「お葬式ですか?」
管理棟前の自販機で買ったコーヒーを渡されながら、林は篠崎が座るベンチの横に立った。
「ああ。施主のな」
言いながら篠崎も自分の分のブラックコーヒーを開ける。
「お施主様の葬式にもいかれるんですね」
「まあ、な」
篠崎はベンチに寄りかかり、腕を背もたれに乗せた。
「世話になった客だから。話をしたら秋山さんも同席してくれることになったから、展示場で待ち合わせ」
「―――」
このまま飲まずにこの場を去るわけにもいかず、展示場に戻るのも気が引けて、林は篠崎の脇に座った。
「んで?どうしたお前は」
篠崎がこちらを見下ろした。
「午後から紫雨のアプローチ練習だったんだろ?」
どうやら新谷が関わると情報はすべて筒抜けらしい。
「え、ええ」
林が俯く。
「絞られたか」
ど真ん中を射抜かれる。
「―――すこぶる…」
言うと篠崎はクククと笑った。
「すこぶる、か」
「ブチ切れられました」
「へえ」
楽しそうに笑いながら長い脚を組んでいる。
「―――向いてないって言われて……」
「それはそれは」
「辞めちゃえばって……」
俯いた林を見て、やっと笑うのをやめた篠崎は、少し首を傾けて林を覗き込んだ。
「それで。どう思った」
「―――」
林は視線をそっと上げた。
いつも紫雨の色素の薄い瞳を見慣れているからだろうか。
黒く深い色の瞳に、声が吸い込まれるように出てきてしまう。
「そんなの、言われなくてもわかってるって……思いました」
「自分はこの仕事に向いてないって?」
「はい」
「辞めたほうがいいって?」
「は……い」
声どころか、
言葉どころか、
涙まで引き出されていく。
「――――」
涙を流した林から目を逸らし、篠崎はため息をつきながら体をベンチの背もたれに預けた。
「すみま…せん。篠崎マネージャーに、こんな……」
本当に何をしているのだろう。
ろくに話したこともない他店のマネージャーに涙まで見せたりして。忙しいだろうに足止めをして。
林はポケットからティッシュを取り出し、目と鼻を拭った。
「お前さ」
篠崎が口を開く。
「自分以外の社員の完成宅、見に行ったことある?」
「―――え?」
予想外の質問に林は顔を上げた。
「竣工検査終えた引き渡し直前の家さ。見に行ったこと、あるか?」
「―――ないです」
「比べるわけじゃないけど」
篠崎は足を組み直していった。
「新谷はさ。誰から教わったわけでもないんだけど。俺の現場も、ナベの現場も、後輩たちの現場でさえ、見に行くんだよ」
「――――」
林は再び俯いた。
竣工検査後の完成宅なんて、傷ひとつ、埃ひとつ許されない現場に、自分だったら行こうとは思わない。
それだけ、やる気に差があると言いたいのだろう。
そういう積み重ねが、アプローチにも反映されていると説きたいのだろう。
わかっている。
自分は努力が足りないんだ。
積極性も欠如しているんだ。
だから俺は―――。
「人の家なんて見ても、何の勉強にもなんないのに。なぁ?」
「―――え」
林は篠崎を見上げた。
「間取りの勉強ならシステムからCAD引っ張ればいいし、外観なら、工事課が撮った施工記録見ればいい。すべてデスク上で2分もかからずにできる作業なのに、現場に向かって、写真を撮って、また帰ってきて。時間の無駄だろ。その時間も給料発生してるんだぜ」
篠崎は笑った。
「何度注意しても、あいつ工事課とこっそり連絡取り合っていまだに続けてんだよ。ったく」
篠崎は笑いながら胸ポケットから煙草を取り出した。
「なんでそこまでして、あいつが見に行くか、わかるか?」
言いながらシュボッとジッポライターで火をつけている。
「………わかりません」
スウッと音を立てて煙草を吸い込むと、真っ白な煙を吐き出してから篠崎は笑った。
「あいつさ、家が好きなんだよ」
「―――家が、好き?」
「ああ。家の話をするのも、家を見るのも、技術的な仕組みを勉強するのも、全部好き。言うなら家オタクなんだよな」
「――――」
家が好き。
……好き?
林はトンカチで殴られたような衝撃を受けた。
「ナベもさ。休日利用して、他社の完成見学会にこっそり参加したりとか、他県の展示場とか見てるよ。奥さんと一緒にさ。あとは店の経費で住宅雑誌を定期購読してこっそり読んでる」
言いながらも篠崎の唇からは白い煙が漏れていく。
「好きこそものの上手なれって言うだろ。まあ、好きだからって誰もが成功するような簡単な業界じゃないが…」
また煙草を吸い込み、煙とともに言葉を吐き出す。
「好きだったら続けられる。続けたかったら努力できる」
篠崎は林を見下ろした。
「……好きでさえなかったら、難しいよな」
「―――――」
林は焦点の合わないぼやけた瞳で、篠崎を見つめた。
「お前は、本当に家が好きなのか?」
「…………」
林はその視線を、20棟近く並んでいるハウジングプラザに向けた。
(―――家が、好き?)
きらびやかな展示場が、春の日差しを浴びてきらきらと輝いている。
綺麗だと思う。
素敵だと思う。
でも――それだけだ。
「お前にとって、“家”ってなんだよ」
(―――俺にとっての家―――)
ただの、
商品だ。
人が暮らすための、
箱だ。
駐車場に秋山のマジェスタが入ってきたのを見て、篠崎は軽く手を上げた。
「ま、俺から一つ言えるとすれば」
篠崎は立ち上がりながら伸びをした。
「紫雨が後輩のアプローチ練習で本気でブチ切れたことは、俺が知る限りではない。一度も、な」
視線を篠崎に戻したときにはもう、彼は駐車場に向けて歩き出していた。
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