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「撤退だ!!」
耳の奥がビリビリするほど大きな声で叫んだのはバイス。そのおかげで仲間たちは我に返り、恐怖の呪縛から解き放たれた。
「【|閃光弾《フラッシュライト》】!」
訓練の賜物である。シャロンはギルドのマニュアル通り動いた。
帰還水晶を使う際には敵の目をくらませる。ゲートに敵を入れないようにするためだ。
このサイズの敵がゲートを通れるかという疑問はあるが、今回の場合は合図の意味合いが強い。
帰還水晶は緊急時にすぐ使えるよう、利き腕とは反対側の袖口に入れてある。
もちろん知っているのはギルド職員と、使用するところを見たことがある者だけ。
シャロンが帰還水晶を取り出し勢いよく地面に叩きつけると、砕け散る破片が光の粒となって宙を舞い、その中心から転移の門が現れた。
空間が捩じれた魔力の渦。それが形を保っていられるのは二十秒程度。皆が一斉にゲートに向かって駆け出し、最初にゲートに入っていったのはシャーリー。
それを横目にシャロンは腰の抜けたニーナを抱きかかえ、引きずりながらもゲートへと急ぐ。
「逃がすわけなかろう」
地獄の底から出したような低い声が辺りに響くと、|閃光弾《フラッシュライト》の光が一瞬にしてかき消えた。
振り返ると、そこにはグレゴールの巨大な手に掴まれ藻掻いているネストの姿。
「ネスト!」
フィリップの投げた剣がネストを掴んでいた手に命中するも、まったくの無傷で弾かれる。
「くっ……」
必死に藻掻くネストだが、最早人間の力でどうこう出来るレベルではない。
「少し大人しくしていろ。【|暗黒炎柱《ダークフレイムピラー》】」
ネストの真下に魔法陣が浮かび上がると、黒き炎が柱のように立ち上り、ネストはグレゴールの右手ごと灼熱の業火に包まれた。
「———ッ!!」
「ネストォォォォ!!」
黒き炎が消え去ると、グレゴールの右手にはネスト……いや、今や性別すらわからない焦げた人型の塊を握っていたのだ。
そこから力なく落下したのはネストの杖。
「おや? 少し火力が強すぎたかな」
グレゴールは冷ややかに言い放つと、焦げ付いたネストをまるでゴミでも扱うかのように投げ捨て、それはバイスの足元にゴロリと転がった。
焦げた肉の匂いが鼻を刺し、重く淀んだ空気が一帯を覆う。
誰もが息を呑み動きを止める中、バイスは声を張り上げる。
「お前たちは先に行け! シャロン! ニーナの帰還水晶を俺に寄こせ!」
「しかし……」
「聖域を使う! まだ息はある! 帰還したらすぐに治癒術をかければ間に合うはずだ! いけぇッ!!」
盾適性の上位に位置するスキル”聖域”。その効果は、魔の者に対する不可侵の絶対領域を形成する。
同時に範囲内の味方の体力の減少を抑えることが可能だが、効果終了後、使用者は動けなくなる程の体力を消耗する。
聖域展開後、ゲートを開きネストを回収して帰還する。それがグレゴールに通用するかは未知数だが、恐らくそれ以外にネストが助かる道はない。
一瞬の躊躇いの後、フィリップはそれを理解しゲートへと飛び込んだ。
シャロンはニーナの袖口にある帰還水晶をバイスに投げ、二人がゲートを通過すると、それは音もなく消滅した。
頬を伝う一筋の汗。
無音。静まり返る空間に一つだけの音源。それは鼓動。
グレゴールとバイスは睨み合い――動かない。
「……もういいんじゃない?」
聞き覚えのある声が辺りに響くと、柱の影から出て来たのはネスト。
何事もなかったかのようにトコトコと歩き、自分の杖を拾い上げると、埃を払う。
「あ゛ぁ゛ー、しんどかったぁぁ」
バイスは警戒を解くと、その場に大の字になって仰向けに倒れ、巨大なスケルトンは魔法陣が消えると同時に消滅した。
「九条? そろそろ出て来てもいいわよ」
