テラーノベル
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暗い部屋の中で、私は目を覚ました。そのまま私は目を擦り、部屋の景色を確認する。私が知っているいつも通りの部屋だった。私は欠伸をしてベッドから立ち上がる。フローリングの床が冷たかった。
部屋の窓には分厚いカーテンが閉められていて、外の景色は見えない。でも、多分朝なのだろう。私はここしばらく外を見ていない。
居間に行って主人の姿を確認する。主人はいつも通り私の隣で眠っていた。主人はいつも通り、顔を枕に押し付けるようにして眠っていた。主人の寝息は静かだった。乱れた髪をそのまま布団に広げ、気の使われていない部屋着には私が抵抗したあとが残っている。すごく無防備。昨日あれほど私にきつい口調で怒っていたのが嘘みたいだ。
「また外に出ようとしちゃったの?」
「その首輪、勝手に外そうとしちゃ駄目だよ」
「外は危ないから」
彼女のいうことは絶対だ。私は生活の全てをあの人に委ねているから。住むところ、食べるもの、排泄、他にもたくさん。今の私は主人の存在を前提で回っている。その生活があと少しで半年。
主人に顔を近づける。そのまま手を伸ばし、主人の白い頬に触れる。主人は一瞬くぐもったような呻き声をあげた。私はもう一度触れる。主人の指がぴくりと動く。そのまま彼女は体を仰向けにして、上半身を上げた。そのまま近くに置いてあった時計を手に取り、時間を確認する。時計の短針は「5」の頭にかかるくらいだった。
「ゔぅん……」
再びくぐもった呻き声が彼女から聞こえる。そのまま低いため息を吐いた。
「はぁ、もうちょっと寝させてよ……」
再び彼女は目を閉じる。二度寝する気だ。私が再び彼女に手を伸ばす。彼女はそれを押し除けるようにしてまた布団に潜った。私は彼女に抱きつくようにして上に乗る。主人は少し苛立ってるようだ。
「ねぇ、朝からなんなの」
主人が目を開ける。膝の上に乗った私を見る。主人の目と私の目が合う。主人の表情が変わった。
「あ、なんだきみかぁ」
苛ついているようだった声が急に甘くなる。空気が解ける。そのまま私は彼女に抱きしめられた。
「おはよ」
暖かくて柔らかい。主人の指がそのまま頭の後ろにまわる。そのまま首にかかる革製の輪を撫でた。それだけで、私の背中は弓形になってしまう。口の奥で喉がなる。
彼女は私の喉の音を聞いて、機嫌がよくなったように見える。主人は昨夜も私が喉を鳴らしたら機嫌が笑っていた。再び主人は時計を確認する。
「……来月までのレポート進めておこうかな」
そう言って立ち上がる。彼女は私から指を離す。少し寂しい。私は主人の暖かい指が好きだから。
主人は棚の上に積んであった資料をいくつか取り出して、机に並べた。そのままテキストを開いてPCを開く。
彼女の目は完全にそこを向いてしまった。一人になった私は彼女が残した布団に寝転がり、天井を見つめた。汚れもないけど、これと言って特色もない天井だった。
しばらくしたあたりで、主人が思い出したようにつぶやく。
「安全基地ってさ、」
一旦そこで一呼吸分の間を開ける。視線はPCのまま。
「子供が不安になったとき、戻って来れる場所のことなんだけど」
またそこで言葉は切られる。主人は布団に寝転がったままの私を見た。私の目線と主人の目線が再びからむ。主人は小さく笑った。そのまま立ち上がり、私の体を抱える。彼女の腕が、私の背中が包む。そのまま抱えられて、主人は再び椅子に座り、そのまま私は彼女の膝の上に座った。腰に腕がまわされる。
「私は、きみの安全基地になれているのかな?」
耳元で彼女の、女性にしては低い声が響いた。彼女の吐息がダイレクトに伝わってくる。私は彼女に顔を寄せた。彼女も私の頬に鼻をつける。少しくすぐったい。
「いなくならないでね」
耳に届く、小さい声。その短い文は、私の心に呪いのように巻き付く。主人はそのまま私から手を離し、PCのキーボードに指を乗せる。邪魔になったら悪いので私は彼女の膝から降りる。彼女の指先から再び、規則的なキーを叩く音が鳴る。
★
2時間くらい経った頃、主人はご飯を食べ、私も主人から朝食をもらった。主人は私の口元についていた食べかすを拭う。その指をティッシュで軽く拭いたあと、主人は鏡の前で黒い髪に櫛を通した。
「今日は1限からだからさ。今のうちに出ないとね。」
独り言のように言う。私には主人の言うことがよくわからないけど、多分大事なことなのだと思って軽く頷いた。主人は高校時代のジャージを脱いで、黒いデニムスカートを履いたあと、細いウエストに紺色のベルトを締めた。上から灰色のパーカーを着て、リュックサックに先ほど使っていた勉強道具を全て入れた。
