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「ごちそうさまでした!」
嵐山龍馬は一体なにを口にしたと言うのだろう、角砂糖一個を落とした珈琲だけではない。由宇の唇、由宇の乳首、由宇の由宇の由宇の由宇の由宇さんのーーーーーーーー!
(ああああああ)
悶々とした欲情を押し殺しやや前屈み気味で街を走るタクシーに手を挙げた。
心の声A(良いじゃないか!結城の母親でも!)
心の声B(いやいやいや、それは不謹慎だろう!)
心の声A(子どもじゃないんだぞ!結城が傷付くとでも思っているのか!)
心の声B(新入社員の母親となど示しがつかないだろう!)
心の声C(結城に許可貰えば良いんじゃね?)
ああ、そうか!結城|源文《もとふみ》の了解を得れば良いのか!成る程、男女交際に順序は欠かせないな、それだ、それしかない。解決の糸口を見付けた嵐山龍馬は鼻息を荒くした。
「お客さん、此処で良いですかね」
「ああ、ありがとう。支払いはチケットで」
「ありがとうございましたぁ」
走り去るタクシーを見送った股間は落ち着きを取り戻し、御影石のエントランスを進んだ。郵便ポストには封筒と葉書が数枚、ダイレクトメールが一通届いていた。
(ーーーふぅ、疲れた)
それを手にした嵐山龍馬はエレベーターホールで大きなため息を吐いた。
ぽーーーん
エレベーターは金沢城址公園を見下ろす15階で停まった。
(御母堂との交際を認めて欲しいと言うのか)
考えあぐねていると扉が閉まりかけ慌てて<開>のボタンを押した。
(結城にいつ何処で何時何分何秒に頭を下げれば良いのだ)
玄関の黒い扉を行き過ぎて慌てて戻り解錠しようとポケットに手を入れた時、郵便物が床に散乱した。面倒臭いと腰を落とした嵐山龍馬は一通の葉書を凝視した。
♡ 今、イギリスにいまーす ♡
呑気な離婚届提出待ちの2番目の妻は霧の都ロンドンで新婚(仮)旅行を満喫していた。その能天気な笑顔にアイスピックを突き立てた。
「どうする、どうしたら良いのだ!」
心の声C(結衣に正直に話せば良いんじゃね?)
それか!そうだ《《誠意を見せてくれ》》と言っていたではないか!
心の声B(それでも不倫に変わりは無いだろう!)
「がっ、だがっ!由宇さんが誰かと仲良しになったら!」
心の声A(毎日通えば良いと思いまーす、賛成の人挙手)
心の声B(賛成)
心の声C(賛成)
「そうだ、毎日通えばーーーー!」
iPadをビジネスバッグから取り出した嵐山龍馬は眉間に皺を寄せた。
「会議、会議、接待、会議、接待!なんだこれはーーーー!」
今週のスケジュールは満杯だった。これは大至急の案件、源文の許可を得て由宇の周りをぶんぶん飛び回る害虫を退治して貰うしかない。
心の声A B C(男を見せるんだ、嵐山龍馬!)
嵐山龍馬は勢いよくスーツを脱ぐとハンガーを取り出しちまちまと折り目を正しシワ取りスプレーをしゅっしゅっと噴射した。
「そこでだ、結城くん」
|源文《もとふみ》は営業の成績が伸び悩んでいる件について嵐山部長のデスクに呼び出された。入社3ヶ月そろそろ取引先に顔を覚えて貰わねばならないが印象が薄いらしく訪問する度に「君、誰だっけ」と尋ねられると言った。
「此処での立ち話もなんだ、あの、その会議室に行かないか」
「はぁ、良いっすよ」
「その言葉遣いも改善するように」
「はい、了解っす」
バタン
椅子に腰掛けるなり嵐山龍馬は文鳥に成り下がった。源文は個人的事情で会議室に呼び出されたのだろうと察し目を輝かせた。
「その」
「はい」
「このまえの店の料理は美味かった」
「えーーと、何処の店の事でしょうか」
そんな事は分かりきっていた。母親の店の事を指している。これはちょっとした悪戯心だった。
「ーーーーっ!」
「新歓迎会の料亭、あ、焼き鳥屋でしたっけ」
「ち、違う」
「あぁ、あのイタリアンバルのピザも美味かったっすね!」
文鳥は銀縁眼鏡を上げたり下げたりしながら長机の一点を見つめていた。口元でなにやらごにょごにょと言い淀んでいる。こんな姿を営業部の面々が見たらさぞ驚く事だろう。
心の声A(なに挙動不審者かよ)
心の声B(頑張って下さい!)
心の声C(結城が笑ってんぞ)
「あぁ、うちの店ですか」
文鳥があまりに気の毒になり源文が助け舟を出した。すると文鳥の表情は明るくなり羽根をばたつかせて喜んだ。
(面白れぇ)
「そ、そうなんだ御母堂の店の|蕗《ふき》と油揚げの煮物が美味しくて、また食べたくて」
「食べに行けば良いじゃないすか」
「そ、それはそうだな」
沈黙。
「部長、俺そろそろ次の|予約《アポ》があるんで」
「そ、そうか」
「もう話、良いっすか」
「そうか、頑張って来い」
「じゃ、行ってきます」
「ーーーーはい」
(言い出せなかったーーーーー!)
