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「……それだけで百子と結婚する理由になると?」
父が低く告げ、目の前の湯呑みの中身を飲み干し、テーブルに置く。その乾いた音がやけにダイニングに響いた。そして陽翔にその猛禽のような鋭い眼光を向けて睨んだ。
「百子は一度同棲に失敗しているのに、また同じことを繰り返すのか? 失礼だが貴方が百子を裏切らない保障はあるのか? 30歳手前の娘の貴重な時間を奪う意味を、貴方はご存知なのか。貴方は30歳になってもまだ結婚のチャンスは全くない訳ではないが、女の場合は違う。今の時代ですら女性は30歳になると良い条件の結婚が難しくなる。百子の人柄に関係なく、行き遅れたのは何か問題があるからと後ろ指をさされたり、相手探しをしようにも碌でもない既婚者の餌食になったりするのが現実だ。それを貴方は承知の上で百子を裏切らないと約束できるのか?」
陽翔は静かな父の剣幕に怯むことなく首肯する。
「私は百子さんとなら一緒に人生を歩めると思いました。それこそ大学時代からずっと。百子さんは私を一人の人間として尊重してくれるのです。本音でぶつかり合えるのは百子さん以外にはいません」
「貴方は想いだけで結婚できると、そう考えているようにしか見えない。結婚はお互い助け合って暮らすことであって、一時の想いだけでできるような、そんな甘っちょろいものじゃないぞ!」
父の剣幕に百子は堪らず口を挟んだ。父の言い分に痛いところを突かれた百子だが、事情を説明しないと誤解が広がると考えたからだ。
「お父さん、陽翔さんは私を助けてくれたの……怒らないで聞いてくれる?」
百子の発言でやや毒気を抜かれて表情が少し緩んだ父だったが、再び表情を引き締める。
「話の内容によるが……取り敢えず聞こう」
父の眉間の皺が深くなり、腕組みをして百子を射抜く。気難しい父にはあまり反論できた記憶は無いのだが、百子はまっすぐに父の瞳を見据えた。
「あのね、こんなことを言うのも何だけど、元彼と上手くいかなかったのはあちらが浮気相手を同棲してる家に引きずり込んだからなの。こっちは当時熱出して早く家に帰ったのに……」
「なんだと……!」
椅子が悲鳴を上げたのを無視して、百子の父は勢い良く立ち上がった。百子の母も驚きを隠せないようで、口をわななかせたが何も言葉がでることはない。陽翔は凪いだ海のような瞳を両親に向けるのみだ。
「しんどかったけど家にいたくなかったから飛び出しちゃって。そうしたら陽翔さんにたまたま出会って、事情もろくに説明しなかったのに看病してくれたのよ。しかも事情を話しても陽翔さんは私のことを拒絶しないどころか、しばらくうちで暮らしていいって……そう言ってくれたの。ううん、それだけじゃない。元彼が接触してきても私を嫌な目に合わせないために職場の近くまで迎えに来てくれるし、私の不安も親身になって聞いてくれたわ。最初は家を探して引っ越そうと思ってたけど、私は陽翔さんと一緒にいたい。陽翔さんが好きなの」