空っぽだった袋が膨らんだ。主人は再び鏡の前で前髪を整えたあと、私の頭を撫でた。私は床に座ったまま、頭を撫でる暖かい感触に目を細める。私が心地良さそうにしているのを悟ったのか、主人は私の両頬を柔く掻いた。私の喉から高い吐息が漏れる。主人は私から手を離し、立ち上がる。
「私がいない間、いい子で待っててね?」
首に嵌められた輪が、再びきつくしまった気がした。……たった一言で。
私は頷く。主人は「よし。」と笑う。私も笑う。そもそも私が主人から離れる気ははなからない。今の関係でいい。今の関係がいい。
主人が玄関で靴を履き、ドアノブに手を掛けるときも、私は主人を見ていた。主人も私を見ていた。主人は私に軽く手を振り、「行ってきます」と言ってドアを開けた。そして外に出て、ドアを閉める。がちゃん、と硬い錠がはまる音がした。このドアは主人しか開けない。主人しか開けられない。私が開けることは許されない。そもそも開けることすらできない。
……仮にもし、私がこのドアを開けて外に出られたとしても、私は今の選択を変えないだろう。きっとそうだ。そうであるべきなのだ。
そのまま一人になった室内を徘徊する。主人が脱いで、畳んだジャージ。主人が飲んで空っぽになったマグカップ。全てに主人の匂いが染み付いている。最も匂いが染み込んだ敷かれたままの布団の上には、数ヶ月前に私がつけた抵抗の跡がある。過去の私が目一杯抵抗してつけた布の裂け目。
シーツに傷をつけた時、主人はそれに怒っているようには見えなかった。
「あー、やっちゃったね」と眉をハの字にして困ったように笑っただけだった。そう言って顎の下を撫でて抱きしめてくれただけだった。
布団に寝転がる。私は主人が留守になったとき、大抵ここにいることにしている。柔らかくて、暖かいところが主人に似ている気がするから。部屋に広がる重い沈黙。それを振り払うように布に顔を埋める。喉の奥から呻くような低い音が出た。
再び身をくねらせ、布団の上でまた天井を見る。部屋は暗い。主人は外出のとき、絶対家中の照明を消してから外に出る。私はいつも、暗い部屋の中で主人の帰りを待つ。厚くカーテンで遮断された部屋。光は届かない。僅かに外の世界の音が届いても、それは「外の世界の音」でしかない。外で消防車や救急車のサイレンが響いても、それは「外の世界の音」でしかない。外でマイクを握った高齢者がスピーカーから自分の宣伝をする選挙カーの音が響いても、それは「外の世界の音」でしかない。それ以上でも以下でもない。私にとっては地球の裏側で起こる台風のように関係も興味もない話。
この暗い部屋。ここが私の全てであり唯一の居場所なのだ。
★
次に目を開けるとき、主人が外出する前は7を指していた短針が8を指していた。それに気づいたとき、私は自分が寝ていたということを理解した。1時間しか寝ていない?いや、きっと短針が一周するくらいは寝てしまった。
主人はもう帰宅しているかもしれない。部屋を見渡す。カーテンの間から見える外は先ほどより大分暗くなっていた。歩けないほどではなかったが、朝と比べればかなり不都合だ。照明の様子をみるに、おそらく主人はまだ帰宅していない。その事実に私は胸を撫で下ろした。
実際部屋をまわれば、主人が家に帰った様子はなかった。洗面所のタオルも濡れていない。トイレのスリッパは動いていない。畳まれたままのジャージもそのまま。キッチンの空っぽのマグカップも、1ミリとして変化していない。主人はまだ帰宅していないようだ。
玄関の前に移動する。主人が帰ってきたら、すぐに出迎えられるようにするためだ。帰ってきた主人にすぐ頭を撫でてもらえるように。
横向きになったサムターンを見る。あれが縦になったら、主人が帰ってくる。あれは外の世界と私が生きるこの部屋が一時的に接続したときにしか動かない。主人が出入りするときしか動かない。
こがね色の金属でできたそのつまみを見つめ続けてしばらく経った。突如、「がちゃん」と音をたててサムターンが縦向きになる。壁に預けていた体を引き剥がし、玄関に顔を向ける。私が体勢を整え直し、立ち上がったあたりで扉は開いた。扉の影から、ひょこりと主人の頭がのぞく。私の姿を確認して、主人はにっこりと笑った。
「また出迎えてくれたの?」
そう言って靴を脱ぎ、玄関に座る。そのまま立っている私を軽々と抱き抱え、再び背中に腕を回した。背中の腕に力がこもる。私も主人の服を掴み、離さないようにする。主人はただいまと言った。私もそれに応える。主人の指は、外に行ってもいつもと同じように暖かかった。それに安心する。心地良くなる。
主人は靴の踵を揃え、立ち上がった私の頭を優しく撫でる。私の喉がなる。
「今日も遅くなってごめんね。奈々美のレポート手伝ってて……晩御飯にしよっか。」