当たり前だ、会社でその様な話題を持ち出すなど言語道断、文鳥は力無く長机に突っ伏した。突っ伏したが今この状態で由宇に交際を持ち出す訳にはゆかなかった。先ず外堀、由宇の息子である源文を陥落せねばならない。
(将来的におっ、お父さんと呼ばれるかもしれないからな!)
もう既に頭の中では部下の結城ではなく《《源文くん》》呼び。それもその筈、文鳥は気が早い。
(先ずは源文くんの理解を得なければ!)
1番目の妻も2番目の妻もほんの数回会っただけで《《結婚しなければならない》》と思い込み婚姻届に印鑑を捺した。そんな結婚生活が長続きする筈もなく現在に至る。
心の声A(生真面目すぎるんだよ!)
心の声B(不誠実な事は出来ないだろう!)
心の声C(もう結婚すれば良いと思う人、挙手)
心の声一同(賛成)
嵐山龍馬は由宇を妻として迎える気満々だった。
「そこでだ、結城くん」
|源文《もとふみ》は営業の成績が伸びている件について嵐山部長のデスクに呼び出された。その時既に部長は文鳥と化していた。
「此処での立ち話もなんだ、あの、そのファミレスに行かないか」
「はぁ、ファミレスっすか」
「今夜19:00に109スクエアのサイゼリアで会おう」
「はい、了解っす。奢りっすか」
「なんでも食べてくれ」
「あざーーーす」
18:50
木曜日の夕方は小雨が降っていた。紺色の傘はエントランスで水滴を払うと濡れた肩をハンカチで拭いた。
ピンポーーン
「いらっしゃいませー、1名さまですか」
「いや、待ち合わせだ」
源文は既に窓際の席でミートソースパスタを口に運んでいた。
「待たせた」
「いえ、俺も今来た所っす。部長、接待は良いんすか」
「係長に行って貰った」
「そうっすか」
今来たと言いつつ源文の傍らには食べかけのピザが並んでいた。
「メニューはお決まりですか?」
「ドリンクバーで」
「はい、グラスはあちらにございますのでご自由にどうぞ」
「ありがとう」
文鳥は震える指先でグラスを持つと氷を3個、続いてメロンソーダをなみなみと注いだ。喉が渇く、兎に角なにかを口にしなければ倒れそうだった。席に腰掛けストローの紙袋を破くと|蛇腹折《じゃばらおり》にしてテーブルに置いた。そこでおもむろに源文が口を開いた。
「部長、母ーちゃんの事っすか」
源文の先制攻撃に度肝を抜かれた文鳥はメロンソーダが喉に詰まり思わず目と鼻から吹き出しそうになった。
「そっ、それは」
「そうだと思ったんすよ。部長、月曜から変っすよ」
「そ、そうか」
「母ーちゃんとこにチョコ持って行ったんすよね」
ブホッつ
メロンソーダのグラスの中に気泡が出来た。
「そっ、それは」
「あざーす俺もGODIVA好きなんすよね」
「そうか、なら良かった」
「てかあんな高ぇもんどうしたんすか」
「あぁ、金曜の晩に世話になったお礼だ」
源文は文鳥を凝視した。
「あれ?帰ったって言ってませんでした?」
「そっ、それは」
「色々あったみたいっすね」
「す、すまない」
「良いっすよ、いい歳したもん同士仲良くしてくれれば俺も嬉しいっす」
「源文くん」
ただ源文の目は真剣でまるで別人の様な面立ちをしていた。
「部長」
「なんだ」
「うちの母ーちゃん、馬鹿親父の不倫で離婚してあれでも一応落ち込んでるんすよ」
「ああ、聞いた」
「部長が遊びで手ェ出したんなら俺、此処であんたの事ぶん殴るかもしれないっす」
「ーーーー」
「どうなんすか、あんた奥さんと離婚する気はあるんすか」
「その件についてなんだが」
嵐山龍馬は左手の薬指を差し出して見せた。
「あれ、指輪はどうしたんすか」
そして自身の名前と本籍現住所、父親との続柄を記入し印鑑を捺した離婚届をビジネスバッグから取り出してテーブルの上に広げた。
「あとは相手の名前を記入するだけだ」
「マジすか」
「但し、相手が見つからない」
「なんすかそれ」
「LINEはブロックされる、電話は着信拒否、連絡の取りようがない」
「はぁ」
「どうしたら良いのか分からない」
源文は呆れ顔で最後のパスタを啜った。周囲にトマトソースが飛び散り嵐山龍馬はスーツに飛んだソースをおしぼりでトントントンと叩いてシミ取りをした。
「部長、興信所に頼めば良いんじゃないすか?」
「ロンドンに居るそうなんだが」
「ロンドンで暮らすんすか」
「旅行だと思う」
「帰って来た頃に探して貰えば良いんすよ」
心の声A(さすが俺の息子!)
心の声B(まだ違いますよ!)
「ーーーそうか!その手があったか!」
「普通、思いつきますよ」
「そうか!」
心の声C(よし、由宇に告白!賛成の人挙手!)
心の声A(GOGO!)
心の声B(まだ早くないですか)
心の声C(賛成多数で可決で良いか)
心の声B(えーー、振られても知りませんよ)
「よし!」
「なにがよし、なんすか」
「頑張って来る」
「なにを頑張るんすか」
「よし!」
文鳥は一万円札を源文に渡すと慌ただしく席を立ち雨の街へと飛び出した。
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