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魔族達は、盛大に、そして厳粛にイザを弔った。
彼女が人間であることをどれほど異質に思っていても、その偉大な功績は称えるべきであると、国を挙げて葬儀を行った。
それに異を唱える者は一人も居なかった。つまりは、魔族の誰もが、イザに対し尊敬の念を抱いていたことが分かる。
年を重ねた老魔族らこそ、彼女の生前は尊大できつい態度を取ってはいたが、心の底ではハッキリと認めていたのだ。
若い魔族はなおの事、素直に、そしてその美貌に憧れ、心酔する者さえ居た。
イザが魔族を嫌わずに、最後までの時を平穏に暮らしていたのも、それらを理解していたからだろう。
そして、そうであって欲しいと、魔族の誰もが改めて思っていた。
長命な彼らは、あまりにも短い生涯を遂げたイザに、心を開ききらずにいたことを悔やんだ。
その後悔の念と、これまでの無礼を詫びるように、全ての魔族達が真摯に祈りを捧げた。
そうして、イザの葬儀は七日七晩続けられた。
葬儀の間、イザの美しい体はフィリアによって氷で覆われ、その僅かも朽ちることなく美麗なまま保たれている。
誰もが、その姿に別れを告げられるように。
そして、最終日の決別の時、フィリアによって天に還される。
**
「それじゃあ、本当に少しのお別れよ。お母様」
高台の、特別に築かれた祭壇の上で、フィリアは棺の前で跪き、その顔を覗き込んでいた。
この儀式だけは一人でしたいと言って、ここには彼女しか居ない。
そして、美しいままの、まだ生きているかのような母イザに、最後の別れを告げるべく立ち上がった。
「お母様。愛してる……。お母様の愛情は、わたしの心にいぃ~~っッッぱい。詰まっているわ。だから寂しくなんてない――
――お母様、フラガお父様の居る天へと、お帰りください――神聖なる導きよ(セイクリッドレイ)」
フィリアの放った魔法によって、イザの体は真っ白な光に包まれ、天空を貫く柱のようになった。
その体が無くなれば、もう縋れるものはなくなってしまう。
あるのは思い出だけ。
けれどフィリアは、この役目は自分だけでなくては嫌だと言って、申し出た。
そしてそれを、今、立派に務め上げた。
光が消えた時には、そこにあった祭壇の一部さえ跡形もなく消えていた。
その数秒の後、わずかな光の残滓が、粒子の一つ一つがイザの想いであるかのように、名残惜しそうにゆっくりと消滅してゆく。
――甘えんぼさんね。
最後に、そう聞こえたような気がした。
母イザがフィリアに遺した、本当に最期の愛情。
祭壇に立ち尽くすフィリアは、天を仰いで動けなくなった。
「さようなら。お母様」
この言葉だけで、精一杯だったのに。
「きっとまた、会えるわ」
そう、話してしまうと、止められなくなるのに。
「わたしもフラガお父様に会いたいな」
「おっきな手で、いっぱい頭を撫でてもらうの」
だけどそれはまだ、遠い。はるかに遠い未来のこと。
「あ、でも、わたしもう大人だしなぁ」
「お母様。たくさん幸せになってね」
「もう、つらいことはしなくていいのよ」
先に行ったお母様を想い、そしてその幸せを願う。そうしなければ――。
「わたしも素敵な人を見つけるわ。どんな人がいいかなぁ」
何か、別の話題を見つけなければ、こらえきれない。
「ほんとのことを言うと、ちょっとだけ寂しいわ。お母様」
どうしても、本音がもれてしまう。
「あ~あ。やっぱりもうちょっと、抱きしめてほしかったなぁ」
その願望も。
「最後まで甘えんぼさんて言われたけど、ほんと、その通りね」
あれは、本当にお母様の声だった。
「そっか。わたし、甘えさせてくれる人がいいんだ」
そうじゃないと、この心の穴は、埋まることがないだろうと思う。
「そんな人、いるのかしら」
「ううん。絶対に見つけないと、お母様が心配しちゃうかもよね」
今すぐにでも、見つけたい。
「見つけるから……。だから、そっちで心配とか、しないでね」
天から心配されるようでは……でも、心配していて欲しい。
「……愛してる」
それ以上の気持ちを伝えたかったのに。
「ほんとはもっと、なんでもないこと、とっておきのこと、たくさんお話したかったなぁ」
話が尽きることなんて、あるはずがないのに。
「うぅ…………うぇぇぇん」
「……えへへ。うそ泣き…………あれ、なんで……涙なんか」
「ううっ」
もうたくさん泣いたはずなのに。
「うあああああああああああああああああ!」
葬儀の間ずっと耐えていたのに、止められない――。
「おかあさまああああああ!」
――本当は嫌だったのにどうしようもなかった!