手に持っていたビニール袋をもちあげ、キッチンの台に乗せる。洗面所で手を洗い、乾いていたタオルを濡れた手で濡らす。手で器を作るようにして水を汲み、口に入れてうがいを3回。口を拭いたあと、再び主人はキッチンに立って袋から買ったものを取り出す。
中から出てきたのはいくつかの野菜とパックに詰められた肉、牛乳、そして手のひらサイズの銀色の缶がひとつ。缶を棚の上にしまい、主人はエプロンをつけた。そのまま独り言のように「よし」というと、おろしていた髪をヘアゴムで結んで、ぶかぶかだったパーカーの袖を綺麗に捲る。私は料理している主人をみるのが好きだ。
野菜を洗って、まな板の上で切って、フライパンに油を敷いて、火をつけて。そのまま炒めて、お肉も入れて。油が跳ねる音がする。主人が「あちち」と呟く音がする。私は静かに主人の背後に周り、フライパンの中身を覗こうとする。主人は野菜に目をむけたまま静かに私を退ける。
「油はねる。危ないからあっち行ってて。」
自分の安全を考えた上での判断だとわかっていながら、少し私は悲しくなる。小さく主人が私に手を払うのも、多分それの原因だ。私は何も言わずにキッチンから離れて、布団の上に寝そべった。すでに布団は冷たくなっていた。主人の匂いが薄れている代わりに、今度は私の匂いが染み付いている。その事実に少し悲しくなる。
主人の歌が聞こえた。あまりリズムの取れない曲。多分自作。軽くて、朗らかな曲。私はその歌に耳を側立てる。
主人がフライパンを振る。あとは間奏に入ったのか、鼻歌で同じメロディを歌っていた。それをしばらく繰り返したあと、主人は火を止めて炒めていたものを皿に盛り付けた。
私も体を起こし、主人がレポート制作に使っていた机のそばに行く。主人も昨日炊いたお米と炒め物をのせた平皿、箸を机に置き、そのまま椅子に座る。そのまま手を合わせ、いただきますと言って箸を動かした。私は立ったまま主人を眺める。主人がそれに気づく。口に運んでいた箸を止め、ゆっくり立ち上がる。
「あーごめん、忘れるところだった」
そう言って私の頭を撫でる。私は上目遣いに主人を見る。主人はキッチンに戻り、棚の上から銀色の缶を取り出した。それのプルタブに指を掛け、ぺりっと音を立てて蓋を剥がす。いい香りが空気に溶ける。主人はそれを床に置く。そして座っていた椅子に再び腰を下ろした。
私はしゃがんで床に置かれた缶を見る。主人はもうすでにご飯を再び食べ始めていた。私もお腹が空いている。そのままかがみこみ、缶に口を近づけ、舌で舐める。そのあと、私は缶の中の加工魚肉に歯を立て、口に入れた。そのまま咀嚼し、飲み込む。いつも通りの味。安心の味。私の頬が綻んだ。
★
「よし、ちゃんと食べられてえらいねぇ」
空になった缶の前で座る私に、主人が微笑む。そのまま缶を水で洗い、ゴミ箱の中に捨てた。主人は再び手を洗い、私を抱き上げる。首の付け根に鼻を近づけ、腰に手を回す。腰に回された手が、背中をなぞり、それに従い私の背中は弓形になる。喉がなった。主人の手の力が強くなる。ゆっくり、細い指先が私の背中と腰を伝う。唇が勝手に開いて、想像もしていなかったようなか細い声が口から漏れた。
「今日もしちゃう?」
主人が耳元で呟く。私は頷く。主人はそのまま、寝室に私を運び、中から扉を閉めた。布団に寝転がらされた私を見て、主人は口角をあげる。
「いろいろ試してみたいものあったんだよね。ほら、これとか。」
そう言って主人は箪笥の上から、初めて見る棒状のものを取り出した。
とある女学生の電話 | R08/06/07 08:48:56~
わたし:ねぇ、お願いだよ 奈々美~ ゼミの出席カード代わりに出してよぉ……
奈々美:えーやだよ。先週もやったじゃん
わたし:まあそうなんだけどさぁ……仕方ないじゃん、起きたらこの時間だったんだよ?
奈々美:はぁ?またあの子と夜更かししてたの?
わたし:そうなんだよ~
奈々美:お前大好きすぎない?
わたし:……。だって鳴き声可愛いじゃん
奈々美:それはそうなんだろうけどねぇ……
わたし:新しいおもちゃとか試してみたかったんだよ
奈々美:それで一夜明かす?
わたし:明かしちゃったんだよ!ねえ駄目?わたしも昨日奈々美のレポート、手伝ったじゃん
奈々美:はぁ、OK。っていうかあんたおもちゃって何使ったの?この間うちがあげた猫じゃらしとか?
わたし:うん。そうだよ~。ぴょんぴょん飛び跳ねてて可愛かった!
奈々美:ふーん……。あんたが猫好きなのは知ってたけど、ほどほどにしときなよ?
わたし:は~い。じゃあ、カードよろしく!
奈々美:今度一食奢ってね!
わたし:任せとけ!!
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