これを読んでいる貴方に
ここに書き連ねてあるのは、玩具箱に収まり切らず溢れてしまった錆び付いた塊の数々。それらをどう解釈するも貴方の自由。貴方がその錆を洗い流すも、塵だと投げ捨てるのも一切合切貴方の自由。
玩具箱より
と、こんな書き出しをしてしまったが、私はただ、私の小さな頭では処理し切れなかった考えを見知らぬ誰かと共有したかっただけなのだ。その為に「ああいった」雰囲気造りは必要だったのである。
この備忘録は、私の頭に常々浮かぶ密かな思いの数々を駄文にしていく、つまりは駄文集である。
私が敬愛してやまない彼の寺山修司や唐十郎の作品を読み漁るうちに、その超感覚的な、電波的な「モノ」を自分のうちに留めて置けなくなってしまったのだ。それを文という形でしか表現が出来ない自分を常々呪いたくなる。
しかし、時代というのはとてつもない速度で進化していくものである。100年前の人らが想像すら出来ないほどに、現代は便利な時代になってしまった。まだほんの子供のうちに何万円もする高価な電子機器を与えられ、年齢制限なんぞものともせずに其れを使いこなせてしまう。しかし、自分が物心着いた時には携帯電話が普及し始めていた故、当方が言えた事ではないのだが。
話が逸れてしまったが、ここまで読んでくれた物好きな貴方に、私が感じた「モノ」を少しでも理解しようとして頂けたのなら、私は少し救われた気分になってしまう。
私がその「モノ」に押し潰されそうになった時頭に浮かんだ思想の石鹸玉が割れそうになった時私はまたここに駄文を綴りたいと思う。
そしてこれを読破して下さった物好きの皆さん、有難うございます。まだまだ私の中のがらくたは山積みのままですので、次回辺りに本題に入りたいと思います。