱退申請でいいんですよね?」
「うん、おねがい」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」
カガリを撫で、労いの言葉をかけながらシャロンを待つこと三分ほど。
シャーリーの前に差し出されたのは、一枚の申請用紙。
「書き方は……わかりますよね?」
「うん、大丈夫」
キャラバンの脱退申請にペンを走らせるシャーリー。
それを、ただ暇そうに待っていたカガリだったが、ふと妙な違和感を覚えた。
この街に出入りするのは今日が初めてなのに、嗅いだことのある匂いがどこからか微かに漂ってくる。もちろんシャーリーでもシャロンでもない。
キョロキョロと辺りを見渡す……。そして、その匂いの元が一枚の紙きれだということに気が付いた。
掲示板に貼りつけられていた冒険者向けの依頼が、隙間風に煽られヒラヒラと踊っていたのだ。
カガリはシャーリーの元を離れ、本当にその紙が匂いの元なのかを確かめに行く。
「カガリ? どこ行くの?」
それに気づいたシャーリーが声を掛けるも、カガリは振り向くことなく掲示板の前で足を止めた。
(間違いない。この匂いだ……)
その紙きれを噛みちぎるとシャーリーの元へと運び、グイグイとそれを押し付ける。
「えっ? 何? この依頼を受ければいいの?」
首を強く横に振るカガリ。
「すごいですね。言葉が解るみたい……。受注じゃなければ……あ! もしかして、読めないから読んでくれってことじゃないですか?」
「そういうことね。いいよ。えーっと……」
シャーリーはその紙を見て驚き、同時に呆れてため息が漏れる。
「嘘でしょ……。懲りないなぁ……」
カガリがその紙から感じ取った匂いは、モーガンのものであったのだ。
『カーゴ商会によるキャラバン結成につき臨時冒険者の募集(二次)』
ウルフ製品の需要増により高騰している素材の回収を目的とするキャラバンを設立。
諸事情によりメンバーに欠落が出た為、二次募集中。
募集人数:狩猟適性を持つブロンズ以上の冒険者。上限十四名。
日程:最低でも十五日拘束。(五十匹程度の討伐で早期終了の可能性あり)
報酬:最終日にお支払い。金貨二十五枚+出来高(努力次第で金貨四十枚も可能!)
備考:朝昼晩の食事付き、宿泊装備支給(野外テント+寝袋)、キャラバン未経験者不可、ルール順守、守っていただけない場合は報酬の減額、違約金等が発生します。
それをシャーリーが読み上げる。
「ああ、それですか。今日の朝、モーガンさんが来て依頼を出していったんですよ。不備はないので一応受理しましたけど、昨日の今日でこれですからねぇ」
呆れたように溜息をつくシャロン。
カガリはシャーリーの袖をぐいぐいと引っ張った。本気ではないが相当な力だ。
「ちょ……ちょっと待ってね。……はい、シャロンこれ。ちょっと急いでるみたいだから、行くね」
シャーリーはキャラバンの脱退申請書をシャロンに渡すと、カガリと共にギルドを出た。そしてカガリはシャーリーを背に乗せると、町の東門へと駆けたのだ。
別にカガリだけで街を出ても良かったのだが、人間のルールに則りシャーリーに迷惑が掛からぬよう配慮したのである。
(私がキャラバンの募集を読み上げてからカガリが豹変した……)
何かがあるのだ。それが何なのかは不明だが、シャーリーは九条に助けられた時に見た夢が頭の片隅から離れなかった。
(あれが夢じゃなく、現実だったとしたら……)
町の東門に辿り着くとカガリはシャーリーを降ろす。
「ありがとねカガリ。九条によろしく言っておいて」
無言で頷きコット村へと駆け出したカガリ。それはものの数秒で見えなくなった。
「はっや……。あっ……、九条に返すお金持たせるの忘れた……。……まぁいいか。コット村に行く口実が出来たと思えば……」
偶然出来てしまった口実ではあるが、シャーリーはまた九条に会えるかと思うと、ほんの少しだけ口元を緩めた。
――――――――――
(早く主に知らせなければ……。これでは同じ事の繰り返しだ!)
カガリは街道をひた走る。それは正しく疾風の如く。
本気で走れば、コット村ベルモント間を二時間程度で走り抜ける事が可能ではあるが、それは理論値。
そんな速度で走れば、すれ違う人全員が倒れてしまうほどの風圧。
少し前までのカガリであれば、そこまでは考えなかった。しかし、九条と居るようになってから、人間のことも少しは考えるようになっていた。
カガリが人に迷惑を掛ければ、それは主である九条に返って来ることを知っているのだ。
カガリは立ち止まると顔を上げ、九条の匂いを探す。
(一番新しい匂い……。炭鉱の方だ。村にはいない)
カガリは炭鉱を目指し、森の中へと入って行った。