「あああっ! ああああああああああああああああああああああ!」
**
フィリアは、しばらくの間塞ぎ込んでいた。
イザと過ごした部屋の、イザと共に眠ったベッドで体を丸め、ただ虚ろに過ごした。
時折ムメイが部屋を覗きに来ては、様子見がてら頭を撫でて去って行く。
言葉も無く、ムメイはそれ以上慰めることはない。
だが、そのうちにフィリアが口を開いた。
その日もまた、頭を撫でられた時に。
「ムメイ。……あなた、人間だったわね」
無機質に放たれた声は、それを諫めているのか単に聞いただけなのか、判別がつかなかった。
「ああ。殺すか? 最後の生き残りをどうするのか、お前にも聞こうと思っていた」
彼の声にも抑揚がない。感情の揺れが全く感じられない。
フィリアの頭から手を離し、その答えを待っているらしい。
「お母様が信頼して側に置いていたのだから、わたしも殺したりしない。ただ聞いただけ」
「そうか」
短い会話をそこで終えると、ムメイはいつものように部屋を出て行った。
閉じた扉の音が、その時はフィリアに寂しさを感じさせた。
「……人間って、いくつまで生きるのかしら」
そのひとり言で、フィリアはもう一つの心に気が付いたのだった。
それ以来、部屋から出るようになった。
そしてある日、誰も近付かない謁見の間に立ち寄ると、玉座の近くで巣食っている蜘蛛たちを散らした。
母イザから、それを操る術を継いでいたのだ。
蜘蛛たちが居なくなると、そこには醜い人間が姿を現した。無様な格好で、足元の黒い火が熱いのか、身じろぎながら悲痛な声を大きくした。
「うるさい。この呻き人形、もういらないわね。お母様はもう居ないのだし」
そう言ってフィリアは、廃人のようなそれを、一瞬で消し飛ばした。灰も残らぬように。
床で燃え続けていた黒い火は、それが無くなると自然に消えた。
「これで、この謁見の間と玉座が使えるわね」
玉座に近寄り指をパチンと鳴らすと、風を起こして積もった埃を適当に払う。
「結局、一度もここに座らなかったのね。お母様」
虚ろだった紅い瞳に涙が浮かぶが、零しはしなかった。
「興味なんてなくても、座ってみればよかったのに。わたしが貰っちゃうわよ?」
フィリアはそっと腰かけると、改めて母イザから、その玉座を渡されたようだなと思った。
「……悪くないじゃない」
ひとりごちると、フィリアはゆったりと深く座り直した。
つまらなさそうな、少し不機嫌な顔でくちびるを噛んでいる。
そして、自分の名を呼んだ。
「魔王、フィリア…………魔王イザから、戴冠したわ。……わたしは、魔王フィリア」
頭を下げ、王冠をかぶる仕草をしてそう言った。
それに何の意味もなくとも、自分を鼓舞するには、良い響きだったのかもしれない。
その日以来、フィリアは努めて明るく過ごした。
母イザと一緒に居た時のように。
話し相手には、ムメイを選んだ。
大した返事もせず、頷きもしないが、他の男たちのように話を遮るような真似はしなかった。
ただ聞いているだけだが、恨みがましく見つめていると、視線をくれる。
そして、稀には優しく、目じりを下げてくれることもあった。ほんの少しだけ。
不器用な男だとフィリアは思っていたが、そこに惹かれたらしい。
以来、種族も年齢も、何より寿命が違い過ぎると断り続けるムメイを、追い回している。
**
それから、数千年が過ぎた。
平穏な時間は、緩やかに進む。
そこに乱れが生じぬように、魔王碑が建立された。
『魔王碑
奇しくも、人間が人間を排する魔王を生んだ。
それはまさしく、階段を転げ落ちるかのように、激しい痛みを伴いながら。
されど、ならばこその、本物の魔王となった。
人間であるからこそ、心の底から人間を憎んだ。
人間であるからこそ、人間というものに絶望した。
怒りと憎しみを燃やし、絶望という心の死を味わいながら、魔王へと至った。
我ら魔族は、今後魔王を生み出すことなく、安息の道を進まねばならない。
魔族が魔族を憎まぬよう。
魔族が魔族に絶望せぬよう。
盤石たる絆を、育み続けねばならない』
その魔王碑は各地に必ず建てられ、教訓として語り継いでいる。
それゆえか魔族は着々と世界中に広がり、それぞれの土地で独自の文化を発展させていった。
それらの文化を交流させ、魔族たちは徐々に、そして確実に豊かになっている。
繁栄の速度は、早くないとしても。
その歴史の中に、フィリアの恋が成就したかは、記されていない。
ただ、女王フィリアの子として三人の名が刻まれている。
娘が二人と、末子に子息の名が。
現在はさらにその長子が、魔族の王として治めている。
全世界の魔族を束ね――そして支えられ――歴々の王に恥じぬ賢王として。