それを聞いて、玉座の後ろからひょっこりと顔を出したのは九条。その表情は少々不安気である。
「うまくいきましたかね?」
「十分だろ? 正直ちょっとやりすぎ感があるぞ……」
寝ながら答えるバイスは息も絶え絶えで、もう動きたくないと暗に訴えかけていた。
「もちろん俺もギルドには報告するが、よほどのバカでもない限り、もうこのダンジョンには誰も寄りつかないだろ。魔剣は魅力的だが、リスクの方が圧倒的に高い」
「魔剣は、出さない方がよかったんじゃないですか?」
「いいえ。魔剣はフィリップを釣る餌として必要だった。何もなきゃフィリップはシャドウたちとは戦わなかったかもしれない。メリットも無いのに勝てるかどうか判らない戦いをするほど馬鹿じゃないわ」
一昨日のこと。九条がネストを尾行して捕らえた際、三百年前の魔法書――その存在をほのめかした途端、ネストはあっさりと態度を翻した。
その後、カガリ立会いのもとでいくつかの質問を重ね、嘘をついていないことを確かめた九条は、自らの命に関わる「ダンジョンハート」以外の情報を打ち明けた。
ネストは魔法書が手に入るのなら、ダンジョン攻略を諦めるよう仲間たちを説得すると申し出たが、九条はそれを利用しようと考え、ネストに一芝居打たせることにしたのだ。
それを進めるにあたって、ネストは旧知の友であるバイスを引き入れた。
バイスがパーティの指揮権を持っていたというのも大きいが、今回はネストのためにパーティを組んだようなものなので、その厚意は無下にできないというのも理由の一つであった。
出発の日。ダンジョンの入口まで案内した九条は一旦帰るフリをして、バイスたちを尾行していた。
最初の分かれ道で封印の扉に行くようバイスとネストが誘導し、その隙に九条が時間稼ぎのスケルトンを呼び出しながら、最下層まで降りたのだ。
最下層に着いた九条は、魂の入っていない骸骨に|疑似肉体形成《コープススキン》で肉を付けただけの人形を二体作成した。
一体はグレゴールの人形、もう一体はネストに似せた人形である。
シャーリーがグレゴールの反応だと思っていたのは玉座の上に待機していた百八番。
道中のスケルトンやシャドウたちとの戦闘は、演技ではない。敵を騙すにはまず味方から。あえて本物の戦いを装うためというバイス自身の要望でもあった。
想定外だったのは、玉座のグレゴールを攻撃したのがニーナであったことだ。
そのため、計画は前倒し。――ネストがグレゴールの死を確認したのち、スケルトンロードを召喚し、撤退の合図を出す。
ネストは|閃光弾《フラッシュライト》を合図に柱の陰へ身を隠し、スケルトンロードには自らの姿を模した人形を抱えさせた。
そして、それを焼き払うことで死への恐怖を煽ったのだ。
その隙に、バイス以外の仲間をゲートで脱出させ、現在へと至った。
「そんなことより、九条。魔法書のことホントなんでしょうね? 今更嘘でしたは通用しないわよ?」
鋭い眼光で九条を睨みつけるネスト。
「ああ、そうでした。大丈夫ですよ。ちょっと待っててください、今持ってきますから」
九条を待っている間、ネストはバイスの隣へと立った。
「やれやれ。ギルドのダンジョン調査依頼はちょくちょく受けるが、今回が一番キツかったな……」
「そうね……。もし私が九条の話に乗らなかったら。今頃九条に殺されていたかもしれないわね……」
バイスは返事をしなかった。芝居だとわかっていたからこそ動けたのだ。
「そうだ。ネスト」
「何?」
「九条がなんでこのダンジョンに人を近づけたくないのか、その理由は何だと思う?」
「さあね。私も知らないわ。帰ってきたら聞いてみたら? 私も聞きたいことがあるし」
「何を?」
「これだけの力があるのに、どうしてカッパープレートだなんて偽ってまで冒険者をやっているのかってことよ……」