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第4話 —襲撃前夜・決行の日—
雨がようやく上がった。
梅雨の雲が裂け、朝焼けがうっすら港を照らす。
けれど空気はまだ湿りきっていた。
夜露に濡れたアスファルトが光る。
東京湾岸倉庫街。
風が冷たくて、潮の匂いが鼻を刺す。
ほとけは一人、倉庫街を歩いていた。
空っぽのコンテナが不気味に並ぶ。
どこも朽ちて錆びている。
夜明け前の静寂が、心を締め付けた。
ポケットの中でグローブを握った。
硬い革が冷たい。
血のシミは落ち切っていなかった。
(今日、決める)
深く呼吸する。
肺が冷たくなる。
けれど震えは止まらなかった。
「ほとけさん」
背後から声がかかる。
若衆の一人。
息を切らしながら走ってきた。
「準備、できました。……いつでも行けます」
「……ああ」
ほとけは小さく頷いた。
足音が複数重なる。
他の若い衆たちも集まってくる。
誰もが真剣な顔だった。
黒いスーツ。
隠した拳銃。
刃物。
覆面まで用意している奴もいた。
「作戦を確認する」
ほとけは声を絞り出した。
自分の声じゃないみたいだった。
「敵拠点は旧海運倉庫群の一角。警備は外に三人。見張りを先に排除する。音を立てるな」
若い衆たちは頷く。
「中に入ったら分隊行動。俺と三人は主幹部格を狙う。――いふを殺す。他は制圧を徹底しろ」
「了解です」
「逃がすな。怪我しても離すな。撃ち殺せ。ためらうな」
口が乾く。
喉の奥が痛む。
でも声は冷たかった。
(ためらうな、俺)
「……ほとけさん」
一人の若い衆が、口を開いた。
目を伏せていた。
声がかすれていた。
「本当に、殺るんですか」
静寂が落ちた。
潮風が吹き込む。
みんなの目が動かなくなる。
ほとけは相手を見た。
若い衆は震えていた。
歯を食いしばっていた。
「……あいつは人殺しだ。クスリをばら撒いて若いのを潰す。俺らの街を壊す。――だから殺る」
自分で言いながら、胸の奥が抉られる。
自分を正当化しているのがわかる。
でも言わなきゃ、誰も動けない。
「それが俺らの仕事だ」
「……はい」
若い衆はそれ以上言わなかった。
空気が締まった。
誰もが覚悟を決めた顔になった。
ほとけは振り返った。
空が白み始めていた。
雨は上がった。
音が響く。
襲撃には最適だった。
「行くぞ」
低く命令する。
ブーツの音が一斉に響いた。
同じ頃。
いふもまた、倉庫の中で座っていた。
古い木箱をテーブル代わりに地図を広げていた。
鉄の匂いと潮の匂い。
埃っぽい空気。
冷たいコンクリートの床。
肩の傷がうずく。
何度も縫った縫い目が開きそうになっていた。
けれど包帯を巻き直す手が震えた。
「……来るで」
ボソッと呟く。
誰にともなく。
「……ほとけが来る」
煙草に火をつけた。
灰が落ちる。
煙が目にしみる。
「兄貴」
背後から舎弟が声をかけた。
二十代半ばの若い奴。
目つきが鋭いが、声は怯えていた。
「準備、できてます」
「おう」
「マジでやるんすか」
「当たり前や」
「兄貴……あいつ、殺すんすか」
「当たり前や言うたやろ」
舎弟は唇を噛んだ。
血が滲むほど。
「でも……兄貴、この前、引けなかったじゃないですか」
いふは視線を落とした。
煙草の先が赤く光った。
吐く煙が震えた。
「……」
「兄貴」
「……撃つ」
しぼり出すように言った。
声がかすれていた。
「今度は、撃つ。絶対に」
「……」
「俺が撃つ。誰にもやらせへん。俺が決着つける」
舎弟は小さく頷いた。
でも目は悲しそうだった。
「兄貴」
「なんや」
「……好きに、してください。俺ら、兄貴についていくんで」
いふは煙草をもみ消した。
灰が床に落ちる。
長い息を吐く。
「……すまんな」
倉庫の奥から外を見る。
夜が終わる。
雨が止む。
光が差し始める。
「来るで。奴が来る」
「はい」
「全員配置につけ。――迎え撃つぞ」
「了解!」
足音が駆けていく。
仲間たちが銃を手に、刃物を隠し、倉庫の柱に張り付く。
外の見張りも無線を握りしめる。
いふは一人、倉庫の中央に立った。
銃を抜く。
安全装置を外す。
重い金属音が響く。
「……来い、ほとけ」
名前を呼んだ声が震えた。
「来てくれ。……俺が殺したる」
その頃、港の別の倉庫街の隅。
ほとけは部下たちを先に進ませた。
音を立てないように身を低くする。
夜明けの光が鋭い線を引く。
コンテナの影が伸びる。
「連絡入れ」
インカムにささやく。
「配置完了。見張り二人確認。ナイフで仕留めます」
「やれ」
無音の刃が光る。
暗がりで一瞬だけ反射する。
呻き声すら許さない。
潮風が血の匂いを運ぶ。
ほとけは拳銃を握った。
肩の傷が痛む。
でも指は動いた。
冷たくて硬い引き金。
何度も人を殺した感触を思い出す。
「次は、殺す」
自分に言い聞かせる。
怖くてたまらなかった。
でも言わなきゃ、動けなかった。
インカムが鳴った。
「見張り排除完了。突入位置につきました」
「待機」
「了解」
心臓が跳ねた。
耳鳴りがする。
汗が背中を伝う。
「……いふ」
名前を吐き捨てた。
喉が詰まる。
血が滲むほど唇を噛んだ。
「終わらせる」
夜が明けた。
光が港を照らした。
潮の匂いが生臭い。
冷たい風が襲う。
ほとけは息を吐いた。
銃を構えた。
「――行くぞ」
手を上げる。
部下たちが一斉に動いた。
倉庫の扉を蹴破る。
金属が悲鳴を上げた。
倉庫の奥。
いふはゆっくり立ち上がった。
舎弟が「来た!」と叫ぶ。
銃を構えた。
肩が痛む。
けれど笑った。
「来たな、ほとけ」
銃声が鳴り響く。
弾丸が壁を抉る。
火花が散る。
人が叫ぶ。
潮風が血の匂いを混ぜる。
ほとけは倉庫内に飛び込む。
銃を構え、視線を走らせた。
次の瞬間――
目が合った。
奥に立つ男。
血に塗れた黒いスーツ。
口の端に張り付いた、諦めたような笑み。
「……いふ」
「よう。来たな」
互いに銃を向けた。
引き金に指をかけた。
心臓が悲鳴を上げた。
(撃て)
(殺せ)
(終わらせろ)
けれど指が、微かに震えた。
周囲の銃声が遠のく。
潮風の音が遠のく。
二人の呼吸だけが重く響く。
互いに見据えた。
死ぬ気の目。
殺す気の目。
でも――
助けを求めるような目。
「……撃てや」
いふが低く言った。
声が震えた。
ほとけは歯を食いしばった。
「……次こそ、殺す」
「……せやな」
二人の引き金に力が入った。
その瞬間――
誰かの悲鳴。
横から飛び込んできた若い衆。
いふが銃を撃つ。
血が飛ぶ。
ほとけが引き金を引く。
弾丸が鉄骨を貫く。
混沌が弾けた。
コメント
4件
凄い!凄いぞ! すごい続きが気になる!
うおおおおおお やべぇすご!!!!!!!!((語彙力バイバーイ